第一章:拓榴石の羈絆
「本気……なのだろうな、その顔は。だが、本当にいいのか?」
「そ、そうだよ!配下云々はともかく、羈絆って一生涯ついて回るものみたいだし、そんなあっさり決めていい事じゃ…」
最初に復帰したのはアークだった。
紫呉の真剣そのものな顔を見て、その本気を読み取ったのだが確認せざるを得ない。
そして直後に復活したノアも、戸惑い全開で再確認する。
内心では、自分達の旅に紫呉がついてきてくれたらいいな、とは思っていた。
アークとそれなりに渡り合える実力は当然の事ながら、何より紫呉は旅慣れているのだ。
ノアは言わすもがなだし、アークは長らく俗世から切り離されてきた。
言ってしまえばどちらも世間知らずなのだ。
旅慣れた同行者がいると、非常に心強い。
とは言え、羈絆の構築に巻き込むかどうかは別問題だ。
本来羈絆は、仲間同士の結び付きを明確にするために行われる契約である。
しかし、ノアが羈絆を築く最大の目的は、自力で器を動かせない程未熟なノアの魂を補うためだ。
はっきり言って個人的な理由なので、そんな事に紫呉の一生を縛るのは許容出来なかった。
しかし、紫呉の決意は固かった。
「最初に貴方を見つけた時から、俺の気持ちは決まっています。
元々俺は主となり得る者を求めて、旅をしていたようなものですから」
「そう言えば、鬼人族は主を持ち、その者のために己が力を振るう事を信条とする種族だったか…。
しかし、お前は里長となるべく見識を広めるために、旅に出ていたのではなかったか?」
「確かに里長である父からは、見識を広めよと言われ、旅に出されました。
しかし、親父殿は俺の意志を組んで、旅に出させてくれた…。そんな風に思うのです。
…まぁ、俺の考えすぎかも知れませんが…」
そう自嘲するように告げて、紫呉は小さく笑った。
「紫呉がそれで納得してるんなら、ボクらとしてはありがたいよ?
旅慣れてる人がいるのは心強いし」
でしょ?と確認するようにアークに問えば、アークは無言のままだったが静かに小さく頷く。
勝手に決めつけたようなものだが、特に文句もないようだ。
そしてノアから了承の意味にも取れる言葉を聞けた紫呉は、その端整な顔に安堵を浮かべる。
それと同時に、喜色を表したような笑みも浮かべていた。
「でもまたなんでアークじゃなくてボクなの?
主とかそういう話なら、ボクよりアークの方が適任だと思うんだけど…」
生まれて間もない上、魂は欠けて未熟。
その上まともに動けず、ちょっと前までは言葉を話す事も出来なかったのだ。
人の助けなくしてまともに生きられないような自分が、上位種だと言う鬼人族の…と言う以前に、誰かの主になる。
なんと言うか、とてもおこがましいような、そんな感じがするのだ。
そう話したら、少し卑屈になり過ぎじゃないか、とアークに呆れられた。
「卑屈な物言いは嫌いと言ったのは誰だ?」
「うん、ボクだね。でも今のは事実だしー。本心だもん」
ふいっ、と視線を反らす事など出来ないので、『つーん』何て言葉に出して言ってみる。
なんだそれは、と呆れられたが、突っ込みは無視しておいた。
確かにちょっと卑屈だったかなーとは思ったが、声には出さないでおいた。
「無論、忠誠を誓えと言われれば誓います。
ただ俺は、貴方のその魂の強さに惹かれたのです。何より、その美しさにも…」
「はぇっ!?」
茶化す事も出来ない真摯な表情と声で断言され、面食らったノアは驚きの余り変な声が出た。
その真剣な表情と声音から、言葉の全てが本心であるのだと解る。
真剣であるが故に、告げられた言葉には破壊力がありすぎた。
生身だったら間違いなく赤面している。
そんな妙な自身があった。
何だがすごく恥ずかしい。
しかも横でアークが納得したと言うように小さく頷いていて、余計に羞恥心が刺激された。
「じ、自覚ないんですが、その辺…!
つか、魂欠けてんのに強いとか、何か矛盾してる気がするんだが…」
若干照れが混じった声音だったが、気を取り直して思った事を口にする。
魂が欠けていると言う自覚もないのだが、現時点で弊害が生じているので自覚せざるを得ない。
しかし、ノアの意見が意外だったのか、紫呉はキョトンとした様子で目を見開き、アークは呆れを顔に浮かべた。
「そうやって自覚していないところが並外れていると言うんだ。
普通魂が欠けていたら自我も意識もとっくに崩壊しとるぞ?」
「うえっ!まじ!?人形…つーか器に入ってても?」
「入ってても、だ」
アークにきっぱりと言われて、今さらながらちょっぴり怖くなった。
無意識にへし折っていた死亡フラグに、後で気付いたような気分である。
分かりやすく言うなら、通り過ぎたところに上から植木鉢が落下してきたような、そんな感覚だ。
「魂の強さと言うのは大きさには比例しない。
その存在感、意志の強さ、そこに芯があるか否か…。それにより魂は輝きを増し、それが強さと比例するわけだな。
魂の強さは、そのまま心身…精神と肉体の強さとも比例する。
とりあえずお前の魂は、本来の三分の一にも満たないのに自我を持ち確固たる意志もあり、物事を記憶出来て尚且つ『心』に大きな不備を感じていない。
十分強靭だと言えるな」
普通だったら最悪消滅していたと言われ、今更ながらその事実に安堵と感謝を抱く。
説明されてもいまいち解らないが。
しかし、そうなるとアークも並外れた強さの魂を持っている事になる。
それは何となく納得出来た。
「うぅ…。でもボク、主とか配下とかいまいちピンと来ないって言うか…」
「まぁ、普通はそうだろうな。
俺も配下を持つ事に然程重きを置いている訳でもないし、旅仲間のリーダーになった、と言う程度に認識していれば良いのではないか?」
そこまで難しく考える必要はないだろうと言われ、アークの意見には紫呉も同意するように頷く。
アークのような認識で構わないらしい。
とりあえず“魂が美しい”なる、こっぱずかしい言葉は、この際スルーしておいた。
「んー…紫呉がそれで納得してるんならボクとしてもありがたいし、旅の仲間に加わってもらう事に異論はないかな。
あー、でも主従とか忠誠とか、そういう堅苦しいの苦手だから敬語とかもなるべくなしの方向で…」
苦手と言うよりはむず痒く感じる、といった方が正しいか…。
それを苦手と言うのかも知れないが、その辺も紫呉に異論はないようだ。
ノアの申し出に、二つ返事で頷いた。
「それで、真名を授けるって言うのは?
紫呉は真名がない、って事?」
「あぁ。俺の一族、風雷一族の古くからの習わしでな。
特別な理由がない限り、真名はつけないようにしているんだ」
敬語なしで、と言うノアの言葉に従って口調を戻した紫呉は、椅子に座り直してそう告げた。
風雷一族は紫呉のような鬼人族を中心とし、複数の種族からなる戦闘部族である。
アーリアス大森林の南に集落を築き、基本的には森から、延いては里から出ず生涯を過ごすと言う。
しかしそれは彼ら種族に限った事ではなく、亜人種の中には他種族と一切交流しない者達もいると言う。
例えば鷲の翼を背に持つ、鳥人鷲族。
風雷一族が生活する里にも、一族の一幹部種族として生息している。
しかし本来は中央大陸北方、軍事国家シンティラにある針のように険しい山、シシリィ山脈に里を作り暮らしていると言う。
シシリィ山脈は切り立った岸壁や深い渓谷が人の侵入を阻む地であり、それこそ地を歩かねば移動出来ない種には、正に死の山と言っていい。
しかし、空を飛ぶ手段を持つ種族、取り分け鷲族のように身体能力に優れた種には関係のない事。
まず人が訪れる事のない死の山で、彼らは他種族と一切の交流を絶ち、山を降りる事なく生涯を過ごすのだという。
そして、鬼人族も元はそう言った種族の一つだそうだ。
鬼人族が、と言うよりは風雷一族も、と言った方が正しいか。
そう言った種族程、特に真名を必要としない傾向にあるらしい。
時として真名とは、魂を縛るものとなるからだ。
「しかし、羈絆を構築するとなると真名はどうしても必要になる。
そう言う訳だからノア、考えてやれ。ついでに羈絆の名もな」
「ってそんな簡単に!?何かこういう事、ボクばっか考えてない!?」
「気のせいだ」
ノアの抗議の声は、アークの短い言葉に一蹴される。
その上素知らぬ顔でフイッと視線も反らされる。
軽くイラッとしながらも、まぁいいか、と気を取り直す事にした。
今一度、本当に自分で良いのかとノアが問うと、紫呉は清々しい程迷いのない笑顔で『もちろん』と告げた。
その迷いの無さにノアも紫呉の本気を垣間見て、それならと考え始める。
といっても、羈絆の名…魂名と言うらしいが、こちらはもう思い付いている。
自分達を象徴とする意味のある言葉…。
そう聞いて脳裏に浮かんだのは、その言葉だけだった。
「────ガーネット。ボクらの器になってる人形の、瞳の色」
ノアとアーク、二人の器に共通している、彩。
それだけでなく、血潮のように鮮やかで澄んだ赤が惹き付けて止まない宝石に、ノア自身、強い思い入れがあったような気がするのだ。
今一つはっきりしないのは、それが前世から続く意識に根付いている事だからだろうか。
その辺りの事は特に口にしなかったが、提案した言葉に対する異論はないようだった。
「拓榴石の羈絆、か。…まぁ、悪くはない」
何て事をアークは言っていたが、その声音からは不満は感じ取れない。
気に入ってくれたものと、勝手に解釈させてもらった。
「それで?羈絆の構築ってどうやんの?」
契約術、と言っていたから何か特別な儀式的なものが必要なのかと思ったが、そうでもないらしい。
真名を受け取った時と同じように、ただ定めた魂名を受け入れ、真名に加えれば良いだけ。
随分と簡単に思えるが、魂の弱い者がこれをやると魂名の負荷に耐えられず、魂が傷付く事があると言う。
これ以上魂がどうにかなるのは嫌だなぁ、と内心怖々としながらノアは言われた通りに実行した。
「我が名はアーク。
アーク・シュヴァルツリッター・クラルヴァイン=ガーネット」
椅子から飛び降りるような形で立ち上がったアークは、動けないノアの目の前に立つとそう宣言する。
ノアもそれに続いた。
「ボクの名はノア・エレオノーラ・ゼーレヴァイス=ガーネット」
アークに習う形で告げると、胸の奥…正確には魂の奥深くで“何か”がほわっと暖かくなる。
それは真名を受けた時と比べようもない程の安定感をノアに与える。
強大な“何か”に欠けた魂が守られているような、空っぽに近い魂が満たされていくような、そんな感覚だった。
そして何より、これまで真名によって繋がっていたものが、より強固に感じられるようになった。
どうやら成功したらしい。
「完了だ。次は紫呉に真名と魂名を与えてやれ」
羈絆の構築が無事に完了したのを確認すると、アークはそう言って紫呉に場を譲る。
紫呉は改めてノアの前に跪くと、神妙な表情で頭を垂れた。
「良いけど、真名って俗名入れなきゃダメだったりする?」
「そんな制約はないな。普通は真名をつけて、そこから俗名を付けるからな」
むしろ俗名と真名が全く異なる韻である方が良い事もある、とも言われる。
それなら、と思い浮かんだ“名”を告げた。
「────ケラウノス・イオン=グラナティス。これが、ボクから紫呉に送る真名だよ」
イオンは紫の色を表し、ケラウノスは雷を意味する。
そしてグラナティスはガーネットと同じ意味を持つ言葉だ。
紫は紫呉の名と瞳の色から、雷は彼が雷を操っていたところから取ったのだが、どうかな?と聞いてみる。
すると紫呉は感極まったような様子で、ノアに告げられた名を反芻した。
「異論などありません。
その名、魂名と共に確かに戴命致します!」
そう喜色を全面に押し出すような勢いでそう宣言すると、紫呉は跪いたまま深々と頭を下げる。
方膝を着き、右の拳も地に着けて頭を垂れるその姿は、正に臣下と呼ぶに相応しく、椅子に座ったままのノアが傅かれた姫のようにも見える。
…女ではないけれども。
「真名を得ると言うのが、これ程満ち足りた事だとは思っても見なかった。
俺の願いを聞き入れて戴き、感謝の言葉もございません。
この上は戴いた真名に恥じぬよう、精進致します!」
そんなに畏まらなくても…とは思ったが、これは所謂形式的なものなのだそうだ。
少々気恥ずかしいが、常の事ではないからと言われ、それならと甘んじ受け入れる。
何やら随分と大仰な事を言われたが、考えた真名は紫呉のお気に召したらしい。
「うん。ボクとしても紫呉が仲間に入ってくれるのは嬉しいし。
色々頼りにすると思うけど、これからよろしく!」
気楽にね、とも付け足しつつ改めて挨拶すると、紫呉は実に清々しくかつ爽やかな微笑を浮かべて頷いた。
どうやら紫呉とも無事に羈絆を構築出来たようで、先程よりもさらに魂が安定したように感じる。
暖かいものが、魂の繋がりから力強い“何か”が、自分の中に流れ込んでくるのが解った。
“それ”が何なのかははっきりした事は解らないが、暖かなそれは優しく自身の魂を包み込み守ってくれているようだった。
「さて。無事羈絆の構築が完了した訳だが、状況はどうだ?」
ちょっと動かしてみろ、とアークに軽く言われ思わず戸惑う。
そんな今いまやったばっかりですぐに動けるようになるとか…、と内心で思いながらもこれまで何度も試みた事をもう一度やってみる。
本来の“自分”は、最初に目にした小さく淡い白靄だ。
それが人形と言う器…、箱に入っているようなもの。
何となくだが、自身を纏う自身の一部である白靄が、人形内部を満たしていく状態をイメージしてみた。
その白靄が己の神経であるようなイメージ。
そしてそれが、人形全体に浸透するようなイメージを、集中して頭の中でこねくり回す。
そして、試しに右腕を動かしてみた。
すると、自分自身でもこれまで全く認識出来なかった右腕の感触が解るようになる。
結果、ノアの小さな右手がゆっくりと持ち上がった。
ギシギシとぎこちない感じではあるが、これまでピクリともしなかった腕は確かに挙手をするように上がっていった。
「おぁっ!!」
思わずノアから歓喜の声が上がる。
確認しようと顔を動かしたら、これも問題なく動いて視界が変わる。
これまで完全に固定されていた風景が、首の動きに合わせて流れていく。
もちろん動かせるのはそれだけではない。
顔を動かさず目だけを動かせば、視界の中で焦点が移動する。
持ち上げた右腕を下ろして首を正面に向けると、今度は両手を顔の前にかざしてみた。
目の前にあるのは、己の躯となった人形の小さく白い手だ。
球体関節で肘や手首、膝、腰などを自由に曲げて、様々なポーズを取らせる事が可能な人形だが、指にまでそれはない。
人間の指のような間接もシワもなく、つるりとした滑らかで柔らかそうな子供の手。
爪先は淡く桃色に色付いて、心持ちふっくらして見える。
その指も、一本一本が独立した形で、自分の意思に従って動く。
しばらく己の躯を色々と動かしてみて、ゆっくりと躯があった時の感覚を思い出していく。
そうすると、躯の奥底からゆっくりじわじわと、歓喜が湧き上がってきた。
「動く……!ちゃんと動くよ────!ちょっとぎこちないけど」
動かせてるよね?とアークと紫呉に確かめてみれば、二人からも動いてるとお墨付きをもらえた。
これで漸く自ら地に足を付けて歩けるのだと思うと感無量だった。
人形なのだし運んでもらうのも悪くはないし楽ではあるが、やはり動けるなら自分の力で動きたいし、自力で移動したいのだ。
では早速、と台のような椅子から降りて歩いてみようと思う。
大人には小さいが、幼児サイズのノアには大きい椅子から、ノアはそろりそろりと足を下ろし始める。
その様子は、まさしく動き回れるようになった赤子が、高いところから降りようとする姿にしか見えない。
ノアに跪いた体勢のまま様子を窺うっていた紫呉が手を貸すべきか否かピクピク反応し、その傍らに立つアークも若干ハラハラした様子で見守っている。
そんな二人を尻目に、ノアはえっちらおっちらと椅子から降り、何とか落ちる事なく地に足をつけた。
二人が同時にほっとしたのは言うまでもない。
人形用の靴底を通して、固い床の感触を足裏に感じる。
漸く自らの足で地に立つ事が出来て、何やら感慨深い想いが胸中を占めた。
しかし、歓喜に打ち震えられたのは、ここまでだった。
「にゃわっ!?」
地に足を着けて歩き出そうと力を入れた瞬間、膝から力が抜けてカクンと折れる。
体勢が崩れた勢いのまま、ノアの躯が前のめりに傾いた。
「危ないっ!!」
咄嗟に叫んで手を伸ばしたのは紫呉だった。
いつでも手を貸せるよう心構えをしていたのが功を奏し、紫呉はノアの躯が床に頭から倒れる前に抱き止める事に成功した。
それと同時にアークも人形の小さな両手を前に出して、傾いた躯を支える。
結果、二人に同時に躯を支えられる事態となり、ややあって三人同時に安堵の溜め息を吐いた。
「何をやっとるんだ」
そう言ったアークの言葉には呆れが込められていたが、その声音には明確な安堵も込められていた。
紫呉の手を借りて躯を支えつつ、何とか自力で立とうとする。
そこまでは良いのだが、そこから歩き出そうとすると上手く膝に力が入らない。
足元が覚束ないと言う程度なら良いが、どうにも踏ん張りが効かないのだ。
その結果、よろよろと上体が定まらず、一歩も進まぬ内にまたバランスが崩れて転んでしまう。
当然それも、傍らに控えて膝を付いていた紫呉に支えられた。
「大丈夫か?」
今度は後ろのめりに倒れたノアの小さな躯を、紫呉が背中を片手で支える。
上から覗き込むように紫呉が様子を窺えば、人形の表情は変わらないものの、ふて腐れたように半眼になっていた。
折角動けるようになったと言うのに思い通りに歩けず、憤懣やる方なし、と言った心境か。
紫呉に支えられたまま、ノアは右手をゆっくり挙げた。
「隊長ー、歩けませーん」
「誰が隊長だ、誰が」
「この場合アークだろ?」
「そーゆー事じゃないだろ!!」
真面目に返すな、とまで突っ込まれ紫呉は小さく苦笑った。
その様子を見たアークは、やれやれとばかりに溜め息を零した。
一方ノアはふて腐れた半眼のまま、紫呉の手を借りて立ち上がる。
その手を片手で掴んでバランスをとろうとするも、それさえもままならないように躯がふらついていた。
自力で立つ事もままならないと解り、表情のない人形の顔が憮然として見える。
結局ノアは半歩も歩けぬまま、椅子の上に逆戻りする羽目になった。
「お前は言わば“生まれたて”だからな。
意識を“前”から引き継いでいるからその自覚がないのだろうが、お前の魂そのものの経験は殆どないも同然だ。
生まれて間もない赤ん坊がまともに動けないのと、まぁ同じ理由だ」
「経験……そうか、うん、経験は、ない……ね。…うん」
アークの例えは実に解りやすく、哀しいがまさにその通りだと納得する。
経験値0の未熟な魂が肉体を得たところで、いきなりしゃきしゃき歩き回れるようになる筈もない。
人間に限らず、亜人種や魔人族だとて生まれて数時間で動き回れるようになるのは無理だ。
…とまで言われてしまえば、「そうだよね」と納得せざるを得ない。
しかし、次の言葉を聞いて奮起した。
「とは言え初めからそれだけ動けるのなら、練習すれば普通に動き回る分なら支障はなくなるだろう」
「練習かぁ…。そうだよなぁ。何事も練習や訓練って必要だしね。
そうと決めたなら頑張んないと…!」
目指せ自立行動!リハビリ頑張るぞー、と小さな手をキュッと握ってやる気を見せるノア。
リハビリってなんだ?と首を傾げつつノアの様子を見て、アークは人形の双眸を笑むように細めた。
────まったく…。どんな状況下でも腐る事も魂を濁らせる事がないから、お前の魂はどこまでも高潔で美しく、そして強いと言うんだ。
何て事は、何となく照れ臭いので、心に秘めておく事にしたアークであった。
「そういう事なら、どこかもう少し腰を落ち着けられる場所に拠点を移す方が良いんじゃないか?
ここは廃墟で何もないし、流石に一日二日では無理だろう?」
最後にそう問われて、それは流石に厳しそうだと小さく頷く。
動かせるようになった、とは言え通常の動作ですら動きがぎこちないのだ。
動かそうとしてから数秒後にその意思が伝達し、ようやっと躯が動くのだ。
その上動きも若干軋んでいるかのように緩慢で、決して満足のいく動きではなかった。
そして何より、捨てられ忘れ去られて随分立つだろう廃村を拠点とするのは、何となく遠慮したかった。
「ふむ。別の拠点か…。俺達がいた神殿でも良いが、あそこも何もないと言えば何もないし…。
俺とノアは食事の必要がないから寝床さえあれば良いが、お前はそうはいかないだろう」
そう言われてみれば、この器に入ってもう一日以上経過しているのに、空腹と言うものを感じない。
魂が宿っていると言っても人形の中身は変わらず空っぽだ。
生身の生き物のような胃もないし、食物を食べたいと言う欲求もない。
楽だなと思う反面寂しいと思ったのは、前世の意識や感覚が残っているからかも知れない。
「そう…だな。二、三日なら平気なんだが、それ以上はちょっときついな。
やはり拠点にするならこの近くにあるラトニスの街が…」
森の近くにある街と聞いて、ノアの魂がドキリと震える。
ラトニスと言う名に聞き覚えはないが、思い浮かんだのは例の悪徳商人に連れていかれた街だった。
そしてアークは街の名に聞き覚えがあったらしい。
待ったをかけるように右手が浮いた直後、聞きなれない声が届いた。
「今はラトニスに行くのは止めておいた方がよろしいですわ!アークの旦那!!」
無理矢理臭い上品さと生来の粗暴さとが混じり合う事なく、不快に同居したかのような女の声。
突然降って湧いたかのような女の忠告に、三人は不意を突かれたように後ろを振り返った。
最も、ノアは二人から数秒遅れて、だったが。
振り返った先にあったのは、今現在拠点としている民家の玄関と思しき入り口だった。
だが、木製の引き戸の前には三人の男女が並んで立っていた。
その中央に立つ女が一歩、前に出ている。
彼女が三人の中のリーダー的立場なのだろう、その風体は妙にド派手だった。
その後ろには二人の男が、控えるように立っている。
右側には灰色の髪と犬の耳、尻尾を持つ長身の男だ。
獣人族と呼ばれる亜人なのだろう、男の尾はどこか不安げに足の間で揺れていた。
左側にはずんぐりむっくりとした、背の低い男がいる。
鈍いモスグリーンの髪に青い三白眼の、恐らく背の高い小人族と言ったところか。
やたらと重そうな斧を背に帯びているから、肌が白いドワーフと言う可能性も捨て切れない。
男二人は妙に不安そうな表情でこちらを見つめており、女からもどこか必死さを感じ取れる。
何かを訴えるような目で見てくる冒険者風の三人を見て、ノア達の目が怪訝で半眼になった。
その目が如実に語っていた。
「…こいつら、誰だっけ?」……と。
「ちょっとアークの旦那!?あたしらの事本気で忘れてやしませんか!?
折角色々情報持って来たのに、あんまりじゃないですか!!」
「そっちの白い姫さん助け出すのに協力したじゃないッスか!!忘れないで欲しいッス!!てか、おいら達も仲間に入れて欲しいッス!!」
「や、俺らが原因で姫さんが拐われたんだから、その責任取らされただけだろ…。
あぁ、でも忘れ去られんのは流石に辛いな…」
三人もノア達の心の声に気付けたのか、あんまりだ、と言いたげに喚き散らす。
ただ一人犬耳の獣人だけが、二人の言葉に突っ込むようにポツポツと零していた。
反面、抗議を受けたアークはと言うと、暫し三人を見つめて本気で首を傾げている。
しかし、ややあって「あぁ」と言うように顔を上げた。
それに引き摺られる形で紫呉も「あぁ」と言う顔をして、思い出した直後にはその双眸に鋭さが増した。
ただ一人、ノアだけがゆっくりと首を傾けていった。
「何だ、階段共か。もう用はないし帰って良いぞ」
「て言うかまだいたのか」
どうでも良い、と言いたげな口調で追い払うように手を払うアークに、続いた紫呉の声音は呆れと共に冷気も孕んでいる。
そして首を傾げたノアはと言うと…。
「………………誰だっけ?」
首をこてんと傾けたままぽつりと、しかしはっきりと告げたのである。
その声には本気の響きがあり、忘れ去られた三人はその場に頽れた。
「そ、そりゃあたしら姫さんとは直接話してないから仕方ないって解るけどそりゃないよぉ!」
「そ、それ以前にまともに接していないから当然っちゃ当然なんだろうけど…。あんな説教しといて……」
「ひどいッスよ~~~~~~~ぉ…」
埃の目立つ床に膝をつけて嘆く件の三人、……階段トリオは各々嘆きの言葉を零した。
しかし、当のノアからすれば「そんなこと言われても…」と言う心境である。
しかしよくよく見れば、確かに昨夜あの場にやって来ていた三人だと気付いた。
だからと言ってノアの階段トリオに対する意見は、アーク達と同じである。
早い話が「そういえばいたね、こんな人達」程度の認識だ。
彼らは泣いていいと思う。ウザイけど。
「んな事より、その“姫さん”って、まさかボクの事?何で姫呼び?」
つーか誰が姫だ、とまで付け足せば、嘆くのをやめた三人は今度は少し照れたような様子で紫呉を見た。
何故かもじもじとした様子の女性…エイダの表情で、どこかの御夫人方を思い出してちょっと気持ち悪かった。
「いや、だってねぇ。さっきの儀式みたいの見たら、そうとしか見えなくて…」
「さっきの?」
「儀式?」
若干興奮しているかのように頬を紅潮させたエイダは放置して、ノア達は揃って首を傾げる。
美しくも愛らしい人形二体が、揃って首を傾げる様を見たエイダが脇目も憚らず、
「天使があたしの目の前に…!」
とか悶えていたが、これも当然無視した。
これには流石の下僕二人も、嫌そうに引いている。
獣人の男…スヴェンに至っては、いつもの口癖を零していた。
「…貴様等いつからそこにいた?」
「え?そこの鬼人の兄さんが姫さんに頼みがある、って言った辺りからですけど?」
「おいら達、ただいま戻りましたー、って声掛けたんスけど…」
両手で頬を包んで悶えているエイダを放置して、二人はアークの問いに答える。
小人族もどき…ヤンの説明が尻すぼみになり、問いの形で途切れる。
それは間違いなくスヴェンの返答を聞いたノア達が、目配せしている内容に気付いてしまったからだ。
彼らの目は、「気付いた?」「いや、全然」とばかりに会話しており、知ってしまった事実にスヴェン達は再び嘆いた。
無視されていたのではなく、気付いてすらいなかったのか、…と。
「まぁ、そんな事はどうでもいい。それよりラトニスにいかない方がいいとは、どういう意味だ?」
ノア達に対するものとは全く異なる冷たい声音と表情で、嘆き続ける三人組に紫呉が問う。
その瞳は『寄らば斬る』と告げた時同様の冷気を孕んでおり、三人はほぼ当時に竦み上がった。
紫呉が三人に対して冷徹に接しているのは、事の成り行きをアークから聞いているからである。
彼ら三人が強欲にも遺跡を荒し、我が物顔で憑依人形達を私物化し神殿外に持ち出した。
それだけが一連の事件の原因とまでは言わないが、二体が離ればなれとなる切っ掛けを作ったのは間違いないのだ。
紫呉が階段トリオに冷たいのは、その辺りが原因である。
しかし、その考えを“多少”改める事実も、階段トリオからもたらされた。
「紫呉。ノアを連れ去った商人と言うのが、確かラトニスと言う街にいたはずだ。名は…なんだったか」
「バルトレッティ、だよ」
「あぁ、それだ、それ」
アークの呟くような疑問に、ノアが淡々とした口調で答える。
出来る事なら、その名は二度と聞きたくないし、思い出したくもなかった。
「でも、あの悪徳商人、憲兵に捕まってたし、問題ないとおもうんだけど…?」
今のノアにとって、人間や商人がたくさんいる街に入るのは、精神的によろしい事とは言えない。
その上、あの街には人形のノアを欲しがって裏取引した貴族が、少なくとも三人はいるのだ。
街を拠点にして万が一、あの御夫人やお嬢様方に見られでもしたら、何をされるか…。
売れと交渉に来るならまだましだろう。
貴族と言う権力を振りかざして強引に奪い取ろうとしたり。
裏で人を雇って盗ませたり。
最悪所有者──この場合紫呉──を秘密利に殺して奪う、何て強行手段を取る事も有り得る。
…否、確実にそういう手を取るだろう、それくらい平気でやりそうな連中だった。
無論、紫呉やアークがそこらの人間に遅れを取るとは思えない。
しかし、リハビリが何日かかるか解らない以上、ずっと付け狙われるのは嫌だし、二人にずっと緊張状態を強いるのも気が引ける。
バルトレッティは無事捕まったが、そこから芋づる式に貴族まで逮捕されるとも思えない。
所謂とかげの尻尾切りみたいなものか。
貴族達にとってすれば、一介の商人が捕まったところで何とも思わないだろう。
馴染みの店がなくなった、その程度だ。
もちろん、バルトレッティから悪辣貴族も芋づる式に捕まれば万々歳だが、それは高望みしすぎだと思う。
もっと最悪なパターンは、バルトレッティが貴族の権力やら金の力を利用して、罪を軽くしてあっさり出てくる事。
その可能性は無きにしも非ず、といったところである意味一番勘弁して欲しい展開である。
「もしかして、罪軽くしてもう出てきてる、何て事…?」
「あぁ、いやいやいや、それは流石にありませんよ。今はまだ事情聴取の段階だし。
ただあの悪徳商人、そん時に姫さんの事話したみたいなんですよ。『人形を盗まれた!!』……ってな具合に」
思わす怯えた様子でそう問えば、若干慌てた様子でスヴェンが説明する。
彼が慌てたのは、ノアの背後に控える形で座る紫呉の視線が、より鋭さを増したためである。
とりあえず、スヴェンはとばっちりである。
紫呉は既に主至上主義になっているらしく、スヴェンの話で出てきたバルトレッティの物言いにご立腹のようだった。
その後、アークから詳しく話せと促され、スヴェンは犬耳をへたれされたまま気を取り直して集めてきた情報を話し始めた。
因みに、姐さんはちょこちょこと動く人形を見つめては頬を紅潮させて、未だに悶えている。
とりあえず気持ち悪いので無視、で満場一致して話を進める事にした。




