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さかいめ

「やあね・・・血なまぐさい」

美しい形の眉が微かにひそめられる。細長のすそを引いて、女が立ち上がると黒い髪がいく筋かの房に分かれてぱっと散った。

「お前」

呼ばれた少女が跪いて頭を垂れた。胸にたらした宝玉が小さく音を立てる。

境目さかいめを・・・ひいて頂戴」

頷くように今一度頭を垂れたあと、少女は居住まいを正して退出していく。

「わたくしの城山に触れようなんて・・・」

きれいな白い指がゆっくりと空を滑る。

くすりとひそやかな笑い。

「つかまえた」


1.城山遠望


高速道を行くバスから見下ろせば、青田が一面に敷き詰められた平野が見える。その平野を開いて、流れる川筋はきらきらと白銀の光をまとっていて、神々しいままに、海へとつながる湖に流れ込んでいる。『水神』とか『大蛇』とか、そういう単語が頭に浮かぶ。

昨年、できたばかりという高速道路は緑の山に挟まれて少し窮屈そうだが、小さな市に通じる道としてはこれでも十分なのだろう。

特に渋滞もなく木々の隙間からは白い小石を敷き詰めたような建物群が見えはじめる。

何よりも目を引くのはおわんを伏せたような緑の丘とその上にそびえる山城だ。

その名を白壁城。別名を白露城。

『陰気重なり露にごり、白色となるころ、月光を浴びるその姿がもっとも美しい』からというのが通説だそうだ。

朝陽を受けて白く輝く壁に優美な線を描いて連なる黒い屋根。石垣とのコントラストとすらりとした城影は上品で、裾を払って立つ華奢なお姫様のようだ。

その膝元に視線を移すと城山の原生林が薄暗くうっそうと茂っている。桜の季節はとっくに終わってしまって、その山緑濃く、薄闇を抱えた様は、いかにもおどろおどろしくどこか人外の妖しさを漂わせている。

白露高校一年、森田守は城山市駅に降り立って頭をめぐらし、無意識のうちに白露城を確認した。

駅の南側からはまっすぐの一本道が城山に続いている。

守はスーツケースを曳いてとぼとぼと歩きながら、年寄りが多い街だなと思った。

休日にも関わらず、こうして歩いてみただけで、まだ管理職的においを漂わせた年代から、ママチャリにピンと伸びた背筋が頼もしい相当な高齢者まで次々にすれ違う。

考えごとをしながら歩いていた足をぴたりと止めた。

五月の陽気はじんわりと、病み上がりの体から力を奪う。

目の前に迫る城を見て、それほどの距離ではないだろうと思たが、間違いだったかもしれない。

高層建築物がほぼ皆無の城山市内では、ほぼ全域から城山にそそり立つ白露城を見ることができる。

背中ににじんだ汗。

曇る眼鏡。

近づかない城。

次の機会はバスで。いや、タクシーでもいいかもしれない。

守はひとつ目の小さな橋を超えたあたりにベンチを見つけて、腰を下ろした。橋の名前は参の堀橋。ここまでお掘があったのか。

「あれがお守りだよ」

無意識の海からぽかりと浮上した聴覚が、まだあどけない声に吸い寄せられる。

「へえ」

目の前を、まだ若い保母さんが押す手押し車に乗せられてはしゃぐ保育園児が通っていく。公園かあぜ道に寄った帰りなのかもしれない。

小さな手にタンポポやらもがく昆虫やらを持っている。

その・・・シュウジョウバッタ死に掛けてないか?

目が合うと、会話の二人は天使の微笑みを浮かべてばいば〜いと手をふる。

同じ顔だ。同じ動きだ。同じ声の高さだ。双子だ。

お守って・・・俺?

ぽかんとしている守の前に、銀色の車が一台、ぴたりと止まった。

「森田君!森田守君!」

呼ばれて、とっさに眼鏡をずり上げた。 

窓がスルスル開いて顔を出したのは、見覚えのある若い男。ちょっと日に焼けているがまだどこか少年くさい顔。

あれは僕の担任だ。

日下くさか先生!」

「今日来るってきいてはいたけど、出くわしたね。歩き?荷物重たいだろう。乗っていけ」

日下先生はいかにも人のよさそうな顔をほころばせて言った。

「ええっ。いいんですか?」

「城山はまだまだ遠い。歩けないことはないが、なんといっても坂があるからね」

「坂!」

そうだ。忘れていた。学校のある城山は丘陵地帯の一角にある。

学校の正門にいたるには、心臓破りの坂を上らなくてはならない。

まだ病み上がりの体にはこたえる。

やはり、バスに乗らなかったのは間違いだったな。

心に深く『バス』という言葉を刻んで、守は立ち上がった。

「入院中はお見舞いにいけなくて悪かったな」

「いやいいです。僕の地元は遠いですから。それより、お見舞いのお手紙ありがとうございました」

「結局どこが悪かったの?」

「・・・それが、原因不明で」

そう・・あれは、入学式の前日のことだった。

朝、駅まで親に送ってもらおうと、車に乗った途端、突然強いめまいに襲われ病院に直行。

40度を越す高熱に見舞われ入院する羽目に陥った。

その後、悪性腫瘍疑いやら膠原病疑いとかで、いろいろ検査を受けたが、一向に原因がはっきりしない。

あらかた全身調べつくしたころ、俄然体調が回復。気がつけば、四月も終わりだった。

一ヶ月おくれでようやく、学生に復帰したのだ。

荷物を後部座席に積み込んで、助手席のシートベルトを締めながら会話の糸口を探す。

「ここはなんだかお城の街って感じですね」

城はやはり地元の誇りなのかもしれない。

ミラーに映る先生の顔がぱっと明るくなった。

「そうだろう。普通の城下町とはちょっと感じは違うけどね。路地をぬけるとすぐに田んぼがあったりなんかする。でもこの城は典型的な平山城。世界遺産の姫路城と同じ。天守の構造はね、東西2本の心柱で支えられた天守台上に5重6階の大天守と3重の小天守2基の連立式入り母屋造りの建物が基部の望楼型なんだ。壁は白漆喰総塗籠で白壁城の由来ともなっている」

先生の口からすらすらと言葉が出てきて思わず感心する。

「なんだか、ガイドさんみたいですね。」

「いや。俺、城オタクだからね。休日ガイドボランティアもしているんだ」

 車が城山の坂を上り始めた。両側に並ぶ桜並木が互いに幹を延ばしあい、茂った葉とともに屋根を構成している。ときおりきらきらと陽光が差し込んでくる。

本当に何にもない。

買出しとか、どうすればいいんだろう。

そう思ったとき、何かがふわりと視界をよぎった気がした。影のようで、透明のような風のような何か。

ちっと先生が舌打ち。

「昼間っから・・・物見高いな。お城様のしつけがなってないねぇ」

「え?」

思わず聞きとがめて発した問いへの答えは、ミラーごしの一瞥。

「すぐ分かる。君にも城山の血がながれているんだろうから」

独り言に近い言葉になんと返答すればいいのか困っていると、車が城へと続くカーブを逸れ、わき道に入った。

さらに登ると開けた場所が見えて、寺院のそれと見まごうような木造の門がどっしりと守りの楯のように建っていた。

これが校門らしい。

どこかで、鶯の声が聞こえて、なんとものどかだ。

門の石垣に腰掛けてアイスクリームを食べている生徒がこちらに視線を向けている。

「おい、日村、長元」

日下先生に呼ばれると、彼らは互いの顔を見合わせて、石垣から下りて近寄ってきた。

「先生。それがお守くん」

「それ、扱いはないだろう。森田、二年の日村と三年の長元だ。長元は生徒会長で、日村は俺が顧問やってる地域文化研究会の部員だ」

人懐っこい顔つきの方が日村というらしい。彼はにっこり笑った。

ばっちり営業スマイル。

「部活は、是非『ちい研』に」

アイスの棒を咥えてどこかさばけた感じなのが生徒会長らしい。彼は腕組みし、品定めをするように守を見下ろしていった。

「『ちい研』向きだな。きっと、あの人もお待ちかねだ」

会話が見えず、きょときょとと視線をさまよわせていると、気だるそうに伸ばしてきた手がくしゃりと髪を混ぜた。

ん?なんだこれ。

動けない。

「学び舎の長が許す。君を受け入れよう」

どこか豪胆な仕草で手を引く。その端正な顔にふさわしい笑みが浮かんだ。

「ようこそ。我が城山へ」



舗装された道路の上は五月の陽気のせいで、溶け出しそうなほど暑い。

校長室、職員室を訪問して、今は男4人で坂道を下っている。

「俺は二年の守宮やもり。寮長だ」

ごつい体格のヤモリ先輩は柔道部、柔道着・・・似合いすぎ。

「寮はこの道が二手に分かれた右が男子寮。職員寮に近い方が女子寮。男子寮と女子寮の間は石垣で分けられてる」

「そこ、昔は物見櫓だったんだ」

地域文化研究会の部員だという日村先輩がすかさず解釈を入れる。

「間違っても女子寮にもぐりこもうとか思うな」

「・・・そういう趣味はありません。そんなことで、人生脱落する気はありませんから」

会長の言葉に思わず眉を上げて反論する。

「心配して言ってるんだぜ。教えてやろうか?何年か前に、試験前だからってんで、ノートを借りに行ったやつがひどい目にあった」

「・・・どんな目ですか?」

「ノートを借りたのはいいが、行きはよいよい帰りは怖い。高枝切りバサミを持ったおばあさんが追いかけてきて、首を刈って去っていた」

「首刈られたのに、なんで高枝切りバサミのおばあさんが追いかけてきたってわかるんっすか?」

「ダイイングメッセージが残されていたんだ。『高枝切りバサミ婆』って」

え・・・っと。ありえねぇ。

「こういうのもある」

歌うように日村先輩が言った。

「ノートを借りて戻ろうとしたら、置いてけー。置いてけーと石垣の上から声がした」

「それ、普通に取り戻そうとしたんじゃ・・・」

後をついだのはヤモリ先輩。

「振り返るとB少年の姿がない・・・夜が明けるとB少年が簀巻きにされてどぶ川に・・・」

「いつから、B少年が混じってたんすか。思いっきり見捨てられているし」

「その体は魚に食われた跡があったそうだ」

「ありえん!絶対ありえん!そんなん、新聞沙汰じゃないっすかっ。おもっくそ、出典『置いてけ堀』だし」

「まあ、あれだ」

ゆるく笑いながらヤモリ先輩が、肩をたたいた。

痛い。なんて馬鹿力だ。この人。

「校則ってんじゃないが、城山には、城山の法がある。いろんなモノと折り合いをつけて生きていくために作られた法だ」

「城山?」

首をひねる守を振り返って、日村先輩がニコリと笑った。

「お守くん、目を閉じてごらんよ」

言われるままに立ち止まってまぶたを下ろす。

「・・・風が吹いてる。・・・葉擦れの音がする。・・・腕に触る風はあったかい」

会長の声が低いトーンでしみこんでくる。

「でも、それだけか?」

遠くから聞こえる葉擦れの音が前兆のように鼓膜を震わせ、その後に強い風が前髪を煽った。そこらじゅうの木々が、葉がかさかさと音を立てる。

・・・それに混じって何か小さな声のようなものが聞こえる。

キタヨ・・・キタヨ・・・キタヨ。オモリ・・・オモリ・・・キタヨ。

鼓膜が四方から圧される。剥き出しの腕がちりちりする。紫外線・・・だよな?

心の底からじわりと冷たいものが流れ出してくる・・・これは・・・。

いたたまれなくなって目を開くと、遠くに三人の後ろ姿。

「うああああっ・・・ちょっと、なんすっか!」

髪を振り乱して追いついた守の顔を一瞥して、会長が日村先輩とヤモリ先輩を振り返った。

「・・・僕の勝ちだ。食券奢れよ」

「ちぇ、容赦ないっすね。会長」

「寮まで追いつかないかと思ったのに」

ふつふつと怒りがこみ上げる。

「・・・ちょっと、あんたら!いたいけな下級生をネタに何してんのっ?」

鼻白んだ表情の二人に食って掛かったとき、会長が歩みを止めた。見えない何かを計るように視線を上下させる。

「進めねぇ」

「どわっ、なんだこれ」

日村先輩もパントマイムのような手つきでぺたぺたと、手を宙に動かしている。

これがうそなら相当な迫真の演技だ。

・・・そう何度もだまされてたまるかっ。

「その手は食いませんからねっ!」

一歩踏み出したとたん、火花が散った。

あ・・・れ?

スローモーションのようにゆっくりと体が後ろに投げ出され、尾てい骨に衝撃。

なんだこれ?

「いたたたたっ」

目の前に透明に張り巡らされた壁のような何かが存在している。見た目には分からないが決して超えられない何か。

「だから、言わんこっちゃない」

腰をさすって呻く様を、日村先輩が腰に手を当てて笑った。

悪魔だ。この人。

「境目だ・・・で、ボス。どうします?」

ヤモリ先輩がペタペタと透明な壁に触れながら尋ねた。

「待つしか手はない」

会長があきらめたようなため息を吐いた。道の傍らには、苔むした地蔵が立っている。結構・・・いや・・かなり不気味だ。

会長は懐から小さなキャンディーを取り出して、当然のようにそれを供える。

目を閉じて、合掌。

「まあ、ここらで一休みしろや」

分けわかんない。

ため息をつきながら、思い思いのところに腰掛ける。

守は傍らのヤモリ先輩を見上げた。

「・・・あの。俺、理解できないんすけど・・・何を待ってるんですか?」

「境目が途切れるのを・・・って説明になってないよな。でも・・・城山はこんなとこなんだ」

「こういうことがよくあるってことですか?」

ヤモリ先輩は首に掛けたタオルで顔をぐりぐりと拭いて、深く息を吐いた。

「さすがに、それはないね。俺はこんなの初めて。でもここは城山だから」

「僕は二回目でーす」

日村先輩が人差し指と中指を突き出してちょきちょきと動かす。

夜行やこうの日に、肝試しをやってたら、こんな風に足止め食らいました」

「夜行!!」

会長とヤモリ先輩が目をむく。

「肝試しなんかやったんか・・・お前、首刈られて死ぬぞ」

「分かってますって・・・若気の至りですって」

あわてた表情から、なんとなくやばそうな雰陰気が伝わってくる。

「あの・・・夜行って?」

「人外のモノが城山を練り歩く日だ・・・化け物に出くわすと、首を刈られて死ぬらしい。ああ、そうだ。寮則というかおきてというか、それらが渾然一体となったものがあるから、それ一応渡しとく。命にかかわるから、ちゃんと目を通しとけ」

ヤモリ先輩から渡された紙切れに目を通す。


一、 夜行あるときは外出を禁ず

一、 夜分、所定の場所を除いて、刃物の使用を禁ず

一、 夜分、所定の場所を除いて、火の気用いる禁ず

一、 夜分、口笛、鳴り物を禁ず・・・・

「って、これなんすか?」

「これは城山で暮らす心得さ。俺たちみたいに小さなころから暮らしている者は、みんなこの城山の法を知ってる。だけど、お前は土地移りしてきた人間だろ?だから、ちゃんと勉強してもらわないと」

混乱して黙りこくった守の横顔を会長がちらりとみた。

「他所から来たものにとっちゃあ、城山は不思議なところだ。僕もそうだった」

会長の手がキャンディの包装紙をほぐし、中から白い飴玉を取り出す。

「ここの人たちは、それぞれに何かしら役割を持っていたり、能力っていうわけじゃないが、視たり、聴いたりすることができる」

「視たり・・・聴いたり・・・?」

なんか話がオカルトめいて来たぞ。というかこの人たちそういう系か?

中学校のときにもいたじゃないか。

『耳鳴りが聞こえると霊が半径1メートル以内に近づいた証拠!』

『見える見える、あんたの後ろに水子の霊がっ・・・!』

みたいな集団。

「信じるか、信じないかは別だがね。たとえば・・・」

にやりと笑って会長が挑むように言う。

「お前、川に落ちて死に掛けたのに、どうしてだか、気がついたら家の縁側で寝てたなんてこと、小さいときにあったろう」

ふとヒグラシの声が耳を嬲る。ぞわりと腕の毛が逆立った。

「・・・なんで、それを」

答えずに、会長が続ける。

「いとこがいるだろう」

「・・・います」

「その従兄弟・・・橘 静乃だ。うちの生徒だろう?」

「・・・なんで、しってんですか?」

思わずごくりとのどが鳴る。

向けられた強い視線がふと和らいだ。

「かわいいからだ」

はあ??

「今度、紹介してくれ」

「ば、ばかああああっ」

あほらしい。一瞬でも本気にした俺が馬鹿だった。

一気に肩の力が抜けた。

さくり。

背後でアスファルトにきしむ砂の音。

「こんなとこで落ち着いちゃって、何の会ですか?」

振り返る。

のんきな声音の持ち主を見て、どきんと胸がなった。

どこから、どう見ても普通の高校生。

半そでのシャツのボタンをきっちりと上まではめているところをみると、「育ちのよさそうな」とか「几帳面」とか思い浮かぶ。

あどけないとか、そんな感じ・・・けれど、なんだろう。

これは・・・既視感?

これといった記憶が鮮やかに浮かびあがってくるではなく、どこかつかみどころのないその雰陰気が、もどかしさと特有のうずきを伴って、心象に現れてくるような、そんな感じ。

知っている顔?誰かの血縁?

・・・もっと違う・・・たぶん・・・そう・・・。

何かの結論に到達しかかったところで、肩に衝撃。

「おお!ちょうどよかった。篠塚」

大きな掌がデシデシと肩をたたく。

「いたっ。なんすか、さっきからバンバンバンバン。筋肉馬鹿まるだしっすよ。ヤモリ先輩!」

「こいつ篠塚っていうんだ。お前と同室だ。こいつ森田だ。仲良くしろよ」

へえと、目を見張ってものめずらしそうに守の全身をざっと眺めた篠塚は右手を出した。

「お守りくん。よろしく」

その手を握り返すと、篠塚は森の方を左手で指差した。

「あっちの方、パトカー止まってたり、制服のおじさんいっぱいいたりするんだけど、君、どうしてだか知らない?」

「ええっ!この辺に警察!」

大げさなリアクションで立ち上がった日村先輩が、ぴょんぴょんとびながら、森の様子を伺う。

・・・もっとも、無駄な努力みたいだが。

「くそっ、みえねえ」

「無理ですよ。ひむごん先輩。規制線張られてましたから」

篠塚が言ったとき、黙ってやり取りを見ていた会長が立ち上がった。

「帰ろうか」

ひょいっと一歩を踏み出す。ちょうどさっき守が尻餅をついたあたり。

「こっちの規制線は解けたみたいだからさ」


2.さかいめ


今、とっても緊張している。

今日が、登校初日だ。授業も、友人作りもなにもかも出遅れている。

教室での立場はきっと転校生みたいなものなんだろうな。

「お守くん!こっちこっち」

食堂で朝食を持ったままうろうろしていたら、日村先輩と会長に手招きされた。

椀の淵を味噌汁の液面が何度も乗り越えそうになるのに注意しつつ、そこまで行くと、会長が新聞の文字を指さした。

「見てみな、昨日なんでパトカー来てたか分かったよ」

言いながら日村先輩が守の皿に箸を伸ばす。それをすばやくかわす。

「けち。ウィンナーおくれよ」

いかにも不当な扱いを受けたといわんばかりに日村先輩は口を尖らせた。

「だめっす」

「じゃあ、会長の卵焼きあげるよ。交換して」

あんたの考え方、間違ってるだろ!

新聞の見出しに思考がとらわれ、言い返すために開きかけた口があんぐり開いた。

字面を辿る。

連続殺人・・・逃亡・・・城山・・・逮捕。

「あそこで誰かに会ったら、もう一人殺したかもしれない・・・って。あの連続殺人犯が逃げてたんですか?」

そういえば、一月ほど前に隣県で殺人を犯した犯人が逃亡中だった。生活費欲しさに人に怪我をさせながら逃亡していると報道されていた。

「逮捕されたのが、城山原生林。昨日、『一休み』しなければ、鉢合わせしてたかもしれない」

ぎょっとして顔を上げた時、すばやく日村先輩の手が動いた。

「へい!いっただきっ!」

ウィンナーが満面の微笑みをたたえた日村先輩の口の中に飲み込まれていく。

髪の毛がじょわっっと逆立つ感覚を覚えた。

「うああああっ。何するんですかっ。成長期の少年に必要な蛋白質と脂質の源を!」

「大丈夫。朝、大事なのは糖分だよ」

横の席に陣取ったのは篠塚だ。

「おい!おめえ、ちっとは同室のよしみで味方しろよ!」

「だめだめ。こうして、少年たちは朝の瞬発力と俊敏性を鍛えられていくの。社会性を身につけていくんだよ」

「いらねえよ!そんな社会性と瞬発力!」

守の声をさえぎるように耳をふさぐ。そして一言。

「君、弱肉強食という言葉。知った方がいいよ」

なんてつれない相棒だ。

寂しくなった皿を抱え込むようにして咀嚼を開始したとき、朝にふさわしいさわやかで単調で、無機質な声が耳に飛び込んできた。

「・・・容疑者は、城山原生林の中で動けなくなっているところを逮捕されました」

誰かが、食堂のテレビのスイッチを入れたらしい。

皆、そのニュースに釘付けとなり、沈黙が朝日がさんさんと降り注ぐ白い食堂の中に落ちる。

窓の外に目をやった会長が独り言のようにつぶやいた。

「ここは、城山だからな」


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