閑話:真名と羈絆と記憶
ちょっとした補足的お話です。
「そー言えば、ちょっと気になったんだけど…」
岩窟神殿へと拠点を移すため早速準備に取り掛かって数分後、思い出したというようにノアが口を開いた。
移動の準備、と言っても別段この廃墟から持ち出す物など無いし、テントなどの夜営設備を広げていたわけでもない。
例の悪逆冒険者少女、イルザがどこに潜んでいるとも知れず、下手に痕跡を残して居場所を探られ、追跡されたのでは何とも面倒。
これで拠点とする神殿にまで押し掛けられようものなら、正に面倒の上塗りである。
これは流石に御免被りたい。
そんな訳で、この場に一時とは言え滞在した痕跡を消すため、その作業中なのである。
と言っても、その作業で廃村内をあちこち走り回っているのは、「何でもするから」と泣き付いて同行許可を得た階段トリオだ。
特に男二人は、率先して走り回った。
無論そこには姐さんによる理不尽としか言い様の無い指示もあったのだが…。
紫呉も昨夜この場で火を焚いたので、その後を消す作業に入っている。
そう言えば木造の建物内で火を焚いて良いのか、と疑問が湧いたが、その答えが床にあった。
ノア、アーク、紫呉の三人で使った椅子の中央には、床の上に術式が描かれていた。
それは世間一般で言うところの“日常魔術”と呼ばれる魔術の基礎中の基礎で、こうして焚き火をしたり飲み水を出すなど日常的に使う術である。
その術式を床に描いて使用すると、薪を使わずとも火を焚く事が出来る。
その上魔術による炎は使い手次第で、特定のものを燃やさないよう調整出来るのだと言う。
今回は床板…つまり木材を燃やさないよう、術式を調整したらしい。
実に便利なものである。
話を戻そう。
「何がだ?」
ノアの言葉に全員が手を止め、隣で手持ち無沙汰そうにしているアークに問われる。
紫呉と階段トリオが作業を進める中、二体の憑依人形は大人しくお座りして彼らの作業を見つめていた。
それと言うのも、痕跡をチマチマ消すのを面倒がったアークが、どうせ廃村だからと焼き払おうとしたためだ。
いくら燃やすのを調整可能と言ってもそれは流石に大事になるから、と紫呉が宥めノアから座って待機を言い渡されたのである。
「うん。真名って魂に刻まれた“個”を表す名前、なんだよね?」
相変わらず躯の動きはぎこちなく、ノアの頭は言い終わると同時に横に傾いた。
「そうだな。だから真名を持つ事で、より“個”が世界に定着して魂も安定する。
魂の強さも増すし、自己……つまり心や精神も強化されるが、…それがどうした?」
そう淡々と答えたアークの動きは、人形のままでも滑らかで、小さな両腕を組んでノアを見る。
ノアの顔は、今度はゆっくりと上を見上げた。
「うん。で、その真名を他人に知られると、魂を掌握されるようなもので、強制的に隷属させられる、…だったよね?」
「場合によっては、な。ただ他者に知られた程度では、大した問題にはならんが…」
「だからと言って、あまり放置できる問題でもないな」
珍しく矢継ぎ早質問ではないノアの問いに、アークは腕の次に胡座を組み、紫呉が引き継ぐ形で会話に加わる。
真名を知られる、というのは言い方は悪いが、操者のいない操り人形のような状態である。
否、自らの意思で動ける以上、この段階ではまだ“人形”ではないだろう。
しかし、真名を知る者…操者が意思をもって糸を操れば、たちまち操り人形になってしまう。
そういう状態である。
更に悪い状態になれば、自らの意思まで操られる事もあるため、他者に真名を知られるのはエレオスでは最大の屈辱と言って良い。
「うん。でさ、ボクら、羈絆構築の時、普通に真名を名乗ったよね?」
「羈絆構築には互いの真名を把握する必要があったからな」
それも言葉に、この場合言霊にして相手に渡さねばならないから、声に出す必要があった。
そうすることで耳にした真名はより明確に、己の魂に刻み込まれるのだ。
しかし、今問題視しているのはそこではなく、アークはノアが何を確認したいのかに気付く。
そしてそれは紫呉も同じだったようで、二人は揃って同じ方角に目を向けた。
…否、睨み付けた。
「「ひぃっ!?」」
「な、何ですかっ!?」
その視線の先にいたのは、どうみても床を掃き掃除している階段トリオだった。
一応床に残った足跡やらを掻き消しているのだが、普通に掃除しているようにしか見えない。
そんな三人はいきなりアーク達に睨まれて、躯を跳ねさせていた。
「……貴様ら、俺達の話をどこから聞いていた?」
「は、はい?どこからって、姫さんが気になったんだけど、って言った…」
「今の話じゃない。いつラトニスからここに来て、俺達の話を聞いていたのかと訊いているんだ」
つまり、モロに羈絆の構築について話していた時の事だ。
話しに集中していたので、階段トリオが入ってきた事に三人共気付いていなかった。
が、記憶が確かなら彼らは、その頃にはもうここに来ていた筈…。
「えーっと、し、紫呉の兄さんが姫さんに頼みがあるって、跪いた、辺りから………です」
話の流れから事の重大さに気付いたのか、代表したエイダがしどろもどろと答える。
二体の美しくも愛らしい人形が寄り添ってお座りしている姿に身悶える余裕など、今の彼女にはない。
何しろ彼女達はその儀式、羈絆構築と真名の授与を目撃していたのだから…。
「つまり、貴様ら三人は俺達の真名を聞いた、と言う事だな」
「「「いや、その、え〜〜〜〜〜〜っとお……」」」
進めていた作業の手を止めたまま、三人は揃って意味を為さない言葉を零した。
その表情は揃って青白くなって脂汗を流しており、一番の下っ端であると自覚しているヤンなんかはすでに涙目になっている。
自分達が何人、…何十人束になってかかっても敵わない実力者二人が、明確な憤りを剥き出しにして睨み付けているのだから、それも無理からぬ事だ。
言ってしまえばノア達が階段トリオの存在に気付く事なく事を進めたのが原因なのだが、空気を読んで席を外す事なく事の成り行きを見ていた彼らも彼らである。
三人は針の筵のような視線と空気に堪えきれず、即座に頭を垂れた。
「「「す、すみませんっした──────────────!!」」」
ずさーっと、前方に滑り込んでからの、頭擦り付け土下座。
見たまんま、シンクロしまくったスライディング土下座と、派手に額をぶつけたらしい三つの鈍い音を前にして、憤っていたアークと紫呉も毒気を抜かれてしまった。
「他、確かにあたしら姫さん達の真名聞いちゃいました!
でも一回しか聞いてないから正確に何て覚えてないし!
第一あたしらが姫さんや旦那達をどうこうしようなんて、そんな事微塵も考えませんって!!」
エイダの必死の弁解に同意するように、スヴェンとヤンの頭が鞭打ちにでもなりそうな程勢い良く上下する。
確かに少々複雑な韻律を含む真名は、一回聞いた程度では正確に覚えられない事もあるだろう。
しかし、それで楽観視出来ないのが、真名が個人に与える影響力なのだ。
…とは言え、ヤバイんじゃないの?と若干ハラハラしているノアを他所に、アークと紫呉は言う程に気にしてはいなかった。
「まぁ、こいつらの事など信用していないが、大した問題ではないだろうな」
「確かに」
階段トリオにとって非常に辛辣な物言いで紫呉が言うと、アークもそれに即同意する。
そこは少しでも信用して欲しいです、とは切実に思ったが、階段トリオは涙を飲んでその言葉を押し込めた。
まだまだ、紫呉の彼らに対する評価は、底辺を漂っているのである。
「真名を用いて隷属させようとすれば、必ず術式が必要になる。
歴とした呪術だからな」
「隷属の…呪術…?」
「うむ。“隷従の契約紋”という呪術でな。
この術式を真名に刻む事で従属させるのだ」
呪術とは、術式によって相手を何らかの形で縛り付ける、文字通りの呪いである。
先刻話題に上がった“生命繋ぐ呪の言”も、この中に分類されている。
その中でも真名や魂に直接作用する呪術は高位術であり、尚且つ強力で容易に解呪出来ない難解な術式である。
前例を話すとすれば、魔剣になる前のアーク、殺戮人形を殺した悪魔将校が上げられる。
悪魔、と一口に言っても人類同様細かく種族が存在し、そこには明確なる階級がある。
悪魔の血を引くアークでもその詳細は知らないが、少なくとも例の悪魔将校は相応に上位階級だった筈だ。
そんな悪魔将校が“魔王”とは言え、己より下級種族である魔族の側近に甘んじていたのは、全てその呪術に起因する。
どういう経緯で悪魔の住む世界…魔界から物質界に来て受肉し、魔王の下に辿り着いたのか解らないし、知りたくもないし知る必要もない。
しかし、彼の悪魔将校は名を与えられる際に“隷従の契約紋”を施されたのだ。
これに対抗するには術者を上回る精神力でもって、呪縛を跳ね除けるしかない。
しかし、魔剣となったアークに、己で作り上げた魔剣クラルヴァインを御しきれず喰われてしまう程度だった悪魔では、それも出来ず。
結果、魔王の側近として隷属する事になったのだ。
裏を返せば、“隷従の契約紋”は、成功すればそれだけ強力な呪となるのである。
当然、魔術としては“生命繋ぐ呪の言”同様高ランクに位置している。
「あー、じゃあ絶対使えないね!」
「天地がひっくり返っても無理だな」
「いや、世の理が変わっても無理だろ」
「その通りだけどそこまで言う───────!?」
アハハハハ…、何て爽やかさまで纏って笑い合うノア達の言葉に、エイダはそれ以上言い返す術もなく頽れた。
掃除した床に涙の池が出来つつあり、突っ伏した姐さんの姿に下僕二人も狼狽える。
同意出来てしまうだけに、どうにもフォローの言葉が出て来なかった。
「それに羈絆による繋がりは、その手の呪の効果を跳ね除ける力を持っている。
俺達の魂は羈絆に守られていると言って良い」
羈絆は複数人の魂を真名に刻んだ魂名によって繋ぎ、何乗にもその強さを増すものである。
互いが互いに支え合い補い合い、力を与え合い守り合う、堅固なる鎖。
それが意に染まない外部からの干渉を除外するのだ。
その為、真名を知られても大した問題にはならないのである。
「……とは言え、こいつらに真名を知られている、と言う状況を放置しておくのは、業腹だな」
「「「ひぃっ!?」」」
再び漂い始めたアークの不穏なオーラに、階段トリオは一塊になって震え上がった。
この世のものとは思えぬ程美しく、表情のない人形の冷たい美貌が返って恐ろしい。
血潮の如き深紅の瞳が、怪しく煌めいてすら見えた。
本気で怖い。
「…………………人間って、何発殴れば記憶が飛ぶかな…」
「う〜ん…。極限に怖い思いさせた後に強いショックを与える…とか?」
「やはりここは後頭部をしこたまぶつけて記憶障害を…」
「「「ごめんなさいすみませんもうしません何もしません忘れますつか聞き取れませんでしたいえ聞こえませんでした聞いてませんでした!!」」」
先程の爽やかさがおどろしいものへと変わり、妙に真剣な口調で話される内容を聞いて、階段トリオは再び床に頭を擦り付けた。
実際、本当に覚えていなかったのだが、心底怖かったのか三人はこの一連の流れを忘れるよう本気で勤めたと言う。
後日、この一件の解決策として三人は自分達もアークに真名を捧げようと提案した。
あるいは自分達も羈絆に加われば、問題は完全に解決。
その上、仲間と認められて旅にも同行も出来る。
と目論んだのだが、一蹴どころか崖から突き落とすかのように、容赦なく切り捨てられた。
曰く、
「は?そんなもん要らんわ。大体貴様ら程度の脆弱な魂で羈絆が構築できる筈がないだろう?
身の程を弁えろ」
誰が言ったかは言わずもがなである。
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