スカイライン
美しい橋だ。
車が2台並んで走れるくらいの幅があって、床板に敷かれた石畳が太陽光を反射して真鍮色にてらてらと光る。コンクリート製の短冊を重ね合わせたチューブ状のガードレールを呑み込むように樹齢数百年ほどの巨大な空植物が絡みついてギシギシ音を立てながら群青色の空と橋をつないでいる。
橋は数百メートル進んだところで幹線道路、通称スカイラインへと繋がり地上から標高数千メートル離れた天界へと続いている。幹線道路の端は地上からは見えず、さながら虚空から垂らされた淡い色のリボンのようだ。
私、本田彩芽はファインダー越しの景色に息を飲んだ。
「お姉ちゃん、何呆けてるの行くよ?」
「待ってよ、まだ取れてない」
妹の本田友里がせかす。エアロクラフトに跨って、ヘルメットを被って顎紐をたらした状態だ。
私はベストな構図を見つけて引きでスカイラインの絵を撮った。
妹にせかされて錆びたフェンスをくぐる。役目を終えて朽ちたコンクリートの壁片と錆びた有刺鉄線が当時の苛烈さを物語っている。
今日のために調整したエアロクラフトを押す腕にぐっと力が入った。
検問所の小窓からアンドロイドが半身を乗り出し、私からパスポートとチェックリストを受け取った。ざっと目を通してスタンプを押して返すと私の顔をまじまじと見ていった
「君たちみたいな若い地上人がこの検問所に来るのは久しぶりだなあ、軌道エレベーターやエアロクラフトの無い時代は君たちみたいな歳ごろの移住者はよくいたんだけどなあ」
アンドロイドがぼやく。高度に発達した文明社会ではアンドロイドも人間と変わらない思考を持って昔を懐かしむのだ。
検問所の狭い個室には旧大戦時代のポップスが流れていた。もはや古典音楽扱いであるが今なお根強い人気がある曲だ。
「この曲って旧大戦時の……」
「おお、お嬢ちゃん。よく知ってるね」
アンドロイドが言う。
「エアロクラフトの無い時代だ。夢見る地上人の体力じゃあ天界までたどり着くのも難しかった。そんな時代の地上人の憧れみたいなものが凝集されてる。この時代の曲は名曲ぞろいさ」
「おじさんはここで働いて何年目になるの?」
「142年57日12時間35分、ざっくり140年くらいだなあ。大戦時からの生き証人さ」
「………すごいね」
旧大戦時代のアンドロイドは200年以上稼働するらしい、もしかしたら私たちが死んだあとも観測者であり続けるのかもしれない。
そう考えると少し怖くなって、急いでエアロクラフトのアクセルを掛けた。
バイクに似たエアロクラフトの反重力装置がうなり、ふわりと宙を浮いた。
今から数百年前、地上の一部が天空に墜ちた。そして人類の中にも翼を持つものが生まれた。
それから数十年、翼を持った人類と持たない人類の間で小規模な衝突が繰り返された後、人類は翼をもつ天界人と地上人に分かれた。
長い間、天界と地上は慢性的な戦争状態にあり、人や物の出入りはお互いの政府により監視、制限され、一部の天界人の運送屋による細々とした物資のやり取りがあるのみだった。しかし、数十年前、天界と地上で恒久的和平が結ばれ比較的行き来が自由になった。
そして、旧大戦時代の天界と地上を結ぶ道の補修工事が終わり、“スカイライン”として一般に公開されたのがつい数年前の事だった。
妹の友里は民俗学を学ぶ大学生だ。卒業論文のテーマについて決めかねていた友里はこれ幸いと“スカイライン”を卒業論文のテーマに決めた。そして夏休みで実家に帰省していた私を連れて、スカイラインから天界に向かうことにした。
検問所を抜けてスカイラインに合流するために高度を上げていくと検問所が豆粒のように小さくなる。空植物を骨組みに組んだガタガタした石畳の上を進んでゆく。エアロクラフトの無い時代ならこの道はとんでもない悪路だ。私はふと、先ほどの曲を口ずさんだ。
「「天界はいいところー、一度は行ってみたいいいところー」」
単調な詩とメロディーが相まって訴求力がすさまじいが、悪くない。歌うと眠気覚ましに持ってこいだ。
「お姉ちゃん上機嫌だね」
「そうかしら」
ヘルメットが通信機になっていてツーリング仲間とリアルタイムで話すことができる。友里が言った。
「ところで、友里。天界で調べものってどれくらい時間かかる?」
「そうね、旧大戦期の史跡でおもしろそうなものがあれば見てみたいけど……最低一週間は滞在するかな、お姉ちゃんは観光しないの?」
「そうね、都会の喧騒を離れて圧巻の絶景を一度は見てみたいと思う反面、コンビニもないような田舎だって聞いているからあまり長居はしたくないかも」
「……お姉ちゃん都会っ子だもんね」
友里が笑った。
高度が2000メートルを超えると、都会が豆粒のように小さく見えた。スカイラインを構成する短冊状のチューブはどこまでも殺風景だが、隙間から見える景色はめまぐるしく変わり、町や山なりを鳥瞰する。
酸素は薄くなり、羽織ったジャンパーに冷たい風が当たる。
「もうそろそろ休憩する?」
「賛成―」
高度2000メートル以上のエアロクラフトによる長時間走行は地上人には過酷なため、スカイラインでは100キロの走行もしくは2時間おきの休憩を推奨している。
私たちはスカイラインの傍路50のキロおきにあるパーキングで休憩をとる事にした。
パーキングは鉄筋コンクリート製でひらぺったい土台の上に雨除けの膜がついているデザインでまるで大きな葉っぱのようだ。このパーキングのデザインから遠目にはスカイラインはつる植物のように見える。
「そうだ、次の休憩所ってどこか知ってる?」
「知らない、なんてとこ?」
「富士山頂SAってとこ、昔は地上で一番高度が高かったとこみたいで、幾つか史跡とかあるみたい。そう言われればお姉ちゃんだって名前には聞き覚えるんじゃない?」
「ふうん、私は知らなかったなあ」
なんとも間延びした返事を返して、2つのエアロクラフトは悪路を進んでいった。
富士山頂SAはスカイライン上にいくつかある休憩所の中でも休憩所としての規模が比較的大きい。富士山頂SAから天界へ向かうスカイラインは、道ですら無く、巨大な空植物が天に向かって伸びている。山頂に切り開かれたスペースに50台ほどの駐車スペースに天界人の老夫婦が営む小売店とモーテルがある。スカイラインの旅行者は本格的な飛行の前に地上での休息を義務付けられているのだ。
エアロクラフトを駐車場に止めてモーテルの受付に行くと60代くらいの人の良さそうな天界人の女性が顔を出した。天界人が珍しかったのはもう何十年も前の話で私が生まれた頃には天界人は地上にいて当たり前の存在になっていた。天界人は羽が生えていて、空を飛べる事以外に大きく地上人と変わらない。最近では飛ぶときはもっぱらエアロクラフトな天界人だっているらしい。
受付を済ませて、受付から直結した廊下から部屋に入ってベッドに転がり込んだ。
「あーつかれた」
「お姉ちゃんこんなに日に当たるの久しぶりだったでしょ、普段雑誌編集でデスクワークだし」
「そーかもね」
空っぽの頭で返事する。否定はしない。
雑誌編集の仕事をしているとまず動かない。フィールドワークをしている別のスタッフから送られてくる資料をつなげ合わせて適当なことを書く。
私は枕に顔をうずめた。
「よくいらっしゃいましたー。どうぞゆっくり休んでいってください」
眠そうな顔をした若い天界人の女性がウェルカムドリンクを持ってきた。
ドリンクは空レモンスカッシュといって、地上のレモンスカッシュとは材料、作り方が異なるらしい。とにかく長旅で疲れた体には刺激のある冷たい飲み物はとてもありがたい。
地上では珍しいドリンクを味わいながら、私と友里は今後の予定を相談しあった。
それから友里はSAの近くにある史跡の取材に行ったので私はさほど大きくもないモーテルの中を散策することにした。
食堂に行くと先ほどの若い天界人が本を読んでいた。地上のストリートファッション誌だ。
「あ、さっきの……」
「どうも」
目が合って軽く会釈する。
「ここのモーテルお客さんが少ないんですよ」
「そうなんですか?」
「地上の方で天界に行かれる方は気道エレベーターを使いますし、天界からの方でスカイラインを使用する方は基本下りで自由落下で降りてきますからね、SAを利用することが少ないんです」
「へー、そうなんですね」
「お客さんはどうして、スカイラインに来たんですか?」
「一緒に来てた子、妹が民俗学を学んでてね、スカイラインと天界について論文を書くんだ。私はついてきただけ」
「いやいや、天界なんてなんもないですよ、あるのは畑と頭の固い年寄ばっかり」
天界人が口をとがらせて言う。
「私まだ地上に行ったことないんですよ、だからこういう本見てると憧れちゃいます」
「どうして地上に行かないんですか?地上には天界人の方たくさんおられますよ?」
「親が頑固なんですよ、曰く、うちは“格式ある天界人の家系”らしいから地上はけがれた場所、地上人は敵だって認識」
若い天界人は嘆息した。
頑固と格式は紙一重、とても含みのある言い方だ。
「地上に行かない代わりにスカイラインでのバイトが最大の譲歩なんですよ……そうだ、お客さん。暇でしたら、私と少しお話しませんか」
眠そうな目を輝かせ、天界人がいたずらっぽく言った。
天界人の彼女は名前をサラといった。
彼女がバイトしているこのモーテルは彼女の叔母が運営していて、宿泊客を案内するという体なら多少のサボりも多めに見てくれるはずだということらしい。
「お客さん、なんのお仕事されてるんですか?」
「雑誌編集よ」
「すごいじゃないですか!憧れちゃいます」
サラが目を輝かせる。
「あー、サラさんが考えているようなストリートファッション誌じゃなくて、私の仕事はゴシップ記事」
「ゴシップ記事?って何ですか?」
「そうね、芸能人の不祥事を面白可笑しく取り上げた記事の事よ」
自分で説明するとなんとも陰湿な仕事だろうと思う。
「へー、そういったジャンルがあるんですね。天界じゃ雑誌の種類も多くないから知らなかったです」
「天界じゃゴシップ誌ってないの?」
「天界に出版社がないですから、地上の雑誌しか見ないです。でも出回っている雑誌で見かけたことはないかも」
少し考えてサラが言った。
「私、もう少し大きくなったら地上に出て出版のお仕事がしてみたいんです」
「どうして?」
「本を通して知らない世界を知れることは素敵じゃないですか?」
サラはとても純粋に答えた。それは出版物の内容というより出版物そのものの本質を突いた答えだろう。
「その本の内容が有名人の悪口について書かれたものだとしても?」
「どうしてですか?」
サラの大きなヒスイ色の目が私の顔を覗き込んだ。
「悪口だってエンタメの一種じゃないですか?私の叔母だって人の悪口大好きですよ」
モーテルをひとしきり回ったが、サラと話足りなかったので、外に出て友里に合流することにした。サラもガイドとしての役割を全うできるし、いい考えだ。
友里がモーテルの裏の小さな塚の前で写真を撮っていたのを見つけたので声を掛けた。
「おお、お姉ちゃんとさっきの……」
「サラです。彩芽さんとはSAのガイドとして先ほどから色々お話させてもらってます」
「なるほどーガイドさんか」
友里が納得したように言った。
「そういえばここって何の史跡なの?」
「お姉ちゃん、聞いたら嫌な気分になるぜ」
「いいけど、何?」
「耳塚」
「耳塚?」
聞きなれない言葉に思わず聞き返す。
「そう、昔天界と地上は戦争していたでしょ?天界人はこの場所を対地上戦の前線にした。で昔の天界ではそぎ取った捕虜の耳に見合った報酬を得たらしい、で集めた耳を供養するために作ったのがこの耳塚。……数百年前の話だけど」
補足のように付け加えられた、最後の一言。生々しい嘘のような話だけども数百年という長い時間が現実味を際立たせる。
「むごいわね」
ぽつりと呟くと同時にしまったと思った。サラに目をやるととても申し訳なさそうな表情をしている。
友里が手を叩く。
「まあ、そんな難しい事じゃないわ、天界人と地上人。時代ごとに色々な考えの人がいるってこと」
「私としては昔の人がやんちゃしてくれたおかげで卒業論文が書ける。それだけ」
「なんだか現金だね」
「天界人、地上人以前に私たちは現代っ子だからね」
3人は顔を見合わせて笑った。
スカイライン、空植物の内側は空洞になっていて、鉄筋コンクリートで補強されている。下りと登りはそれぞれ2車線で50キロおきにパーキングが設置されている。
富士山頂SAを出発して標識に沿ってスカイラインを進んでいく。
私は流行りのポップスを口ずさみながら進む。
「お姉ちゃん上機嫌だね」
友里が言った。
「ふふふ、そうかもね」
昨日、サラさんと仲良くなって世間話をした。たったそれだけの事で私の中にあった悩みが取れた気がした。
ふと、サラさんが、スカイラインで大声を出すとスッキリすると教えてくれたのを思い出した。
「ねえ友里、大声で叫んでみない?」
「えー、なんか子供っぽいよ」
「いいじゃない」
乗り気でなさそうな友里を強引に引き込んで、せーの、で叫んだ。
叫び声がスカイライン内で反響して管楽器のような音が鳴った。
その音にびっくりして空植物の周りにたたずんでいた鳥の群れが一斉に飛びだった。
そのあまりのスケールの大きさに私たちは思わず大きく笑いあった。