交番はすっげーコーヒーの匂いがした。
「うぉ、弥生!?」
伸ばした手が相手の肩に触れた時、振り返ったその顔は見覚えのあるものだった。
「伸吾…!?」
妹とのケンカ中、エロDVDを大量に持ち込んで勝手に上がり込んできた、いわゆるKY。悪友ではあるが、今まで犯罪に手を出したことは無かった…僕の知る限り。
「お前、なんで」
僕の言葉は周囲の音でかき消された。先程の割れたガラスの音を聞きつけ、見廻りをしていた警官が2、3人駆けつけてきたのだ。
「君達!そこで何をやっているんだ!」
ヤバい。
僕はとっさに伸吾の腕を掴んで走り出した。逃げる必要は無いはずだ。
少なくとも、僕は。
しかし後ろの青年はどうだろう、彼がもし放火魔だったとしたら。
いや、信じているわけでは無い、だが疑う余地は充分あるということだ。警官にも僕にも。
今はひとまず逃げて、落ち着いたところで詳しい話を聞けばいい。
だがそう簡単に行くはずがなかった。
先周りしていた警官にあっさり囲まれ、僕達は事情聴取のため近場の交番の個室に連れて行かれた。
流石に連行されてから逃げる度胸は無い。
へぇ、交番の奥ってこんな風になってたんだ。
「金原弥生君と飛佐木伸吾君、ね」
ごくり。
無実でありながらも、警官から名前を呼ばれると緊張してしまう。
出来ることなら謝ってこの場から逃げ出したい気分だ。
警官は入り口に1人立ち、2人が僕達の向かい側に座り、内1人は紙にペンを走らせながら事情聴取を始めた。
僕は伸吾に会った時のことを、伸吾はあの場でやっていたことを簡単に説明した。
伸吾の言い分はこうだ。
風呂上がりに散歩をしていて、ジュースを買ったつもりが酒を購入してしまい、仕方無く路上に零していた所を俺に見つかって勘違いされた。
ライターに関して触れていなかったが、恐らく煙草を吸おうとしたのだろう、と彼のポケットの端から見える入れ物(端から見れば小物入れだが、僕は中に煙草が入っていることを知っている。)を見てそう思った。
時間帯から見ても未成年が出歩く時間じゃないと説教をされ、僕が彼を連れて逃げたこともありなかなか解放してもらえなかった。
確かに、伸吾が放火魔だった場合僕は彼を庇護したことになる。
その場で適当に話していれば深夜徘徊に対しての注意だけで終わっていただろう。
気が動転していたとはいえ逃げたのはマズかったと、僕は小さく溜め息を吐きながらそう思った。
随分と長い時間が経った。
勘弁してくれよ、大人が未成年を明け方まで拘束するのは良いのか?
朝になってからタクシーで送ってくれる流れなの?
道を聞くおばあちゃんと迷子が世話になる場所、という交番の印象からトラウマになりそうな場所へと変貌しかけていた。
複数の警官が交代やらなんやらで入れ替わり、その度に同じ話を何度も聞かれ、へとへとになりながら窓に目を向けると外はうっすら明るみ始めていた。
伸吾にも迷惑をかけてしまった。
申し訳無い気持ちで彼の顔をチラリと伺ったが、彼は至って平常な顔付きで、彼の心情を読み取ることは出来なかった。
突如、室内に無機質な電子音が鳴り響いた。警官は失礼、と一言断り、無線機のスイッチを押しこむ。
「どうした」
警官が促すと、ジ、という電子音と共に部下らしき警官の声が続いた。
『宮木町に火事が発生、犯人と思わしき男が逃走中です。現場が昨日の火事とかなり近いので、例の連続放火魔かも知れません』
警官はチラリと僕たちを見た後、無線機に視線を戻した。
「…わかった、すぐに向かう。詳しい場所は特定出来るか」
『昨日の火事現場の隣の家です。それと、女の子が一人取り残されているようです』
宮木町は、藤町という中心街から2駅離れた小さな町である。
近辺は住宅地に田園とのどかで、店と言えば個人営業の小さな店が数軒並ぶ程度だ。
主婦達が夕飯の買い出しに車や交通機関を使用するのはざらだ。
教育施設もまた同じであり、宮木町の子供達はほぼ全員電車を使って通学している。
金原明日香は、そんな宮木町に住む少女の友人だ。
必要なものは徒歩で事足りる中心街に住む明日香にとって、小学生ながら当然のように電車を乗りこなす友人は尊敬に値する人物だった。
しかし自身の性格と、友人が醸し出す柔和なオーラにより直接本人に伝えたことは無いのだが。
近頃は放火事件が多発しており、昨日はついに宮木町で被害が出た。
友人の近辺での出来事であり、面倒みの良い明日香は様子見がてら本日、泊まりに来たのだ。
「私の勝ちー!」
「はー、強いよ明日香ちゃん…」
テレビ画面には二人の様子をそのまま写しだしたように、二体のキャラクターが個々の行動を表していた。
明日香は笑顔で次の対戦画面に移ろうとしていたが、隣の友人が欠伸をしたのを見て手を止めた。
「眠いの、みぃちゃん?」
「ん~…」
時計の針は気付けばもうすぐ明日の時間を指す頃だった。
小学生である二人には充分遅い時間であり、明日香も自らの眠気に気付いた。
「じゃあ戸締まりの確認してくるから、みぃちゃんは先に寝てて」
「ありがとう、明日香ちゃん」
目元を擦する仕草に合わせて、風呂後自然乾燥しまった友人の癖っ毛が揺れた。
みぃちゃんこと暁美紗。
彼女の両親は遠出の仕事が多く、大概は仕事先に泊まっている。
大学生の姉が一人居るが、深夜に働いているので夜は殆どいない。
(やよい君より年離れているんだよね…)
明日香の兄も年が離れているが、高校生の兄は何だかんだで明日香に構ってくれる。
喧嘩の期間中は明日香の方から一切関わらないようにしているのだが。
戸締まりを確認して戻る頃には、美紗はもう熟睡していた。
布団を丁寧に直し、自身も美紗のベッドに潜り込む。
暖かい布団に睡魔はすぐに訪れ、間もなくして明日香も寝息をたて始めた。
「…すか、ちゃん、明日香ちゃん」
優しく揺り起こす動作とは裏腹に、切羽詰まった小声が耳元を掠める。
「んー」
重たい瞼を上げて声のする方へ顔を向けると、美紗の不安げな表情が映った。
まだ朝と言うには早く、窓からは一筋の光も入っていない。
どうしたの、と聞く前に美紗から起こしてごめんと言われ、曇った表情を寄せてきた。
「…外に誰か居るみたいなの」
一瞬静まり外に耳をすませる明日香。
今は何の音もしないが、美紗はごつりごつりという砂利道を歩く靴音で目が覚めたらしい。
「さっき窓から様子を伺ってたら男の人の姿が見えて…それで、多分目が合っちゃって…」
帽子を深く被ってたから気付いたかどうかは判らないんだけど…と、焦りを含んだ表情で言われれば、大丈夫だよと二度寝を促すわけにもいかない。
何せ昨日近辺で火事が起こったばかりなのだから。
震える指で金属バッドを握り締め、2人は裏口へとまわった。




