第一章:突きつけられた現実
〈その決意は立派なものだが、今のままでは無理だろうな。ここを出る事すら叶わんだろう〉
〈あっさり出端挫かれた!!〉
ひどい、あんまりだ、何てえげつない。
さらりと言われた言葉に言言火を吐くと、黒靄は喚くなと耳に指を突っ込んで見せる。
念話なのだし躯もないのだから耳に煩い訳でもあるまいに、と呆れたが単なる条件反射のようなものらしい。
〈あのな。お前、今自分がどんな姿か、忘れてないか?〉
〈───────あ〉
言われて改めて床を見れば、先程も確認した通り、儚く揺れる白靄な自分が見える。
〈そうだった。躯無いんじゃん自分。いきなり詰んだ…〉
躯があったら確実に挫折のポーズだ。…いや、躯があったら、そもそも何の問題もないのだが…。
〈…あれ?でもちょっと待った。今のボクって魂だけの状態なんだっけ?〉
〈正確な事を言えば魂と精神を持つ、所謂精神生命体のようなものだな。精霊か悪魔により近しい存在、といえば解るか?〉
近い、というだけで厳密には別物らしいが、肉体を持たない存在だと言う事は理解出来た。
〈魂や精神って躯がないと拡散して星に還っちゃうんじゃなかったっけ?あれ?死んだらだっけ?
幽霊とは違うから消えないって事?あれ?
ここから出られないってのはそのため?じゃ何で今は何ともないわけ?あれぇ?〉
〈あー、まずは少し落ち着け。ちゃんと説明してやるから矢継ぎ早に疑問を並べるな〉
やれやれと呆れたように、黒靄は後頭部を掻きながら答える。
疑問にゆらゆらと揺れていた白靄が落ち着いたのを見て、黒靄も腰を据えるように胡座をかいた。
その様子に、白靄も居住まいを正すような心持ちで望んだ。
〈まずこの場所から出られないのは、今お前が言った通りの理由だ。外に出ればエレオスの理に従い魂が拡散し、意識も消滅する。
お前も、俺もな〉
〈あれ?幽霊さ……じゃないか。メンドイな。
シャドウさん(仮)にしとこう。シャドウさん(仮)もここから出られないわけ?〉
適当に呼び名を付けたら、変な名前付けるなと怒られた。
何でも名前と言うのはこの世界では相応に重い意味を持つらしく、特に名付けは時に主従の契りを意味すると言う。
故に、シャドウさん(仮)呼びは却下された。
〈俺はここに封印されている身だからな〉
溜め息──と思しき動作──と共にサラリと、とんでもない現状が語られる。
たっぷりと開いた沈黙の後、白靄は怪訝な様子で問うた。
〈どんな悪さしたの?世界征服?それとも世界ぶっ壊し未遂?実は肉体から切り離された魔王の魂ですなんて言ったりする?〉
〈封印と聞いただけでそこまでの発想の転換は恐れ入るが、違う!!
大体、世界征服を目論んだ奴は人間に討ち取られたし、魔王も人間に破れてどこぞの島に隠居しとるわ!〉
〈ガチでいたんだそーゆー奴〉
魔王も本当に居るとかなんてファンタジー、何て言葉が脳裏を過る。
どこで覚えた言葉か解らず、黒靄にも通じなかったので、前世で聞いたものなのだろう。
深く考えるのは止めておいた。
しかし隠居する魔王とか、とまで考えて止める。想像出来なかった。
〈ここはエレンホスと言う、世界最大の大陸の西端にある山岳に作られた岩窟神殿。
その内部にある“魂の寝所”と呼ばれる封印の間だ。
そして俺はその“魂の寝所”に封印された、魔剣クラルヴァイン。その根元である魔神の魂だ〉
再び聞かされたとんでもない言葉に、またもや沈黙が広がる。
どこか踏ん反り返ったような様子の黒靄……、“自称”魔剣クラルヴァインに白靄の思考が数秒停止した。
そして一言。
〈剣の要素ゼロですが?〉
〈言われると思ったわ〉
これには深い事情があるんだと、軽く額を押さえる仕種をする。
しかし白靄の言うように、魂の寝所と言うこの場所には、剣はおろか武器などなく、それどころか何の置物もない。
唯一あるものといえば奥の戦女神像が持つ大剣の切っ先だが、あれは関係ないらしい。
〈あれは俺が封印された時の戦いで壊れた、ただの彫像だ。
俺の剣は後に来た侵入者に壊され、力の一部も奪われたのだ〉
この世界、エレオスに置ける魔剣は、少々変わった成り立ちで誕生すると言う。
まず大前提として、エレオスには悪魔から派生する形で生まれた種族がいる。
それが魔獣や魔族、そして魔人族である。
特に魔人族は、受肉し地上に来た悪魔が、戯れに人類…人間や亜人種との間に作った子供の事を指している。
直接悪魔からその血と力を与えられた半魔…魔人は、生まれながらに強大な力を持ち、幼くしてその力を使いこなす術をも持つ。
乳児の時から耳は聞こえ目も見え、物事を理解する知能もある程度持ち合わせている。
短い幼児期を経て瞬く間に成長し、教わらずとも本能で戦う術を会得し、容易く魔術を操って見せる。
更には悪魔が持つ最大の特徴である、魔核をも受け継いでいるのだ。
〈魔核……?核?〉
〈そうだ。精神と魂だけの精神生命体の、言わば心臓のようなものだ。
悪魔の魂が不滅だと言ったのは、魔核によって眠りと復活を繰り返すからだ〉
悪魔のみならず、精霊にも魔核があり、彼らの精神と魂はそれにより守られる。
例え魔核だけとなってもそれが壊されない限り星に還ることはなく、暫しの眠りについた後にまた復活を果たすと言う。
しかもこの時に、別の器に宿って存続する事も出来る。
『魔剣』とは、地上で肉体を失った悪魔や魔人の魔核が、武器を器として生まれたものなのだ。
クラルヴァインもそうやって生まれた、魔剣の一振りだ。
はじめは剣ごとこの岩窟神殿に封印されたのだが、その影響で眠りと覚醒の狭間を行き来していたところに、“奴”が現れたと言う。
〈“奴”の事は正直はっきりと覚えていなくてなぁ。ただ器だった剣を壊され、何らかの方法で魔剣としての力を奪われたのだ。
そのせいで俺の魔核は一部が欠けた上、魂まで欠けてしまった。全く忌々しい事だ〉
などと言ってはいるが、黒靄改めクラルヴァインの口調も様子も穏やかだった。
普通なら魔核が欠けた時に守りを失い、エレオスの理に従って消滅するはずだったが、この場所のお蔭で免れたらしい。
〈この神殿にはいくつもの封印術式と結界が施されていてな。まぁそれ自体は俺と言う魔剣を封印し、容易に破られないためのものだが…。
そのお陰か、この魂の寝所内に限り完全に“エレオス”から切り離された空間になっていたらしい。
それでこうして今も消えずに生き残っているわけだ〉
“奴”もここまでは気付かなかったのだろう、小癪な上に詰めが甘い奴だ。
そう付け足して、クラルヴァインはふははははと笑った。
一方的に力を奪われた事への怒りはあるようだが、それに捕われて憎悪を抱いてはいないらしい。
封印されてから凡そ500年以上経過しているし、そんなに長い年月恨み言を考えていても疲れるだけ。
何より飽きた。彼はそうあっさりと宣った。
〈じゃあ、僕が消えずにこうして話していられるのも、ここの結界のお陰って事か〉
〈そういう事だ〉
〈それでここから出たら消えちゃうわけな。
なんだよやっぱ詰んでんじゃん。せっかく転生したのに生まれて即引きこもりなんて……イヤすぎる…〉
よよよ…、と嘆きたい気分なのに、白靄状態ではそれも出来ない。
今今この世界で生きるのだと決めたばかりなのに、これではそれも叶わない。
その上、更なる厳しい現実を叩きつけられた。
〈封印自体も長い年月が経過して弱まっている上、魔剣の力を求めて封印を解こうと、度々人間によって術式が弄られたせいか綻び始めている。
このままだと後数十年も持たんだろうなぁ……〉
〈追い討ち!?容赦ないねシャドウさん(確定)!〉
〈ヒトの話は最後まで聞け。後確定するな、俺は認めんぞ!〉
わがままだなー、などと続ければいいから話を聞けと念を押される。
不機嫌そうに揺れる白靄に、クラルヴァインは一つ提案がある、と続けた。
〈このまま消滅を待つ、と言うのも俺としても少々業腹でな。俺も外に出られるものなら出たいのだ。
そこで、“それ”を我々の器として使うと言うのはどうだ?〉
“それ”と告げて、クラルヴァインの右手が白靄の背後を指差しする。
その指し示された方角は、白靄の認識が及ばない位置だったようだ。
改めて確認しようと、白靄の意識が黒靄が指す場所へと向く。
そこにあったのは、二体の美しくも精巧な人形だった。
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