妹の話ってどこまでしたっけ?
玄関のドアをひねり外を伺う。
空は先ほどより白みがかっているため視界は比較的良好。
ドア付近の待ち伏せも予想していたが、怪しい影は見当たらなかったので、覚悟を決めて1歩足を踏み出した。
「ホントに行くの?」
くい、と服の裾を引っ張るのは美紗の指。
怖くないと言えば嘘になる。
だが、明日香には既に正義感が芽生えていた。
怪しい人物をこのまま放っとくわけにはいかない。
明日香は金属バッドを再度握り締め、美紗は明日香の腕に絡みながら慎重に前へと足を進めた。
ドアを閉めようと美紗が振り返る。
「むぐっ」
「!?」
自身の腕から美紗の手が急速に離れていき、明日香は慌てて振り返った。
そこには痩せ細った30代前半程の男が、美紗以上に怯えた顔つきでこちらを睨んでいた。
迂闊だった――。
どうやら開いた扉の後ろ側に隠れていたらしい。
美紗は半ば引きずられるようにして男と共に扉の内側-家の中-に入った。
「まさかそんなものを持って外に出てくるとはね」
男は引きつった笑みを浮かべ、目を眇めて少女の握る武器を見た。
「おじちゃんがここに居たところを知られると困るんだよ。このお家、燃やされたくないだろう?」
男は右手で美紗を拘束しつつ、左手でポケットからチャッカマンを取り出し火を灯して見せた。
「さ…その危ないものを手から離してね」
明日香は美紗を人質に取られたことでパニックに陥っていた。
しかしそれでも冷静に頭を働かせ、現状把握に努める。
バッドを置かない明日香を急かすように、男は火をつけたチャッカマンを美紗の顔に近付ける。
恐らくはただの脅し。
しかし美紗に危害を加えないとは限らない。
明日香は男の指示通り、バッドをゆっくりと下に置いた。少しでも考える時間を稼ぐように。ゆっくり。
男から美紗を遠ざけねばならない。
一体どうすれば。
どうすれば――…
ガラララッ
ふいに窓を開ける音が響き渡った。
なんてことはない、ご近所の主婦が活動を始めたのだ。
電車を多用する宮木町のサラリーマンは朝が早く、それに伴って主婦達の活動時間も早い。
しかし警戒している男にはあまりにも刺激的な音であり、隙をつくるには充分過ぎた。
音へと注意を向けた目の前の男。
明日香はこの機を逃さず足を踏み出した。
今の明日香にとって一番重要なことは、男を美紗から引き離すこと。
自分のことや、ここが美紗の家の中であること、更には美紗の安全に関してすら頭に無かったことだろう。
少女は全力で突進し、自身で男を突き飛ばした。
ドサッ
油断していた男は呆気なくバランスを崩し、腕の中の少女と共に倒れ込んだ。
「てて…」
倒れたおかげで、男が手に握っていたチャッカマンは床を焦がす。
ボッ
古い木造のアパートは見る間に赤く光り、付近にあったキッチンの油汚れに引火し始めた。
男は情けない声を上げて美紗を突き飛ばし、明日香にぶつかりながら、足をもつれさせてドアから勢いよく逃げ出した。
これは何?
真っ白になりかけた頭は、視界に横たわる美砂を写し再び活動を始めた。
「みぃちゃ…っ」
駆け寄ろうと足を動かしたが、美砂の言葉で止まった。
「早く外に出て!」
気圧されて思わず外へ急ぐ。
ドアから飛び出すと、美砂のアパートの2階の住人が駆け寄ってきた。
「大丈夫かい!?」
男の声と、人が倒れる大きな音を聞きつけ外まで出てきていたのだ。
おばさんのふくよかな腕が明日香を包んだ。
早く離れるようにと明日香を促しながら、火事だよ!と大声で近隣に呼び掛け、出てきた住民らが携帯で消防署に連絡を入れる。
火をつけ逃げた男は既に近くには居なかった。
時刻は朝の6時前。
太陽はしっかり顔を出し、1日の始まりを告げている。
空は快晴。そんな清々しい朝の道路を走る2台のパトカー。
先頭を走る車内にはいかつい顔をした警官と、高校生が1人。
助手席に座る青年は、隣の警官と同じくらいに険しい顔つきで乗っていた。
「あとどのくらいで着きますか」
「君が焦っても仕方ないだろう。朝方だから道も空いているし直ぐに着くよ」
焦らずにいられるものか。
宮木町といえば妹が泊まりに行った場所だ。
昨日の事故現場から近いという理由で明日香が行ったのだから、何かしら関わっている可能性は充分ありえる。
取り残された女の子というのも、無茶をした妹なのではないかと考えずにはいられなかった。
時折鳴る無線機からの声以外何の音も無かった空間に、ふいにざわざわとした雑音とアナウンサーらしき声が鳴り始めた。
「もうニュースになってるのか…」
音の正体はラジオだった。
『速報ニュースです。宮木町にて今朝の5時半頃から火災が発生しました。現場には小学生の女の子が1人取り残されているようで、消防隊が救助に急いでおります」』
『建物に閉じ込められた女の子は10歳の女の子、暁美紗さんです。現在消防隊が救助に向かおうと…』
妹の名前が出なかったことを一瞬安心してしまった自分を呪った。
明日香の友達じゃないか
もやもやとした不安から、
決定的な恐怖へと変わった。
窓の外から消防車のサイレンが聞こえる。
現場に辿り着くと、僕は車が完全に止まる前にドアを開け、消防隊の元へと駆け出した。
明日香の友人が巻き込まれているということは、絶対明日香も関わっている。
あいつはどこだ?
消防隊員にすぐさま現状と明日香のことを聞くつもりだったが、現場付近は思った以上に騒がしかった。
「最初の子を優先しろ!」
「もう30分は経ってるぞ!」
「危険ですので近寄らないで下さい!」
たじろぎながらも消防隊の一人に近付くと、険しい顔で怒鳴られた。
「なんだ君は!邪魔になるから離れて」
「あ、あの…小学生の女の子を見かけませんでしたか?建物の中に居る子の友達で、もしかしたらあいつも閉じ込められているかも…」
まごつきながら説明すると、手で俺を押し退けながらさえぎるように早口で伝えてきた。
「ここにはいないよ、とにかく君まで中に入るとか言わんでくれよ!」
消防隊はそれだけ告げるとくるりと背を向け、また部下達に指示をだし始めた。
彼は恐らく現状を仕切ることで頭がいっぱいだったんだろう。
建物内に取り残された女の子の他に、さらに自ら"中に入っていった"奴がいる。
場が緊迫するのは当然だし、僕に告げたのも牽制を込めたつもりだろう。
僕はまず後から入った奴について結論を出した。
今にも崩れそうな燃え盛る木造のアパートに自分から飛び込む奴なんて、余程の"酔狂な奴"か、中にいる暁美沙を余程助けたいかのどちらかだ。
だから答えは簡単。
酔狂な正義感を持つ僕の妹だ。
妹の所在は分かったが、この後の判断を僕は決めかねていた。
妹の安否が気になって無茶言ってここまで連れてきてもらったわけだが、いざ突入となると足はすくむ。
さて、どうしたものか…
建物を見上げ、立ち止まったことで俺は冷静さを取り戻しつつあった。
徐々に自らの思考回路を展開していく。
どういう経緯なのかはわからないが、報道された時点で建物内に居たのはあいつの友達だけだ。
消防隊の人が言っていたとおり、明日香は建物が燃えはじめてから中に入った、つまり今の僕と同じ状況なわけだな。
どんな気持ちだったんだろう。
―助けたい、なんとかしなきゃ―
おせっかいで正義感の塊みたいなあいつはそう思ったんだろうが、10歳の女の子が燃え盛る建物を見て"怖い"と感じないはずがない。
それでもあいつは中に飛び込んだんだ。
すっげぇよな、その度胸。
僕は周りを見渡し、すぐさま電柱によじ登った。
別に奇行に走っているわけじゃないぞ。
2階の窓から入れそうだったから、電柱を伝って渡ろうとしただけだ。
慣れない手つきで無様にしがみつきながら、僕は木登りならぬ電柱登りをした。




