第一章:黒の裁決
続けて本日二話目
「…ふむ。まぁ今の状態ではこれが限度か」
数百年ぶりに得た己の肉体を矯めつ眇めつ見やってから、アークは一応納得したように呟いた。
思ったより早く魔力が人形に馴染み、人化もスムーズに出来た。
不満があるとすれば、見た目が思いの外幼かった事か。
鏡などないので己の姿を客観的に見る事は不可能だが、先程まで怯えていた階段トリオが、今は惚けたように自分を見つめているので、それなりの見目なのだと理解する。
あの人形を媒介としたのだから当然か、と納得。
が、どうせなら生前の…、魔剣となる前の男らしい青年の姿に戻りたいものである。
とはいえ、今となってはそれも無い物ねだり。
今は人と変わらぬ姿をとれたのだ、それで満足しておこうと思った。
「さて」
新たな躯の検分を済ませ、アークは改めて三人組に目を向ける。
見れば見る程間抜け面を晒している連中だが、アークの視線を感じて両サイドの男二人が我に返った。
「に、人形が、人になったっス……!?」
「ゴーストじゃなくて悪魔でも憑いてたってのか!?やっぱただの人形なんかじゃなかったんだよ…!」
育ち過ぎた小人族男と犬族の男は震える声でそう言うと、その顔を青褪めさせつつアークを睨み付ける。
その目には恐怖と明確な敵意が宿っており、こんな目を向けられるのも久方ぶりだと思った。
かつてはただただ鬱陶しいだけだったその目も、数百年ぶりかと思うと妙に懐かしく感じてしまう。
そんな己をおかしなものだと考えたら、知らぬ内に口の端が吊り上がっていたらしい。
「こ、この悪魔め!!姐さんの人形から出て行けぇ!!」
「あ、馬鹿ヤン、待て…っ」
小さく浮かんだ笑みを見て、肯定と勝手に解釈したらしい。
小人族の男が背中の斧を手に持ち、そう叫びながら走り出した。
犬族の男が制止するも、聞こえていないようだ。
勢い良く走り出し、重量のある大きな斧を振り回しながらこちらに突っ込んで来る。
……が、遅い。
重戦士だからか、足が短いからか、とにかく小人族もどきの動きはあくびが出そうな程遅かった。
「悪魔ね。かつてはそう罵られる事が多かったな」
だが、昔も今も、己は“悪魔”ではない。
それに、聞き捨てならない言葉まで聞こえた。
「まぁいい。この躯を慣らすには丁度良いか」
再び、今度は意識して唇に笑みを浮かべ、小人族もどきが振り下ろした斧をするりと躱した。
足は遅くとも重量のある斧を振り回して得た遠心力と、本人が持つ腕力とが合わさり、斧は非常に素早く、且つ重く叩きつけられる。
しかし、アークから見れば力任せなだけの遅い攻撃。
躱すまでもないと思ったが、躯を慣らすためにも動く事にした。
「あれ!?消えたっス!?」
小人族もどきの横をすり抜けるように移動したので、視界から消えたように見えたらしい。
ゆっくり移動したのに消えたように見えたって、…とアークは内心で呆れた。
直後、アークは少し強く地を蹴り、真上に飛び上がる。
その小さな躯は易々と高く飛び上がると、バク転の要領で空を舞う。
その真下を、盾を構えて細剣で突っ込んできた犬族の男が通り抜けていった。
「うえっ!?早っ!!」
空中で一回転して男の背後に着地すると、アークはその手に持った剣を品定めし始める。
その表情は、一目見ただけで嫌そうに歪んだ。
「何だこれは?手入れがなっていない上に粗悪品ではないか。良くこんな鈍を使っていられるな」
「あれ!?俺の剣っ!い、いつの間に!?」
つい先程まで手に持っていた筈の細剣が、目の前の美少年の手に当たり前のように収まっている。
その光景を見た犬族の男は、己の右手と少年を交互に見て狼狽えていた。
「あぁもう!何やってんだいこのグズ共は!!あたしの人形に傷一つつけるんじゃないよ!!」
あっさりあしらわれる仲間を見て、流石に我に返ったらしい。
女もそう口にしつつ、石の嵌まった杖を手に持った。
「行け!“炎の弾丸”!!」
「ッ!」
────詠唱破棄?いや、これは……。
杖の先端から拳大の火球が、勢い良く打ち出される。
それはアークも見覚えのある魔術だったが、発動までの過程が記憶と異なっていた。
勢い良く、といってもアークから見れば犬族の男の突進よりも遅い。
これまで通り軽く移動して火球を避ければ、それは真後ろにいた犬族の男に向かっていった。
「マジかよぉっ!!」
「なっ!?避けるんじゃないよ!!“駆ける空爆”!!」
次に飛んできたのは、圧縮された空気の塊。
後ろで火球に誤爆した男など意に介さず、アークは打ち出されたそれも躱した。
避けられるのだから避けて何が悪い。
「あぎゃあぁっ!!」
今度は小人族もどきに被弾したようで、後ろから潰れた悲鳴と空気が弾ける音が聞こえてきた。
術としてはどちらもレベルの低いものだし、加減でもしているのか威力も随分と低い。
そして詠唱破棄で魔術を起爆出来た理由も、二回見れば判明した。
「成る程。この鬱陶しい程着けられた宝飾品全てに、術式が刻まれているのか。
これがあれば構築式も呪文も不要。考えたものだな」
「なっ、ななななななっ!?」
二度目もあっさり躱され文句を言おうとしたところに、人外の美しさを持つ少年がすぐ傍らに立つ。
術士の女は派手に動揺した。
その顔には彼女が一目惚れした人形の美しい面差しがあり、顔に熱が集中するのを止められない。
一方のアークは、術士が身に着けている大量のアクセサリーに注目する。
とりあえず手近な右手首に嵌まったブレスレットを見るために、その腕を鷲掴んだ。
それが女の動揺を誘発しているのだが、アークの興味はアクセサリーのみに向けられていた。
「ふむ。これは火属性の構築術式か。しかし随分簡略化されているな。
これでは大したレベルの術は使えまい。だからあそこまで威力が低かったのか…?」
術士の腕を掴んだまま、アークはブレスレットを見つめてぶつぶつと呟く。
その表情は感情を見出せないものだったが、その柘榴石の瞳にはありありと興味が宿っている。
千年以上前に生まれた存在とはいえ、そのうちの半分は封印されて世界から完全に隔離されていたのだ。
その間に出来た技術を見れて、知らず知的好奇心が疼いているようだった。
その一方で、追い詰められたのは術士の女である。
何せ相手は人化しているとは言え、一目惚れした人形。
その上ちょっとやそっとではお目にかかれない、絶世と言うべき美少年。
そして、……彼女は美しい男にとことん弱いのである。
そして、この状況を色々な意味で見過ごせない連中がいた。
「この小悪魔〜〜〜〜〜〜ッ!姐さんを離せ〜〜〜〜〜〜ッ!!」
悪魔から何やら可愛らしい罵倒にシフトチェンジしている。
うわ〜〜〜〜〜〜ッ!と声を上げながら、小人族もどきが突っ込んできた。
「つーか剣返せぇぇぇぇぇ!!」
同時に武器を奪われた犬族の男も、盾を正面に構えて突撃して来た。
先程の刺突より勢いに欠けるが、確実にアークを狙ってくる。
丁度左右から挟撃する形で向かってくる二人を、アークは変わらぬ余裕顔で迎え撃つ。
…と言うよりは、面倒くさいと言いたげな顔で二人を見やり、溜め息すら溢した。
相手にするのもそろそろ面倒になったので、アークは半ば投げ捨てるように術士の腕から手を放す。
すると何故か腰が砕けたように、へなへなと座り込んだ。
当然アークがそれを気にかける筈もなく、男二人の攻撃が眼前に迫ってきたところで、再び地を蹴った。
「どへっ!」
「へぶっ!?」
一瞬にして目の前から標的が消えると、突撃して来た二人は止まる事が出来ずに激突する。
がっちん、と言う盾と鎧がぶつかる音と潰れた悲鳴が痛そうに響いた。
「躯を慣らそうにもお前達では役不足が過ぎる。弱いにも程があるだろうに…。それと…」
心底つまらなさそうに言うと、アークはスッと右手を中空に翳した。
するとその手の先に紫色の光で構成された、幾何学模様の陣が出現する。
「俺“達”は貴様の物になった覚えはない。
雷光、穿て、“穿ち落る雷斧”」
「「「あぎゃあぁぁぁぁぁぁぁあ!!」」」
さらりと、淡々と告げられた短い呪文と“起爆言”と言う術名に呼応して、手元の術式陣が紫の光を放つ。
直後、三人の頭上から紫電が雷のように落ち、彼女らを纏めて貫いた。
「…ふむ。この程度の術なら詠唱なしでも問題なさそうだな。
上級術となると、…まだ無理か」
術を発動させた右手を見て、アークは淡々と一人ごちる。
元来、魔術と言うものは発動までのプロセスが少々長い。
呪文の詠唱もそこに含まれ、余程の手練れでなければ、その行程を省略も短縮も出来ないのである。
アークが殺戮人形と恐れられていた頃に彼を最強たらしめたのは、剣の腕のみならず魔術の才に優れていたからだ。
「う゛…ぅう…、お…おいら、生きてる……スか……?」
「尻尾、焦げた…。ヤバ…すぎる、し、……死ぬかと、思った……」
「い、今のは、呪文の………短縮…?あ゛ぁあ…、痺れて、動け…」
一方、そんなアークの術をまともに食らった三人だが、感電してピクピクしているが生きていた。
かなり威力を押さえて発動させたのだから、当然と言えば当然だった。
といっても、この階段トリオの魔術抵抗力が少々低いので、これ程のダメージになったのだがアークは知る由もない。
漸く大人しくなったところで、アークは本題に入った。
「さて貴様ら。貴様らが俺をあの神殿から連れ出したようだが、……どういう経緯で俺の片割れを売り飛ばしたのか、説明してもらおうか?」
地面に転がる三人を見下ろし、アークは尋問を始める。
早く言わないともう一発お見舞いするぞ、と言わんばかりに右手に展開させた術式陣を三人に見せた。
脅しの効果はバッチリ過ぎた。
「「「も……申し訳ありませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁ─────────!」」」
こうして、黒銀の美少年の前で三人の大人が土下座する、と言う光景が出来上がる。
そうして、事の顛末を聞いた結果、「予定が狂いすぎ」と言う発言に繋がったのである。
凸凹階段トリオは、下段をヤン・リーグル、中段をエイダ・ワーズワース、上段がスヴェン・オーバリーと名乗り、遺跡の調査、発掘を主に行う“候鳥”と言った。
“候鳥”とは渡り鳥を表す言葉で、今では世界各地を渡り歩く旅人の事を指す言葉だと言う。
彼女達のような冒険者も、フィールドワーク中の学者も、根無し草の傭兵、行商人、旅芸人一座などを全て纏めてそう呼ぶらしい。
事の発端は、エイダが伝説の魔剣が封印された建物が、アーリアス大森林の奥地にあると言う噂を耳にした事にある。
それは全く信憑性のない噂に過ぎず、殆どの冒険者や学者ですら相手にしていなかった。
…が、その噂は、見事にエイダの琴線を刺激した。
アーリアス大森林近くにある、メティオール王国南端の街ラトニスを拠点に、彼女らは五日をかけて森林内を探索。
見事に森の木々に覆い隠されていた、岩窟神殿を発見した。
噂の建物はここに間違いない。
そう確信し調査を始めたのは良いが、すぐに壁にぶち当たった。
神殿に施された封印である。
「あ、あたし、魔術に関してはからっきしなんだけど、術式の解析とかは得意なんです!!
それで、時間はかかったけど封印術式を解析して…」
「解いて奥まで不法侵入してきた、と言う事か」
「ふほ………っ、ふ、不法侵入…ですよね…、はい、…すみません…」
アークの冷淡な声に言われ、エイダは一瞬吃驚したように声をあげたが、すぐさましょぼーんと肩を落として俯いた。
先程までの威勢やら暴君っぷりは、どこへ行ったと言うのか…。
いくら術式の解析が得意とは言え、一朝一夕で解除できるような封印ではない。
それは封印されていた身である、アークが一番良く解っている。
案の定、エイダが封印術式の解析に要した時間は一月半にも上った。
「もう大変だったんスよ!毎日毎日ラトニスとここを行き来して、時には森の中で野宿したり。
回りの人に気付かれないように、こそこそしたり…」
「その間ギルドのクエスト受けらんなかったし、そのせいで金は尽きるし。
いつ憲兵に怪しまれるんじゃないかとビクビクしっぱなしだったし、さんざんだったんですよ!」
「何だいお前達!?ここぞばかりに文句ばっかり並べ立ててッ!!
お前達だって金目のものあるかもって、嬉々として来てたじゃないのさ!!
隠し部屋のお宝!あたしに黙ってこっそり持ち出してきたろ!?あたしが気付かないとでも思ってたのかい!?」
「ほ───────、あの宝物にも手をつけたのか。実に立派な盗掘者だな」
ぎゃんぎゃん騒ぎ出した三人に、アークの無感情にして冷淡な声が届く。
同時に軽蔑の眼差しを向けられ、三人は即座に額を地面に擦り付けた。
「「「すみませんでした!!」」」
それと同時に、揃って服の中から金貨やらネックレスやら、宝石ごてごての短剣やらブローチやらを、アークの前に差し出す。
なんだかんだ言いながらちゃっかり着服していたスヴェンにヤンが呆れ、アクセサリー系をこっそり持ち出していたエイダに、男二人が呆れる。
そんな三人に向けられたアークの目は、侮蔑に満ちた冷たいものだった。
それはともかくとして、一月半かかって神殿の封印を解除して回った三人は、最後に魂の寝所の封印も解除した。
そして寝所内でアーク達人形と、隠し部屋の宝物を見つけたと言う。
その話を聞いて、アークは涼しい表情の裏で、ノアとの出会いにひっそりと感謝していた。
まさか神殿の封印を全て解こうとする暇人がいるとは思っていなかったのだ。
ノアと出会い、人形と言う器を得られていなかったら、エイダが寝所の封印を解いた時点で己は消滅していただろう。
封印が揺らいでいるようにも感じていたが、その揺らぎはエイダが封印を解除した事で発生したものだったわけだ。
全ての封印が解かれる前に、器を得られたのは正に僥倖だと言えた。
────僥倖……偶然、……本当にそうか?
“偶然”ノアの魂が己の寝所内で転生し。
“偶然”二体の人形も同時に出現し。
“偶然”外部から封印を解除する者が現れ。
“偶然”封印が解かれる前に器を得られた…。
どう考えても出来過ぎている気がする。
『この世に偶然はない。あるのは必然だけ』
ふと脳裏に過ったその言葉は、少し前にノアが言っていたものだ。
そして“あれ”はこの言葉に従って、己との出会いも自身の中途半端な転生も、全て必然なのだと受け止めていた。
全てが必然なのだと受け入れると言うのなら、今の状況も必然だと言うことになる。
そう考えて、アークは額に手を添えた。
こんな面倒な必然、クソ食らえだ、と。
「「「すんまっせん!!もうしません!!」」」
「良いからさっさと続きを話せ」
いい加減息の合った謝罪も、聞き飽きてきた。
若干面倒くさくなりつつ、先を促す。
面倒ではあるが、ここからが重要なのだ。
魂の寝所で人形と宝物を発見した階段トリオは、ほくほく顔で神殿の外に出る。
その時、エイダは“白い子”……ノアの魂が入った白銀の人形を抱っこしていたと言う。
本当は二体一緒に抱っこしたかったらしいが、人形は人間の赤ん坊くらいの大きさがあり、それなりに重さもあった。
そのため二体同時に抱えるのは難しく、渋々白銀の人形だけにし、黒銀…アークの方はスヴェンが抱えた。
この時、ヤンも抱っこしたいと騒いだが、二人に即行で却下された上、アークにもどうでも良いと切り捨てられていた。
そうして神殿を出て暫くした後に、“奴ら”が現れたと言う。
森の奥地だと言うのにやたらとごてごて装飾が施された一人用の小さな馬車が三人の前で停まる。そして御者席から、一人の黒服を来た男が降りてきたのだ。
貴族や大商人の屋敷にいるような黒い服を来た男は、三人の進行を塞ぐように立ち止まる。
そして、威圧感たっぷりにこう宣ったらしい。
「お前達が奥にある遺跡を無許可で調査し荒らした冒険者だな。
捕縛され有罪になりたくなければ、発見した遺産を渡せ」…と。
その時男の後ろに停まっている馬車の中から、一人の男が自分達を観察してしているのに、スヴェンだけが気付いていた。
そしてスヴェンには、その男の顔にも見覚えがあった。
その男が裏で悪どい商売をしていると噂の絶えない商人だと気付き、気付かなかったとしても当然エイダは反発した。
この人形は元々自分の物だ、と100%本気のトーンで。
しかし、男がそんな話を信じる筈もなく、捕えてラトニスの憲兵に突き出すぞ、と脅しをかけつつ、強引に人形を奪っていったのだ。
そしてスヴェンが鞄の中に入れていた宝物も、鞄ごとしっかり奪い取っていく。
その代わりのように放り投げられたのが、コインが入った小袋一つだった。
「貴様らのような小汚ない冒険者にはそれで十分だろう。
遺跡荒しを罪に問われず、金も手に入ったのだ。この私に感謝するが良い」
馬車に乗った男は黒服から奪い取った物を受け取ると、そう言って嘲笑をもくれて去っていった。
この時、アークを抱えていたスヴェンが、咄嗟に人形を背に隠し、荷物を犠牲にしたお陰でアークは無事だった。
…のだが、それを聞いたアークは苦々しい表情で、余計な事を、と呟いた。
己の咄嗟の判断を誉められるかと思いきやまさかの言葉と表情に、スヴェンは犬耳をへたれさせて涙目になった。
ちょっとごつめの大男が涙目になったところで、可愛くもなんともない。
この時アークも一緒に連れ去られていれば、途中で覚醒して商人を盗人として断罪しつつ、ノアも回収して予定通り旅を始められたのに。
更に言うならこの面倒くさい階段トリオとも関わらずに済んだのに…。
アークは苦いものを噛み砕いたような表情で、盛大に舌打ちした。
それを聞いた三人が揃って涙目になったが、そんな事は知ったこっちゃないのである。
「と、とにかく!今話したように、あたしらあの子を売る気なんて毛ほどもなかったんです!!
売るにしたって、あんな成金貴族もどきになんて……あぁ、いやいやいや、そんな気カケラもないです!はい!!」
「奴ら、俺たちが岩窟神殿の中調べてる事知って、張ってたんですよ!出土品奪うために!!
だから売るつもりは……ッ。あの人形…、いやあの子を助け出すのに協力しますんで、何卒お慈悲を…!!」
「何でもやりますから、平にご容赦を〜〜〜!!」
舌打ちしたアークの機嫌をこれ以上損ねないよう、階段トリオはまた額を地面に擦り付けた。
目的のためなら違反も辞さない連中だが、根っからの悪党と言うわけではないらしい。
本当にメンドクサい。
そんな意味を込めて、アークは何度目とも知らない溜め息を吐いた。
「ならば、貴様らにはこうなった責任をしっかり取ってもらうぞ。
あの白い人形は俺と同じ“憑依人形”で、俺の“相棒”なのだ。
その上俺と違い今はまだ動けずしゃべる事も出来ん。魂を見ることの出来ない人間の目には、ただの人形にしか見えんだろう。
そんな状態で人形として誰かに売られてみろ。どうなる事か…」
主にノアの精神が。
アークの言葉を切っ掛けに、三人の表情がゆっくりと蒼白になっていく。
どうやらノアの立場になって考えてみたらしい。
こちらの意思を無視され、“物”として扱われるという事が、どれ程の屈辱であった事か…。
思い出したくもないと、アークは頭を降った。
無論、相手に己の意思が気付かれているかそうでないかで、こちらの感じ方は変わるのだが。
ノアの場合、念話が使える者でなければ、その存在に気付いてもらえないだろう。
覚醒したばかりでは声すら出せないだろうから…。
「そういえば貴様、あいつを連れ去った男に見覚えがあると言っていたな?」
「は、はい!」
じろりと睨み付けて問えば、スヴェンは耳と尻尾をピンと立たせ、背筋も勢い良く伸ばした。
「お、恐らく、いや、間違いなくあれはラトニスの豪商、バルトレッティかと…」
スヴェンはアークの問いに、背筋を伸ばしたまま答える。
エイダとヤンもその名前に聞き覚えがあるようで、嫌そうな表情を浮かべていた。
その表情からは『思い出すのも嫌』という三人の本音すら聞こえて来たが、アークはその形の良い柳眉を怪訝に歪めた。
「誰だそれ」
「えぇ!?知らないんスか!?ラトニスでは有名っスよ?成金貴族もどきの悪徳商人って!」
「知るか。つーかラトニスとかいうところも知らんわ」
どこぞの街だろうとは解るが、少なくともアークの記憶にそんな名前の街はない。
かつてエレンホス大陸は、その全てが魔王領だった。
人類が住まう土地もあったがその大半は魔王軍に滅ぼされ、戦地となった北の地は荒れ果てていた。
戦後、エレンホス大陸も人類の領土になったが、それもアークの記憶には残っていない。
生命が生きていけない不毛の大地。アークの記憶はそこで止まっているのだ。
ましてや、封印された後に出来た街など、知っている筈もない。
…が、エイダ達はアークの正体など聞かされていないので、こちらも知る由もないのである。
「ラトニスと言うのは、メティオール王国最南端にある商業の街ですわ。
バルトレッティはそこで貴族相手に色々とキナ臭い商売をして金を稼いでいる商人で、いずれ金で爵位を買うつもりでいるみたいですわ」
エイダが姿勢を正して、大雑把ながらも分かりやすく説明する。
相変わらずキャラがぶれてる姐さんだが、アークの表情は説明も含めて興味なさげだった。
「まぁそんな事はどうでも良い。そのバル何とかとやらに連れ去られた、という事で間違いないのだな?」
「ま、間違いないっス!!」
一切声の調子が変わらないアークの確認に、ヤンが言い切りスヴェンが何度も頷く。
一方、どうでも良いとすっぱりと切り捨てられたエイダはと言えば、あからさまに凹んでいた。
「居場所が解っているのなら話は早い。
そこのド派手女と小人もどきは、そのバル何とかいう奴の元に赴き動向を探れ。
“あいつ”を売るつもりでいるようなら、何がなんでも阻止しろ」
「ド派手女!?」
「おいら小人族じゃないっスよ〜!!」
スクッと立ち上がって指示を出すと、あんまりな呼称で呼ばれた二人が声を上げた。
しかし、基本的に他人に対して関心や敬意を抱く事のないアークは、端から階段トリオを名前で呼ぶ気はなかったりする。
どうにも面倒くさい事態を引き起こしてくれた彼らに対して、ちょっぴり怒っているのかも知れない。
「そっちの犬はそこの宝物を換金して、得た金で買える一番質の良い武器を買ってこい」
「や、俺確かに犬族だから間違っちゃいないんですけど、なんか、複雑……」
そのものズバリと犬呼ばわりされたスヴェンは、顔も耳も思いきりしょんぼりさせていた。
しかし、スヴェンにとって犬呼ばわりなんて、エイダで慣れっこである。
たかがこの程度でへこたれていては、エイダの従者なんてやっていられない。
スヴェンは気を取り直した。
「それは良いんですが、何の武器ですか?」
「あまり奇抜な物でなければ何でも構わん。ただし、一番質の良いもの、だぞ?
目端の効く者に選ばせるなりしろ」
そう念を押すように告げると、アークはずっと傍らに置いたままだった細剣をスヴェンに投げ渡す。
元魔剣という肩書きが故か、アークなりの拘りがあるらしい。
彼らが所持している武器は、お気に召さないようだ。
方やスヴェンはというと、やっと帰ってきた己の剣を、若干慌てながらキャッチする。
質が悪いと言われた剣でも、スヴェンにしてみれば愛用の武器である。
…と言っても、こっそり持ち出した宝を売って得た金で新調しようと計画していたのだが…。
「言っておくが、ちょろまかすなよ?」
「こ、心得ております!!」
先手を打たれた上に、真紅の瞳にジト目で睨まれ、スヴェンは一人で頭を垂れる。
その為、エイダとヤンから注がれる生暖かい目を見る事はなかった。
「俺は一旦神殿に戻る。何かあったら連絡をいれろ」
「了解しまし……って、連絡ってどうやって…?」
「そんな事は自分で考えろ。さっさと行け、ぐずぐずしていては手遅れにならんとも限らん」
丸投げっスか!?…と言うヤンの言葉と、エイダの今から!?今、夜なんですけど……、と言う声は丸っと無視された。
尚もごねる階段トリオを一睨みして追い払うように出発させると、夜の闇に沈んだ森に静寂が戻ってくる。
先程の戦闘の影響か、或いは長年結界によって閉じられていたためか、神殿周辺では生き物の息吹すら感じ取れなかった。
もっとも、アークにとっては先程の戦闘など運動にすらならない、お遊戯のようなものだったが。
そんな生き物の気配を感じ取れない森の中に、アークが地面を踏み締める音だけが響く。
その足取りは少々遅く、重く感じられた。
ごく僅かな距離を少々時間をかけて歩いて神殿に辿り着くと、アークの秀麗な顔が苦痛に歪んだ。
「……チッ、ここまで、か」
そう忌々しげに呟いた直後、何かが破裂するような音と共に、その躯を白い煙が覆い尽くす。
その煙が晴れた時には、黒銀の美少年は自立する美しい人形に変わっていた。
限界を越える前に人化を解いたアークは、人形に戻った躯を見つめて再び舌打ちする。
人形なのでその表情は儚げで、憂いを帯びたものから変わる事はなかった。
「やはり、今のままでは長時間の人化は無理か…」
いくら人形を媒介にしているとはいえ、“物質”を生身の人間へと変化させているのだ。
魔力の消耗は激しい。
加えて自身で想像していたよりも魔核、…魂が欠損した影響は大きいらしい。
ついでに言えば、普通であれば魂に僅かでも傷が出来れば、意識の崩壊や自己の消失など、『心』に多大な障害が起きる。
ましてや一部だけとはいえ欠損していれば、その影響は命にも及び、大体はそのまま死亡するケースが殆どだ。
アークの、…と言うより憑依人形達の異常さを、理解してもらえるだろうか…。
────真名によりノアと魂を繋いで人形にも馴染みやすくなったとはいえ、やはり早計が過ぎたか…。
この人形と完全に同調するまで、もう少し休眠する必要があるな。
そこまで考えて、情けない事だと自嘲する。
こんな状態では、ノアと交わした約束を守れない、と。
「……いや、元はと言えばあの階段トリオが余計な事をしてくれたからだな」
そう思い直す事で気の持ち様を切り替えたが、同時に沸き上がる何かが急くような落ち着けない感情に、苛立ちを覚える。
早く“相棒”を探し出さなければ、と言う焦りと思い通りに進まず満足に動けない事への苛立ち。
その感情に名を付けるとすれば、それは不安と焦燥。
そしてそれらは、アークが始めて抱いた感情だった。
或いは、目覚めたノアが感じている不安が、真名の繋がりを通して己に伝わっているのかも知れない。
────何にしても、今の段階で無理に動けば、俺の方が限界が来る。あとはあの階段共が上手くやってくれれば……。
寧ろそちらの方が不安である。
しかし、他に手はないので、万が一に備えアークは少し休眠する事にした。
礼拝堂の長椅子をベッド代わりにして横たわる。
相棒を取り戻せばこの不安も消える。
そう信じ、アークはゆっくりと瞼を閉じた。