春風ファントム(1)
僕は何をしているのだろう・・・・誰も僕の存在には気づかない。一番近くにいる彼ですら、僕の存在をしっかりと認識してはいない。体がなくなって、魂とも言うべき意識だけの存在になってしまった僕はまるで守護霊の様に彼の中に居座っている。春の風に吹かれて桜がドンドン散っていく。僕の存在もいつか、あの無数の花びらの様に----
夢の季節とはうって変わって季節は春。やっと肌寒さもなくなり、小鳥たちのさえずりに耳を傾けながら登校。春休み明けお決まりのクラス替えに対する期待と不安を胸に抱き、意気揚々と通学路にある桜並木を優雅に歩く----はずだったのだが・・・・はぁ。
言うまでもなく俺は説教をくらった。遅刻がどうにも許せないらしい担任から、うんざりする程何度も聞いた、同じような小言をまた今日も言われて、不満そうに仏頂面を引っさげていたかもしれない。
「うぜぇ」
「悠仁、あんたも懲りないねぇ、ほんと」
ニタニタとうすら笑みを浮かべながら、話しかけてくる見慣れた顔。なめらかな頬に白い歯列。切れ長の目の奥に輝く澄んだ瞳は宝石のようにも思える。
「お前は学年変わってもほんと変わらねえよな。いろんな意味で」
そう言うと悠仁は幼馴染であるこの少女、春日井鈴音の胸元にちらりと目をやる。
「う、うるさいわねー! 朝っぱらからどこ見てんのよ。 変態」
このやり取りも何度目だろう。顔を赤らめながら胸を押さえる鈴音を見ながら、今日もまた平和だなとしみじみ感傷にひたる。
「今日も相変わらず仲がよろしいですなぁ」
こちらも聞き覚えのある声。黒縁メガネで、ウェーブのかかったくせっ毛のある前髪を、くるくると人差し指で回しながら、親しげに声をかけてくる。
「なんだよ貴也。お前もまた同じクラスかよ」
「なんだとは何だよ。また今年も同じクラスになれて良かったじゃん。なぁ、鈴音」
「別に私は悠仁と一緒のクラスになれて良かったとか思ってないし。そもそもあんた・・・・」
「はーい!朝礼始めますよー」
なんとも甘ったるい先生の声が鈴音の言葉を分断した。
こいつ、ほんと俺を説教する時と態度ちがうよな。と悠仁は心の中でつぶやく。
「今日はみなさんに転校生を紹介します。入っていいわよー」
え? 一瞬目を疑った。これは夢の続きなのか?それとも俺の頭がおかしくなってしまったのか。悠仁は両目をこすり、目を凝らすようにしてもう一度、教壇の上に立つそれを見つめる。
髪は肩につく程の長さで、艶々とした滑らかな黒髪。華奢で色白。和服がかなり似合いそうな整った顔立ち。少し恥ずかしそうにはにかんだ笑顔は教室中を一瞬にして狂喜の渦へと誘う。
「うおおおお!可愛い!やべぇ!俺このクラスで良かったー」
教室中で響き渡る歓喜の声など悠仁には全く聞こえない。この教室でただ一人、そう悠仁だけが彼女の事をまるで化物でも見るような目で見ていた。
「まじかよ・・」
「どうしたの? 」
「なんでもねえよ」
明らかに動揺している悠仁に鈴音は思議な眼差しで声をかけてくる。
「はーい。静かに。じゃあ自己紹介してくれるかな?」
「はい。松原市から引っ越してきました藤林葵です。転校してきたばかりで、わからない事だらけなのでいろいろ教えてください。みなさん、よろしくお願いします」
一点の曇りもなく透き通るような声は、一瞬、時がたつ事すら忘れさせる。
「じゃあ藤林さんは一番端の窓際の席に座ってくださいね」
遅刻してきたから知らなかったが、朝の段階で教室では、なぜか一つ余分に机があった為に、転校生が来るとみんな期待して待っていたようだ。まさかその転校生がつい今朝も見た夢の女の子にそっくりだなんて。悠仁は彼女の事をずっと目で追っていた。まるで得体の知れない何かを必死に解き明かそうとするかの様に。
「綺麗な子ねえ。知り合いか何かなの? 」
「知らねえよ。あんな奴」
悠然と席に向かう彼女の一挙手一投足にクラス中の視線が集まっている。悠仁も視線を外せずにいると、席に着いた彼女と目があってしまった。その時、なぜか悠仁が感じたのは、緊張でも、恥ずかしさでもない、どこか温かな安心感だった。