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良さんとチロとぼくの物語  作者: 矢田箍史
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俊介復讐戦記

しばらく良さんを訪ねて平穏な時を過ごした。川岸を散歩にも出たが、ユンボのある工事現場には近寄らないようにしていた。

 その日は水辺の鳥たちを見に行った。もちろんチロも連れて、かなりの数の鳥たちが水浴びをしていた。良さんはいつものように真剣に見て、独り言のようにいろいろな質問を出していた。残念ながらぼくが答えてあげられたことは

「羽毛は空気を含んでいて水に浮く」ということだけだった。他の質問は発せられたまま、答えはなかった。それでも良さんは機嫌よく鳥たちを眺めては、疑問を口にした。ぼくはそろそろ飽きてきたので

「さあ、良さんそろそろ帰ろうか」と声をかけた。

 その時一台の黒いバイクが道路から近づいてきた。フルフェイスのヘルメットで顔は見えなったが、嫌な予感がした。

 男は見せつけるようにバイクをふかして大げさにに止めた。

ヘルメットを脱ぐとそこには奴がいた。自分で思わず顔が歪むのがわかった。

「おまえ、俊すけだろう、なんだ、そのふてくされたような顔は、あいさつは、あいさつはどうした」

 ぼくはただ、下を向いて黙っていた。

「お前、なめてんのか。また、ボコるぞ、こら」木津が胸倉をつかんで押し込んできた。ぼくはされるがままに後ずさった。

 その時不意に良さんが割ってはいってきた。

「俊ちゃんに近寄るな。お前なんか怖くないぞ」

だ、お前は、関係ねえ奴はだまってろ」木津は良さんの胸を押した。

良さんは転びそうになったが立て直して、また、木津に向かった。

「薄汚え恰好して、頭の弱いホームレスか」

良さんが小さい声で言った。

「ぼくは頭は悪いけど、弱くはない」

「ばかやろう、それが弱いってんだ。」木津はグーパンチで殴ろうとした。

今度はぼくが慌てて中に入った。

「やめて、殴らないで」

「うるせえ、だれに言ってんだ、俊すけの分際で、このタコ野郎」

 もうだめだった。話にも何もならない。ぼくはまた羊となって狼にやられるだけだ。心がすくみだした。

 でも良さんは違った。また、木津に立ち向かった。

「やめろ、俊ちゃんをいじめるな」ぼくを囲うように良さんがかばってくれた。ぼくはもうすべて喪失していた

「面倒くせえ、二人一緒にボコったる」木津がまず。ぼくを蹴った。

「やめてください。なんで俊ちゃんにそんなことするんですか」良さんの言葉使いが弱弱しくなり、ぼくを覆いながら、ついにに泣き出してしまった。泣き声は段々大きくなりながらもぼくを守って体をかぶせて来た。

 人通りなどほとんどない場所だったが、たまに散歩する人もいる。日没前で、三人のもつれあいとその中で大声で泣くおじさんはやはり目立ったのだろうか。初老の男性が、女性を連れてゆっくりだが駆け寄ってきた。

「どうしたの」「どうしたの」その声に木津は反応して動きを止めた。確実に近寄ってくるのがわかると、

「ちっ、俊すけ、覚えとけ」と吐き捨て、急いでバイクのエンジンをかけ、来る人と逆の方向に走っていってしまった。

ぼくは来てくれた人に頭を下げ、

「なんでもありません、ちょっと友達と喧嘩をしてしまい、お騒がせしてすみません」と取り繕った。

二人とも、訝しげに泣き顔の良さんを見ていたが、

「良さん大丈夫」とぼくが声をかけると良さんが笑って返事をしたので二人とも帰って行った。

 先ほど泣いていたのが嘘のように、良さんは元気になり、笑っていた。

「俊ちゃん、こわかったね。でもよかったね。おじさんが来てくれて」

ぼくは自分が恥ずかしかった。何もできずに固まってしまい、良さんにかばってもらったことが、ぼくが原因でこんなことになったのに何もできないことが情けなかった。しかしこれは最初の取っ掛かりに過ぎなかった。ぼくたちは絶望に突き落とされる。すべてはぼくが災いの元だった。

その日以降ぼくは臆病になり。あまり川岸の散歩がしたくなくなった。

しかし良さんはあまり気にせずに散歩に行きたがり、チロももちろん散歩したがった。

 ぼくは少し億劫になり、良さんのところに行かない日が何日か続いた。

それでも、やはり良さんやチロの食事のことなどが心配になり、食料品を仕入れて青テントを訪ね、外から声をかけると、良さんとチロはいつものように飛び出てきて喜んで迎えてくれた。

 入るとすぐに異変に気が付いた。いつもきれいにしている良さんのテントがとても臭かった。

「どうしたの」と聞くと良さんとチロが外に出ている間にゴミが投げ込まれていたらしい。帰ってくると生ゴミがばらまかれており、置いてあった生活品にも及んでいた。良さんは散らかったゴミを片づけ、ぞうきんで拭いたが、臭いは残ってしまっていた。その事件の少し前に、木津ともう一人体の大きな男が二台のバイクで良さんのシートハウスに来たらしい。男たちは(ここに住むんじゃない)と脅した。良さんは一生懸命謝ったが男たちは怒鳴り散らした末に、その時は何もせずにずに帰っていった。

 だが、その次の日にこの事件は起きたらしい。おそらく、これは奴らの嫌がらせで間違いがないと思う。

目的があるのか、狼の気まぐれな遊びか,わからないが、羊にはどうすることもできない、ただ耐えるしかなかった。

取り合えず、ぼくは、ディスカウントストアーに走り、大きなゴミ袋とぞうきん、除菌スプレーと消臭剤を買ってきた。そして、テント内の清掃を手伝い、なんとか臭いも気にならないようにできた。

ぼくは今後のことがすごく不安だったが、良さんはそれほど深刻ではなかった。その理由は直接聞いてはいないがなんとなくわかる。これまでにもこのような仕打ちを数多く受けてきたのだろう、理不尽なことを黙って受け入れ、我慢して暮らしてきたのだろう。良さんはぼくよりも数段強い羊なのだ。

 この時、木津ともう一人の男が誰なのかぼくにはわからなかった。おそらく木津の不良仲間だろうと思っていたが、後でこいつがぼくの憎い敵になる。

 ゴミをテントに放り込まれることはこの後、続かなかった。狼たちの習性からすれば、わざわざ生ゴミを運んで投げ入れるなど、そんなかったるいことを続けるわけがなかった。

 しかし、それより悪いことがすぐに起こった。

 若い中高生ぐらいのグループが深夜にバイクや自転車で集まり、良さんとチロが寝ているテントに、ねずみ花火や煙幕を投げ入れ、すぐに逃げてしまうという暴挙に出たらしい。やられた時、良さんは寝ており、ねずみ花火が暴れて爆発した時、何が起こったのかわからずに飛び起きて、火事かと思い、外に飛び出た。その時若い男たちが罵りながらバイクや自転車で走っていくのを見たという。チロは怯えて尻尾を丸めていたらしい。

 ぼくが訪ねるとさすがに強い羊の良さんも困っていた。証拠などないが木津達の仕業だと思う。直接やらなくても後輩を使い、やらせているのだと思う。直接聞きに行ってもとぼけるだろう。あいつらの真意もわからず、交渉もできない。あいつらに会いたくもない。

 警察に届けるのも良さんの立場上難しいし、相談に乗ってもらえる人もいなかった。ぼくもどうしたらいいのかわからず、二人で途方に暮れた。

結局、解決策も見つからず、ゴミを捨てられた時のように一度で終わってくれればいいなと淡い期待でその日は別れた。

 次の日からぼくは九時前には起きて、母親には図書館行くといって、必要になりそうな物をナップザックに詰めて家を出た。

 良さんは缶拾いには出ておらず、テントに居た。前の夜は何もなかったようだ。だが安心はできない。テントの外には出ずに、いろいろ考えてはノートに解決案を書き出したりして眺めていた。良さんもそれを見て、真似するように腕を組み考え、新聞紙に何か絵を描いていた。二人は飽きるとチロをかまって遊んだ。お腹がすくと、お湯を沸かしてもらい、主食のカップラーメンを食べた。暗くなってから家に戻った。このまま何も起こらなければと思う。

 家に帰ると母が遅かったねと顔色を窺う。ぼくは目を合わさずに「面白いシリーズの本が見つかった。今緊急事態で目が離せないんだと言い、いろいろ聞かれる前に部屋に戻った。

 次の日も早く起きて出かけようとすると、母が今日はデパート周りで夕方までいないからとなぜか三千円をくれた。豪華な食事でもするのだろうか、ありがたくカップ麺と菓子類を買う算段をする。

 良さんのテントに行くと、甘い気持ちは吹っ飛んだ。昨日の夜、またやられてしまった。しかも今度は内容はさらにエスカレートしていた。 打ち上げ花火やロケット花火をテントに打ち込まれたのだ。良さんが外に出ると前下位以上の人数が大声で笑いながら罵倒して逃げたらしい。

 幸い今回もけがはなかったが、まかり間違えば失明や大火傷してもおかしくない危険な状況だ。その夜より良さんは夜中に眠らずに見張るという。しかし、見張っていて、見つけて咎めても、逆切れされ、多勢に無勢で襲われたらもっとまずいことになる。

 ぼくも何ができるか考えたが良い策などなかった。きのうノートに書いた解決案を見て、やはり警察を呼ぶしかないというのが結論だった。

 良さんは警察に良い印象を持っておらず、交番に行って頼むことなど無理ですと言う。

 きっとぼくが行って説明してもそんなことは取り合ってくれないのではないかと思った。それに名前や住所を聞かれ、そのことが家族にばれるのは絶対にまずかった。

 ぼくは怖気づいて、最悪の気分だった。「もう、知らない」と逃げ出したかったが、さすがにそれはできなかった。 

  できる策はやはり警察に奴らを捕まえてもらうしかないと思う。それには現行犯しかなかった。奴らを引き付けて一一〇番して補導してもらうもらうというのが僕の考えだった。それにはいろいろの準備と覚悟が必要だった。良さんが保護されて事情聴取をされたときに話すことの内容も考えた。また、この場所を離れなければいけなくなることも想定した。

 あとは、良さんの体を防御するものや他にいろいろなものが必要だ。

ぼくは急いで家に戻り、母がいないのを幸いに必要な物を持ち出してきた。

 再び、良さんのテントで、防戦の準備をする。テントの端に穴を掘り、良さんとチロが潜れるようにする。持ってきた救急箱もここに置く。消火用の水をポリタンクに満タンにしてバケツにも水を汲んでおく。慌てないように動線を考えて壁になるように置いていく。不安になったらきりがないができる限りの準備をする。

 テント内の配置が終わったら今度は良さんの武装に移る。ラクダの下着の上に母親のママさんバレー用の膝、肘サポーターをつけ、念のため腹巻の代わりに新聞紙をガムテープで巻いてもらう。上に作業着を着れば外からはほとんどわからない。良さんが拾ってきた工事現場のヘルメット、父親のスキー用のゴーグル、バーベキューで使う皮手袋、ドカジャンには新しい電池を入れた懐中電灯を入れた。

 ぼくの準備は動きやすい黒系ジャージ、ニットキャップ、マスク、携帯電話ではまずいので通報のための一番近い公衆電話も調べた。小銭もそして、110番へかけたときの想定問答もネットで調べて書き留めてある。足は自転車だ。あと、証拠用の使い捨て高感度カメラも二つ買ってきたぼくと良さんでそれぞれ持つ。

今までの状況から、狙われるのは木金土日、やはり学生なのだろう。時間帯は11時半から2時半までの間だ。ぼくはテントが見渡せる木陰で見張ることにする。ぼくはこの時間帯にゲームやアニメビデオを24時間営業のレンタルショップに行くことが度々あり、家を出ても怪しまれない。不安は残るが、良さんとチロとぼくで平和なご飯を食べる。

 夜11時15分予定通り準備した服装で家を出る。父親も早くに帰宅して、母と寝室でもう寝ている。妹も自分の部屋で受験勉強だ。

 合鍵を持ってぼくは静かに家を出る。家族は気づいていないと思うが気づいても、いつもの習慣だと思うだろう。不安九割、冒険心一割が今の心境だ。

 橋近くの公衆電話と潜む場所のを確認した。もちろん狼どもはまだ来ていなかった。

 テントに行くと良さんは完全武装の状態で待っていた。暑いのか興奮しているのか、額からは玉の汗が出ていた。ぼくはタオルを渡し、落ち着くように言う。自分を励ますように

「頑張りましょう良さん、チロ」と声を掛けテントを離れた。やはり良さんは不安そうに一生懸命汗を拭っていた。

自分の見張る場所に戻ると時計は十二時を回っていた、居場所を作るとテントを見ながら何度も警察への通報の練習をした。十二時半を過ぎ、今日は来ないのかと一瞬思ったが、いや、そんなことはないと思い直して、周りを伺った時、ざわつき始めた。

 まず、チャリの二人乗りで身長のさほど高くない、たぶん中学生と思われる男子が現れた。それを境に続々とチャリが集まりだした。結局チャリ七台と原付二台、人数で十五人ほどもいる。なんと二人乗りの」チャリには女の子を乗せているものまでいた。皆、それぞれいろいろな袋を持っていた。

 集まった小狼たちは周りに民家も通行者もいない安心感からか、それぞれ笑いながら、大声で話している。時間は十二時半と決めて集まったのだろうか一気に集まった。ぼくは焦る気持ちと良さんへの不安な気持ちで体が震えてきた。自分に落ち着け落ち着けと言い聞かせ、まず高感度カメラでフラッシュをたかずに、全体の写真を二、三枚撮った。写っているかわからないが体の震えを止めるのに役立った。荷物は木陰においてすぐに公衆電話に自転車で向かった。

110番を回すとやはり手が震えた。

「警察ですか」

「はい、事故ですか、事件ですか」

「事件になると思います」

「どんな状況ですか」

「川岸の人がいるシートのテントに不良たちが花火を打ち込もうとしています。」

「テントは燃えていますか」

「燃えてはいません」

「テントの外に人は何人ぐらいいますか」

「15人ぐらいです」

「そこの住所は」

「市川市の行徳橋の袂です」

「あなたの名前は」

「怖いので匿名でお願いします。いたずらではありません。本当です。」

「わかりました、警察官を向かわせます」

「よろしくお願いします。すみません、電話を切らせていただきます」

そう言って電話を置いた。受話器を強く握りしめていた手がなかなか離れなかった。このまま座り込んでしまいたかったが、もちろん、良さんがそれどころではないし、警察もここに来るかもしれないと思いすぐその場を離れてテントに向かった。

 見張り場所に戻ると驚くような光景が広がっていた。まるで戦場のように打ち上げ花火とロケット花火が低い角度で打ち上げられていた。急いで全体をカメラに収めた。よく見るとテントの周りを四つのグループが取り囲み、瓶や筒状の物に打ち上げ花火やロケット花火がテントの上あたりをめがけた角度で差し込まれていた。そして引火の役目のために地面に置いて上に噴射するドラゴン花火を据えていた。狼たちは少し離れて見て、歓声と拍手、「お、ヨシオ君のすごいね」などい言う声もはっきり聞きとれた。

 良さんの姿は見えなかったテントの中に隠れているのだろうか。一回目が収まると二回目が準備された。今度は明らかに花火の角度がテントにむけられているようだ。パトカーはまだ来ない、このままでは良さんのテントに打ち込まれてしまう。ぼくは非常時用に用意してきたものを使うことにした。それはパトカーのサイレン音を録音したラジカセだ。音は良くないが遠くから聞けばわからないだろうと思った。大音量にしてスイッチを入れた。その場を離れて様子を見ると、狼たちはすぐにサイレン音に気が付いて、「やべえマッポだ」と慌てて身の回りの物を集めてそれぞれにあいさつをしてそれぞれに散っていった。散会は早かった。ほぼ人影が居なくなるとぼくはテープを止めバックにしまい、自転車に乗った。

テントの周りは誰もいなくなり、花火の残骸だけが残った。

 土手の道路にサイレンを鳴らさず、ランプだけ点灯させたパトカーがようやく着いた。二人の警官が懐中電灯を照らしながら川岸に降りて来た。テントを照らし、周りの残骸も照らし、注意深くテントの入り口のに立って中に声を掛けた。すぐに良さんが出て来た。

 良かった、良さんは大丈夫のようだ。そのあと懐中電灯で照らしながらヒアリングしていた、もう一人は紙になにかをまとめていた。警官は小一時間ほどで帰って行った。パトカーが帰るのを見届けるとすぐに良さんのもとに走っていった。


 良さんはがっくりしていたが、ぼくが行くと、少し安心したようだった。チロも無事だった。警官と何を話したか聞くとポツリポツリと答えた。

名前や、住所、どんな相手だったか、人数は、心当たりはあるか、などを聞かれたみたいだが。答えられないでいるとそのままで飛ばしたらしい。

最後にまた朝に来るとのことだった。そして他の人に迷惑がかかるからこんな所に寝泊りしてはだめだ、早々に出ていくようにと言われたらしい。 やはりここを出ていくしかないようだ。力になりたかったが今のぼくではどうしようもなかった。逆に警察官が来てもぼくのことは一切言わないでとお願いしてテントを後にした。

 翌日、警察官が来るのでテントには寄らずに、夕方、遠くから誰もいないのを確認してテントを訪れた。

 良さんは台車に荷物を積んで、場所を移る用意をしていた。警察官との話は苦痛だったようであまり話たがらなかった。でもこうして良さんがいるのだからぼくも何も聞かなった。

 結局、今回のことで警察に頼っても、誰も補導されず、犯人もわからず良さんがここに居れなくなるだけだった。

 良さんはこの川岸続きの少し先の藪の中に移るつもりらしい、荷物をまとめるのを手伝い、チロをかまった。良さんは慣れた手つきで荷物をまとめ引っ越しの準備は終わった。それでも一人で台車一回で持っていける量ではなかった。ぼくが一緒に行ってやればいいのだが、人に見られるのが嫌でこれ以上引っ越しは手伝えなかった。良さんはそれに対しての一言も口にせず、もちろん考えてもいなかったと思う。

 そして、一人でチロを連れて動き出そうとした。

 ぼくは自分の行動を誤魔化すように口を開き良さんに告げた。

「新しい引っ越し先を見つけてすぐに行くね」

「俊ちゃん絶対に、すぐに来てくださいね」良さんは笑顔でぼくに返してきた。

 チロを連れて台車一杯の荷物を運び出した良さんにぼくは声をかけた。

「気をつけてね、また」ぼくは自転車を走らせた。

ペダルをこぎながら考えた。今、良さんはぼくの大切な友達なのに何もしてあげない。それどころか警察に尋問されて困っていても、ぼくの名前を言うなとか、人に見られるのが嫌で引っ越しも手伝ってあげない。ぼくは最低の男だ。それでも良さんは怒らず、ぼくが行けば喜んで、やさしくしてくれる。

 自分が堪らなくなって、無茶苦茶に自転車をこいだ。車道にはみ出しトラックに怒鳴られた。

 翌朝、良さんが移ると言っていた約一キロ先の川岸の藪を探した。なかなか見つからない。服には棘のような種子がびっしりこびり付いていた。それからもっと奥まで入ってやっと見つけることができた。

 今度のテントは思いのほか小さかった。なかなか見つからないはずだ。声をかけると良さんとチロが飛び出て来た。もちろんいつものように喜んで迎えてくれる。中をみせてもらうと良さんとチロの寝るスペースと荷物の保管場所があるだけのものだった。

 定番の食料の差し入れを渡し、テント外の枯れ草に腰を降ろそうとすると、良さんがちょっと待ってくださいと言い荷物の中から、ポールのようなものにシートが付いたものを出し、それであっという間に別のテントを作り、中に段ボールとケースで座る場所を用意してくれた。ぼくが驚いていると、

「俊ちゃん来てくれると思ったので、すぐに作れる部屋を作ったんです」

「へぇ、良さんすごいね。簡単に増築だ、でも、テントはずいぶん小さくなったね」

「はい、なるべく人に目立たないように、すぐにどこへでも移れるように」

「そうですか」ぼくは何も言えなかった。

 雰囲気を感じ取った良さんが話を変えて、

「でもチロはこの藪が大好きで走り回って、いっぱい棘みたいのを付けて来るんです」

「あっ、ぼくもここに来るまでにつけて来ました。それはアメリカセンタングサの種子ですよ」

「アメリカ、セ、ン、タ、ン、グサ?」

「そうです」

「じゃ、チロは今、アメリカ犬ですね」まじめに言う良さんにぼくは思わず笑ってしまった。

 小部屋でしばらく休んで、チロと遊んでぼくは家に帰った。

 家ではキッチンで早く帰ってきた父に母がお茶を入れながら、報告するように世間話をしていた。ぼくはリビングでTVをつけながら何気なく聞いていた。

「行田橋のところで中学生の不良グループがホームレスのテントに花火を打ち込んでパトカーが出動したそうよ」

 その話が出たとき、ぼくの関係など知られているわけはないが、ドキッとした。

「嫌な話だな、親の教育が悪いんだろうな、ホームレスか」と父が返してその話は終わったが、ぼくは居心地が悪くなり急いで部屋に戻った。

警察に通報した件以来、川岸あたりをパトロールされているようで良さんも平穏無事な生活を送っていた。テントが目についていないこともあるのかもしれない。

 ぼくも少し新しい生活が始まった。それは短時間だがアルバイトを始めたことだ。近所の花岡さんの紹介で、食品倉庫に作業に行っている夕方五時から八時まで段ボールを片づけるバイトだ。時給八百円だが週給でもらえる。週六日行くと14440円。

 母には欲しいゲームソフトを買うためと言ってあるが、良さんの支援に使うと思う。

 ぼくにはアルバイトなどできないと思っていたが、仕事をやり始めてみると、目の前の仕事に一所懸命で、他のことなど考えずに集中できる。これは良いなと思えてきた。他の人とのコミュニケーションなど上手く取れないが、それでもやさしい言葉をかけてくれる人はいる。自分が頑張って、もらえる給料で良さんやチロに何かしてあげられると思うと楽しみだ。


 良さんのテントを訪ねると、セカンド部屋ができており、中から話声が聞こえてきた。ぼくはまずいと思った。また木津達が見つけて嫌がらせをしてきたのか、緊張する。しかし、中から聞こえてくるのはやさしい笑い声だった。これは間違いなく違うと思い 外から「良さん」と声をかける。

「あっ、俊ちゃんだ」と良さんが飛び出て来て、中に引っ張っていってくれた。  セカンドテントには五十代ぐらいの中年男性がケース椅子に座ってお茶を飲んでいた。ぼくを見ると

「君が俊ちゃんか、すごい男前だな、いや美少年というべきか」と言って手招きをして、

「さあ、どうぞ、どうぞ、お邪魔しています」と隣のケースに座らせてくれた。ぼくが面食らって、下を向いていると自己紹介をし始めた。

「私はルポライターの森島と言います。森島昇」そういうと名刺をくれた。

ぼくは名刺をもらうのなんて、初めてだったので焦って落としてしまった。

「あっ、すみません」ぼくは急いで拾って、見ずにポケットに入れた。

「あっ、ぼくは宮田俊介です」

「学生さん」

「あっ、いえ、あの引きこもりです」

「えっ、引きこもり、おもしろいねえ、俊ちゃんは、ねえ、良さん」

「俊ちゃんはやさしくて、ぼくを助けてくれるんです。ぼくもチロも大好きです」

「いや、ぼくなんかより良さんは数十倍もやさしいです」。

「二人は仲がいいんだね」ちょっと恥ずかしかったがぼくはうなづいた。

  森島さんはとても穏やかで、ぼくや良さんを決してバカにしたような態度を示さなかった。そして、わかりやすく面白く話をしてくれた。なぜ、この河川敷に来たのか、どうして良さんに声をかけたのか、しかも大人の良識で話の分別をして、話して良いこと悪いことをちゃんと整理していた。

なんだかすごいなと思った。また、良さんの出した茶碗のお湯をちゃんと飲んでいたことにも好感を持った。ぼくは最初飲めなかったのに。

森島さんの目的はこの河川敷を管理している会社のことを調べにきていた。ちょうどこのテントより少し先あたりまでが、その会社の管理する地域だと言っていた。だが、なぜ調べるのか詳しい理由は話さなかった。そして偶然良さんを見かけて声をかけた。情報収集とは別にルポライターの興味から今の生活をみせてくださいと頼んだのだそうだ。森島さんは今度、良さんの生活に密着してルポを書かせてくださいと言っていた。帰る頃には、良さんもぼくもはっきり森島さんを好きになっていた。

 数日が経ち、十二月も半ばを過ぎていた。五時からのバイトの前に良さんのところに寄ろうと自転車走らせていた。バイクの爆音が近づいてきてクラクションが鳴った。嫌な予感がして、振り向かずにいるといきなり声をかけられた。

「俊すけだろ、ちょっと待てや」木津の声だった。逃げられない、無視もできなかった。左に寄り自転車を止め、後ろをゆっくり振り向いた。

 木津のバイクは後ろに一人乗せていた。そして、もう一台大きなバイクに男が乗っていた。前に良さんが言っていた大きな男と一目でわかった。

身長は百九十センチぐらい首も方も腕も太い、日に焼けた、まるで岩のような男だった。狂暴そうな目でこちらを睨んでいた。

「竜一さんこいつが俊すけです。ホームレスとつるんでいた」と木津が告口するように言った。

大きな男は乱暴にアクセルをふかしてバイクから降りた。そして、

「てめえか」と脅すように吐き捨てた。

ぼくは一瞬でわかった。こいつは強い狼だと、それだけでぼくはすくんでしまった。木津ともう一人のいかにも突っ張りの男もバイクから降りて、ぼくを囲んでいた。

「親父の会社が管理している河川敷に、小汚えホームレスが勝手にテントなんか張り、住みつきやがって、ぶん殴って追い出してもよかったんだが、サツにでも行かれたら、親父に迷惑かけちまうからな」とぼくを再び睨んだ。

「なっ、そうだろ。でっ、てめえは奴の仲間か」と言うか早く、左手でぼくの頭を押さえつけ凄い力で地面に叩きつけようとする、顔面が地面に押しつぶされる寸前にリンゴでも弄ぶように顔を引き上げた。 恐怖で半泣きしているぼくをそのまま捨てた。

「でも、やっと居なくなった、中坊の花火遊びで大変だったらしいな、今時の中坊は使えるなあ、木津」

「いや、竜一さん、ゲーム代とか結構かかってるんすよ」

「ご苦労」

(やはり、こいつらがやらせたんだ)

「二度とあの辺りに住ませるな、いいな」

「俊すけ、今度こんなことしたら、俺が黙っちゃいねーぞ」木津が喚いた。

竜一はバイクにまたがり、ブレーキをかけてアクセルを回し大きなタイヤをスリップさせ、嫌な音を出した。まるで大型バイクをも力でねじ伏せているように見えた。一気に解放し走り出した。木津のバイクも後を追った。二台のバイクは行ってしまった。

嫌な奴に睨まれてしまった。あいつではどうすることもできない。良さんにお願いして、またテントをあいつの関係のないところに移動するしかないだろう。そうしなければ、ぼくも良さんも何をされるかわからない。

テントに行くと良さんはいなかった。缶集めやほかの収集も町が動き出す前の早朝にするのが良さんの決まりだった。

 夜に出されたゴミから人目につかないよう集める、そして汚れていたら軽く掃除をする。だから行くときは良さんはホウキとチリトリ、ゴミ袋をいつも持ち歩く。ちゃんと処理をしていると早起きのお年寄りなどは声をかけてくれ、憶えていて、わざわざおにぎりを作ってきてくれる。と良さんは言っていた。だからこの時間にはもう戻ってきて間違いなくいるはずなのだが、竜一や訳のわからない中坊などが頭をよぎり心配になった。

 不安で回りを探してみようと思った矢先、良さんが藪の中から戻ってきた。何か探しているような素振りだった。

「良さん、どうしたの」

「チロがどこかへ行ってしまったんです」

「えっ、どうして」

「外で遊ばせていたら、他の犬を追いかけていってしまい、探してもいないんです」

「本当に、困ったな。実はこの前良さんのところに来た二人、そう一人はぼくの同級生の不良、あいつらに会ってぼくは脅かされました。もう一人の大きな男、竜一っていうんですが、その父親の会社がこの河川敷の開発と管理をしていて、それで良さんが邪魔でいろいろ嫌がらせをしているようなんです。この会社はたぶんこの前ルポライターの森島さんが調べていた会社だと思います。ゴミも花火もあいつらの仕業だと思います。何をするかわからない奴らです。あいつらと関係ない場所へ出て行ったほうが良いです」良さんが全部理解できたかわからなかったが、良さんはすぐに返事をくれた。

「わかりました、俊ちゃんが言うのならそうします。ただ、チロが戻ってきてから」

「そうだね。まず、チロを探しましょう。ぼくも帰りがけに河川敷を中心に見ていきます」

 自転車を道に出し、走ろうとすると、不意に視線を感じた。何気なく確かめると、不良ぽい中学生ぐらいの男子がじっとテントのある藪を見ていた。まさかと思ったが確かめることもできないのでそのまま後にした。

 もう五時も近かった、その日のバイトは休ませてもらう電話をした。困るなと嫌味を言われた。

 チロを探して、元のテントがあったところまで来ると、複数のバイクが止まっていた。そこには見覚えのある木津のバイクと竜一の大型バイクがあった。間違いなくあいつらが近くにいる。急いでこの場を去ろうとした時に、男の集団が目に入った。その中に木津も竜一もはっきり見えた。そして、あろうことか白い犬が連れられており、それはチロだった。ぼくがあげた鋲の打たれた太い首輪をしているのもわかった。

 今、すぐに取り返さなければまずいのはわかった。だが、先ほどの竜一の仕打ちに足が竦んだ。心は葛藤したが体は動かなかった。ぼくは助けに飛び出せなかった。

 チロは人懐っこいかわいい犬だから、あいつらだってそんなひどいことはするわけがない、だから大丈夫だと自分に言い聞かせた。

 そして見つからぬようにこの場を離れようと竜一の姿を目で追った。その時、竜一と目が合い、奴が笑ったようにに思えた。実際はそんなことはなかったと思う。でもぼくはこそこそと逃げた。

 家に帰って、食事も取らずに部屋に閉じこもった。チロのことが頭から離れなかった。悪いことばかりが頭に浮かんでは消えた。母も心配してノックしたが、ただ頭が痛いだけとやり過ごしてベッドに入った。眠れずに起きていたが、明け方には寝入ってしまい、気が付くと九時を回っていた。急いで起きると支度もそこそこに家を飛び出した。母の「体は大丈夫か」の問いにも生返事だった。

 雨が降っていた。合羽を着て自転車に飛び乗り懸命にペダルを漕いだ。気分は最低だった。昨日、奴らとチロを見かけた場所は何の変りもないように見えた。チロが無事に帰ってきてくれと願った。

 テントがある河川敷に着いた。雨に濡れた草のせいで靴も服もびしょびしょになりながら進んだ。

 まず、泣いている声が聞こえた。そして、テントの前で良さんが跪いてずぶ濡れのまま泣いていた。その前には白いものが置かれていた。チロだった。

 自分が頭の隅で考えていた最悪のことが目の前にあった。真っ白なチロは赤く染まり、体のところどころに黒いマジックで書かれた五角形が滲んでいた。

 ぼくは全身の血が凍る気がした。

 昨日、ぼくが見かけた後、チロが奴らに何をされたのか一目でわかった。

 良さんはぼくに気付いても反応しなかった。ただ、チロの体を撫でていた。

「チロ、チロ・・・・・・」小さい声が聞こえた。「誰が、誰がこんなひどいことを」ぼくは言葉が出せなかった昨日の出来事を、そして卑怯な自分を話す機会を失ってしまった。

 ぼくは悲しみと怒りと後悔が一気に吹き上げた。ぼくは吠えて泣くしかなかった。

 合羽を脱ぎ、、良さんに被せた。二人はチロを長い時間撫でていた。体の感覚がなくなり、芯が痺れてきた。チロから離れようとしない良さんの肩を抱き、無理やりテントに入れた。自分のジャンバーでチロを包んで抱きかかえた。それは硬直していて、生きているものの感触ではなかった。また、涙がこぼれた。テントに入り、首輪を外し、段ボールの箱に収め、隅に置いた。

 携帯ガスコンロで湯を沸かし、二つつの茶わんに白湯を注ぎ、一つの茶碗に水を注ぎ、チロの箱の前に置いた。白湯の茶碗を良さんに持たせ、自分もゆっくり飲んだ。そして、良さんの濡れた衣服を着替えさせた。

 良さんはじっと動かないでいた。心配だったが、ぼくはひとまず、家に戻ることにした。自転車で走りながら、良さんとチロのために何をしてあげられるかを考えていた。それは自責の念だったかもしれない。

この間、行った親戚のおじさんの葬式を思い出した。この時は火葬場まで行った。そして、前に近所の飼い犬が死んで、近くの動物専門の斎場で葬式をしたこと。この二つが心に結びついた。

家に帰ると、ずぶ濡れのぼくを見て母は心配したが、今のぼくには取り繕う余裕などなかった。後で話すと納得させて、シャワーを浴び着替えた。

パソコンで近所の動物用斎場を調べ、電話して内容と料金と受付可能かを確認した。火葬の簡単なもので三万円で午後からでも受け付けてくれるとのことだった。思ったよりは安かったが所持金は一万二千円しかなかった。母に正直に、友達の犬の火葬費用だと話し、バイト代が入ったら返すとお願いした。「なんであなたが」と小言を言われたが、三万円を用意してくれた。

 動物斎場に電話して、名前を告げ十四時に入るとお願いした。その斎場はテントから歩いて小一時間ほどのところだった。

急いでテントに戻った。良さんは箱のそばにじっと座っていた。ぼくは

「良さん、チロの葬式に行きましょう」と言った。

「チロの葬式」良さんは聞き返した。

「はい、そうです。土には埋めず、火葬してもらい骨をもらってきましょう」と伝えた。良さんは驚いたような顔で返事した。

「はい、お願いします。」

 ぼくの自転車の荷台にビニールを被せた箱を括り付け、押しながら歩いた。ぼくは合羽を被っていた。良さんは傘を差し、チロの箱にも差しながら歩いた。二人は無言で歩いた。

 プレハブでできた動物専門の斎場で火葬してもらい、骨を拾い、専用の小さな骨壺に入れてもらった。良さんはずっと泣いていた。帰りは骨壺を良さんが抱えて歩いた。

 良さんは「火葬場は二度目です」と言った。母親の時と今度と

「でも、母さんの時は、ぼくは骨をもらえませんでした」とつぶやいた。

 帰り道の途中で初めて良さんとお店でご飯を食べた。昨日の夜から何も食べていなかったし、お金も残っていたので中華料理屋に入った。良さんを少しでも元気づけてやりたかった。ぼくと同じくらいの年のカップルが良さんの後ろのテーブルに座っていた。 ラーメン、餃子を二つずつとチャーハンを一つ頼んだ。

 ぼくの対面に見える若い女性が「なんだか臭い」と露骨にいやな顔をした。連れの男性も「本当に臭えな、なんだろう」と理由ははっきりわかっているのに同じ言葉を繰り返した。その時、良さんは体を縮めた。

 ぼくはわざとコップを強く置き、大きい音を立て、女性が視線を合わせて来た時に強く睨み返した。女性はプイと横を向いた。

女性は「もう、行こう」と立ち上がった。

カップルが勘定をしているときに女性が何か小声で話し、男性がこちらを見ていたが、ぼくは目を合わせぬよう良さんにメニューを指差していた。二人はそのまま帰って行った。

 料理が来たが、良さんはそんなに食べなかった。

「おいしくないですか」ぼくは聞いた。良さんは大きく首を振り

「とってもおいしいです」と言い立ち上がり、いつもきつく締めているズボンのベルトを大きく緩めた。

「でも、もうチロはご飯が食べられないんですね」と言った。

ぼくは餃子を二つ無理やり口に入れて上を向いた。

 良さんをテントに送っていくと骨壺を大事そうに抱え、深く深くお辞儀をして「俊ちゃん本当にありがとうございました、明日から一人で頑張ります」と言った。


 翌日は良さんが心配で九時頃にテントを訪ねた。そこは大変な騒ぎになっていた。人だかりができ、道路には消防車が出ていた。

 見物人に尋ねると「浮浪者のテントにガスコンロの火が引火してボヤになったらしいよ」ぼくは慌ててテントに近づいた。そこには良さんが立っていた。ひとまず安心した。消防隊の人が整理している横をくぐり抜け、ぼくは思い切って良さんに近寄った。

 良さんはぼくを見つけると泣きそうな顔で寄ってきた。消防隊の人に状況を聞かれていたようだ。ぼくははっきりと彼の知り合いですと答えた

 良さんが言うには缶集めから帰ってきたらこんなことになっていたらしい。ガスコンロなど使ってはいないと言った。

 ぼくも良さんが朝にガスコンロなど使わないことは知っていた。少しでも長持ちさせるために、ぼくが訪れた時か、自分が使うときは一日一回夜だけ使っていた。しかも、かなり気を使っていた。火事などにするわけがなかった。

  しかし消防隊の方の話では朝七時頃に、110番通報があった、河川敷に不法に暮らしているものがガスコンロの火をテントに引火させ、燃えている、出動してほしい。そして、危ないので注意してほしいとの要請もあったとのことだ。

 消防隊が出動してみるとボヤは消火されていた。しかし、この場所での火の使用は安全管理の観点から許可できないと良さんに詰め寄っていた。良さんは答えられずに黙っている。ぼくに言えることなどなかった。最終的には消防隊に強制することはできず、この件は警察署にも連絡しておきますと言って帰って行った。

 ぼくは良さんを手伝って焼けたテントとびしょ濡れの生活用品を片づけた。いらないものは捨て、他へ移る準備をしなければならなかった。

 あいつらがやったことなのはわかり切っていた。でもそれを証明することはできなかった。どうしようもない。多少お金も残っていたので、ぼくは必必要な物を買ってきて、引っ越しの準備をした。

何とか片づけ終わるころには、もう、四時を回っていた。ぼくはバイトに行かなければならなった。母に借金もあるし、とにかくお金は必要だった。 良さんに謝って、気をつけていくように、明日、移った場所を探して訪ねる事を約束した。今度は竜一の父親が管理する地域より離れているはずだ。僕の家からは遠くなるが、そんなことはどうでもいいことだ。とにかくこれ以上あいつらに嫌がらせされない場所に行くしかなかった。ぼくは後ろ髪を引かれる思いでテントを後にした。

 バイトを終え家に帰り、居間のソファーでぐったりしていると、母が正面に座った。そして、いきなり予想をしなかった言葉を発した。

「俊ちゃん、あなた、浮浪者の人が友達なの」ぼくは驚いて、言葉に詰まった。

「言い訳はないの、この前の動物の火葬費用もその人のため。なんだかこの頃、様子がおかしいと思っていたのよ、」ぼくは言い訳もできず、黙って下を向いた。

「冗談じゃないわよ、あなた、何を考えているの、友達がいないからって、何も浮浪者と遊ばなくてもいいでしょう。最近ゲームなどあまりやっていないのに、お金だけは欲しがっておかしいと思っていたら、俊ちゃん、あなた、だまされているのよその人に、お金取られているのよ」母の言葉に胸をえぐられるるようだった。

「違うよ、母さん。良さんはそんな人じゃないよ、そんなんじゃないんだ」

「良さん?違わないわよ、だいたい、あなたは勉強も仕事も何もしないで、ぶらぶらして、それだけで世間体は悪いのよ。それが今度は浮浪者とお友達?いい加減にしてよ、みっともない、真由だって恥ずかしいわよ」母はもう止まらないようだ。

「夕方、スーパーに買い物に行ったら、中村さんや田代さんのあの口うるさいグループが集まって、私の顔を見たら、ひそひそ話よ、なんだかおかしいなと思っていたら、中村さんに嫌味言われたわよ、お宅のお坊ちゃんは今朝、河川敷でボヤを出した浮浪者さんのお友達なんですってねえ、ってよ。詳しく聞いたら、もう母さん恥ずかしくて、情けなくて」とうとう母は泣き出してしまった。ぼくへのフラストレーションが爆発してしまった。 一時泣いた後、さっぱりしたように真顔で「しばらくお小遣いはあげないわよいいわね、それから訳の分からない外出は禁止、このことはお父さんの耳にもいれるわ、お父さんと話してちょうだい」としゃべり終えた。ぼくには反論することも、言い訳する余地もなかった。

母は「ご近所さんになんて言い訳しましょう」とぶつぶつ言いながら部屋に戻っていった。

父親が帰ってくると、しばらくして居間に呼び出され、こっぴどく叱られた。内容は母とほぼ同じだった。妹は決して二階から降りて来なかったなかった。

切羽詰まっていた。これからどうしよう、どうしたらいいか。でも、ぼくは気付いていた。良さんとの付き合うことによるによる心への重い負担、チロを見殺しにしてしまった罪悪感、それらから逃れる方法があることを。ぼくの心が言い訳を求めて探している。両親からのプレッシャーは逃げるための最高の言い訳だ。

でも、良さんは困っている。チロが殺され弱っている。うまく言えないがぼくの心の底の最低限の領域で、犯してはいけない聖域で、ここを逃げてしまっては羊にもなれない気がした。だから、ぼくは今回だけは覚悟を決めた。言い訳に逃げないことを。そう決めたら心は楽になった。

 ではどうするか。家を出るか、無理だろう、お金も、頼る人もいないぼくがそれをやったらホームレスになってしまい、良さんを支えてあげられない。やはり、家族の目を盗んで行くしかないだろう。バイトにいくのは大丈夫なのでその時間をうまく使う、それと家族が寝静まってから抜け出す。特に、金曜の夜は父と母は早めに寝室に入り、多分、だから深夜はぐっすり寝ている。上手く抜け出せるかもしれない。いや、やるしかない。

そして、良さんの生活をなんとか変えてあげられないのだろうか、シートテントの生活ではなく、ちゃんと屋根のある家に住み、普通の食事をして、毎日仕事にも行けるようにしてあげたい。どんな方法があるのだろうか自分なりにネットなどで調べてみよう。

 ぼくが相談できる人など家族以外いないが、この前名刺をもらったルポライターの森島さんなら相談できそうな気がする。電話してみよう。とにかくやるしかない、やるしかないんだ。

 それから三日間は良さんのところに行くことができなかった。でも、その間はバイトの行き帰りに良さんが移動したところを探した。そして新田橋のたもとに青いシートが張っててあるのを見つけた。多分その場所で間違いないだろう。それから良さんへの差し入れ食料も少しずつ買い増しして、ナップザックに入れたままいつでも寄れるようにバイトにも持ち歩いた。 四日目にバイトでぼくの担当の仕事が手際よく早く追ったので一時間早く帰らせてもらった。

 目星をつけていたテントはやはり良さんのテントでぼくが行くと良さんは大喜びだった。しかし良さんの顔はげっそり痩せていた。チロのこともあるが、良さんは満足に食事を摂れていなかった。その原因はあの出火の件らしい。前はもらえた空き缶もゴミ置き場には出ていなった。空き缶の袋を持った人に出くわしたが「あんた河川敷で火事を出した人だろ」と言われ缶のゴミは持ち帰られてしまった。

 困った時に行けば、おにぎりをくれた比嘉のおばあさん所さえも、今は追い返されてしまう。帰り際には「もう二度と来ないで」と言われたらしい。それもすべて、謂れのない出火騒ぎのせいだ。

 「おばあさんのところに行った帰り道にあるお地蔵さんまで、怒っていた。いつもは笑っているのに」と良さんは溜息をついた。ぼくはやるせなくて黙って、ただ持ってきた食料を差し出した。良さんはすぐに食べ始めた。

 よほどお腹がすいていたのだろう。「おいしい、おいしい、俊ちゃん」とほおばりながら何度もぼくに頭を下げた。

 ぼくは家の事情であまり来れなくなるが、できるだけ食料は多く持ってくると約束した。

 狭いテントの中の隅に、裏返しの木箱が置かれ、その上に骨壺とぼくがケータイで撮ったチロと良さんの写真が飾られていた。

自分の食べるものもないのにドックフードや河川敷で積んできたと思われる花がきれいに瓶にささり飾られていた。

ぼくは涙がこぼれそうになるのを堪えて、

「良さんまた来ます」と別れた。良さんはずっとテントの外に出てぼくが見えなくなっても見送ってくれていたと思う。

家に帰ると母が「今日はバイトから帰るの遅かったわね」と棘のある言い方をした。ぼくは何も答えず、部屋に戻った。次に行けたのは四日後の金曜日の深夜だった。

毎日少しずつ買い貯めた食料と父がいらなくなったセーターが捨てられているところを隠し持っていた。

チロのことはずいぶん心の整理がついたようだったが、言葉や挙動に異変が現れていた。一人で何かブツブツ言ったり、急に怒り出すようなこともあった。相変わらず町の人には冷たい目で見られ、小学生の男の子には石をぶつけられたりすることもあるらしい外には余り、出なくなり、テントでただじーっとしていることが多くなった。

 ぼくは良さんになんとか元気を出してもらいたかったが、何もしてあげられなかった。それでも少しでもおいしいものを食べてもらおうと思って、栄養のありそうなものを買ってきたが良さんは前より食べなくなり、そしてあまり笑わなくなっていた。明らかに病んでいるというのはわかった。もうぼくが食事を運んであげるぐらいではだめだった。病院か専門の施設にに入れてあげなげればいけなかった。役所に相談に行くことも迷ったが、勇気が出なかった。迷った末に森島さんに電話することにした。

もらった名刺の番号はつながらなかった。(お客様の都合でつながりません)との案内が流れた。がっくりと来た。自分の無力さに腹が立た。 結局、何もできずに、悶々とした数日をさらに送った。良さんのことが心配だったが、母親の監視は厳しく、さらにバイト先にまで電話をして、退社時間の確認をしていた。そんなことでテントには寄れなかった。良さんへの心配は余計に膨らみ、冷静に考えれば、もう役所に駆け込むしかなかった。 そして、母親にも真実を打ち明け、助けてもらえるよう心を決めるしかなった。どう切り出すか迷っている間に、また、バイトに行く時間になり、出かける支度をしていた。

不意に携帯が鳴った。妹の麻友からだった。妹から電話をもらったことなど過去に記憶が無かった。

「どうした、麻友」気後れしながら電話に出る。

「お兄ちゃん大変よ、ホームレスさんが今、襲われそうなのよ、お兄ちゃんどうするの」

「ホームレスさんて、お前なんでそんなこと、言うんだ」

「私、知っているわよお兄ちゃんが関わっていること、お兄ちゃんがテントに入っていくのも見たわ。そしてホームレスさんが不良グループに襲われた事も知っている。それから気になって通学の時に見るようににしていたの、そしたら、今日、何かゴタゴタしているの、怖かったけど近づいたら、中学の同級生がいたの、ちょっと不良の子。その子が浮浪者が女の子を引きずり込んだって言うの」

 何がなんだかわからなかった。良さんが女の子なんて、そんなことあるわけがなかった

「なんのことだよ、小さい女の子って、そんなことするわけないだろう、良さんが」

「ホームレスさん、良さんて言うんだ。でも本当よ、女の子がテントに居たの、そして今、不良たちに保護されて、不良たちはホームレス

さんを囲んでいるの」

「えっ、・・・・・・」ぼくには状況が理解不能だった。どう考えてもあの良さんと小さな女の子などつながる訳がなかった。今まで接してきてそんな気配など皆無だった。何かの間違いだろうと思った。

 しかし、ふっと、頭をよぎるものがあった。家族のようなチロを無残に殺され、社会から蔑まれ、喰うや喰わずの生活を送るその精神状態は極限ではないか、ここのところの良さんのおかしな素振りも頭に浮かび、もしかして何もわからぬまま大変なことをしてしまったのではないか。

一時、ぼくの心は闇に落ちた。

「お兄ちゃん、聞いているの、どうするの、このまま知らない振りでいいのね、そのほうが皆、安心だものね。いいよね」混乱しているぼくに妹の心理状態など全くわからなかった。そして、このまま、知らぬふりをできる度胸も、賢さもぼくには無かった。

「だめだ、すぐに行く」それしか言えなかった。頭の中は真っ白だった。もう母に取り繕う余裕などなかった。ぼくは構わず。家を飛び出た。

ペダルを猛烈に漕いだ。生きた心地はしなかった。いつもの何倍も速く現場に着いた。テントから少し離れた場所に、良さんを囲んで六人の男たちがいた。近くに妹はもういなかった。

橋桁のそばで工事中なのか大きなコンクリートのテトラポットが積み上げられていた。中には竜一も木津もいた。そして前に木津のバイクに二人乗りしていた男は、場に合わないぐったりした少女を背負っていた。中学生ぐらいの男の子もいた。そして木津は電話をかけていた。場所を伝えているようだ、警察への通報だろうか。

 その状況にぼくは怯んだが、もう、引くことは出来なかった。良さんのそばに寄った。大汗をかいていた、そして 、震えていた。ぼくは絶対に守らなければと思った。

 竜一がぼくを見て言った。

「おう、これは驚いた。変態野郎の仲間が来たか。ちょうどいい、一緒に成敗してやる」

「俊すけぇ、お前、ただじゃおかないぞ」木津が睨んだまま吠えた。

 良さんは明らかに興奮していた。ぼくに気が付いても近づいてはこなかった。血が出るほどに唇を咬み、体を震わせて竜一を睨んでいた。

「仲間が来たから、もう一度状況を説明してやろうか、この変態野郎、女の子に覆いかぶさって何をしたんだよ、汚い畜生が」

「ぼくは何もしていません、あの子が震えていてかわいそうだったから」

「かわいそうだったから、このけだものめ。お前もあの白い犬と同じ畜生か、同じように蹴り殺されたいのか、蹴っても蹴っても、くん、くん言いながら近寄ってきたよ。面白かったよ、サッカーは、なあ、みんな」

木津は愛想笑いをした。他の者はただ、黙って下を向いていた。

「お前がチロを殺したのか」良さんが泣きながら叫んだ。

「殺したのかだと、この変態野郎が何を言ってやがる、たかが野良犬だ」

「チロはぼくの家族だ、大切な家族なんだ」良さんは泣きながらよろめいて竜一に近づいた。

「家族だとやっぱり、お前は犬畜生か、だからこんな悪さをするんだな」そう言いながら竜一は回り込むように動いた。良さんはテトラポット置き場を背に、追い詰められるような形になった。

「この、犬畜生」竜一は拳より大きい石を大袈裟に蹴るような振りで良さんの前に転がした。

 良さんはその石を掴んで竜一に殴りかかろうとした。

「だめだ、良さん」ぼくは止めにかかろうとした。その時、不意に木津がぼくを羽交い締めにした。連れの男もぼくの腰を抑えた。

 良さんは持った石で竜一を叩いた。

「暴力は止めて下さい。恐いよ、そんなもんで殴られたらケガをするよ」竜二が大声でお道化るように叫んだ。そして右足を深く引いて中腰で構えた。

 人など殴った事のない良さんの力など無いに等しかった。竜二は厚い胸で、ただ触られただけの石を受けた。

「止めてください、ああっ殴ったな、恐いよ、このままじゃ殺されちゃうよ」

 また、同じ声色で叫ぶと大きく体を移動して、再び低く構えると、気合いもろとも凄い形相で、良さんの重心の腰を狙い、押し飛ばすように蹴った。

「このホームレス変態野郎」

良さんはまるでピンボールの球のように弾かれて蹴り飛ばされた。

本当に宙を浮いて、すごい勢いでテトラポットに後頭部からぶつかった。グキッと鈍い音がした。さすがにその瞬間に、木津も手を緩めた。ぼくは振り払い良さんに駆け寄った。

テトラポットの角にぶつかった後頭部が割れており生暖かい血が流れ出ていた。手足は痙攣していた。だが、その時良さんがぼくに「俊ちゃん」と言ったように聞こえた。

 ぼくは何もできずに、ただ良さんの血だらけの頭を押さえていた。血だらけで電話もかけられない。

「早く、救急車を呼んでください」ぼくは泣き叫んだ。その時目に入った、薄笑いを浮かべた竜一の顔をぼくは決して忘れない。

「良さん、良さん、返事して、良さん」もう動いてくれなかった。

ぼくは何もできなかった。ただ、泣き、叫ぶしかなかった。もう、どうしようもできない。

 そして、良さんと二度と話すことはできなくなった。


ぼくと竜一のグループは警察で別々に事情聴取を受けた。

ぼくは混乱していたし、恐怖感で焦燥していたが、質問してきた警察官が思っていたより、優しく接してくれたことで、目の前で起きたことを正直に話せた。聴いてきたのは、良さんとどういう関係か、女の子を知っていたのか、ということが主体だった。

明らかにぼくもなにか疑われているようだった。しかしぼくはあの時まであの子を見たことも無かったし、良さんのまわりにいることも、また、良さんがそんなことをすることは微塵も感じられなかった。

ぼくは数か月前に良さんと飼い犬と仲良くなったこと、食事などの差し入れをしていたこと、そして良さんはとても穏やかな性格で、女の子にいたずらするようなことは絶対に無いことを話した。そして、良さんが死んだのは竜一の行き過ぎた行動だと訴えた。

上手には言えなかったけど、いつもの自分では信じられないほど警察に説明することができた。嘘をついていないことはわかってもらえたと思う。

 後で知った竜一グループの主張は、良さんがいたずら目的で女の子を連れ込み、覆い被さっていたところを見つけ、テントから引きずり出し、女の子を助け出した。その後、良さんが殴りかかって来て、良さんの不注意で死んだというものだったらしい。そして、ぼくは良さんの仲間というのがあいつの証言だった。

 女の子が暴行された形跡はなかった。しかし、良さんがいたずら目的でテントに連れ込み、未遂であったとされ、結局、その死は事故扱いとされた。竜一の父親は顧問弁護士を付け処理にあたったらしい、札付きの不良、竜一の主張はすべて認められたわけでなく、ぼくは状況から女の子には関わっていないとされた。

 ぼくは良さんが女の子をいたずら目的でテントに引きずり込んだなどと絶対に考えられなかった。

 しばらくして、わかったことだが、女の子は五歳、少し離れた養護施設で暮らし、当日、自分で施設を逃げ出した。保護されたときは雨に打たれて高熱が出ており、服装は良さんの衣服が着せられていた。良さんが着替えさせたのはたしかだろう。

 また、やっかいなことに女の子はこの事件の前から、特殊な精神状態で言葉が話せない状態だったらしく、事件後も黙りこくって、なにも話さなかったらしい。

 ぼくが見た事実は、良さんは竜一に殺された。でも、良さんと女の子のことは何もわからない。ぼくが知っている良さんは絶対にそんなことはしない。 しかし彼は忘れられ、苛められ、大事なチロを殺された。精神状態はボロボロだった、正直わからない。何が真実かわからない。わかっているのは、ぼくはママゴトみたいなことしかしてやれず、助けてあげられなかったこと。いや、自分の無力を言い訳に助けなかった。

 良さんは亡くなってしまった。もう戻ってこない。 

 良さんの身の上話どおり、良さんの縁者はわからなかった。通常なら無縁仏として処置されるのだが、ぼくはお願いして亡骸と遺品を引き取らせてもらった。もちろんぼくの承諾のみでできるはずはなく、両親の承諾と手続きが必要だった。

 父は、人が死亡した事件にぼくが関わっていたことに、世間の目もあり怒り狂い、取り付く島もなかった。結局、また、母親に泣きつき、なだめすかし、将来必ず働いて返すからと、母親の僕の更生への望みを利用した。

 段ボール箱に詰められた、遺品と言っても衣服などの生活必需品が少し、なかに、チロの骨壺と首輪、リードもあった。

簡易な葬式と預ける納骨堂の費用も出してもらった。五十万ほどかかった。母は呆れていた。

 ぼくと母でそっと葬儀と納骨を済ませた。その時チロの骨も一緒に葬った。位牌も作ってもらい、持ち帰った。

 ただ一人、良さんをたずねて来てくれた人がいた。ルポライターの森島さんだった。突然、家に電話がかかってきた。位牌に線香を上げに訪ねたいとのことだった。ぼくも良さんも森島さんには良い印象をもっていたので、ぼくはうれしかった。平日の昼だったので、母にルポライターということは言わずにお願いして許しをもらった。

 森島さんは来てくれた。ぼくの机に置かれた、位牌に丁寧に手を合わせてくれた。そして、事件を知った経緯や驚いたことを話してくれた。

 ぼくは目の前で起きてしまったことを正直に話した。そして、誰も理解してくれない自分の心情も話してしまった。

森島さんは静かに頷きながら聞いてくれた。

「良さんは本当に優しい人だった。でも、大変だったね。俊介君偉いね。最後まで良さんを面倒見て」ぼくは慌てて否定した。

「ぼくは何もしてあげられませんでした。あんなことになってしまい、良さんは殺されてしまいました」

「そのことだが、やはり、堀田竜一に殺意があったのか」

「ぼくはそう思います」

「そうか、畜生。俊介君、ぼくは偉そうなことが言える人種ではない。ルポライターなんて名乗っているが、ゴシップゴロだ。ゴロっていうのはゴロツキだ。特に儲かっている会社や金を持っていそうな奴のゴシップを探して、三流雑誌に売ったり、逆にそれをネタに会社や金持ちにスポンサーになってもらい金を引き出す。そんな男なんだ」森島さんの突然の告白にぼくは身が竦み、下を向いていた。

「堀田竜一の親父の土木会社は利権がらみの仕事で大きくなり、あの河川敷の利権にも絡んでいる。裏金も動いているだろう。だから、ぼくは調べていたんだ。

この事件のことは気になるから、もう少し自分なりに調べてみるつもりだ。すまん、君に余計なことを話してしまった。ぼくはこんな薄汚い仕事をしているけど、いや、だからこそ、金持ちや、成功した奴が、底辺で一生懸命生きている人を踏みにじっていいとは思っていない。それだけは信じてくれ。ぼくは君が最後まで良さんを思って、葬式まで出して弔ってくれていることが嬉しかったんだ。但し、君はもうこの事には関わらない方がいい。良さんとの思い出は持っていくかもしれないが、他は忘れて自分の人生を生きたほうがいい。もう、君に会うことも無いと思うが元気で」

 森島さんは帰って行った。ぼくにはその真意や今後のことはわからなかった。でも森島さんに嫌な感情など持てなかった。


ぼくは何もすることができなくなった。森島さんと会って自分の思いをを吐露できたが、その話で新たな憎しみと怒りの感情が湧き、コントロールが難しくなっていた。

 バイトもアニメもゲームも食事だってどうでもよくなった。ただ、生きていた。頭に浮かぶのは良さんと接した毎日、あの最期、そして、竜一の薄笑い。あの時も、その前も何もしてあげられなかった自分への後悔と卑下。自分を防御する言い訳さえも出てきやしない。そして憎しみ。

 父親の表情からはあきらかに嫌悪が見てとれた。母親は変わらず、ぼくに気を遣ったが、もてあましているのがわかった。

 近所ではぼくが噂の的になっているようだ。父の深夜の帰宅時に、母がこぼしているのが漏れ聞こえた。引っ越したいと訴えているようだった。父は黙っていた。

 ただ、妹は以前と変わらない個人主義だが、ぼくの思い違いかもしれないが、以前の無視状態から少しやさしくなったような気がする。ぼくのことで学校では間違いなく嫌な思いをしているはずだが、そんな事を態度に出さない。妹はぼくより数倍心が強い、そして優しいのかもしれない。

部屋にこもり、鬱積した思いだけを募らせ、ただ息をしていた。眠りは浅く、毎晩、あの時の夢を見る。その時は良さんの傍にチロがうずくまっており、良さんの顔と竜一の顔が誇張して見て取れる。ぼくは声が出ない、

(止めろ、止めてくれ・・・)「止めろ」自分の叫びで起きる。ドアの外で母親の心配する声が聞こえる。締め付けられるような切なさで苦しくて布団の中で嗚咽する。

 気が付くと朝になっていた。変わらない、なにもする気は起きない。ただ、ベッドに座りじっとしている。不安に苛まれる。

 ふとっ、ハンガーに掛けてあるネクタイが目につき取る。端を結び、輪っかを作り、鴨居のフックにかけて首を入れる。そして徐々に体重をかけていく。だんだん苦しくなりもがいたはずみでフックが外れる。思わず、失笑してしまう。

(ぼくはきっと死ぬこともまともにできないだろう)

 このままではだめだ。ぼくはどうなってしまうのだろう。ずっと、ぐだぐだで家族にも迷惑をかけてきた。それなのにさらにどうしようもない状態になってしまった。わかっている、わかっているけれど進めない。何もできない。

食事も取らずにしばらくぶりに外に出てみる。マスクをして防寒用のニット帽子をかぶり、近所の人に見つからないように人通りを避けながら、速足で歩く、行ける場所など無いのに。


 そして、来たのは心に一つだけ浮かんだ場所。良さんが暮らしていた橋の下の藪。辛くて事件以来一度も近寄らなかった。ほとんど部屋に籠っていたのだから来れるれるわけもなかった。

 しかし、やはり、抑えきれなかった。また、自分で自分を引きずり込んでしまう。でも、来られずにはいられなかった。

 テントや道具も処分されたのだろう、なんの痕跡もなくなっていた。記憶の中の橋との位置関係でしか場所がわからない。

 悲しい気持ちが込み上げる。良さんとチロの楽しそうな姿が思い出される。このまま帰ろうと思ったが、離れがたく藪の中に入ってみる。冬枯れの雑草は荒涼として寂しい。

 入っていくと、外からはわからなかったが元のテントの場所に少しスペースができていた。そして、驚くことにそこには花が供えられていた。

 空瓶に水が入り、枯れかかった菊が数本差されていた。粗末なものだったが、明らかに良さんに供えられたものだった。

 うれしかった。誰がしてくれたのだろう、見当もつかなかったが心が熱くなった。

(よかったね、良さん)自然と涙が流れた。膝まづき花に両手を合わせた。

しばらく、その場にいたが、人の声が聞こえて来たので急いで戻ろうとした。

 藪から出たところを、近所で知った顔の二人連れに見られてしまう。

中年の女性二人、おそらく母親より上の世代だろう。ぼくは目を伏せて下を向いたまま歩き出す。ぼくをみてヒソヒソ話をしているのが背中でもはっきりわかる。供えられた花で少し明るくなった僕の気持ちはまた、暗くなる。

 嫌なことがあり、少し良いこともあったのに心のバランスが取れない。辛い思いが心を占拠してしまう。 いつまでもウジウジと気持ちを切り替えられない。本当に嫌になってしまう。ぼくは弱い人間だ。精神の病なのだろうか。

 また、死ぬことが頭に浮かぶ。誰にも迷惑をかけずにサクッと死ねないだろうか、ぼくには無理か。

 でも、もうひとつ頭から離れないことがある。どうせ死ぬのならそれだけはやりたいって。辛い気持ちを忘れるたった一つのこと。もうそのことしか思い浮かばなかった。ぼくの感情はそこに逃げ込む。

 日曜日、母親は買い物に出かけていた。妹も居ない。誰にも会わない食堂に行った。

 冷蔵庫のジュースを取り、いつもなら持って部屋に戻るのだが、その時はなぜかその場で飲み、缶を持って食堂の椅子にに腰かけ、テーブルに突っ伏した。二階でドアの音がして階段を降りる足音がした。

(父がいるのか・・・)すぐに戻っても鉢合わせる、ぼくはそのままでいた。

だが、近づいてずいてくるのがわかり、僕の前に立ち止まった。

「俊介」と声をかけられた。感情のない、冷たい声だった。

 突っ伏していたテーブルから顔を起こし父親を見た。

ぼくの顔を見ると、視線を外し静かに言った。

「ホームレスでもクズでもいい、ただ、人に迷惑はかけるな」なんだか憐むような声に聞こえた。ぼくは何も答えられずに下を向いた。父もそれ以上何も言わず部屋に戻って行った。

 ぼくは翌日、家を出た。

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