王配としてのつとめ、その一、その二
崩れかけた石造りの城。
もう真夜中というのに、城内には目を醒ました戦士たちの気配が多々ある。
「なぜおまえが……わたくしの前に立ちふさがるのです!」
王の間にて追いつめられているのは――その王座にいるべき女王アダマーサその人である。アダマーサと対峙しているのは、彼女と同じ緑髪の少年フェジュだ。
「決まってる。『オマエを殺したいから』だ! ほかでもない、オマエの旦那のヴィクトロが教えてくれたんだ。誰かを守る気持ちや……そのために戦う強さを。おれはオマエを殺して……ヴィクトロを助けるんだ!」
そう答えたフェジュは、力強く両手を組んだ。
アダマーサの背後には、巨大な結晶に閉じ込められたヴィクトロの姿があった。
◇
晴れ渡った空に包まれる王都に万歳三唱が響き渡っている。今日は季節に一度の、国王が民衆と直接ことばを交える日である。
私の名はヴィクトロ・アール・リベルロ。年齢は四十。十年前からこのリベルロ王国を統治する君主、アダマーサ五世女王陛下の配偶者である。
「ここ数年、隣国との紛争も落ち着きを見せ、我が王国の中にもわずかながら穏やかなる時間が湧き出つつあることを、喜ばしく思います!」
私の王配としてのつとめ、その一。
我が愛する妻そして偉大なる女王陛下アダマーサは声がか細い。しかしながらこの世界には拡声器などといった類のものはない。ので、彼女が王都民に向かってありがたきお言葉を発するとき、他人より比較的声を張れる私が、一言一句逃さず代弁しなければならない。
「しかしながら、我が姪、王女ヤーデは帝国に捕らわれたままであるほか、いまだ戦いは終わってなどいません! 難民にまぎれて武装し、我が王国に侵入する敵兵の数も増えています。わたくしたちはわたくしたちの命が脅かされるとき、その武勇をもって敵兵を制します! ――」
――このように大声を出した日の夜、私はハチミツ湯をいただくのがお決まりだ。私は今日という日が無事終わりかけていることに心から安堵した。
しかし、久方ぶりに王都に帰還したが、やはり我らが居城で迎える夜は格別だな。愛する家族がそばにいるからだ。季節は冬だというのに、居城は冷たい石で出来ているというのに、私はその声を聴くだけで心があたたまる。不思議なものだ。子どもたちを呼びにいった妻を待ちながら、私はソファーでくつろぐ。
「……ヴィクトロ。ヴィクトロ」
おや、妻がもう戻ってきた。ひとりだ。彼女は小鳥のさえずりのような声でこう言う。
「あなたは健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、わたくしを妻として愛し、敬い、いつくしみ、忠誠を尽くし、敵から守り戦うことを誓ってくれますか?」
懐かしい。これは十二年前の、結婚式で交わした誓いの言葉だ。当時二十三歳だった妻アダマーサ。彼女はまだ初々しさの残る顔を赤らめていたことをおぼえている。そんな彼女を前に、私は「誓う」と頷いた。そして誓のキスを――
「ヴィクトロ。起きてください」
ん?
気づけば私が座るソファーの前に、しかめっ面をするアダマーサが立っていた。なんだ、夢か。
「すまないアダマーサ、私としていたことがソファーでうたた寝していた。結婚式の日の夢を見ていたよ」
「懐かしいですね。それはそうと、せっかくの飲みものがこぼれていますよ」
「あとで拭く。それよりキミは子どもたちを呼びいってくれたんじゃなかったかい? ひとりでどうした」
「子どもたちを呼ぶ前に、援軍要請が入ったのです」
アダマーサは寝間着の裾を揺らしながら一通の封書を私に見せた。
「疲れているところ悪いのですが、明朝に南へ向かってはくれませんか」
「美しい眉をそんなにゆがめないでくれ、アダマーサ。なんなら今すぐにでも出立する」
「いいえ、あなたのシュバルならば朝でも間に合います。だから今晩は城にいてください……」
嗚呼、アダマーサがその緑髪ともどもしおらしくしている。
「だって……」
私がアダマーサを抱きしめようとした、そのとき。
「パパー! おシュバルさんごっこしよー!」
こちらから呼びにいく前に、愛する子どもたちが現れた。
そうだった。今日は子どもたちとおシュバルさんごっこをするという約束を交わしていたのだ。いくら子どもが相手といえども、誰かとの約束を破るわけにはいかない。
私の王配としてのつとめ、その二。王子と王女を心底愛す。
「パパはやーい!」
広いリビングで今、四つん這いになった私の背中にまたがっているのはトパジーという長女だ。彼女も母親譲りの緑髪が美しい。
「次ボクー!」
窓辺で地団駄を踏んでいるのはシュタ。父親に似た黒髪の長男だ。
このシュタとトパジーは双子だ。シュタが先に生まれた。ちなみに我が国では王の第一子が王位を世襲する決まりなので、王位継承権はシュタにある。
「パパ〜、ボクとトパジーを一緒に乗せることはできないのー?」
「できないのー?」
六歳になる子どもたちは生まれたときから変わらず愛くるしい。くそっ、そんなに煌めいた四つの瞳で見つめられたら、
「できるさ!」
多少の無理も私はいとわないに決まっている。
なぜならリベルロ王国いちの武人とは私のことだから。強く優しい戦士であると決めたのだから。
たとえこの子たちが〝私と血のつながりはない〟としても……妻と、ほかの男との子どもだとしても。この子たちが私を父親だと思ってくれるかぎり、私はこの子たちが胸を張れる〝父親〟でいたい。無理をいとうことなど、できやしないのだ。
◇
「さすがヴィクトロ殿下だ! シュバルを走らせながら放たれる矢は一寸の狂いもない!」
私は今本物のシュバルを走らせている。
アダマーサの言ったとおり、未明からシュバルを走らせても間に合った。私の姿を見るなり「もう来たんですか」と驚いたリベルロ兵たちの顔、忘れはしない。
「見ろ、槍さばきもお見事だ!」
「なんで王配殿下ともあろう御仁がやたら戦場の最前線に駆り出されるのかわかったぜ! ヴィクトロ殿下は――王国最強の武人であらせられる!」
このように褒められるのは日常茶飯事とはいえ、いつになっても嬉しいものだ。
「殿下がいらっしゃれば帝国なんて怖くない!」
ひとりの兵士がそんなことを言った。帝国とは、我が国の隣に位置する大国家だ。我々リベルロ王国軍は長年、帝国への侵攻を試みている。そう、我が国と帝国は先代の先代の先代の、そのまた先代のころから非常に仲が悪いのだ。
両国はそもそも一つの国であった。ところがそのうち我らが王国が独立。帝国はそれに憤慨したのである。以後、紛争が絶えないというわけだ。
だがしかし、リベルロ王家の祖アダマーサ(一世)・ウォール・リベルロの美しき緑色をした御髪に「ペペトカルマボメンミーワフト」などという意味不明も甚だしい呪文を唱えながら、よりにもよってスラム街の下水をかぶせた当時の帝国皇帝が何より悪い。本当に悪い。そりゃ独立もしたくなる。
ちなみに独立戦争終戦時に残された、「あのとき私は聖水をかぶった」とはアダマーサ一世女王陛下のお言葉である。そののちアダマーサ一世女王陛下は帝国のスラム民をリベルロ王国に招致した。無論この王国には貧困など存在しない。嗚呼高潔なりアダマーサ。
「……朝一番でシュバルに乗って駆けつけたかと思うや否やその圧倒的武勇で敵兵隊を討ち払い、その後キャンプ地に顔を見せたが早いか『ビバ・アダマーサ』と叫びながら醜い形相で泣き崩れた王配殿下とは貴殿のことでよろしいか?」
「キャム、私たちは知った仲であろうにその白々しい言いぐさは何事だ。私はアダマーサ一世女王陛下のことを想って涙していたのだ。私に免じろ」
埃っぽいテントの中で嫌味を投げてきたのはキャムという男だ。長ったらしい……もとい、よく手入れされた長い黒髪の三十歳。アダマーサ五世女王陛下の……男妾だ。そしてリベルロ王国軍最高司令官であり……アダマーサ五世女王が産んだ双子の王子たちの父親である。
あの愛すべき子どもたちの本当の父親は、このキャムなのだ。