第20話 母の沈黙
第20話 母の沈黙
■ユナ 視点
午前九時。春の光が差し込む病室で、ユナは母・ヨシコの手を握っていた。白く痩せた手の温もりが、微かに現実と彼女を繋いでいる。
「……もうすぐ、全部が終わるかもしれない。父さんのこと、ようやく“真実”として語れるところまで来た」
ヨシコは何も言わなかった。いや、言えなかった。父・ヒサシの事件以降、言葉を発しなくなったヨシコは、今も精神的な静寂の中に閉じこもっている。
ユナは続けた。
「ゲームの証拠もある。後輩たちの関与も明らかにできる。けど……私は、全部出す気はない。あの人たちを潰したって、父さんは戻ってこないから」
「でも——編集長、記者、テレビに出て“面白がった”人間たちは違う。あいつらは父を“金に変えた”。だから私は、“金じゃない責任”を取らせるつもり」
そのとき、ヨシコの指が、わずかに動いた。
ユナは驚いて顔を覗き込んだ。瞳にはまだ焦点が合っていなかったが、その奥に、一瞬だけ微かな光が宿ったように感じた。
■回想——ヒサシのメモ
病院の帰り、ユナは渋谷の公園で足を止め、ベンチに腰掛けた。ジャケットのポケットから、一枚の紙が滑り落ちる。
それは、父が家族宛に遺したメモのコピーだった。
——「どんなに嘘が飛び交っても、君らだけは信じてくれ。俺の笑いは、全部“本気”やった」
ユナはその紙をじっと見つめ、ぽつりと呟いた。
「信じてるよ、父さん。だから私が、あなたの“嘘”を壊してやる。……ちゃんと、終わらせる」
■配信動画:《母の沈黙が、すべてを物語っている》
その夜、ユナはスタジオで静かにカメラの前に座った。照明はやや落とされ、彼女の顔には深い陰影が宿る。
「今日は、母の話をします。……彼女は、父の事件の後、完全に声を失いました」
「マスコミは、“家族も知っていたはず”“共犯だ”と決めつけて、母を叩いた。でも、母は父を——ただ、愛していただけなんです」
彼女は一枚の写真を掲げた。若き日のヒサシとヨシコが、劇場の裏で笑い合う姿。
「この笑顔が壊された瞬間、母は沈黙しました。私には、その沈黙が何よりも深い“証言”に思える」
「報道の暴力は、マイクを向けられる人間だけを対象にしている。でも、本当の“被害者”は、声を出せない場所にいる」
カメラ越しに見つめるユナの目は、怒りではなく、悲しみと哀しみを湛えていた。
■レイナ 視点
控室に戻ったユナを迎えたレイナは、彼女の目を見て直感した。
「……今の、完全に“終わり”を意識してるよね?」
ユナはかすかに笑って答えた。
「もし“これで全部終わったら”って思うのは、いけないことかな?」
「違う。でも、“終わらせ方”を間違えたら、あなたまで消えてしまう。それだけは——やめて」
「私はもう、“自分”でいられる気がしない。“復讐者”って役を降りたら、何も残らないから」
その言葉は、重く静かに、空気を裂いた。
■深夜のノート
ユナは帰宅後、ノートを開き、静かにペンを走らせた。
——「ママ、私、最後に“沈黙の責任”を取るね。誰もやらなかったから、私がやる」
その一文に、彼女自身がどんな意味を込めたのか、誰にもわからなかった。
ただひとつだけ確かなのは——それが“終わりのはじまり”であるということだった。
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