■第2話「父の影、娘の怒り」
■第2話「父の影、娘の怒り」
■ユナ 視点
深夜の室内には、PCのファンの音と、カチカチというマウスのクリック音だけが鳴り響いていた。モニターに映る編集ソフトのタイムライン。その中に並ぶのは、かつて父・タカタ・ヒサシが出演したテレビ番組の映像だった。
「……天下取った芸人が、黙るしかないなんて、滑稽すぎるでしょ」
笑い声の残響にまじって、ユナの呟きは重く、冷たく響いた。
父が「ナンバテン」としてテレビに出続けていた頃は、家庭も明るかった。ユナの誕生日には必ず帰ってきて、くだらないギャグで笑わせてくれた。「お前の笑い声が一番のごちそうや」——そう言った父の声が、今でも耳に残っている。
だが、あの報道がすべてを壊した。
スクープのタイトルは《高級ホテルでの性的ゲーム強要疑惑》。それは、曖昧な証言と不鮮明な画像による“印象操作”にすぎなかった。
——“真実相当性”がある
それが、編集部の言い分だった。
その日以来、父は家の中でひと言も口を利かなくなった。母は台所の椅子に座り込み、ただ何も見ずに日を過ごすようになった。
「壊されたのは、芸人の“キャリア”じゃない。家族の生活、尊厳、そして——命だったんだよ」
ユナは独り言のように呟き、YouTubeにアップする新たな動画のファイル名を「報道加害のリアル」と名付けて保存した。
■キタ・タロウ 視点
「……またかよ。今度は息子の通ってる塾の映像まで出回ってる」
キタ・タロウは、机に拳を叩きつけた。怒りというよりも、限界の音だった。
すぐに編集長のヨコイ・サトシに電話をかけた。
「編集長、マジで限界です。もう家族が……」
「訴えるなら訴えればいい。ただし、“真実相当性”で我々は正当化できる。お前の家族がそれに耐えられるかは別の話だが」
冷酷な声が返ってきた。正義などない。ただ勝った者が“正義”を名乗る、それがこの業界のルールだった。
電話を切ったタロウは、ソファに崩れ落ちた。リビングでは娘・カナエがスマホを握りしめ、泣いていた。
「パパ……なんで、なんで私がこんな目に遭うの……」
カナエのスマホから、ユナの声が流れる。
『記者の身内が死んでも、私は悲しまない。自分たちが他人にしてきたことを味わってるだけだから』
その言葉に、娘の顔が歪み、泣き声が漏れた。
「パパ、もう学校行けないよ……」
タロウは何も言えなかった。かつて、自分が書いた記事が“真実”だと信じていた。だが、今、目の前で壊れていくのは、自分の娘だった。
■ユナ 視点
翌朝。
ニュース番組「モーニング・フレーム」では、コメンテーターのヒラタ・ジュンペイが無邪気に笑っていた。
「いや〜、ネットってすごいね。面白ければ正義、でしょ?」
その一言に、ユナの拳が震えた。
「面白ければ正義……あんたらがその理屈で父さんを殺した」
彼女はすぐさまPCを開き、新たなライブ配信を開始する。
《“正義”の名を借りた報道の暴力》
サムネイルには、父と並んで笑っていたかつての写真と、それを切り裂く赤い×印。
配信が始まると、ユナは視聴者に向かって語った。
「報道の自由は必要。でもそれが“人を殺してもいい”理由にはならない。私が今やってるのは、あんたらがやったことの“鏡写し”だよ」
■カナエ 視点
学校の昇降口に、知らない大人が立っていた。
「キタ・カナエさん、いますかー? 記者の娘として、ひと言コメントを——」
スマホを掲げた男、アリマ・トウマ。ユナの動画に登場する“実行役”のYouTuber。
「やめてください……!」と叫んだカナエの声は、カメラのレンズに吸い込まれていった。
教室に逃げ込んだ後、机の中に“死ね”と書かれたメモが入っていた。
カナエは目を伏せ、カバンにそっとしまう。
——ユナさん、あなたの父が壊された痛みを、どうか私にぶつけないで。
■ユナ 視点
その夜。
ユナはレイナと共に次の企画を編集していた。
「次はどうする?」
「“加害者の親に聞いてみた”って構成でいく。記者の親、祖父母……“報道倫理は遺伝するか”ってテーマで」
レイナは苦笑しながらも止めなかった。
「ねぇユナ、やりすぎじゃない? もう十分痛めつけた」
ユナは静かに目を伏せ、答えた。
「違うよ。まだ“始まってすら”いない。父の尊厳は取り戻してないし、あいつらはまだ謝ってない。だから、止まれない」
部屋に鳴り響くのは、動画編集ソフトのタイムラインに流れる波形と、キーボードの打鍵音。そして、ユナの中で燃え続ける怒りだった。
——「父の影、娘の怒り」は、まだ燃え続ける炎に過ぎなかった。