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おしろさま


特別授業「郷土を紹介してみよう」より

                    白露中学校 1年3組 橘 静乃


 城山を語ろうとするとたくさんのことが思い浮かんでちょっと困ってしまいます。城山には不思議な話、面白い話があってそれを書いていたら、分厚い本になってしまうかもしれません。

 それで、私の大好きなお城の話をしたいと思います。

私達城山に住む人たちには大切な宝物があります。城山原生林に建っている白露城です。白露のお城には主が住んでいると私たちは信じています。私達はお城の主様のことをお城様と呼びます。

『お城様』

 口に出すとちょっとこわいような、でもなんだか心ひかれるような不思議な気持ちがします。

 白露城は城山原生林を含めた小高い丘に建っています。昔の人々はこの山を明山と呼んでいました。明山にはもともと美しい女神様がいて、城山の人々を守っていました。戦国時代にお城が建てられてからは、この丘のことを城山と呼ぶようになり、女神様も里に建てられた神社に移られました。けれど、長いこと続いた戦乱でこのあたりが焼け野原になってしまい、山城が打ち捨てられるようになると、女神様は再び城山に戻ってきました。女神様は焦げた土に種を撒き、雨を降らせ、再び豊かな土地をよみがえらせました。土地が豊かになると人間も戻ってきました。豊かになった城山にはもう一度城が建て直されることになりました。新しくやってきたお殿様はもう一度、女神様を城山から出そうとしましたが、女神様は城山を出る気はありませんでした。お殿様に土地を豊かにし、城山を守る代わりに、新たに建てる天守閣に女神様の住まいを作るように命令しました。こうして、女神様は白露城の主となったのです。

 女神様は災いを追い払い、里をどんどん豊かにしました。城山が豊かな国となったので、歴代のお殿様は女神様を『お城様』として大切に祀るようになりました。

 そんなお城ですが、これまでに三度危機を迎えたことがありました。その不思議な話を皆さんに紹介しようと思います。

 一度目の危機は明治時代でした。

 明治4年の廃藩置県で、白露城も廃城となりました。さらに明治6年の廃城令で一度は杉江市の豪商に競り落とされました。

 しかし、何度解体しても、翌日には元に戻ってしまうという事件がおこり、さらには持ち主が原因不明の熱病に苦しめられたり、家の周りに百鬼夜行がでたりという怪異が続いたため、豪商は城の所有者の権利を放棄しました。

 その後、しばらく城は放置されましたが、城山市の市民の間に城を保存しようという機運が高まり、日本全国においても城郭保存という考え方がひろまってきて、どうにか天守閣は取り壊されずにすみました。しかし、城の補修費用をまかなうためと、学校用地のために北の丸は解体されました。今、北の丸のあったところに建っているのが、白露高校です。また明治時代の中ごろに、当時駐屯していた軍の失火のために櫓を二つ失いました。

 2度目の危機は大正時代でした。このとき、城山には軍が駐屯していました。軍はこの城山を中核となる軍事施設にしようと考え、いくつかの連隊を移転させ、それに伴う大改造を城山に施そうとしていました。

白露城でまたも怪異が起こりました。

『城が昼となく夜となく地震のように鳴動し続け、物が飛び、始終獣あるいは妖物のおたけぶ声が聞こえ、生きた心地がしなかった。食料はあらゆるものが腐ってしまった。そんなことが半年も続いた』

 公の記録には残っていませんが、私の友達のおじいさんの日記にはそう記されているそうです。

 この出来事が影響したのでしょうか。

白露城は老朽化が進み、改修が望ましいが、そのような莫大な予算は到底捻出不可能とする報告がなされ、計画は撤廃、当時駐屯していた部隊も移っていきました。

 三度目の危機は第二次世界大戦でした。

 戦争が激しくなるにつれこの城山にも空襲の危機が迫っていました。城山の人間にとってどのようにして城山を守るのかが最大の難問でした。当時、日本の城郭は軍の施設として使われることが多く、空襲の標的となる恐れがありました。白露城はその美しい白壁によって空からは格好の標的となったことでしょう。

 美しい七夕の日、城山は焼けました。祖母はそのとき小学生だったといいます。恐ろしい爆弾の音は確かにするのに、まるで見えないものに守られていたかのようにほとんど城下には着弾しなかったといいます。そのかわり、城下に落ちなかった爆弾をすべて引き受けたように白露城は燃えていました。暗い空を焦がす紅い炎を出して燃え崩れる城を見て、みんな泣いていたといいます。 

城は翌日になっても黒煙を出して燃え続けていました。

城山をずっと見守り続けてくれた『お城様』が燃えている。

ただもう悲しくて、足が萎え、大人も子供も城山を見上げてその場にへたり込んでいたそうです。

祖母も、生きていく気力がなくなったようだったといっていました。

その夜のことでした。

どこからともなく、大勢の人足が掛け声をかけたり、綱を引いたり、木材を叩く音が聞こえたといいます。

それは夜の城山にこだまし、なんとも不気味で、これは何の怪異だろうと、人々はじっと身を寄せ合い、耳をそばだてて夜を過ごしたそうです。

外に出る勇気のあるものは、城山の麓にあるイヅナ様(御狐様のようなもの)を祀る社から城山の天守に向かってたくさんの狐火が連なっているのを見たと聞いています。

 翌日、みな目を疑うような光景を見ました。緑の城山原生林を従え、まるでお姫様のような優雅なたたずまいで、無傷の白壁城が建っていたのです。

 濡れた髪のように輝く黒い瓦とくっきりと白粉をひいたような白壁を見て、みんなまた泣いてしまったそうです。

『お城様の眷属である八百の物の怪が、お城様のために一夜城を築いたのだろう』

 お年寄り達の間の言い伝えです。

白露城を調査すると建築様式は江戸初期なのに使用されている木材はまだ新しいとか、建ってから一度も大改修をしたという記録がないというのは有名な七不思議のエピソードですが、うそか本当かは分かりません。

城山の人たちはたぶん誰も、それを調べることには興味がないと思います。

城山市内からは何処にいても、白露城が見えます。

家から、学校から、時にはお気に入りの秘密基地から、私達はたぶんほとんど無意識にお城を探します。

ずっと変わらず、いなくならず私たちを見ていてくれるようで、お城を見上げるとあったかい気持ちになります。

そういう気持ちを城山の人はみんな持っていて、それを共有しているんじゃないかと思うともっとあったかい気持ちになります。

城山に残る不思議な風習も、不思議な場所やお話も私たちみんなに影響を与えて、そしてそれぞれを見えない何かでつなぎ合わせてくれるような気がして、私は城山に生まれて、城山に住んでよかったと思います。私は、これからも城山で生きて行きたい。

そんな城山を見てみたいと思いませんか?


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