第1話 はじまり
「殺してしまいましょう、国王陛下」
王族の1人が訴えた。
「この神聖なる力を下民に持たせるなど、あってはならぬことです」
押されるように周りの王族たちも立ち上がった。
「そうです。このような者、存在すら許されない」
「いや、まだどうやって手にしたか明らかでない。拷問が先だ」
「それより血だ。下民といえ貴重な力の発現した血、消す訳にはいくまい。とにかく子を産ませ、それから……」
浮き足立ったように議論が入り乱れる。それを、光と轟音が遮った。
全員が口を噤んで玉座を仰ぐ。
そこには王が憤怒の表情で立ち上がり、杖を振り下ろし、その杖が指す先――王族たちの足元を黒く焦がしていた。
人々は一斉に頭を下げ、小さくなって震える。1人の少女を除いて。
広間の中央、王族の列の間に彼女はひざまずき、まっすぐ顔を上げていた。目の前に落ちた雷も、鬼のような王の形相も、自分をめぐる非道な議論も、何ひとつ怖くないかのような顔で。
ただ涼やかに玉座を見上げていた。
王は気を静めて腰を下ろす。左右の側近に目配せし、うなずき、それから重々しい声で告げた。
「命じる。これよりこの者、ティアナを――」
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高い陽射しの下、穏やかに凪ぐ草の海を、白い群れがとことこ歩く。
羊だ。もこもこした豊かな体を揺らして進む。その目指す先には、まるい城壁に囲まれた街が待ち構えている。
杖を持って先導していた中年の羊飼いが門に到達した。門番に通行証を手渡す。
「あいよ」
「ご苦労さんです。……今日はやけに見張りが多くないですか」
そう言って、羊飼いの男は壁を見上げた。高い城壁の上を、弓や槍を持った兵士が行ったり来たりしていた。どこか緊張した風にも見える。
「ああ。なんでも、魔物が出るかもしれんそうだ。街の中もあまり出歩くなっておふれだよ」
「魔物? そんなことが分かるんですか。それにこの辺りじゃめっきり見かけないと」
「知らんよ。俺たち下民にはなんにも教えちゃくれないからな、騎士様は。しかし何かあるのは確かだ。なんせこの街の護衛騎士じゃ足りなくて、王都から何人か来てるくらいだからな」
「王都からわざわざ? それは妙だなあ」
「ああ、ついさっきも……ええと、連れはその坊ちゃんだけでいいのか? 」
門番は小屋の窓口から身を乗り出した。父親の腰にも届かない背丈の少年だが、坊ちゃん呼ばわりにむっとした様子だ。父親の方は気にせず横へ目をやった。
「いや、上の子がもう一人……ティアナ! 」
呼んだ先は羊の列の後ろ。しゃがんで牧羊犬を撫でていた影が、すっくと立ち上がった。
華奢で色の白い娘だった。身の丈に釣り合わない大きな杖を突き、ぱっと花の咲くように微笑んで、小さくお辞儀した。
「……よし、3人だな。あとは……」
門番は心なしか顔を和らげつつ引っ込んだ。ティアナは足元から見上げるつぶらな瞳に目を戻す。行儀よくしてはいるが、まだ物足りなさそうな目。ティアナは笑って手を伸ばした。
「街に入ったらすぐ羊小屋だよ、ヤン。そしたら今日のお仕事は終わり」
犬は気持ち良さそうに目を閉じる。そのまま撫でてやっていると、耳がぴんと立った。背後から複数のひづめの音が近づく。ティアナが振り返る前に、声がした。
「何をふさいでる。邪魔だ」
数人並んだ騎兵のうちの先頭が、乱暴に言った。ティアナは慌てて頭を下げる。
「ごめんなさい!街に入る手続きをしていたので。すぐに……」
「いいからどかせろ。何考えてんだ、こんな時に、羊なんか」
棘のある言い方に思わずぴくりとした。前方では弟があからさまに憤慨して、父親に頭を押さえられている。ティアナは心を落ち着け、ゆっくり頭を上げた。
相手は思ったより若かった。逆光に翳ってはいるが、鋭い視線が蔑んでいることは分かる。
「ヤン! 」
ティアナの声に犬は素早く反応し、羊たちを脇へ寄せた。通路の三分の二ほどが空けられる。
「ふん」
鼻で見下すと、けたたましい音と砂埃を立てて通りすぎた。しかし途中の馬が足を羊に引っかけてしまった。羊が悲鳴をあげる。
「……はっ」
ティアナは思わず息を飲んだ。愕然とした表情。それを、振り返った先頭の騎兵が見咎めた。
「なんだその顔」
わざわざ後退して馬を寄せてくる。
「責めてんのか。おまえがちんたら門をふさいだせいだろう。それをきちんと片づけないからこうなるんだろ。こいつのせいじゃない、おまえの責任だ。その羊がどうにかなっても、それはおまえのせいだ。図に乗るな」
「おいっ」
弟が飛び出て騎兵を睨みつけた。しまった、と焦るティアナ。騎兵はそちらに向いて、さらにまなじりをつり上げる。そこへ父親が飛び出した。
「申し訳ございません! 躾が至らず、私の不徳です」
息子を引きずり倒して土下座させる。娘にも目をやり、ティアナは急いで頭をついた。
「よく言って聞かせます。ですから、どうか」
揃って地面に頭をこすりつける親子。察してか頭を垂れる犬。羊たちだけは、迷子になったような困った風情でのんびりしていた。
やがて、最後尾の騎兵が声をかけた。
「もういいだろう、フェリクス。急ごう」
かなり年長の男だった。その言葉に気を削がれたか、若い騎兵は黙って向きを変えた。続いて他の騎兵も粛々と門をくぐっていく。
「あれが王都の騎士だよ」
詰所の奥に隠れていた門番が顔を出した。気遣わしげな顔で通行証を返す。
「見回りに出てたんだと。もしかしたらただの騎士じゃないのかもしれんなあ。まあ何というか、ご愁傷様だったが、これからは気を付けるこった」
そう言い添えて、3人を街へ送り出した。