子供の絵を誉める
筆者は未婚者なので子供はいないのですが、会社の上役さんのお子さんの話しで、うちの子供が変でさ~。と話していたことに、感じたことをお話ししたんですよ。
上役の方が「なるほどな~」とおっしゃって納得されていたので、そのエピソードとタイトルについての考察です。
上役さんの話しはお子さんが小さい時のだいぶ前の話しのようだったんですが、当時、水族館につれていって大変喜んでいたそうで、家に帰って早速、水族館で見た魚の絵を描き始めたんだそうです。
「それがさ、何て言うの、正面から見た絵ばっか描くの、普通は横から見た絵を描くでしょ、この子、少しおかしいのかな?って昔は心配になったよ(笑)」
これを聞いて、私が思ったのはその子の感性は凄いなってことと、大人になることで生じる先入観の怖さでした。
「子供は見たままを描くんです。例えば僕たちが家を描いてと言われたら三角屋根に四角な壁、窓とドアをバランスよく描くんです」
「でも子供は見たままに描く、子供の視点は低いので例えば扉は大きくなって逆に屋根はまっ平らに描いてしまうかも、でも子供にはそう見えているし、それでいいんです」
「◯◯さんのお子さんが正面からの絵を描いたのは、其れが一番、衝撃的でその子にとって一番の構図がそれだったからです」
「それはおかしいんじゃなくて素晴らしいんですよ」
って、話したら、なるほど、おかしな事はなくて、こっちが理解出来ないだけなんだと感心してらして、柔軟な方だな~と逆に感心してしまいました。
さて、私たちは絵を描いてとモチーフを目の前に出された時に、それをそのまま描いているつもりで、先行するイメージに引っ張られている可能性があります。
例えば先程の家のように、この家を描いて下さいと写真を見せられても、例えばその写真の角度からは窓が見えなかったり、屋根が平らに見えたとして、より家に見えるように描いてしまうんですね。
特徴を捉えてデフォルメしていると言えば聞こえがいいですが、ようするに自分の中のイメージを優先してしまうんですね。勿論、それで効率があがったり、周りとの共通化が図れることもありますが、見落としや間違いの原因にもなりますね。
ドアノブのついたスライドドアがあるとして、大抵の大人はノブを回して押したり引いたりしたあと、ドアに鍵がかかっているか、壊れてるかを疑いますが、5才前後の子供は押して引いて開かなければ、普通にスライドさせて簡単にあけます。
ちゃんと観察すれば蝶番が無いことや、扉の上部や下部にスライドするための構造があることに気付くはずで、経験や知識で言えば子供より先に気付けていいはずですが先入観はそれだけ厄介なんですね。
私は子供がいないので、こんなことを言うのは烏滸がましいのですが、もし、お子さんが少し変わったことをしていたら、それは素晴らしいことなので誉めてあげては如何でしょうか。
私たち、大人の視点では失ってしまった世界を見ているかもしれませんから。