■第5話「編集長の正義」
■第5話「編集長の正義」
■ヨコイ・サトシ 視点
午前八時三十分、出版社「ブンゲイ社」本社ビル十階。編集部の会議室には緊張が満ちていた。
記者、校閲、法務、広報——十数名が円卓を囲み、正面には編集長・ヨコイ・サトシが座っていた。彼の目は一切の動揺を見せず、まるで鉄でできているかのようだった。
「我々の報道に瑕疵はない。“真実相当性”を根拠に、すべての記事は合法的かつ倫理的な範囲内で執筆された。……腰が引ける真似はしない」
その声は会議室の空気を一層重たくする。
だが、一人の若手記者がためらいがちに口を開いた。
「編集長……もしも、ユナの行為によって誰かが命を……」
その言葉に、ヨコイはしばし沈黙した。そして低く答える。
「その時は——“正義の代償”だ」
■ユナ 視点
その頃、ユナは配信スタジオで動画の構成をレイナと詰めていた。
「次は、キタの妻が経営してる花屋。家族で食ってる金が、誰かの人生を壊して得たものだって、ちゃんと教えないと」
レイナは戸惑いの表情で言う。
「ユナ……もう、止めてもいいんじゃない? カナエちゃん、精神科に運ばれたって」
ユナは画面を見つめたまま、淡々と答える。
「ようやく“痛み”を知った。これからが本番だよ」
■ヨコイ・サトシ 視点
帰宅後の自宅リビング。娘・ミカがうつむきながらスマホを操作していた。
「パパ……学校でこんなこと言われた。“お前の親、殺人者なんだろ”って」
画面には、ユナの最新動画のコメント欄。
【記者の家族に同情はいらない】【編集長の家族も地獄を見ろ】【因果応報】
ヨコイは拳を握った。だが、言葉は出なかった。
■ウメダ・ショウ 視点
その夜、ユナの隣で弁護士・ウメダ・ショウが椅子に座っていた。録画の準備が整っている。
「本当にやるんだね、ユナさん。これを出せば、名誉毀損で逆に訴えられるかもしれないよ」
ユナは、迷いもなくカメラを見た。
「上等。彼らが作ったルールに、私が乗っただけ。“報道の自由”ってやつで、父を殺されたんだ。今度は、“報道の自由”で裁かれる番よ」
■動画配信『編集長の正義は誰のものか』
ユナの声が動画内で流れる。
「父は、笑わせるために生きてきた。週刊誌のたった一本の記事で、舞台から降ろされ、家族は崩壊した」
「裁判で“真実相当性”という言葉を知った。“記者がそう思ったなら”——それだけで、何億もの損害が数百万で済まされた」
画面には、「報道被害 補償額比較」のグラフが表示される。
「これは、“金で他人の人生を壊す”というビジネスモデル。報道とは何か、正義とは何か——今こそ考えようよ」
SNSでは怒涛のコメントがあふれる。
【この国のメディアは終わってる】【でもカナエちゃんは関係ないだろ】【家族を巻き込むのはやりすぎ】
■ヨコイ・サトシ 視点
編集部の個室。夜遅くまで残っていたヨコイは、一枚の手紙を見つめていた。
それは、娘・ミカが書いた作文のコピーだった。
——「パパは、正義の人だと信じてる。でも、私のことも守ってね」
その一文が、胸を締め付ける。
ふと、机上の端末が光った。ユナの次の動画のタイトルが浮かび上がる。
《次は編集長の家庭を“取材”します》
ヨコイは目を閉じた。
「……俺がやってきたことが、全部正しかったとは、もう言えない」
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