第一章:事態収集はお説教の後で
〈~~~~~~~~~~~~~っ!!いい加減に………っ〉
「───────いー加減にしなっさ─────────いっ!!」
突如、激しい戦闘音に支配された森の中に、可憐な少女のような、あるいは凛とした少年のような、涼やかな声が木霊した。
限りなく怒気を孕んだその声は、半ば目的を忘れていた者達に、冷静さを取り戻させる。
それにより壮絶な戦いを繰り広げていた二人は、鍔迫り合いの最中に我に返った。
それは戦闘の余波から必死に逃げ惑っていた階段トリオも同様で、茂みから顔を出してポカンとする。
一瞬にして静寂が戻った森だったが、それはすぐさま鳴りを潜めてしまった。
「あんたらねぇ!人が何度もやめろっつってんのに何無視してバトルってんだこら!大体お互いに言葉で意思疏通出来るんだから、まずはそこからでしょーが!!」
怒号の一喝の勢いそのままに、静かになった森にお説教の声が響く。
果たしてそんなに何度もやめろと言っていただろうか?
…とか思ってはいけない。
無駄と解っていても言っていたのだと思って欲しい。
叱られた形の二人はゆっくりと剣を下ろすと、半ば呆けたように顔を見合わせる。
ノアのお叱りもご最もなので、何となく気まずくなっていた。
しかし、今は気を取り直して状況を再確認するべきか、とアークは持っていた大剣を地面に突き立てる。
それは戦闘終了の意思表示となったが、相棒のお説教はそれだけでは終わらなかった。
「大体ねぇ!アークが問答無用で初対面の相手に斬りかかるから事態がややこしくなったんでしょーが!!
その挙げ句がバトルに熱中って何考えてんだ!?戦闘狂かおのれは!!」
「あー、いや、久方ぶりの骨のある相手に我を忘れたのは認めるが、俺とてお前を探してだな…」
「だまらっしゃい!いくら相手を泥棒と勘違いしてたからって、いきなり背後から斬りかかるとか、礼儀以前の問題だろ!!
例の悪魔将校と似たような事すんな!!」
「うぐっ!!」
問答無用。
それこそ反論も言い訳も認めない、とばかりに更に叱り付けるノアの声に、アークは痛いところを突かれたと呻く。
あの悪魔将校と同じと言われてはショックはでかく、それでも憮然とした表情で押し黙った。
一方の紫呉は、突然始まったお説教にポカンとする。
今まで本気で討ち取ろうとしていた少年と、守ろうとしていた憑依人形を交互に見やって、怪訝そうにしていた。
そこに飛び火する。
「紫呉も守ろうとしてくれた事は有り難いけど、なんの確認もせずに自己完結して決め付けない!事実確認大事!!」
「えっ!?あ、いや……す、すまん…」
まさか自分にまでお説教が飛び火するとは思っていなかったのか、紫呉は不意を突かれて驚く。
しかし、言われた事に納得出来るので、素直に謝罪して苦笑を浮かべた。
確かに今冷静になって考えれば、お互いに会話が噛み合わず、互いが何者なのか確認すらしていなかった。
要反省である。
「それとそこの階段トリオ!!」
「階段!?」
「呼び方が旦那と一緒だし!!」
「てかおいら達もッスか!?」
更に飛び火してきたお説教に、三人は三者三様に驚きの声をあげる。
お説教とは時に理不尽であり、一方的なものでもあるのだ。
当然、ノアのお説教も続いた。
「あんたらが何者かなんて知らないし知る気もないけど、なんか事情知ってんならちゃんとアーク止めなさい!!
何傍観決め込んでんだ!!
大体あんたらがアークに剣渡したりしなけりゃこんな事態に陥ったりしてねぇっつーの!!」
「いや、あたしらじゃ旦那を止めるなんて…」
「た、確かに剣買って渡したのは俺ですけど、それはアークの旦那に頼まれたからで…」
「てか、おいら達にあの戦いの仲裁は無理ッスよ!!こっちが死んぢゃうッス!!」
「言い訳禁止!!」
「「「すんまっせん!!」」」
やはりお説教とは理不尽なもので、言い訳すらさせてもらえない。
すでにアークからお叱りを受けて、冒険者、ならびに大人としての矜持がへし折れていた三人は、青白い顔で勢いよく頭を下げた。
しかし、ノアのお説教はまだまだ続く。
「大体何でアークまで念話の回線閉じてんの!?
それさえなかったらもっと早くに事態も収集してたでしょうに!
つーか戦闘の余波がこっちにまで来て危ないだろ!!
そっちの決着がつく前にこっちが先に壊れるわ!!」
…否、お説教を通り越して最早ただの文句と化している。
しかし、これには流石のアークも、ばつが悪そうに頭をかいた。
戦闘を始める前は座っていた人形が、切り株から転げ落ちて倒れているのだから、言い訳すらできない。
しかし、その表情はどこか釈然としない様子で、反論が許されなかった事に納得いかないらしい。
「反省の色が見えない!」
「それは良いから一旦落ち着け。
大体お前、今普通にしゃべっとるだろうが。
初めからそうしていれば…」
「たった今しゃべれるようになったんだっつーの!!
普通にしゃべれるならボクだって端っからそうして…」
話題をすり替えようとするアークに、ノアはお説教の勢いそのままに声を荒げる。
しかし、己の言葉とアークからの言葉を反芻するように告げると、途中で台詞が途切れた。
「………あれ?ボクしゃべれてる?」
「ガッツリとな。と言うか今気付いたのか、お前」
「…そうみたい」
てへ☆とまで付け足して言えば、その場にいる全員が苦笑混じりに脱力する。
アーク一人だけ、疲れる、と言うように表情を歪めて溜め息を雫していた。
「えー…と、良く解らないんだが、お前はノアの知り合い……で、良いんだよな?」
気を取り直すように、少し戸惑いながら紫呉がアークに訪ねる。
その問い掛ける声音や眼差しからは、先程まであった険はなくなっていた。
それでも得物の大太刀は未だに手に握られているし、睨まれ脅された事が尾を引いているのか、三人組は微妙に紫呉から距離を取っていた。
「知り合いではない。“相棒”だ。対と言っても良いだろうな」
紫呉の問いにさらりと答えながら、アークは同意を求めるようにノアに視線を向ける。
ノアは地面に倒れたまま、そうだねーと返した。
「ってゆーか、その前に起こしてよー。動けないのは変わんないんだし」
全く持って躯は動かせないので、視線は仰向けに倒れたまま生い茂る木々の枝葉と夜空を見つめるばかりだ。
あれだけ喋り倒しているのに微動だにしていないノアに、紫呉が慌てた様子で駆け寄った。
そっと小さな子供を抱き上げるような感覚でノアを抱き起こし、砂埃で若干汚れてしまった服を軽く払う。
そしてノアがちゃんと前を見られるよう、腕に座らせる形で抱き上げた。
「あぁ…、あたしがだっこしたかった…」
等と言う魔術師風の女…エイダのぼやきは、完全にスルーされる。
…と言うより、階段トリオの存在自体、空気として扱いながら三人(二人と一体)は話を進めていった。
「そういえばさっき、離ればなれになってる相棒も憑依人形だ、とか言ってたな。じゃあ、お前も?」
「あぁ。今は人化している。で、この鬼人はお前を女冒険者から盗んだわけではないのか?と言うか、その女冒険者とは何なのだ?悪徳商人がどうとか言っていたが…」
「ストップストップ!ちゃんと順を追って説明するから、矢継ぎ早やめて」
「お前もしょっちゅうやるだろうが」
「やるけどもさ」
そういう問題でもねーっつーの、と呆れつつ、ノアはアークを睨み付ける。
その表情が変わる事はなかったが、アークはそれに気付いているようで、ふんと不敵そうに笑っていた。
ドヤ顔ムカつくとか、意趣返しかこのヤロウ、とか思う事はあったが声には出さず、ただジト目で睨むだけにしておいた。
「とにかく、あの女冒険者は悪人だったん…だよ。それを、紫呉…が……、たす………け…」
「…ノア?」
唐突に言葉が途切れ途切れになり、挙げ句には話すのも億劫そうになる。
突然の変化に訝しんだのは紫呉だけで、アークは事情が解るのか説明を続けようとするノアを制止した。
「話は後で良い。どうせ覚醒してから一度も休眠を取っていないのだろう?
活動限界が来たんだ。今は休め」
「げん……かい……、うん………、眠……い……」
まさにうつらうつらとした舌足らずな声は、眠気を耐える幼子のそれだった。
生身の体だったらこっくりと舟を漕いでいた事だろう。
確かに限界寸前、といった様子だった。
「もう何の心配も要らん。良いから今は寝ておけ」
「んー……なら、もぅ……けんか…、すんな……よ…」
最後にそう呟いて、ノアの意識はゆっくりと眠りの底へと沈んでいく。
やがて、かたりと小さな音がして、人形の目蓋が閉じられた。
人のように呼吸しているわけではないので、寝息などは聞こえてこない。
普通の人間から見れば目を閉じたただの人形だが、アークと紫呉の目には、ノアの魂が穏やかな眠りの揺らぎを揺蕩う様が見えていた。
そして最後に告げられた言葉に、男二人は揃って顔を見合わせる。
アーク達からすれば本気で相手を制圧するつもりで戦っていたのだが、まさかそれを“喧嘩”と称されるとは思っても見なかった。
思わず、といった様子で、紫呉が小さく吹き出した。
「なんと言うか、大物だな、ノアは」
「まぁ、只者でないのは確かだな」
ノアの一言ですっかり和やかな空気になり、紫呉は喉を鳴らして笑み、アークは呆れを多分に含んだ苦笑を浮かべた。
しかしそれはややあって苦悶とも言える表情に変わり、その変化に紫呉も怪訝に眉を潜る。
その直後、アークの涼やかな目も、眠そうにトロリと蕩け出した。
「……すまんが、俺もそろそろ限界の、よう…だ」
途切れ途切れに告げるや否や、アークの躯が白い煙に覆われて見えなくなる。
しかし、人間より何倍も優れた動体視力を持つ紫呉には、アークの躯が縮む瞬間が見えた。
咄嗟に掬い上げる形で空いた腕を伸ばせば、その腕には黒銀の人形が抱かれていた。
「ノアを、助けたと…言うなら、頼み…が、ある。
事…情は、後で話す、から…、俺達が目覚める、まで、守って…くれ。
どーにも、この器は、不逞の輩に、狙われ…やすい、ようなん…でな………」
「ああ。承知した。任せてくれ」
元よりそのつもりだ、とも付け足して紫呉が言えば、アークも安心したのか小さく頷いて目を閉じる。
ノアとは違い本当に寝落ちしたように、人形の首がかくりと傾き、白皙の頬を黒銀の髪がするりと撫でていった。
己の腕の中で眠る二体の憑依人形を見比べて、紫呉は成る程、と納得する。
髪の色が違うだけで瓜二つの人形は、確かに対存在だと言えた。
────一時的に身を隠すなら、あそこが良いか。ここからも近いし。
不意に、紫呉の紫紺の瞳があらぬ方向へと向けられる。
それは森の南の方角で、そちらを見た彼の表情はどこか憂いが浮かんでも見えた。
しかし、すぐにどこか自嘲するような笑みを唇の端に浮かべると、スッと表情を引き締める。
そして一時的な拠点として選んだ場所に移動するべく、歩き出した。
「ちょっ!ちょっと待ちなよ!どこに行こうってんだい!?」
「置いてかないでほしいッスよ!!」
一人さっさと移動を開始した紫呉を慌てて制止しつつ、その後をついてくる者がいた。
静寂に戻った森で一際騒々しく捲し立てる三人組だが、紫呉は特に足を止める事も、一瞥を与える事もせず淡々と言った。
「別に来なくても良いぞ。…と言うか、彼から消えろと言われてなかったか?」
そう言った紫呉の声音には、先程まで敵と見做していたアークに向けていたものと同じくらい、低く冷たいものだった。
そこにあるのは明確なまでの“警戒”であり、言外に『失せろ』と言われたような気がして、男二人がたじろいだ。
一方、忘れ去られていたなど微塵も思っていなかった真ん中の派手な女、エイダだけが一切怯まずに怒鳴り散らした。
「あ、あたしらはアークの旦那についていくって決めてるんだ!!
あんたの指図は受けないよ!ついていくからね!!」
一切足を止めようとしない紫呉の後に続きながら、エイダは本気の剣幕をまとわせてきっぱりと告げる。
他の二人も同意見だと言いたげに力強く頷くが、それが紫呉の視界に収められる事はなかった。
だから、そのアークから消えろと言われたのでは?と考えて少々頭が痛くなったが、どうでも良いかと切り捨てる。
「なら好きにしろ。ただし、何があろうと己で責任を取れよ」
言外に、『何か有事があっても干渉しない。危機に見舞われても助けない』と言う意思を込めて、淡々と告げる。
直後、彼女達の反応を一切見る事なく、その場から走り出した。
「あぁっ!早いッス!!」
「うおっ!?さ、流石鬼人族…」
それはまさに一陣の風…、否、電光の如き速さと言うべきか。
鬱蒼とした森の中だと言うのに、紫呉の長躯は瞬く間に森の奥へと消えてしまった。
“あ”っと言う間もなく置いていかれ、数秒周囲を沈黙が包む。
紫電の如し鬼人が走り去った方角からですら、何の音も聞こえてこなかった。
「じ…、上等じゃないのさ!こちとら一流大魔導師目指して長年冒険者やってんだよ!
こんなところでヘコたれるような、柔な女じゃないよ!!」
「まだ諦めてなかったんスね、それ」
「この程度で諦めてくれてりゃ苦労しねぇよ…」
ホント仕える人間違えたよなぁ、と遠い虚空を見つめつつ、スヴェンとヤンは深々と溜め息を吐く。
それでもパーティーを解消しないのだから、付き合いが良いと言うかなんと言うか…。
「何ぼさっとしてんだいデカ犬!!
とっととあの鬼人の兄さんの匂いを追うんだよ!!」
拳を振り上げて怒鳴っていたエイだが、スヴェンを振り返りつつ前を指し示す。
それは紫呉が走り去った方角であり、指示を受けたスヴェンは“やっぱり俺なのね…”と呟いて項垂れた。
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