8 レベルアップしました!
『レベルの上昇が可能です、その際現在とは異なる容貌へと変異する可能性があります
レベルアップしますか? YES/NO』
大蜘蛛さんとの死闘の余韻に浸る私の脳裏に、クォーツとは異なる女性の声が響きました。
気品を感じさせる、滑らかな声。
ゲームのようなこの世界のシステムを作った神様の声でしょうか?
神様ー、聞こえていますかーっ!
…………むむむ、頭の中で叫んでみても向こうには伝わらないみたいです。
聞こえて無視している可能性もあります。
もしそうなら、ここの神様は凄くいい性格をしているということですね。
まあいいでしょう。
私の糧となった大蜘蛛さんも、彼を倒した私が強くなれば浮かばれることでしょうし、レベルは上げます。
大蜘蛛さんの骸を撫でながら、彼の冥福を祈ります。
生まれ変わるなら、立派なアラクネにでもなって欲しいです。
悪魔に殺された魂は永遠に苦しむという噂もあるみたいですが、所詮は噂です。
成仏、といっていいのかは分かりませんが、私に取られた分以外の魂は真っ直ぐあの世に向かっていってくれているでしょう。
……ですよね?
……さて、大蜘蛛さんの魂の行方は置いておいて、レベルアップしましょうか!
済んだことを気にしていては明日には向かえませんよ!
YESです、神様!
頭の中でそう思い浮かべると同時に、私の体が黒い煙に包まれます。
中にいる私の視界はゼロになりました。
なにも見えません。
なにやら、全身がこそばゆいような不思議な感覚に包まれています。
真っ暗な中でひとりぼっちなんて経験は初めてです。
いつもなら、執務中以外はどんな時も姉様や侍女が私の側にいましたから。
この世界に来たときも、まだただの水晶ではありましたがクォーツと一緒でしたので
ちょ、ちょっとだけ怖いですね。
ちょっとだけですよ!?
実際には二十秒にも満たなかったその漆黒の世界は、私にとって永遠にも感じられました。
闇の霧が晴れたとき、私には世界が変わって見えました。
文字通りの意味で。
……なんか、視点が低くないですかね?
天井が先ほどより高く感じられますし、この洞窟内も妙に広くなったように感じます。
「討伐お疲れ様です|《所有者様》(マスター)、ご無事なようでなによりです」
振り返ると、そこにはクォーツが歩み寄ってきていました。
「ちょっとクォーツ! わたしがくせんしているのが分かっていたなら見ていないでたすけてくれてもってえええええっ!?」
私より小さいはずのクォーツの頭が、私より高い位置にありますよ!?
それになんですか、今の舌足らずな声は!?
私!?
私の声ですか!?
ビックリしました。
内開きのドアを開けようとしたら、向こうから別の人がドアを開けてきたって時くらいビックリしましたよ。
ええっと、これってまさか……
「……こちらをどうぞ、|《所有者様》(マスター)」
クォーツが、洞窟内に点在する水晶を加工して作ったと思われる鏡を差し出してきました。
反射率がそこまでなく地面が透けて見えますが、鏡としては十分機能する出来です。
いつの間にこんなものを……私が戦っている間でしょうか。
私が苦しんでいる間に、と憤る気持ちもありますが、まあいいでしょう。
いい仕事ぶりとその気配りの良さに免じて許してあげます。
鏡を覗き込んでみると――
そこには、銀髪の幼女が映り込んでいました。
幼さしかないあどけない顔立ちで、少しばかり生意気そうな金の瞳が特徴的です。
その体躯は未発達で、子供らしい柔らかそうな肌に覆われていました。
淡く輝くような髪は腰まで伸ばされ、背中の中央で一房に纏められています。
全身を包むのは、夜の帳を編み込んだように黒いワンピース。
何を隠そうこれは――幼き日、姉の着せ替え人形にされていた私自身の姿でした。
「な、な、な……」
レベルアップの際に容貌が変化するかもしれないと警告はありましたし、視点が低くなったことで幼児の姿になっているのは予想していましたが、まさかこんな姿に変わっているとは予想外です。
「大変可愛らしいです、|《所有者様》(マスター)」
クォーツは私を不自然なほどの無表情で見ています。
肩が小刻みに震えていますが……まさかこの子、笑いを堪えているっ!?
やっぱりおかしいんですよこんな格好!
どうしてこの姿にしてくれたのですか神様!?
プルプルと震えるクォーツの隣で、もし出会う機会があればこの世界の神の顔をグーで殴ろうと私は決意するのでした。
「ところでですがクォーツ、お腹がすきました」
クォーツの震えが治まるまで彼女をなじり続けた私の次のセリフがそれでした。
……いえ、自分だってどうかと思いますよ?
道中私を助けてくれた、スパルタとはいえ私のためをおもって行動してくれた仲間を散々罵った挙げ句、急に食事を要求することが非常識であることくらい私にも分かりますよ。
実際、罵ったことは私にとって黒歴史であるこの姿に変えられたことへの八つ当たりですし、それに関しては私が全面的に悪いです。
謝ろうと思っています。
ですが、ガイコツから幼女へクラスチェンジしたことで、私に食欲というものが芽生えました。
お腹がぺこぺこです。
超飢えてます。
衣食があって人は初めて礼節を知るそうです。
それは悪魔でも例外ではないと私は思います。
ですので、まずはこのお腹を満たしてから彼女に謝った方がいいと思ったのですよ。
決して、私が久方ぶりの空腹に耐えきれなくて思わずワガママを言ってしまった訳ではありません。
ないったらないです。
「分かりました、|《所有者様》(マスター)」
そんな私の言葉に、クォーツは気を悪くした様子もなくそう答え、大蜘蛛の遺骸へと歩みを寄せます。
……なんだか、こうも怒りのような負の感情を出されないと少し不安になりますね。
どうしてでしょうか。
って、え?
「ちょ、ちょっとまってくださいクォーツ!」
「なんでしょうか」
「まさかとは思うのですが……そのくもを食べるのですか?」
「水晶や岩をご所望とあらばそちらにしますが」
「え、えぇー……」
蜘蛛を食べるんですか……
いやまあ、冷静に考えれば彼女の行動を理解は出来ますよ。
ここには蜘蛛と岩と水晶しかありませんし。
他の食材の当てはありませんし。
クォーツ自身を食べるわけにもいきませんし。
ですけど、蜘蛛ですかー……
調理器具がないので、生ってことですよね……
固形の栄養食しか食べたことのない私は一般的な食事をよく知らないのですが、少なくとも私がよく観察していた地球の日本では、蜘蛛はあまり食べられていなかったと思います。
生の食材は多かったので、別に生で食べることには抵抗はないのですが。
生の蜘蛛……美味しいのでしょうか?
いえ、食わず嫌いはいけませんよね。
文句を言うにしても、食べてからにしましょう。
もしかしたら、凄く美味しいかも知れませんし。
「い、いえ、なんでもありません。がんばってください!」
「? 分かりました」
その後、目の前で繰り広げられた蜘蛛解体ショーの様子を目にした私は、この世界に来て一番の恐怖を味わうことになりました。