第一章:魂に刻む真なる名
では早速、となったところで、その前にやるべき事と注意事項があると言われた。
〈よりエレオスに強く“個”として定着するために、『真名』を付けるんだ。後は俗名も必要だろう。
どうせ、前世の名前も覚えていないだろう?〉
そう言われて、はたと気付く。彼の言う通り、前世の事は何一つ思い出せていなかった。
性別も、死んだ原因も、姿も、無論名前も…。
それに覚えていたとしてもそれは前世の自分であって、“今”の自分とは違う。
“今”には“今”の名前が必要だと感じた。
〈名前は確かに必要だけど、真名とか俗名とか、二つもいるの?
なんか重要だとか何とか言ってたけど…〉
そのせいでシャドウさん呼びをすげなく断られたのだ。
確かにこれが名前と言うのも、御免だろうけども…。
〈あぁ。真名とは魂に刻み“個”を表す名だ。そして俗名は日常的に使う表の名。
真名を他者に握られぬよう、皆俗名で生活しているのだ〉
感覚的に本名と通称みたいなものかと考えたら、そんなものだと頷かれた。
とは言ってもその重要度は比ではなく、エレオスの住人は全員、真名を完全に秘匿して暮らしていると言う。
それと言うのも、真名が魂に刻まれる名であるためだ。
〈真名を他者に掌握される、と言う事は魂を握られるのと同じ事。
場合によっては相手の躯のみならず意思の自由まで奪われ、隸属させられる事もある。
そのため、種族の中には真名を付けずに一生を過ごす者もいるらしい〉
〈あー、何か似たような話どっかで聞いた事ある。……気がする〉
〈前世にもあったのかも知れんな。また、相手に真名を名付けたり、自らの意志で捧げる事で、主従の契りを交わす事もある〉
魂の名である真名を用いて交わされた契りは、何よりも強固な契約となる。
時には意思すら支配され、決して逆らう事が出来なくなる程だ。
例の悪魔将校が、“魔族”の王である魔王の側近だったのも、真名を授けられた事による主従の契りがあったからだ。
それが強制だったのか悪魔将校の意志によるものだったのかは定かではないが、悪魔ですら逆らえない程強固に魂を縛る。
それが真名を掌握すると言う事である。
しかし、互いの意志で真名を与えあったり捧げ合うと、その間に強固な繋がりが“絆”と言う形で結ばれる。
その繋がりが強ければ強い程容易には断ち切れず、例え他者に真名を握られても魂が守られるのだ。
〈だから、お前は俺達の俗名をまず考えろ。それを元に俺がお前に真名を与えるから、お前も俺に真名を付けろ。
これでお前と俺は真に運命共同体となる〉
〈え!?そっちもボクが考えるの!?てか君元々生きてたんならあるんじゃないの?〉
ボク考えるの多くないか、と言う不満も多少含めて問えば、「ない」ときっぱり端的に返ってきた。
俗名を自ら決める者もいるが、そんな存在は言わば生まれながらに高い知能や意思を持つ魔族や魔人族くらいのもの。
どちら名も、大抵は親がつける。
しかし、魔人族であるクラルヴァインの親と呼ぶべき存在は、生まれると同時に亡くなっている。
その上親代わりとなる者すらいなかったため、名を与えられる事なく育ち、そのまま魔剣となったのだ。
考えてみれば、なかなかに凄絶な魔人生である。
〈あの頃は名前に何の関心もなく、必要にも感じていなかったから俗名もない。
周りからは“殺戮人形”等と呼ばれていたが、通り名のようなものだしな〉
〈わぁ厨二臭ッ!!〉
〈言葉の意味は解らんが馬鹿にされているだろう事は解った!そもそも自ら名乗ったわけではないわ!!〉
〈ウン、ゴメン。明確な意味はボクにも良く解らん!
でも言わなきゃいけないと思ったから言ってみた!〉
〈言わんで良い!!〉
これ以上からかうと機嫌を損ねそうなので、この話はここで終わらせた。
とりあえず怒ってはいないようだが、のっぺり顔がムスッとしているようにも見える。
ちょっとからかい過ぎたかも知れない。
〈んじゃクラルヴァインってのは魔剣になってから付けられた名前?〉
〈まぁそういう事だな。たしか器にされた剣の銘だったかな?それをそのままそっくり貰ったのだ〉
自分から名乗ったわけではなく、気がついたらそう呼ばれていたらしい。
それ貰ったとは言わない、と突っ込めば自分が納得しているんだから問題ないと返された。
〈う~ん、名前かぁ。何か責任重大っぽいんだけど…〉
〈別にそこまで深刻に考える事でもないぞ?互いに納得出来ていれば適当に語呂の良い言葉や名を並べるだけでも良い。
ただその中に何か意味のある言葉を入れると良い、とは聞いた事がある。
どのような効果があるかまでは知らんが〉
知らんのかい、と思わず呆れる。
しかし、親が子供に『こうなって欲しい』『こうあって欲しい』、と言う願いを込めて名付けるのと同じ事なのだと理解した。
そう考えた時、一つの言葉が脳裏に浮かんだ。
〈───アーク・シュヴァルツリッター・クラルヴァイン……〉
〈ん?〉
ポツリと呟かれた言葉に、クラルヴァインが小首を傾げる。
それを受けてもう一度、今度ははっきりと告げた。
〈君の名前はアーク。真名は“アーク・シュヴァルツリッター・クラルヴァイン”。
黒騎士って意味があるんだけど、どうかな?
嫌ならシャドウさんで決定する!!〉
〈断言!?それ選択権ないだろッ!!〉
笑ってごまかす、と言う“笑う”ところから出来ない代わりに、『えへ』と茶目っ気たっぷりに言えば、クラルヴァインは『まったく…』と呆れて肩を落とす。
冗談だよ、半分は、とフォローすれば、半分だけかよ!と言う突っ込みを戴いてしまった。
〈しかし、元魔人族で元魔剣で殺戮人形だったこの俺に対して、“騎士”とはな〉
そう言うものの、提示された真名に不満はなさそうだった。
しかし、どこか自分を卑下するような言葉を聞いて、ちょっとムッとなった。
豪放磊落な人物かと思ったが、以外と卑屈なところがあるらしい。
〈そういう卑屈っぽい物言い、ボクは嫌いだよ。
君は満足に動けず自力で生きるのが困難なボクを、守ってくれるんでしょ?
そして、騎士とはヒトを守る者じゃん?〉
〈…ふん。卑屈な物言いは嫌いなのではなかったのか?〉
〈卑屈なんじゃなくて、現実を言ったまでですー〉
〈俺も真実を言ったんだがな?〉
〈あぁ言えばこう言うなぁ〉
〈ふん。お互い様だ〉
互いにポンポンと軽快に屁理屈をこねくり合う。
その様子は付き合いの長い友人同士のような雰囲気で、ふわふわと楽しげな空気すら漂っている。
出会って然したる時間も経っていないが、既に名コンビになっているようだ。
〈まぁ良かろう!その名に異論はない!有り難く戴名するとしよう!〉
そう誰かに、或いは世界に聞かせるように、彼は高らかに宣言した。
それと同時に、彼を形作っていた黒靄から不安定な揺らぎがなくなり、躯の漆黒がより明確、且つ澄んでいるように見えた。
名を魂に刻む、と言うのは個を確立する事。
今この瞬間をもって、名も無き魔人族の青年の魂は、名を戴き己と言う個を得たのである。
〈…ふっ。これが真名を得ると言う事か…。興味など湧かなかったのだが、悪くない〉
どうやら気に入ってもらえたようだ、と内心で満足する。
“アーク”と言う俗名は、元々双子の人形の“黒い子”に付けてあった名なのだが、これは言わなくて良いかな、と考える。
が、考えた時点で筒抜けなのだと、気づいた時には既に遅かった。
〈うむむ…。人形の名か。悪くはないのだが、正直少し…うぅむ…〉
悪くはないが不満はあり、理解はしたが納得はし難く、どこか釈然としない。そんなところだろうか。
〈まぁそんなに気にしないでよ。ボクだって同じなんだし〉
〈と言うと、お前の名はこっちの白い人形のか?〉
真名を得て存在感が増した(ように見える)黒靄の指が、人形を指し示す。
指差された人形は相変わらず穏やかでありながら寂しげにも見える表情で、お行儀良く座っている、
こちらが動くのを待ち構えているかのように…。
“白い子”の名をクラルヴァイン改めアークに告げると、彼は『ふむ』と顎に手を添えて暫し逡巡する。
そして小さく頷くと、居住まいを正すように背を伸ばした。
〈ならば、今よりお前の真名は“ノア・エレオノーラ・ゼーレヴァイス”だ。
“白き御霊”の意を込めた。受け取るが良い!〉
そう言ったアークに表情があったら、正に盛大なドヤ顔が見られた事だろう。
しかし、黒靄な顔は変わる事なくのっぺりと無表情で、代わりのように両手を腰に当てて踏ん反り返っていた。
何でそんな上から目線?とか突っ込みたかったが、どうせ筒抜けだろうからやめておく。
その代わりに何だか大それた意味入ったなと零しつつ、改めて与えられた名を反芻した。
ノア・エレオノーラ・ゼーレヴァイス。
それが、この世界で新たな生を受けた“己”を現す名。
そう受け入れた途端、心の奥底に“何か”が芽生えたような、そんな表現し難い感覚を覚える。
しかと地に足が着いたような、不安定だったところに一本、確かな芯が入ったような、そんな感覚。
これが真名を受け、“個”が世界で確立されたと居う事なのか…。
とにかく今この瞬間、彼の者の魂がエレオスに定着したのだった。
〈さて。問題なく名付けを果たしたところで、そろそろ器に入るのだが、その前にいくつか忠告がある〉
名前も貰ったし、いざ人形の中へ、となったところでアークから待ったがかかる。
それには当然のように、白靄改めノアからブーイングが入った。
〈また出端挫かれたよ。そう言うの好きなの?君〉
〈後になって『何で先に言わなかった!?』と責められたくはないのでな。それに注意事項があると言っただろう〉
〈あ、忘れてた。つまりは先に知っておくべき問題点とか事態が起こるワケだね?〉
〈忘れるな。まぁ、そういう事だ〉
それは確かに事前に聞いておくべき案件である。
そう考えて、それでも若干そわそわしながら、ノアはアークの忠告を聞く。
それは正に知らずにいたら確実に、確実に彼を責めていたであろう問題点であり、浮上した気持ちを一気に叩き落とす事態だった。
〈器を得ればより世界に魂が定着し、お前の望むように“生きる”事も可能だ。
が、お前の魂は半分以上欠けているようでな。動けるようになるまで多少時間がかかるだろう。
もしかしたら、暫くは言葉を発する事も出来んかも知れん〉
〈うわぁおぅ。今度はそう来たか…〉
何なの?ボクの新しい人生、どこまでも詰みゲーなの?
アップダウン激しすぎるよ少し休ませて、つーか前途が多難すぎるよ泣いて良いよね?泣けないけど。
思いがけずにまた落とされて、折角安定した白靄が再び揺らぎ始める。
しかも事前に知っていなければ、確実にパニクっていただろう件だ。聞いておいて正解だった。
〈動けないって地味にもどかしいな…。そうなるとご飯も食べられない?〉
〈人形に憑依した憑依人形と言う異種になるわけだからな。
食事や睡眠、排泄のような行為は必要なくなるだろう。そういうものが必要なのは人類だけだからな〉
睡眠は、意識による外部への認識を遮断すれば、近い状態になる。
…早い話が寝ようとすれば、寝ている状態に近い感覚は得られる、との事。
また食事に関しても人化出来るようになれば、栄養にはならないが食べる事は出来るらしい。
魂と精神だけの状態で生まれ人形に入る、と言う事実から解ってはいたが、はっきりと言われるとより現実味が浸透してくる。
人間ではなくなった、と言う現実が…。
だが、ノアの中にそれを嫌だと思う気持ちは生まれなかった。
それが新しい“自分”なのだと素直に受け止め、暫くは動けないと言う事実も受け入れる。
〈まぁなるようになるっしょ!動けるようになるまで色々と手間かけるかもだけど、よろしく頼むよ、『相棒』!〉
〈!……ふん、『相棒』か。まぁ、悪くはないな、頼まれてやろう〉
相変わらずの上から目線だが、これにも嫌な気はしない。
それこそがアークなのだと、そう思うからだ。
〈それと憑依後は互いに器と魂が定着するまで休眠状態になる筈だ。
まぁ先に目を覚ますのは俺だろうから、目が覚めたら約束通り外に連れ出してやる〉
〈了解!んじゃ今後の事はその時に決めよう。
どーせアークも長い事封印されて、暇を持て余してたんでしょ?退屈解消に付き合ってやんよ〉
〈何故解った!?〉
〈解るわ!〉
わざとらしく仰け反って見せるアークに、楽しげな空気を放出しながらノアの白靄が揺れる。
そうして、白と黒、二体の御霊は各々同じ色を持つ人形の中へと入っていく。
これから先、共に世界を渡り歩き、共に生きる事を、互いの真名に誓って……。
しかし、彼らの旅は思いがけない形で始まる事となる。
戴名…名前を貰いそれを受け入れる
…と言う意味を込めた造語です。