リベルロ王国軍最高司令官キャム
「殿下の号泣にはリベルロ国土ほどの大きなハンカチがあっても間に合いませんな」
「キミに拭ってもらう涙など流したおぼえはないぞ」
「そんなことより殿下のシュバルをお借りしますよ。わたしは王都に戻りますゆえ。そうそう、今後の作戦についてはここの書類にまとめていますので」
「ちょっと待っ……」
「おや、お召し物に髪の毛が付着していますよ」
キャムはそう言うと、私の肩に落ちていた――私の金髪をひとつまみしてみせた。
「では失敬」
私は、このキャムという男の前では、弓矢を持とうが槍を持とうが剣を持とうが、ひたすら無力だ。それをむざむざ見せつけられた気分だ。キャムは私を嘲笑いながら去っていった。
すると、キャムと入れ替わりになるかのごとく、とがった耳が特徴的な銀髪の女性がテントに入ってきた。
「キャム様も相変わらずですね」
彼女はミリア。グレ族という少数民族の出身で、私の秘書をつとめている。ミリアは一つに結った長い銀髪をゆさゆさ揺らしながらこちらに近づいてきた。
「軍人でもない殿下をわざわざ遠方の戦地に呼びつけて、自分はそのまま王都にトンズラですか。王国軍最高司令官の名が泣いてるでしょうに」
「キャムへの愚痴はそのへんにしておけ、ミリア。アイツは女王陛下の男妾なのだぞ」
「だから余計にムカつくんです! 殿下がアゴで使われるようになってからもう六年ですよ。殿下はもっと文句言っていいんですよ」
「文句、か。私が言える文句などたかが知れているさ」
私とアダマーサが結婚したのはアダマーサがまだ女王に即位する前のことだった。
結婚からわずか数ヶ月後に先代が崩御し、二十三歳という若さで女王になったアダマーサとその夫である私が周囲に求められたのは〝世継ぎの誕生〟だった。王族なのだから当然だ。
政略結婚であったものの、私はアダマーサをめいっぱい愛したし、今でももちろん愛情のかぎりを尽くしている。しかしながら、結婚から五年という月日が経とうとも、私たち夫婦が子宝に恵まれることは一切なかった。
そこでアダマーサが王宮に連れてきたのは――私やアダマーサよりも若い男だった。それがキャムだ。
くしくもリベルロ王国の君主は複数の配偶者をもつことが許されている。キャムが王宮に入り浸るようになって、たった半年で、アダマーサの腹には命が宿った。それがシュタとトパジーだ。
キャムの王宮入りからアダマーサの妊娠発覚までのあいだ、私はアダマーサと逢瀬を重ねたことは一度もない。だから、シュタとトパジーは、キャムの子種だ。それは間違いない。
アダマーサは喜んだ。世継ぎを産まなければならないという重圧から解放されたのだ。喜ばないわけがない。それほどまでに女王の責任は重いということだ。
そしてアダマーサは誕生したシュタとトパジーを〝私との〟子どもにした。
シュタとトパジー、ふたりと血のつながった父親はキャムだが、形式としての父親を私にしたのだ。
つまりアダマーサは、そうすることで、私のメンツを保とうと働きかけてくれたのだ。だからシュタとトパジーがキャムを「パパ」と呼ぶことはない。それどころか、本当の父親が私ではないことを、シュタとトパジーは知らない。そしてキャムは相変わらず男妾の立場にいる。キャムはそれが不満なのだろう。先ほどのように、私に対する風当たりが強い。
私も私で、キャムとは十歳も離れているというのに、〝子種を残せなかった〟という負い目からついキャムにつらく当たってしまう。その一方で、アダマーサの決定や父親として振る舞うことは、女王の夫として受け入れねばならない。そんな私たちの複雑な心境を知ってか知らずか、アダマーサは今も、私とキャム、両方と体を重ねている。
年齢的にやや難しくはあろうが、もしも次、アダマーサが懐妊したら、それが私との子どもだったら、私の立場はどうなるのだろうか。
いや、違う。もしも金髪の子どもが産まれたとしたら、自分の髪色の違いに気づいたシュタは、どう思うのだろうか。男妾との子どもが王位を継承することは大きな問題ではない。シュタやトパジーの気持ちの起伏が、私は気がかりなのだ。
シュタとトパジーはまだ六歳。アダマーサもいつかは真実を告げるつもりなのだろうが……一体いつ伝えるのが最適なのだ?
「……殿下。ヴィクトロ殿下。ちょっと、聞いてます?」
「む? ああ、すまないミリア。物思いにふけってしまっていた」
「しっかりしてください。ここは戦場なんですから」
ミリアの言うとおりだ。私とは親子ほど年齢が離れているミリアだが、なかなかしっかりしている。さすがは私の秘書だ。
「殿下のおかげでここ南の戦場は士気を保っているんです。殿下の身に何かあれば帝国はすぐさま猛攻撃をしかけてくるでしょう。ですから……」
「わかっているさ。油断禁物と言いたいのだろう」
「おっしゃるとおりです。女王陛下の姪ヤーデ姫をお救いするまで、頼みますよ」
「うむ」
私たちは外の様子を確認するためにテントを出た。武具を運ぶ者や救援物資を配給する者、怪我の治療を受ける者。どこを切り取ってみてもつらい光景だ。
「あ、そうだ。ヴィクトロ殿下。この書類なんです?」
ミリアはテントの中にあったはずの書類を私に見せた。キャムが残していった書類だ。
「書類の中を見ました。どうして軍人ではない殿下が兵士に命令する手はずになってるんですか?」
髪と同じ銀色をした眉の尻をつりあげながらミリアは言った。
「そんなの、いつものことだろう」
「殿下はいささかキャム様に甘すぎます」
「そんなことはない」
「負い目があろうがシャキッとしてください。アダマーサ陛下の正式な夫は殿下なのです」
「だが私は戦うことしか能が無いのだ」
それしか、アダマーサに報いる方法を私は知らない。私がそう言おうとした瞬間、
「うわあーッ!!」
と悲鳴が聴こえてきた。
「敵襲か?」
私とミリアは悲鳴が聴こえたほうへ急いで駆け出した。
すると、なんとリベルロ王国軍の兵士数名の体が燃えているではないか。焦げたニオイと黒煙が兵士の体を包んでいる。はやく助けねば!
「ちょっと痛いがガマンしろ!」
私はすぐさま燃えているひとりの兵士の両足首を掴み、
「どわあああああああああああああーッ!」
兵士の胴体を地面にすりつけ、私の体を軸として、兵士の体を勢いよくぶん回した。高速で。
「何してるんですか殿下! ゲホッ、舞い上がった砂が……ああもう!」
ミリアが抑止にかかってきたが遅い。
「どうだ、火も消えただろう! 次ッ!」
私のとっさの判断によって兵士は全員、助かった。ヤケドとめまいは起こったがな。
「だがおかしい」
動揺している兵士たちをなだめたあと、私は周辺の様子を再び確認している。
このあたりは森林に囲まれた平地だ。
火が起こった場所はリベルロ王国軍のキャンプ地とも離れているから火の気はないはず。先ほど打ち倒したローリー兵もそのような物品は所持していなかったというのは死体を検めていた兵士たちの話だ。
ここはローリー帝国との国境と密接している場所。やはりローリー兵のしわざか?
「殿下っ。ひとりで行動しないでください、あぶないです!」
雑木林に入ろうとした私を呼び止めてきたのはミリアだ。
「さっき燃えていた兵士たちの話によると、火はとつぜん発生したそうです。でもこのあたりは湿気が多い土地ですし、どう考えても自然発火ではなさそうです」
「む、兵士たちは回復したか。それはよかった」
「ええ、だいぶ嘔吐してましたけど……ヤケドもひどかったですし、負傷者は念のため王都に輸送させました。あと、味方の兵士がひとり、行方不明らしいです。発火騒ぎの少し前から」
「なんだと? そっちを先に言え! それからミリア、さっき持っていた書類はどうした?」
「あ。……無い」
「無い。ではない。不用意にテントから持ち出すからだぞ……ミリア!」
「そんなに怒らないでくださいっ」
「そうではない、ふせろ!」
「キャー!」
ミリアがわざとらしい悲鳴を私の腕の中であげた。
私たちは地面に転がった。その頭上を火の玉が駆けていく。これは!
「これは魔法だ……」
あきらかに人為的な火。私も目にするのは初めてだが……これは〝魔法〟。だとしたら、術者はこの近くにいるはず。そいつがさっきのボヤ騒ぎの犯人か。
「ミリアはキャンプ地を守れ」
私は腕をほどきミリアを解放する。見たところミリアにケガはなさそうだ。よかった。
「殿下は!?」
「無論、放火魔を引っとらえる」
「装備は……」
「短剣一本。じゅうぶんだ!」
懐におさめている短剣をさすり、私は火の玉が飛んできた林の中へ足を踏み入れた。