7 タナトスVSアークグラッジスパイダー
ワサワサと足を動かして突進してくる大蜘蛛さんを、真っ正面から受け止める。
私の足下の地面がくぼみ、全身の骨が悲鳴を上げます。
噛まれることがないように大顎を掴んでいるのですが、そこから漏れ出た液体が私の手の平を焼き焦がします。
全身が痛いです。
泣きそうです。
でも、先ほど蜘蛛の群れがクォーツに襲いかかったときほど恐怖は感じません。
あれに比べれば、この程度の大蜘蛛なんて、どうってことないような気がしてきます。
すみません嘘ですやっぱりちょっぴりだけ怖いです。
「ギィシャァッ!」
私との押し合いに痺れをきらしたのか、大蜘蛛さんが頭を振るい私を打ち上げました。
二十メートルは軽く超えている位置にある天井に叩きつけられる私。
重力に引かれて自由落下し、地面に激突します。
全身がバラバラになったかのような痛みが私を襲います。
死んでいないことが不思議です。
これで気絶しなかったことは、はたして幸運なのか不運なのか。
少し期待をして後方を見ると、クォーツは正座をしてこちらを眺めているだけでした。
介入する気はないみたいです。
この戦い、彼女の助力は期待しない方が良いでしょう。
薄情者め、主が苦しんでいるのに助けようと思わないんですか。
視界が暗くなり、慌てて転がると私が倒れていた場所に大蜘蛛さんの鋭い牙が突き刺さりました。
私が落下してきた衝撃ではヒビすら入らなかった固い地面を軽々と穿つ大顎。
もし避けられていなかったら、私は無事ではいられなかったでしょう。
……もうやだ、魔界に帰りたい。
こんなにも外の世界が危険だなんて聞いていませんよ!?
これなら毎日書類とにらめっこして、たまに偉い人たちと会って、しばしば姉様たちにいじめられる生活の方が何万倍もましですよ!
どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないんですか!?
魔界から逃げ出した罰にしてはあんまりなんじゃないですか!?
そうだ、これもこの大蜘蛛さんが全て悪いんです!
違う気がしますが、というより蜘蛛さん自体はテリトリーに入った者と交戦しているだけでなにも悪くないのですが、そういうことにしておきましょう。
泣き出しそうになる心を怒りでごまかさなきゃ、ここで動けなくなってしまいそうだったから。
それに、悪魔神は代々ワガママで理不尽な者らしいですから。
他人の所為にするくらい、許してくれるでしょう。
むしろ、神である私自身が私を許します。
軋む関節を意志の力で動かし、なんとか立ち上がることができました。
胸の内にある、蜘蛛さんにとって理不尽で不条理な怒りを込めて八つの瞳を睨みつけます。
足を折り曲げ、体を深く沈める大蜘蛛さん。
瞬発力をため込むことで、私が避けられない速さで突っ込んでくるつもりなのでしょう。
その隙に私は、じっくりと蜘蛛さんを観察します。
鋭い爪を持つ八本の足。
その表面は、堅そうな外骨格で覆われています。
しっかりと地面に食い込んでいることから、スパイクのような役割を持つのでしょう。
もし仮に、本体の突進を横に躱すことが出来てもあの足に巻き込まれてしまえば私はその爪で引き裂かれかねないです。
凶悪そうな顔は、足とおなじようなプロテクターで包まれ、まともな攻撃は通じないでしょう。
流石に眼球部は柔らかいでしょうが、そんな高さを攻撃する手段を私は持ち合わせていません。
闇魔法?
あれは精神攻撃を行う魔法なので、蜘蛛には効果が薄いですよ?
でっぷりとした腹は弱点のように見えますが、足をかいくぐりあそこまで到達するのは私には厳しいです。
これはもう、なりふりかまってはいられませんね。
実は、大蜘蛛の攻略法はついさっき思いついていました。
ただ、個人的に非常にやりたくないのと、痛覚無効が仕事をしていないことが不安要素だったので、最後の手段にしようと思ったのです。
意を決して、大蜘蛛さんが飛びかかってくるのを待ちます。
にらみ合うこと数秒、彼(彼女?)は私に飛びかかってきました。
その大きく開いた口に、私は上半身を滑り込ませます。
消化液と毒による焼けるような上半身の痛みと同時に、腰から少し上辺りの背骨に激痛が走ります。
痛い痛い痛い痛いっ!
これ噛まれています!
私からは見えませんが、たぶんこれ背骨が噛みちぎられそうになってますよ!
歯を食いしばり痛みをこらえ、私は真っ直ぐ伸ばした指を、口内の上部へと突き刺します。
蜘蛛の脳は、その体に見合わないほど大きいと見られています。
子蜘蛛では、脳のせいで体がぱんぱんに膨らんだように見えるものもいるそうです。
脳を破壊されて生存できる生物はそう多くありません。
胸部や腹部に神経回路を形成する、怪奇生物G等の生物は頭部の脳を破壊されても行動が可能ですが、一般的な蜘蛛はその限りではありません。
もし、この大蜘蛛さんも、一般的な蜘蛛と同じような体の構造をしているならば、口内から上方に攻撃を仕掛ければ、脳を破壊できるのではないか、と思ったのです。
ちなみに、私たち悪魔のような生命体は、肉体への依存度が上位の個体ほど低くなるので、強い個体は消滅させられない限りそうそう死なないみたいです。
私の場合は今なら多分死にますけどね。
不安要素は、痛覚無効が機能していないので全属性耐性lv,1も機能していないのではないか、ということでした。
仕事しているのかは分かりませんが、酸によって体が溶かされていないのでおそらく多少は効果を発揮しているのではないかと思います。
痛みはあるので、無効化は出来ていないみたいですが。
指先が柔らかな口腔内の粘膜と肉を貫き、グチュリ、と生暖かい嫌な感触を伝えてきます。
私を咥えた大蜘蛛はビクビクと痙攣をします。
うおぉ、揺れる揺れる!
一分ほど大蜘蛛さんは暴れ回りましたが、次第に動きが緩慢になってとうとう完全に静止しました。
口をこじ開け、毒液と消化液と体液でベトベトになった私は蜘蛛の口内から逃れます。
大蜘蛛さんの頭部を見ると、目が完全に濁っており既に事切れているみたいでした。
食われかけていた私が言うのもなんですが、この大蜘蛛さんは餌を食べようとしただけなんですよね。
あるいは下位種族の仇討ちか。
なんにせよ、複雑な気持ちになります。
私は無意識に合掌していました。
……ところで、普通に考えて神や仏って私たちの敵になりますよね?
その方々に、私が祈ってもいいのでしょうか?
それはともかく、こうして私と大蜘蛛さんの激闘は幕を閉じました。