第一章:世界の理
〈まぁ良い。人魂と言うのも間違いではないし…。厳密に言えば別物ではあるがな〉
黒靄の腕を組んだ肩が、盛大にストンと落ちる。
『やれやれ』と言いたげに溜め息でも吐いたのだろうが、息そのものは出ていなかった。
〈あれ?違うの?つーかここどこ?何でボクこんな所にいるんだ?大体あんた何者?ここで何してんの?
てかここ何なの?しゃべってないのに何で会話成立してんの?てかボクなんでこんな状態なんだ?〉
〈待て待てまてマテ!多いっ、質問が多いっ。矢継ぎ早に質問を並べ立てるな一度に答えられるかッ〉
白靄の口を閉じさせるように、黒靄の手がビシッと突き出される。
だって考えるの後にしろっつったじゃん。
と、ぶすくれた調子で続ければ、黒靄はこめかみを押さえるような動きで項垂れた。
この黒靄、白靄が覚醒する前からここにいて、白靄を見ていた節がある。
そして白靄の思考を中断させたのも“彼”なのだ。
尽きぬ疑問に答える義務くらいはある筈である。
さらにそう続ければ、“彼”は躯の靄を不安定に揺らしながらも、手をパタパタと振る。
了承の意味を込めた仕種と見た。
〈あー、まず会話が成立している件についてだが、先程も言った通り、これは『念話』だ〉
念話、所謂テレパシーみたいなものかと考えれば、そんなものだと簡潔に言われる。
ただし白靄はまだ念の送受信が出来ていないから、黒靄が思念を送り付け、読み取る事で会話を成立させているらしい。
なかなかに器用な御仁…幽霊さんである。
〈だからゴーストの類いではないと言っとろーが!〉
あらやだ聞こえてたよ。
躯があったら目を反らして舌をちょろっと出して『てへぺろ』くらいしていたかもしれない。
しかし、黒靄に思考を読まれているのは本当の事なのだと理解し、先を促した。
〈そんなら、あんた一体何なのさ?〉
何か遠い昔に似たようなフレーズを聞いた事あるなー、とか考えつつ問うと、黒靄は無言で何事かを思案し始めた。
〈その前に一つ訊くが、お前自分がこの世界に生まれて間もない生命だと、自覚はあるか?〉
〈質問に質問で返すなよ〉
〈良いから答えろ〉
ピシャリと返されて、唯我独尊コノヤロウッ、と読まれている事を前提で呟く。
それに対する突っ込みも反論もないのは、自覚していると言う事か…。
〈………………………………〉
無言の圧力来た。表情のないのっぺり顔の黒スケだから怖い。
仕方ないなとばかりに、問われた事を真剣に考えてみる。
覚えているのは目覚める前の、あのぽわぽわした浮遊感と安心感。
“誰か”との会話、そして黄昏に染まった海。
それより先の記憶を辿ろうとして、ガラスを叩く激しい雨が見えた。そして一瞬後には、その全てが白い光に包まれ………。
記憶はそこで途切れていた。
────あぁ、そうか。ボクは……。
唐突に思い出す。そして思い至った。
〈────やはり、『転生者』か。自我の芽生えが早いからそうだろうとは思ったが………〉
こちらの思考を読み取った黒靄も、同じ結論に至ったらしい。
〈でも『前』の記憶殆ど思い出せないんだけど…〉
ゆらゆらと白靄が不安そうに揺れる。躯があったらその表情を困惑げに歪めていただろう。
白靄の言葉に、黒靄も「ふむ」と腕を組み直し首を傾げた。
〈恐らく記憶ではなく、意識が前世から引き継がれたのだろう。この世界、エレオスでは転生者自体珍しいのだが、更に稀な存在だな、お前は〉
〈ふぅ〜〜ん〉
〈ふーんってお前、それだけか?〉
いかにも無感動無関心と言った様子の白靄に、呆れを多分に含ませて呟くと、黒靄は大仰に肩を落として見せた。
そう言われて呆れられても、どう反応を返せば良いのか解らず困ってしまう。
前世の意識を持って生まれたとはいえ、記憶がなければ意味がないように思う。
また、躯もなく自らの意思で思う通りに動けないのでは、これもまた意味がない。
今は黒靄の念話のお陰で意思疏通も出来ているが、彼がいなければそれも叶わないだろう。
手足がなくては身振り手振りで、伝える事も出来ないのだ。
これでは生まれたての赤ん坊と同じ……。
否、寧ろ赤ん坊より未熟なのではなかろうか。
そう思うと生まれの稀少性など、然したる意味はないのだと思った。
〈そう言ってしまっては元も子もないが……、まぁ良かろう〉
白靄のどこか淡白な考えを読み取ったのか、黒靄は若干腑に落ちない様子を見せつつも理解はしたようだった。
〈てか、転生者ってそんな珍しいもんなの?人の魂は輪廻する、とか言われたりするけど?〉
〈リンネ…?魂が…なんだ?どうなると?聞いた事もないが…〉
〈あれ?そうなの?〉
表情のないまま首を傾げる黒靄の意外な返答に、白靄が困惑げに揺れた。
輪廻とは、人の魂がまた別の生命体に生まれ変わる事。
故に魂は不滅のもので、その因果もまた流転している、という考えだ。
そんな話をどこで聞いたのかは解らなかったか、掻い摘んで説明すればまたもや意外な言葉が返ってきた。
〈やはり聞いた事もない話だな。不滅の魂とは悪魔や精霊の事か?〉
その上更に突拍子もない言葉が出てきた。
そういう事じゃなくてと返しながら、内心で精霊だの悪魔だの空想の存在だろと溢す。
しかしその声も読まれたのか、黒靄が訝るように揺れた。
〈まぁ、奴らは殆ど物質界…地上に現れんし、基本不干渉だからそう思うのは無理ないだろうが…。
やはりそんな生命循環の理は聞いた事がないな。
エレオスでは死した命はその全てが“星核"へと還って“マナ”となり、新たな命として構築される。
これがエレオスの“理”だ〉
そんな下りから教えられたのは、己が生まれ落ちた世界“エレオス”の創世神話だった。
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初めは『虚無』だった。
途方もなく続く『虚無』の世界。
限りなく広がる無の空間に、やがて小さな命が生まれた。
それは世界の中枢、礎、根源。純然たる命の原初。
其は“星核”。深く尊き慈悲により、虚無を生命で満たした世の“理”。
星核は生命を産み出した。
それは全ての生命の源となる“マナ”である。
マナで満たされた世界に、やがて精霊が生まれた。其は星核の申し子達。
8体の精霊によって世界は生命に溢れ、虚無は泡沫に消えた。
美しき生命が満ち、『生き』始めた世界。
なれど、生命はやがて燃え果つ。
“死”は嘆きを生み悲しみを広げ、悲しみはやがて澱みとなりて魂を穢す。
穢れた魂はただ堕ちて、其はやがて悪魔となった。
悪魔は精霊と相反し、更なる澱みを植え付ける。
澱みは更なる死を招き、更なる御霊が堕ちていく。
やがて、星核は更なる理を築く。
其は生命循環の理である。
生命は全てが循環する。
血肉は朽ちて地に還り、精神は浄化されて天へと還り、魂は拡散して星へと還る。
その全ては星核へと還りマナとなり、やがて新たな生命となる。
生命は巡る、世界と共に。
世界を『生かす』ため、星核はマナを生み、マナは生命となる
世界を『虚無』に還さぬために。
これが、“エレオス”の成り立ち。
覆される事無き“理”なり。
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〈つまり、この世界のありとあらゆる生命は、死を迎えると精神と魂が肉体から離れて拡散し、星核へと還りそこで浄化を受ける。
浄化を受けた魂は生前の記憶を全て洗い流され、分解されてマナへと変換されるのだ〉
〈そして新しい魂…つーか命は、そのマナから生まれて来る……て事?〉
〈そうだ。だからこの世界にはリンネテンセイという考えはない。
極稀に浄化作用が甘く、前世の記憶を持って生まれる者もいるが、本当に稀だし、記憶も極一部や断片でしかない〉
お前もそうだろう?と問われて、頷く代わりに小さく「うん」と返した。
その上成長するにつれて、前世の記憶は徐々に薄れていくもの。
しかし中には、前世の記憶と共に力も受け継いで生まれて来る者もいるらしい。
そう言った者達を、便宜上『転生者』と言うのである。
〈だが、意識を引き継いだケースはこの俺ですら聞いた事がない。
己がどれ程稀有な存在か、これで解っただろう?〉
〈とりあえず転生しましたー、何て言いふらさない方が良いって事は理解しました〉
そんな事言ったら頭のイタイ子だと思われてしまう。
と、付け足して言えば、黒靄からは呆れのお言葉を頂いてしまった。解せぬ。
〈何か違う気はするが、まぁその認識で間違いないだろう。
生まれがどうであれ、お前もこのエレオスの理の元に生まれた命に変わりはないのだからな〉
黒靄にそう言われた途端、何かが己の中でストンと落ちる。
これまでどこか曖昧だった己の存在が、より強くこの世界に馴染み始めたような、そんな気がした。
正直なところ、何故自分が『転生』したのかは解らない。
前世の記憶だって殆ど覚えていないし、前世の自分が何者だったのかも解らない。
性別すら思い出せないのだ。
それどころか、これから先前世の事を思い出せる確証もない。
寧ろ、今覚えている僅かな記憶すら、忘れてしまう可能性の方が高い。
それは前世の意識を引き継いで生まれた己にとって、『自分自身』が失われていくようなもので、どうしても不安定になる。
しかし、何の因果か己はこの世界に、新たな命を与えられて生まれ落ちた。
それならば、この世界に生きる一つの命、一人の生命体として、この世界で生きていくしかない。
────そうだ。“生き”なきゃいけないんだ。
生きて、生まれた理由を、生きる意味を見つける。
その答えを探しながら、生きるんだ……。
そう決意を固めると、今にも消えそうに揺れていた白靄から、美しくも力強い輝きが発せられ始める。
それは、生きようとする、何よりも純粋な意思であり、何よりも強い意志の輝き…。
それを見つめ、意思を読み取った黒靄は、どこか満足げに頷く。
相変わらずそののっぺり顔に表情はないが、どこか微笑んでいるようにも見えた。