第一章:アークVS紫呉
まだまだ戦闘回続きます。
突如乱入してきた黒髪の美少年は、人化したアークだった。
ノアがその事に気づいた直後、激しい剣戟を繰り広げていた二人が、一気に間合いを開けた。
ノアを背に庇うような位置で大太刀を構える紫呉の表情は、アークを警戒して非常に険しい。
見た目の儚さからは想像もつかない程の手練れだと解り、一切の余裕も見られなかった。
反面、少年は大剣を無造作に振り払うと、心底楽しそうな顔でペロリと上唇を舐めた。
紫呉を見つめる深紅の瞳にはもう怒りの色もなく、今は狂喜に近い感情が宿っている。
「クク…ッ、いいな、貴様。あの階段共と比べるまでもなく強いな」
「何の事を言っているかは知らぬが、誉め言葉として受け取っておく」
そう言いつつ、どこか忌々しそうに紫呉はアークを睨む。
子供に上から目線で言われたところで、嬉しくもなければ悔しいだけなのだろう。
しかし、その感情を表に出す事なく、静かに相手を見据えていた。
「丁度良い。まだこの体を慣らし終えておらんのでな。
感覚を取り戻すためにも存分に付き合ってもらうぞ!!」
「何を言って…、チッ!!」
心底から戦いを楽しんでいるかのような少年の様子に、紫呉が忌々しげに舌打ちして迎え撃つ。
再び始まった剣戟は先程より激しく、剣が激突する度に場の空気を震わせた。
その衝撃は凄まじく、周囲の木々もまるで怯えるかのように震える。
そしてその衝撃は後ろにいるノアにも届いており、しっかりとお座りしている人形の体がゆらゆらと揺れていた。
当然それに焦りを覚えるのは、当人であるノアだった。
〈ちょ、あ、あぶっ、危なっ、怖っ!倒れるっ、コケるっ!
本気で危ないってばこら、そこの二人ッつーかアークッ!!
やっと合流できたってのに何でいきなり人に喧嘩売ってんだ!!
紫呉もちょっと落ち着いて良いから話…〉
「一体何が目的で人形を狙う!?あれは貴様が思っているような代物ではないぞ!?」
「それはこちらの台詞だ!悪徳商人か貴族の遣いかは知らんが、渡すわけにはいかん!!」
〈ってお───────い!!良いから人の話を聞い〉
「訳の解らん事を…!貴様は大人しくそいつを返せば良いのだ!そうしたら命は見逃してやる!!」
「戯れ言を!!」
〈聞ーてって!──────はっ!!まさか……〉
何度呼び掛けても何の反応もない、と言う、本日何度目とも解らない状況に、先程聞いた言葉を思い出した。
すなわち、念話の回線についての話を。
〈こいつら揃って回線閉じてる!?
紫呉は苦手だって言ってたから解らないでもないけど、アークまで!?
つかあれホントにアークで良いの!?〉
どうやら双方共戦いに集中(アークは熱中?)していて、念話出来る状態ではないらしい。
そしてこれだけ呼び掛けているのに何の反応もないと言う事に、やはり己には念話は使えないのだと再認識する。
その直後に浮かんだのは、“詰んだ”という三文字の言葉だった。
────やばい。これ本格的にヤバイ。
何とか、この二人止めないと絶対ヤバイ事になる…!
でもどうすれば……。
どう考えても双方共に、お互いを誤解している。
紫呉は先程ノアが話した内容から、アークの事を追っ手だと考えている。
一方のアークも、紫呉を人形を盗んだ罪人だと思い込んでいるらしい。
アークがいきなり斬りかかってきたため、紫呉はそんな誤解をしたのかも知れない。
しかし、何故アークがそんな誤解を抱いたのか…。
そんな疑問の答えとなる存在が、事の起こりから遅れてやってきた。
ノアから見た奥の茂みが不自然に揺れる。
それらを掻き分けながら、半ば転げるように三人分の人影が飛び出してきた。
その三人を見て、ノアは率直に思う。
────あぁ、成る程、階段だ。
…と。
その三人こそ、アークが言っていた『階段共』なのだろう。
横一列に並んだ彼らの特徴は正にその一言に尽きるものだった。
向かって右から、ずんぐりとした子供のような身長の男。
中心にいるのは、いかにも魔術師と言った三角帽子を被った、貴族より装飾の多い女性。
最後に左側にいるのが、頭から犬耳を生やした長身の男。
三人とも武器をその手や背に帯びている事から、冒険者なのだと解る。
そんな三人組…階段トリオは、出てくるや否や途端に騒ぎ始めた。
「旦那!やっと追いつい…って、もう戦ってるし!?」
「あぁ、アークの旦那…。大剣振るう姿も凛々しいですぅ」
「うわぁすげぇッス!あの人、アークの旦那と普通に渡り合ってるッスよ!!」
〈え?何?何かうるさ…。つか何なのあの階段トリオ。
約一名悦に入ってるけど、アークの知り合い?
てかやっぱアークだったか。いやそれ以前に何で旦那?つーか何者?アークとどんな関係!?〉
最早恒例のようにとんとんと疑問が浮かぶ。
しかしそれに答える者はおろか、その声を聞く者すらこの場にはいなかった。
「あっ!人形!!姐さん!あそこに人形があるッス!!」
「あぁ!本当だ!良かった、無事だね!」
「まぁ、あってくんなきゃ匂い追ってた俺の立つ瀬がないんですけどねぇ…」
疲れたー、というようにその場に座り込んだ犬耳男は別として、残り二人の声には聞き覚えがある。
間違いなく紫呉に救出された直後に、茂みから飛び出してきた追っ手二人の声だ。
それは、ノアがまだイルザに捕らわれていた時から森に潜んでいた二人でもあり、悪徳商人や悪辣貴族の手の者ではなかった事になる。
どういう経緯でアークと知り合ったかは解らないが、離れ離れになった自分の事を捜させていたのだろう。
そう考えればアークの誤解にも説明がつく。
────って事は何か?この二人の戦いって全くの無意味!?
これはマズイっ。止めなきゃ本気でマズイ!!
幸い互いの誤解を解けば丸く収まりそうだが、それこそが最大の難問だった。
────あの階段トリオ、アークの協力者っぽいし、事情を話してアークを止めてもらえれば…………いや、無理かも…。
階段トリオのどうにも間の抜けた顔を見て、即座にダメだと途方に暮れる。
あの三人多分、…否、間違いなく念話は使えない。
そう断言できる自信がノアにはあった。
紫呉も、念話が使えないのは人間に限った事ではないと言っていた。
本当に限られた者だけが使える特殊な技能なのだろう。
そんな技能をあの三人が持っているなど、到底思えなかった。
〈やっぱ詰んだ───────────ぁ!!
あーもー、せめて声だけでも出せりゃ一発なのにぃ!
つーかあんたらも傍観決め込んでないで止めろよ!!〉
そんな叫びも、虚しく脳裏を響くだけ。
階段トリオは、目の前で繰り広げられる派手な剣戟に、半ば意識を奪われていた。
「って、姐さん!アークの旦那があの黒マントの注意を引き付けてる間に…」
「あっ!?そ、そうか!今のうちにあの子を連れて来ればいいんッスね!」
「バカっ!声がデカイんだよお前は!
相手に聞こえちまったらどうすんだい!?」
〈いや、あんたの方がでかいよ〉
と突っ込んだところで、聞こえていなければ意味はない。虚しい。
随分とお粗末な階段トリオは、今話した通りにノアを回収しようと動き出す。
しかし、その行動は鋭い紫紺の双眸に見透かされていた。
「─────させるか!!」
「「「ぎゃひいぃぃっ!?」」」
けたたましい音と共に、走り出した三人の足元を狙って紫電が堕ちる。
それは大地を穿ち、彼らの足元を陥没させる程の威力を持った電撃だった。
直撃はしなかったようだが余波は食らったようで、彼らは軽く吹っ飛んだかと思えば揃って地面にひっくり返っている。
そもそも直撃していたら確実に黒焦げだろうから、その程度で済んで幸いだったと言えるが。
「今のは………!?」
紫呉が放った雷撃に驚愕した様子のアークは、紫呉が三人に気を取られた一瞬の隙を突き、大剣を素早く振り上げた。
その速度はこれまでの比ではなかったが、紫呉はそれを紙一重で避ける。
が、その切っ先は薄灰の髪数本と、目深に被っていたフードを切り裂いていた。
僅かな月光が木々の隙間から差し込まれるなか、真二つに避けたフードの下の姿が露になる。
薄灰のサラリとした髪の合間から姿を見せたのは、象牙のように真っ白な、二本の鋭い角だった。
「……やはり、ただの人間ではなかったか…」
得心がいったと言うようにアークが呟くと、階段トリオは揃って喫驚で口をあんぐりさせる。
“人間”ではないと解ってはいたが、その意外な正体にはノアも驚いていた。
「ま、まさか、鬼人族!?」
「マジかよ…。何で鬼人族が候鳥なんて…」
「お、おいら始めてみたッス……」
ぼんやりと呟くように雫された言葉と彼らの様子を見て、紫呉は非常に忌々しげに舌打ちする。
興味津々といった感情がありありと見てとれる目で己を見てくる三人組に、紫呉はその紫紺の双眸をより鋭利にして睨み付けた。
「……ちっ!これだから人間に知られるのは面倒なんだ…」
階段トリオの口ぶりから推測すれば、紫呉のような鬼人族が候鳥として旅の空にあるのは、非常に珍しい事なのだろう。
それどころか、あまり人前に姿を現さない種族なのかも知れない。
意図せず目立ってしまえば、旅先で面倒事に巻き込まれ兼ねない。
それを危惧して、外套を纏いフードで角を隠していたのだ。
どうせ隠すのやめるつもりだったし。
そう小さく、背後にいるノアにだけ聞こえる声で呟くと、紫呉は徐に外套を脱ぎ捨てた。
その下から現れた衣装は、これまで見てきたものとは一風変わったものだった。
左前の交差した藤色の上衣に、白地に紫で縁取られた光沢のある陣羽織。
足元は草履とブーツを合わせたかのような履き物だ。
西洋風の衣装が主流と思しき世界で、和装と言うべき彼の装束もまた珍しいものだった。
────着物だ…。こんなファンタジーな世界で見るなんて思わなかったな…。
そういや“紫呉”って名前も和風っぽいし、**みたいな国もある……──────。
そこまで考えて、ノアの思考が途切れる。
例えに出した国の名前が、何故か出てこなかったのだ。
それは自分にとって、…と言うより“前世の自分”にとって、非常に馴染みのある言葉だった筈なのに。
どうしても、ノイズがかかったように思い出せない。
ノアはそれ以上、考えるのをやめる。
思い出そうとしても無駄なのだと、本能で悟っていた。
外套を脱ぎ捨てた紫呉は、大太刀の構えも変える。
今まで脇に構えていたものを、躯の前に。
大太刀の刃をアークに向け、右足を大きく後ろに引き重心もそちらに乗せ腰を落とした。
それと同時に彼が纏う空気も、更にピンと張り詰めていく。
それは殺気と呼ばれる空気であり、それを感じ取ったアークも、スッと表情を引き締めた。
「フン…。漸く本気を出す気になったか。良いだろう」
そう言って、アークも大剣を振り払うと、重心を低くして剣を構える。
それはアークが初めて見せた構えであり、アークも本気で迎え撃つつもりだと言うこと。
当然、それに難色を示したのはノアだけだった。
〈良いだろう。じゃねぇ────────!!何で更に激化してんだ!?
つーかアークはその剣どっから調達した!?あの三人か!?
あの階段トリオが献上したのか!?だとしたらなんつー余計な事を────ッ!!〉
ノア、当たらずとも遠からず。
献上したと言うより献上させたのだが、そんな事まで知る術はない。
当然のように、ノアの憎々しげな感情も思念も、例の三人には届かない。実に口惜しい。
「それ以上近寄れば、次は当てる」
淡々と、一切の感情も乗せずに、紫呉は三人を睨み据えて冷酷に告げる。
その瞬間、紫呉の大太刀が紫色の光を放出すると、それは紫電となって刀身に宿った。
その眼光は鋭く、自身の言葉が本気なのだと如実に語る。
その目で射竦められた階段トリオは、揃って引き吊った悲鳴を上げていた。
しかし、紫呉は即座に視線を目の前の少年に戻す。
警戒すべきはその少年であって、外野はどうでもいいのだ。
そしてアークの方も、階段トリオにこの場で手伝わせる気など毛頭ないのだろう。
彼らに一瞥も与えず言い放った。
「貴様らは邪魔だ。死にたくなければ下がるか消えるかしろ」
「は、ははははいぃぃぃぃっ!下がります、何もしません、大人しくしてます!!だから殺さないで見捨てないでぇ!!」
二人の本気を間近で感じ取ったのか、中段の女が半泣きで言うと、左右の男達も揃って激しく首を縦に振る。
その顔色も、揃って蒼白になっていた。
階段トリオがバタバタと慌てて茂みに身を隠すのを待たず、アークと紫呉は同時に走り出した。
「おおおっ!!」
「はぁッ!!」
気合いの咆哮と共に、二人同時に各々の武器を振り抜く。
双方の得物は耳を劈くような音と共に交差し、周りを激しく震わせた。
まるで空気そのものが痺れたかのような衝撃は、剣が打ち合わされる度に周囲を震わせる。
時折彼らの顔を照らすように、火花が散った。
両者共、今まで片手で振り回していた得物を両手で持ち、渾身の力で斬撃を繰り出している。
数合打ち合いを繰り返した後、紫呉が間合いを空けつつ大太刀を横に薙ぐ。
アークは上体を後ろに反らす事でそれを紙一重で躱すと、そのまま軽く後退した。
追撃しようと足を一歩踏み出しかけた瞬間、紫呉は常人離れした反射速度で躯の重心を後ろに移動させる。
それと同時に腰を落として身構えた。
一方のアークは後退と同時に反撃の体勢を整えていた。
背面に構えた大剣が青白い光纏っている。
アークは大剣の切っ先を地面に滑らせるように旋回させ、下から上へと斬り上げた。
すると纏わせていた青白い光が、衝撃波となって地を疾走する。
そのまま疾る斬撃が紫呉を襲ったのは、彼が身構えた直後だった。
咄嗟の判断で身構えたのが功を奏したようで、紫呉は大太刀で受け流す事で軌道を逸らす。
しかし、それは逸らした方向が悪かった。
〈ちょ、あぶ──────ッ!!〉
左へと逸れた斬撃は地面を抉りながら、ノアが座る切り株の横をすり抜けていく。
ノア本体には直撃しなかったとはいえ、その衝撃波により人形の上体が大きく揺れた。
しかし、戦いに集中しているらしい二人はそれに気付かず、アークはすかさず返す刀で二撃目を放つ。
紫呉は間合いを詰める事でそれを躱し、左脇から上へと斜めに斬り上げる。
それは振り下ろされた大剣と交差して派手に火花を散らし、その後ろでは標的を失った斬撃が木に激突していた。
…切り株の右横を疾って。
〈にゃ──────────ッ!!〉
それは斬撃の剣風だったのか、衝撃だったのか定かではないが人形を更に揺らし、とうとうバランスを崩して左横に転げ落ちてしまう。
とすっと、それなりの音はしたが、それを掻き消す金属音が森に轟いており、誰にも気付かれる事はなかった。
茂みに隠れた階段トリオも、巻き添えを食らわないよう必死なのだろう。
剣戟に混じって悲鳴のようなものが聞こえた。
「ハハハッ!なかなか強いな!流石は上位種であり、戦闘部族でもある鬼人の武人よ!数百年ぶりに血が騒ぐわ!!」
「ふん!俺をただの鬼人と侮るなよ!」
地面に転げ落ちた事で二人の姿は視界から消えたが、激しい剣戟と会話は聞こえてくる。
その様子に、ノアはある事を確信していた。
────アークの奴…。あれ絶対本来の目的忘れてるな…!?大方約五百年ぶりに手応えのある人との戦いに夢中になってるってトコか!?
殺戮人形は時を経て、戦闘狂になりましたってか!?
今度は名推理、大正解。
確証のない事だが間違いないと確信があり、より一層激化していく戦闘音に焦りと怒りが込み上げてきた。
このまま戦いを放置しておけば、どちらかが戦闘不能内至最悪討ち取られるまで終わらないだろう。
それどころか、その前に自分の器が戦闘の余波で壊されそうだった。
〈あーもー!どーすりゃいにゃ────────────ぁ!!〉
ズガガガガッと地面を抉る音と共に、剣風が斬撃となって飛来してくる。
それは倒れたノアの脇すれすれを通りすぎていき、その衝撃で人形の躯がちょっと浮いた。怖かった。
そしてとうとう、頭の中でプチッ、と音がした。
もっと戦闘シーン上手くなりたいな…。
閲覧ありがとうございました!!