姉様の苦悩 1
こんにちは、悪魔神タナトスの姉、イルシアよ。
つい先ほど、私の妹が魔界から脱走したわ。
さっきのあれは、もしかして、空間魔法かしら。
あの子がいつの間にか、こんな高等魔術を扱えるようになっていたなんて知らなかったわ。
妹の現状を把握出来ていないなんて、姉として失格ね。
半ば暴走していたようだけれど……魔力量は一人前なのに制御する技量が未熟なのね、あの子。
帰ってきたら、しっかりと鍛え直さないといけないわね。
しかし、この執務室がこんなに荒れ果てるなんてね。
魔法を阻害する結界が張ってあったはずなのだけれど、それを上回る力で無理矢理空間魔法を発動させたてことかしら。
ホント、我が妹ながら化け物じみているわ。
「イルシア様っ! これは一体何事でしょうかっ!?」
騒ぎを聞きつけた衛兵達が、執務室に乗り込んでくる。
「……タナトスが逃げ出したわ」
「なんですとっ!?」
「タナトス様が……」
「一体どのように……この部屋は結界が張ってあったはずなのですが……」
「あの子、空間魔法で結界ごと次元に穴を開けたみたいよ」
「なっ!?」
「精鋭たちが数千体集まり施した結界を、タナトス様お一人で!?」
驚愕する衛兵たち。
無理もないわね、私でも執務室の結界を破るのに半日はかかるというのに、あの子はそれをほぼ一瞬でぶち抜いたのだから。
「静まりなさい」
私の一声で、騒ぐ衛兵は静かになる。
良く訓練されているわね。
兵長には後で褒美を取らせましょうか。
さて、これから私はどう動こうかしら。
本音を言うと、タナトスのいる世界にすぐにでも行ってあの子を連れ戻したいのだけれど……ここ最近、ストレスをため込んでいたみたいだったから、しばらく自由にさせてあげたいという思いもあるのよね。
でも、彼女がいなければ魔界の住人は働こうとしないのだから、困ったものだわ。
自慢ではないのだけれど、私の妹は凄く可愛いわ。
それはもう、何年間も飲まず食わず、他には何もせずに眺めていられるほどに。
嫉妬することすら出来ないほどの魅力があの子にはあるのよ。
あの子の姉であることを誇らしく思う反面、そのことを恨めしくも思ってしまうわ。
もし私が姉でなかったならば、あの子を私の手中に収めて独占する、なんて暴挙に及ぶことが出来るのに。
そんなあの子の為に、魔界の住人は働いている。
働けば、タナトスに謁見する機会が与えられるのよ。
そのためだけに生きている悪魔も少なくないらしいわ。
話だけ聞けば、こいつら頭おかしいのではないのか、と私でも思うのだけれどそれだけの魅力とカリスマを備えているのが私の妹なのよ。
実はあれで、意外と臆病で寂しがり屋な面もあるのだけれど、それを知るのは私を含めたごく一部の者だけ。
可愛い妹の別の面を知っていると思うと、少しだけ優越感に浸れる。
話が逸れたわね。
そんなあの子が魔界から離れていると、当然ながら国民はやる気を無くしてしまうでしょう。
中には休眠に入る者が出てしまうかもしれないわね。
「とりあえず、あの子がしていた仕事に関してはアルヴィンにでも放り投げておいて。どうにかなるでしょう」
「アルヴィン様ですか。しかしあのお方は多忙の身ですが」
「知らないわ、そんなこと。私は働きたくないのよ」
妹が処理していた雑務は、死霊のアルヴィンに押しつけておく。
あの男、私にちょっかいをかけてきてうざったいのよね。
多忙といっても私にかまっている暇はあるのだからなんとでもなるでしょう。
しかし、タナトスが心配だわ。
どの世界に行ったかは分かっているのだけれどそこがどんな場所かまではわかっていないのよね。
いつもなら叡知の水晶に聞くのだけれど、今はあの子が持ちだしてしまっているから使えないし困ったわ。
水晶をあの子が盗んだことは分かっていたけれど、少しくらい貸してあげましょうかなんて思ったのが間違いだったわ。
魔界から逃げ出すと分かっていたら、すぐさま取り戻していたというのに。
済んだことを気にしていても仕方がないわね、これからのことを考えましょう。
……そうね、私がタナトスを監視してその映像をここに送るというのはどうかしら。
私は仕事をサボることが出来る、魔界の皆はあの子の姿を観賞しながら働くことが出来る。
全員が幸せになるいい案ではないかしら。
「少し用事が出来たわ。後のことは追って連絡するからあなたたちはここで待機。あの子が逃げたことは外部に漏れないようにしなさい。いいわね?」
それだけ言うと返答を待たずに空間魔法で次元に穴を開けた。
私はあの子のように結界ごと穴を開けられないから、当然執務室の外に。
ほとんど外部に影響を与えていない、ブラックホールのような空間に私は飛び込む。
久しぶりの外の世界。
妹を心配する気持ちとと共に、不思議な高揚感が私の心の中にあった。