キャムの研究書類の端切れ
私とフェジュが泣きやむと、父上はあらためて私に一枚の紙を差し出した。ところどころシワが寄った紙だ。公書に使用されるような上質なものではなく、まるで学者や学生が学びのために使うような、そんな紙だ。
「これは?」
「まあ読め」
なになに。
「『――以上の〝操りの魔法〟を解除するには、魔法使い二名を用意し、その二名が魔法対象者の両手を塞ぐことで可能、か?』……操りの魔法だと?」
紙にはそれだけが記してあった。
「え……これ、まさかキャム様の!」
ミリアが声を上げる。
「だってこの筆跡、キャム様のものですよ。あたし、ほかでもない南の戦場でキャム様が書いた軍事書類を読んだからわかります。フェジュが奪ったあの書類ですよ、殿下もわかりますよね?」
「うむ、言われてみればヤツの筆跡のようだ。しかしなぜ父上がこんなものを?」
私の問いに、父上はわずかにうつむき答える。
「もしも、万が一、おまえがワシを倒したなら……そのときはそれを渡そうと思ってな。あの男妾……キャムの研究室から盗んできたのだ」
「父上……」
「おまえは自分が陛下に操られておるとは知っておらんかったからな。父親として、ワシがおまえに何かできることがあるとすれば、それはおまえの目をさましてやること。そう思ったのだ」
父上は父上なりに私のことを考えてくださっていたということか。『悪は・叩ッ・斬る』などと言っていた父上からはにわかには想像しがたいが。
「王家のためならばいついかなる行動もとれるワシならば王城の地下にあるキャムの研究室に忍び込むなど造作もないこと。しかしその紙切れを盗むとき、ひとつ、気になるもの、いや、見てはならんものをワシは見た……」
「……見てはならないもの? なんです父上、それは?」
すると父上のお顔か青ざめ始めた。
「……バマリーン様のご遺体だ」
「……ウッソ」
ミリアは言葉を失いかけている。
「女王が、おれのばーちゃんを殺した……ってことか?」
「ばーちゃん、だと? 小童、貴様まさか!」
「ええ、そのとおりです、父上。フェジュはヤーデ姫がお産みになられた子。私たちはヤーデ姫に会ってきました」
「なんだと! そのヤーデ姫はどこにおられる、なぜ連れ帰ってこなかったのだッ!」
「ヤーデ姫は王国に戻ることを拒まれました。アダマーサが信用ならないから、と」
私がそう答えると、さすがの父上も返す言葉がなくなったらしく、黙り込んだ。
「じゃあ殿下、バマリーン様を殺したのは、やっぱり……」
「うむ、ミリア。信じたくはなかったが……バマリーン様のお屋敷を襲撃し、バマリーン様を殺したのは、帝国ではなく……やはりアダマーサのようだ」
だめだ、胃が痛くなってきた。なぜアダマーサがそんなことを。魔石のため、か? そんなもののために?
「父上……アダマーサには何か考えがあるのですね?」
「そんなことワシが知るか! ワシはただリベルロ王家の忠実なしもべに過ぎん。だが、何かお考えがなければこんなことはすまい?」
「ええ。穏やかな考えではないでしょうがね」
ひとつ確実なのは、アダマーサは好き好んで殺人をする女性ではないということだ。もっとも、操られていた私では、確実もなにもない、か。
「とにかく私はアダマーサに直接たずねます」
「尋ねる? バマリーン様のことをか、ヴィクトロ?」
「ええ、父上、それもですが、私を操った理由もです。アダマーサに色んなことを尋ねなければ私の気が済みません。それにシュタやトパジーのことも気がかりだ。ミリア、フェジュ、ついてきてくれるな?」
私は手を繋いだままのふたりを見た。
「ここまでついてこさせといて、今さら別行動しろって言われても納得できませんし、あたしはついていきます」
「お、おれも。コワイけど……おれの居場所はオマエなんだから!」
「ありがとう、ふたりとも」
フェジュにとっては危険な場所になるが、私が守るから心配はいらんな。
「陛下に尋ねてどうするというのだ」
「父上……」
父上は厳しい声を私に投げかける。
「王都、いや王宮は、もはやおまえにとって戦場だぞ、ヴィクトロ」
「ならば私は戦うまでです」
そうだ。私は武人なのだ。妻に何をされようとも、真実がどうあろうとも、子どもたちと血が繋がっていなくとも――私の本質は武人なのだ。
「この紙、ありがとうございました、父上。よいヒントを得られました。父上はどうか安全な場所に身を潜めていてください。王都に戻られては、かえって父上に危険が及びます」
「ふんッ。息子に心配されるほど落ちぶれてはおらぬわ。ワシはただ〝最強の武人〟に敗れただけ。そんじょそこらの危険なんか返り討ちにできるパワーはまだまだ持っておるのだからな!」
「そうでしたな。あなたに武闘を叩き込まれたこと、そしてあなたがた両親のもとに産まれてきてよかったと、私はつねづね思っております」
「……ヴィクトロ……」
フェジュが何か言いたげだ。しかし続きは何も言わなかったので、私はひとまずフェジュの頭を撫でてやった。
「さあ、行こう、王都へ」
そうして私とミリア、そしてフェジュはあらためて王都へ出立した。
◇
深夜。
市街地の明かりも乏しい闇の中を私たちは進んでいる。そう、私たちは父上と別れたあと、数日をかけて王都に到着していた。
「はあ……まさか王都をこんなコソコソしながら歩くとは思ってませんでした」
「そう言うなミリア。かくれんぼみたいで案外楽しいだろう?」
「そりゃ、フェジュみたいなガキには楽しいかもしれませんけど、べつにあたしは……」
「おいっ、おれをガキ扱いすんなって!」
そういうわけで私たちは人目につかないようコソコソと王城を目指しているのだった。王城まではあと少しだ。
「それにしても……キャムのやつ、魔石だけでなく魔法の研究もしていたのか」
私は父上からいただいた紙切れの文面を思い出していた。
――『――以上の〝操りの魔法〟を解除するには、魔法使い二名を用意し、その二名が魔法対象者の両手を塞ぐことで可能、か?』なんともまあ不確かな記述で見ているこちらがモヤモヤするが、逆を言えば魔法使い二名がいれば操りの魔法は解除できるかもしれない、ということだ。
「魔石と魔法は切っても切り離せないものなんでしょう、殿下」
ミリアの相づちが続いた。
「そういえば、フェジュ、オマエは魔石や魔法について詳しいんですか?」
「うーん……魔法はいくつか使えるけど……『詳しい』って、どのくらいが『詳しい』んだ?」
フェジュは頭を悩ませている。
「魔法の使いかたはヤーデ姫殿下に教わったんです?」
「教わったっていうか、マネして使おうとしたら使えた!」
「ふむ、魔法の使いかたか……」
アダマーサのお腹から産まれたシュタとトパジーももちろん魔法を使えるだろう。だろう、というのは、アダマーサが面と向かって子どもたちに魔法の使いかたを教えたことはないからだ。それどころか、アダマーサは人前ではめったに魔法を使うこともなかったように思う。
よってシュタとトパジーは、自分たちが魔法を使える人間なのだと自覚していない。フェジュと違って。
「魔石についても、そんなの知らねーよ。こないだ見たのが初めてだったし、おれ、おれの魔法を強くしたいとかも考えたことねーし」
「まあ、魔法が使えることだけで常人離れしていると考えるほうがふつうだろうしな。しかしひょっとしたら、アダマーサ一世陛下は魔石があったから独立戦争を制することができたのかもしれん」
「ああ、ナルホド、それはあるかもですね、殿下。キャムが生まれたウィストラー家も独立戦争を機にリベルロ王家についたそうですし」
あっ! ひらめいたぞ。
「ならばアダマーサは、魔石のちからでローリー帝国との戦争に勝利しようと考えているのではないか!?」
私はやや興奮気味に言ってしまった。
「それも否定はできませんけど……」
答えるミリアは冷静だ。
「戦争に勝ちたいのなら、王国最強の武人である殿下をそうやすやすと殺す真似します? あたしが女王だったら殿下が戦死するまでコキ使いますね。ちょうどいいことにアダマーサ陛下には殿下に反逆されたという『殿下をコキ使ってもいい』大義名分がありますし」
「う、うむ、同意したくはないがたしかにそのとおりかもしれん」
「ミリアってたまにヴィクトロを尻に敷くよな……」
「このテのオトコは敷いてナンボなんです、フェジュ。アダマーサ陛下だってそれをわかってらっしゃるんじゃないですかね?」
「……だから私はアダマーサに操られていたのかもな。前まではホイホイいいように戦場に駆り出されていたような気も、今ならする……」
「ほんとに今さらですね。……まあ、アダマーサ陛下に弱いからって、アダマーサ陛下に操られてもいい言い訳にはなりませんけどね、殿下」
「もしかして、最後に激励しているのかそれは?」
「ま、ともかく、そのへんも諸々アダマーサ陛下に訊けばハッキリします。行きましょう、城の警備が薄い場所はあたし記憶してます。あっちです」




