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異世界を架ける者  作者: ソラ
第九章 現実世界の戦い
105/107

105.遺族

エルシェナが無事に帰ってきた安堵か、優人はその日は倒れこむ様に寝てしまっていた。

向こうの世界での戦いもそうだが、現実世界でも心労が重なるようになり、意外に疲労がたまっているのかもしれない。

朝の気配を感じた優人は寝すぎたせいか、嫌におっくうに目を開けた。


そのまま正面に見える壁にかかった時計は、朝の6時を示している。

ええと、昨日は魔神族の尖兵と……じゃなくて、エルシェナが無事に帰ってきたんだった。

異世界の記憶と混合してしまい、ユートは手で顔こする。

それから、父さんにこれからどうするか相談して……。


「えっ……」


そこまで考えたところで、すぐ隣に誰かが寝ているのを感じた。

今、優人の部屋は賢治と共同で使用しており、寝るときも当然ここに追いやられている。

優人の部屋にベットはないため取り合いになる事はなく、床に布団をしいての雑魚寝だったはずだが。

しかし、微かに聞こえるこの綺麗な寝息は賢治の奴じゃない。アイツの寝息はただうるさいからな。


「やっぱり……」


左に顔を向けると、エルシェナが体を丸めて、ユートの布団に潜り込んでいた。

ちなみに右を向くと、賢治のむさい足が転がっているため天国と地獄だ。

また、こっそりと……美咲の奴が怒るぞ。

ここしばらくエルシェナは美咲の妨害もあり、優人の寝床に潜り込むという事態は発生していなかった。

そもそも、エルシェナ自身も恥ずかしがって、優人にばれないようにしていたはずだ。

しかし、日本の朝の冷たさには抗えないのか潜り込んだ時は、大抵は優人と対面してしまっていた。

その際の取り乱しようは毎回羞恥の連続で、それなら来なければいいのにと思うが。


(でも気持ちはわかる……触れると異世界の出来事が見えるらしいのだから)


ちなみに優人が危惧していたカノート族のナシュアとのアレコレは、その後にあった騎士や貴族の娘の襲撃の方が強烈であったため、ばれる事はなかった。

どうやら強く心に残る記憶のほうが、エルシェナに伝わるらしい。


優人はじっとエルシェナの端整な顔や、その閉じられた長い睫毛、形のいい唇を見つめる。

普段は目にすることはない、その穏やかな表情を見て、ずっとこのままならどれだけいいかと思う。

でも、昨日エルシェナが打ち明けた苦しみ、それはエルシェナが抱える闇なのだろう。

それを普段見せなくても、優人と同じくとれない楔の様に心を痛ませているに違いない。


「んっ……」


急にエルシェナが悩まし気な声を上げた。

どうやら寝る前に括っていた髪がほどけ、鼻にかかったせいで、ただわずらわしかっただけらしい。

それでも十分に優人にとっては、どきっとする事ではあったけれど。

かすかにいい香りがする髪を払ってあげようと思い、手を伸ばしたところで苦笑する。

そうだった、触れないんだった……。


「ちょっ!」


ところがエルシェナは鼻先が痒くなったのか、それを解消するため、優人の肩に顔をこすりつけ始めた。

しかもいいものを見つけたとばかり、抱き枕の様に手足を絡め始めてきた。

いや、まずいって!

何がどうなっているから、とは言いずらいが、とにかく起きないうちに早く振りほどかないと。

って、服が!

エルシェナの前に買ってきたふわふわのピンク色のパジャマが、押し付けられ擦れたせいではだけ始めた。

ボタンは元からか二つほど外れているので、そこから抱きつかれて押し上げられた二つの双丘が見える。

見ない様にしなければと、全力の精神力で抗うが、目を離せるはずもない。

それどころか、二の腕に感じる柔らかさや、見るからに張り艶のある胸に、全身の自由を奪われる。

いや、動けないんじゃなくて、動きたくない……

それにしても、エルシェナ。初めて浴場で見たときよりも大きくなって……


「って、いかん、いかん。エルシェナ!」


今までに経験した事がない自制心を発揮し、優人はエルシェナに声を掛けた。

このまま黙っていて、エルシェナが起きて事態を悟った後、部屋を出ていくまで寝たふりを続けるか、どうせ素肌には触れれず、服を通してしかその感触を味わえないのだから、今起こしてもエルシェナはたいして怒らないだろう、という両方を天秤にかけた結果だ。

いや、本音をいえば、優人自身がこれ以上耐えられなくなったからというのが正しい。


「ん、あれ……オハヨウ……」


肩を掴んで引き離した所で、さすがにエルシェナも目が覚める。

よっぽど安心しきっていたのか、とろんとした表情で普段の姿などみじんもない。


「あの、おはよ」


覚えた日本語での朝の挨拶をしたところで、エルシェナもようやく事態を悟ってきたらしい。

いや、さすがにもう何度もやっていたら悲鳴を上げることも、こっちが殴られることもないだろう。

しかし、エルシェナが体を起こした際、パジャマが片方二の腕までずり落ち、ほとんど胸が見えそうになった事は初体験だった。しかも足がまだ優人と絡み合っているままだ。


「……っ」

「いや、その」


エルシェナは慌てて、両手で肩を抱き、優人から大きく距離をとって離れる。

当然、その顔は真っ赤に染まり、瞳は大きく驚いたように見開かれている。

とにかく謝るべきか、いやこっちは悪くないはずだ……。

そもそも意味もなく謝るなと言ったのは、エルシェナの方じゃないか。


「……ばか」


しかし、エルシェナはこちらが何か言う暇なく、すぐに立ち去って行った。

去り際に小さく言い放つも、いつもの覇気はなく……いや、いっそ罵倒されたほうが楽だったかも。

呆然と肩に残るわずかな余韻と、わずかに香る匂いに頭を悩ませる。


「へえ、へえ、お熱いことで……」


そこで嫌悪感を隠すことなくにじませた声がした。

慌てて右を向くと、賢治が足元で寝っ転がって、頭をひじに乗せていた。


「起きてたのか」


気まずいと思いながら、賢治を見る。


「あれだけ毎度毎度、お花畑まき散らしておいて、起きないわけないだろうが」


賢治は優人の頭に蹴りを放ってきた。

むっとしながらそれを受け止めると、賢治はすぐに起き上がる。

視線をやると、賢治は昨日着てた服のままだ。

そういえば、昨日はほとんど姿がなく、夜遅くに帰っていたなと思いながら、質問する。


「昨日どこ行ってたの?」

「あ?福部の野郎がまだ風邪が治らねえってんで、昨日はあの刑事にも会えず暇だったからな。だから叔父の家に行ってちょっと資料を持ってきた」

「資料?」


優人も服を着替え始め、賢治がバックから取り出したお菓子の箱を横目で見る。


「これだ。確か宮沢。昨日、いや一昨日か。火事の現場にいた死人の資料だ」


賢治が投げやりに放ってきた紙の束は、新聞や週刊誌の記事がほとんどだ。

後は、まるで小学生が描いたような幼い字でノートの切れ端に何か書かれている。


「これって賢治が集めていたの」

「ああ……」


見ればずいぶんと古い記事まで、そして何よりこの子供の字は賢治が書いたものだろう。

両親が亡くなり、優人と同じように……いや、真実を知らないだけ一層熾烈だ。

真実を子供ながらに確かめようとしていたのだろう。

どれだけ必死だったかは、資料の束を見ていればわかる。

その想いが顔に出ていたのだろう、賢治は顔を歪めると舌打ちしてきた。


「腑抜けた顔を見せてないで、とっとと目を通せ」


優人はこれ以上表情を変える前に、指示に従うことにした。

普通、被害者の詳しい個人情報など出ないはずだし、9年も前の話だ。でも当時の規制が入る前の週刊誌にはかなりのことが書かれていたはずだ。

しかも、今もオカルトマニアの間では、話のネタとしてネットに上がっているのを優人は知っている。


宮沢明人みやざわあきひと36歳。

記事には顔写真が載っているも、優人は似ていると思いつつ、一昨日会った男かどうかは確証は持てなかった。

すぐに書かれている内容にも目を通していく。


当時、小学校教諭だった宮沢は三崎町事件の日、7歳の長女宮沢恵みやわざめぐみと自宅にて倒れているのを仕事から帰宅した妻宮沢恵子みやざわけいこが発見。

すぐに救急車が呼ばれたが、駆け付けた隊員により、両名ともその時点で心肺停止状態にあると確認されている。


思わず持っている紙を握りしめそうになった。

子供もいたのか……。

優人はあの日を思い出しても、自分と同い年くらいの子供がいたかどうかはわからなかった。


「お前、他の犠牲者についても全く知らないのか?」


賢治が泣き出しそうな顔つきの優人に、怒ったように言った。


「ああ、父さんが情報に触れない様にしていたみたいだから」


そもそも気にしてなどいなかったはずだ。

復讐の相手はすでにいて、ただがむしゃらに、周りの事など気にしてすらいなかった、

なにしろ賢治の事すらろくすっぽ構わずにほったらかしだったのだから。


「よく軽々と言えたもんだな……」


怒りは影を潜め、賢治は呆れたものいいで、優人の傷をえぐる。


「とにかくお前の事はどうでもいい。で、そこには書かれていないが、宮沢の妻も同じ小学校の教師で、今も天神市の小学校で教師をやってる。そこでその学校に通ってる兄弟がいる知り合いから年賀状の住所を教えてもらった」

「え?それって」

「ああ、昔住んでたアパートから、今は一軒家に引っ越したらしいぜ。そこでだ、宮沢って男が本当によみがえったかどうか探りに行くぞ」


賢治はそういうと、もういいだろうと優人が持っていた紙束を奪い取った。


------------------------------------------------



朝の食卓で4人が席に着きながら、静かに食事を続けている。

もともと、最近は静かに食べるのが主流だったが、特に今朝はきまずい。

エルシェナはちらちらと、優人をうかがってくるし、美咲は今朝の出来事を察してか黙々と食事に向かう。賢治と、父さんはいつも通り普通の感じだけど。


「ねえ、今日の料理どう?」


と、突然美咲が聞いてきた。

男三人は美咲に視線をやり、全員にそれが向けられたことから、返答に困る。

別に普通通りのご飯に味噌汁に、だし巻き卵、おひたしに、あとは鮭だ。

最近は美咲がずっと朝ごはん、賢治が晩ごはんを担当している。

昼は気が向いた者が作っているくらいだ。

だから、朝は美咲が作っているいつものごはんの味だと思うのだけど……。


「ああ……」


そこで心底どうでもよさそうに、賢治が声を漏らした。

父さんはというと、首をこちらと同じように捻っている。

鈍い……と、美咲が溜息をつきながら、首を振る。


「いや、別に普通……あ」


そこでエルシェナが少し不安そうな表情で、優人の方を向いているのに気が付いた。

さっきから、ちらちら見てきたのは今朝の事ばかりだと思っていたけど。


「もしかしてエルシェナが作った?」

「せいか~い!って遅い、賢治以外不正解よ!」


美咲が呆れるように言って、エルシェナが首を一回縦に振った。


「いや、美咲が作ったのと変わらないから、てかなんで賢治は気づくんだよ」

「いつもより味が薄い……この味音痴親子が」

「いやー、ははは。言われちゃったね。でもエルシェナちゃんほんとに上手になったね」


父さんは、賢治の馬鹿にした発言を流して頭を掻く。

しかし、全然気が付かなかった。

というかいつの間に作れるようになったのだろうか。


「優人は気づいてなかったの?前から朝とかはエルシェナに手伝ってもらってたんだけど。じっとしてるのは嫌だから何かしたいって言うから」

「そうだったんだ、まるで気づいてなかった。」

「だって優人、寝ぼすけで起きてこないんだもん。今日なんかは、時間はかかったけど私は、見てるだけで一切手は出してないからね」


はあ、と感心しながら味噌汁をすする。

エルシェナが料理なんて、向こうの世界で魚を火の精霊術で丸焦げにしたくらいしか見たことがない。

自分も前は父さんと交代で朝を作っていたが、こうも短期間で上達するとはエルシェナ、恐ろしい娘だ。


「で、何か言うことがあるんじゃないの?」


え?と顔を上げると美咲が目線で、エルシェナの方を示していた。


「え?あ、すごくおいしいよ。ありがとう」


クロムクル語に切り替えエルシェナに言った。

もしかしたら、さっき美咲の料理だと思っていた日本語をすでに理解しているかもしれないが、そもそも、それはすごい事なのだと伝えたい。


「そ、そう。良かった」


エルシェナは安心した様に顔をほころばせると、小さな笑みを浮かべながら食事を続ける。


「あのさっきの事なんだけど、一応誤解のないように言うと、何もしてないから。でも謝っとく、ごめん」


ついでにクロムクル語で他の人に話が分からない様に言っておく。

するとエルシェナは箸を咥えたまま、思い出したのか顔が紅潮する。


「い、いや気にするな。謝る必要なんてない。そもそも私が自分から行っているのだから。それに肌を見られるくらい……ユートだったら……って!」


ぶんぶんと、エルシェナは首を勢いよくふった。


「こら、二人とも、内緒話は禁止だと言ったでしょ」


そこで父さんが諭すように軽く注意をしてくる。

とにかく弁明で、問題は解決されたと思う。エルシェナが言いかけた事が大いに気になるが、とりあえず今は後回しにしておくことにして、軽くみんなに謝った。


「それと優人、昨日の夜に福部という刑事の人から連絡があったよ。甥から連絡があったが気が付かなくて申し訳ないと。どうやら事件のせいで手が離せなかったらしいよ。で、今日の午後2時頃に話を聞けるそうだよ。ついでに僕が村越警部にも話をつけておいたから」

「そっか、それならよかった」


賢治とまずは宮沢って人を調べるつもりだったけれど、それは午前中に行けばいいか。

おっと、この事は父さんには内緒にしておかないと、止められるだろうな。

これ幸い、出かける用事がが出来た事は、ありがたい。

それから父さんは、待ち合わせ場所となる喫茶店の場所を教えてくれた。

警察署に行かないないのは、まず頼れるであろう数人の人に話して、反応を確かめたいからだ。


「で、エルシェナちゃんには事情をちゃんと説明して、納得してもらったのかな?」

「うん、とりあえずは」


昨日、帰って来て風呂から上がった後のエルシェナに、事情は説明した。

こちらの世界の危機を救うため、もしかしたらエルシェナの自由が拘束されてしまうかもしれないということを。


すると、エルシェナは優人の袖をつかみながら、


「私は、優人を信じている」


とだけいい、頷いてくれたのだ。

その事に何も思わないわけがない。

だからこそ、その想いをないがしろにしないため慎重に行動したいと思っている。

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優人は緊張した面持ちでインターホンを押した。

目の前には天神市の郊外にある小さめの一軒家だ。

そばには賢治が立ち、後ろを振り返るとそばの電柱の影にはエルシェナの姿が見える。


朝食が終わった後、いろいろと話すことに整理をつけて、電車で市内に来たのだ。

それからタクシーを使って目当ての住所までたどり着いた。

エルシェナに来てもらったのは、宮沢やその他のものがいた場合の戦いのためだ。

一応、顔をまたパーカーと帽子で隠してもらって、誰かが通ったら隠れるように言い含めてある。

で、もしこっちが助けの声を上げたらすぐに助けてもらうようにも。


「はい」


そこで年配の女性の声が玄関からして、身構える優人達の前の扉が開かれる。

そこにいたのは40台くらいの女性がいた。

別段、普通の様子に優人は、気づかれない用小さく息を吐く。


「あら、どちらの子かな、教え子だったらごめんなさいね」


人の良い顔を浮かべる女性は、快活に笑いじっと見てくる。


「いえ、初めまして。僕は大和優人といいます。それでこっちが日野賢治です」


頭を下げるも、女性は心当たりがないのか不思議そうな顔をした。

それはそうだろう、もう年の瀬だし、中学生二人の来客など想定外だろう。

トリックオアトリートも時期も年齢も過ぎている。

優人は、そっと女性の肩越しに中を様子見てから覚悟を決めた。


「あの、僕たちは9年前の……三崎町事件の事を調べています。宮沢恵子先生ですか?」

「……」


女性の表情は一変した。

快活な笑顔は消え、代わりに悲しそうに困惑した表情が現れる。

そのことにこの女性が本人だと思いを強めるとともに、優人は胸を痛めた。


「僕たちは犠牲者の遺族です。その、話だけでも聞かせてもらえませんか?」

「遺族……」


拒絶の反応を浮かべそうになっていた宮沢先生だったが、その言葉に動きを止めた。


「それは……親御さんに了承をとってから来なさい。それにどちらにせよ、話すことなんて……」

「俺の両親はその時、どっちも死にました」


恵子さんが言いよどんだ所で、賢治が前に出てきた。

はっ、恵子さんは息を飲み、ごめんなさい、と言ってきた。

どうやら、様子から見て、死んだはずの夫を匿っているという風でもない。

ただ、こちらの言うことが本当かどうか、測りかねているようにも見える。


そこで賢治が当時の記事を引っ張り出してきて、財布に入っていた学生証も同時に渡した。


「俺の両親の記事です。……別に興味本位で来たわけじゃない。ただ、俺もこいつも出来るだけ多くの事を聞いて、受け入れて、いろいろと納得したいだけっすから」


そう賢治が言うと、受け取った恵子さんはしばらく悩んだように、こちらの顔を見ていた。

しかし、すぐにいつも優人が学校で見ている、他の先生と同じような顔に変わると頷いた。


----------------------------------------------


こじんまりしたリビングに通されると、行儀が悪いと思いながらもあちこちに目をやってしまう。

そして何より目についたのが写真だった。

さっき記事で見た宮沢明人と、一緒に若い頃の恵子さんが一緒に写っている、

そして一緒に小さな女の子がいる写真もだ。

あの子が恵ちゃんなのだろう


「あれ……」


しかし、よく見れば同じように恵子さんと女の子が写ってい真新しい写真がある。

小学校の入学式の写真の様だが、じっと目を凝らせばどうやら、最初に見た恵ちゃんとは違う子のようだ。


「おい」


そこで賢治に肩をつつかれ、視線を変える。

見ると子供用の勉強机にランドセルがあり、その上には賞状が飾られている。

しかもそこに書かれている年号はごく最近のものだ。


「狭いところでごめんなさいね」


恵子さんがお茶を入れて、リビングに入ってきた。

普段食卓として使っているであろうテーブルにお茶を並べていく。

そして恵子さんに進められて、椅子につくと暖かいお茶をいただくことにした。


「あの、小学生のお子さんがいらっしゃるんですね」


優人はまず思った疑問を口にした。


「ええ、亜希子というの、今8歳で小学三年生よ。ああ、記事を見たのなら恵の事は知っているのね」

「はい、もしかして再婚されたんですか?」


恵子さんは、可笑しそうに首を振ると、飾ってある写真を持ってきた。


「いいえ、ちゃんと夫との子供よ。あの事件があった時、私は妊娠していたのよ」


はい、といって二人の少女の写真を見せてくれた。

よく見れば恵ちゃんの方はお母さんに似て、亜希子ちゃんはお父さんによく似ている。


「すみません」

「いいのよ。事情を知る人、みんなそう聞いてくるんだから、もう最近は聞かれる事は少ないのだけど」


優人は勉強机の方を見て、他の人の気配がしないことを確かめた。


「今、亜希子ちゃんはどこにいるんですか?」

「おばあちゃん、私の母と一緒に買い物よ。まだ戻ってこないと思うからあなたたちを上げたの」


そういうと、恵子さんはカップを両手でゆっくりと握った。


「あの子にはお父さんやお姉ちゃんが亡くなった時の事をまだ伝えてないから。ただ、ちゃんといたのよってことだけ」


なら、早く話を切り出そうと思うも、恵子さんがさらには話始めた。


「ねえ、賢治君に、優人君、どちらもつらかったでしょう、いえ、私がつらいなんていえないか。あなた達は特に親を必要とする子供だったからね」


それでも愛する人を亡くしたのは同じだと、優人は思う。


「いえ、平気だったとは到底言えませんけど、僕は父の方が生きているので」


優人は、恵子さんに向けて、賢治が舌打ちしないかと心配するも、賢治は素直に答える


「俺は……親戚をたらいまわしで、つらいなんて思える状況じゃなかったっすね。特にあちこち引っ越しさせられるのだけは参った」


嘘か本当かわからないが、賢治の事を聞くのは初めてだった。

恵子さんはそれに悲し気に目を細めて、そうとだけ呟いた。


「ま、一人だけ口やかましくかまって、どこに行こうがつきまとう有難迷惑な奴はいましたけど」


優人は、その一人を美咲の事だろうと、推測した。

賢治がこの町を離れた後も、手紙を送り続けていたという話を前に聞いた気がする。


「宮沢先生はどうだったんすか、最初の様子を見ると、当時はかなり記者に付きまとわれたんじゃ?」

「先生?」

「あ、いや、なんとなく」


賢治も意識してなくてそう言ってしまったようだ。

恵子さんは、賢治の横柄な物言いにも腹を立てた様子はない。


「まあね、当時はつわり大変だってのにねえ、あちこちと、いっそ海外に逃げようかと思ったくらい。でも、なんとなく三崎町のそばを離れられなくてね、それで引っ越ししたの。夫が残してくれていたお金もあったし、この家はそれほど広くなくて、子供との二人暮らしにはぴったりだったから」


確かに住み心地がよく、自分の男だけの家とは大違いだ。

そこで恵子さんが椅子に深く腰掛けなおすと、答えた。


「それで当時の話よね、でも話って言ってもね、私はただ家に、当時はアパートよ。仕事が終わって、学校から帰ってみたら、そこですでに倒れている二人を見ただけだから」

「そうですか」


そこで恵子さんが、こちらを伺うような表情で見てきているのに気が付いた。

自分も気になるが、遠慮しているような表情だ。

そうか、恵子さんも僕たちと一緒で気にならないわけではないのだろう。

賢治の方が早く察したのか、口を先に開いた。


「俺は当時、習い事してて知ったのは、一日たった後だったっすね。お前は?」

「え?」


賢治はどうすんだ、と問いかける様な表情で聞いてきた。

ああ、異世界の事を切り出すのかどうか、ということか。


「僕も一日たった後……でしたね」


悩んだ末、言わない事にした。

せっかく新しい未来を積み重ねていっているんだ、わざわざ言って困惑させることはないだろう。


「ちなみに俺の両親は、燃やされて、墓に入ったんすけど、宮沢先生の家も仏教っすか?」

「ええ」

「亡くなった死体って、もうあるわけないっすもんね」


おい、さすがに直球すぎて失礼だろ、と思うも恵子さんは何やら勘違いしたのか、

賢治の事を安心させるような表情を浮かべ、


「ええ、亡くなった人にはもう会うことも出来ないし、触れることも出来ない。自然の摂理、でも、思い出はたくさんあるしね。あなた達も墓参りに行って、いろいろと話してみたら気が楽になる事があるかもしれないわよ。あ、これは無理強いってわけじゃなくて、私の経験だから」


ユウトは、墓参りなんて一度も言ったことがないのを思い出して、膝の上でこぶしを握った。

とにかく、恵子さんは白だろう。これほどの話をしておいて、宮沢さんを匿っているとしたらかなりのものだ。教師ではなく役者を目指すべきでしたね、と諭すレベルだ。


「いや、最近、夢に見るんです。もし両親が生きていたらとか、今蘇ったらどんな生活になるんだろうって」


賢治、まだ疑っているのかと思うも、話の中断は出来ない。


「それこそ、街中を歩いてるときとか、両親に似た姿を見て急に振り返っちゃったりとか、宮沢先生もそんな経験ありません?」

「ええ、あるわ……そういえば」


そこで恵子さんは考えるようにして、立ち上がると壁に立ち並ぶ本棚に向かった。

そこで背伸びをして、子供が絶対に届きそうにない、地震対策のつっぱり棒の奥から箱を取った。

賢治と同じく大切なものはお菓子の箱に入れるのが流行ってるのかと思うも、こっちは洗剤の箱だった。

子供が見つけても、手に取りにくくするような配慮だろうか。


「これを見てもらえる?」


そういうと、テーブルに置いて箱の蓋を恵子さんは開けた。

ちょっとばかし警戒しながら何かと、覗き込む。

しかし、そこには小さな小物がいくつもあるだけだった。


折り鶴、あとは、折り方も知らないようなバラの花。それに丁寧に処理された押し花。後は大きいものは自然を利用して作ったリース。どれもよくある季節ごとに飾るもので、どれも綺麗に作られている。


「えっと、これは?」

「……一年ほど前から、玄関の前に置かれるようになったの。それも私と子供の誕生日、結婚記念日、クリスマスやお正月といった特別の日にね」


優人と賢治は言葉を失う。

あまりにも心当たりがありすぎたせいだ。

でも、どうして?


「本当は捨ててしまおうと思ってたの。いたずらだと思ったし、気味が悪かったから。でもよく見れば丹精こめて綺麗に作られているし、もしかしたら私たちの事をよく知る誰かが、贈り物をしてくれているんじゃないかって」


恵子さんはその中の一つを取り出すと、丁寧に撫でた。


「……どうやらあなた達は関係ないようね。こういった小物はね、私、大の苦手で、いつも代わりに器用な夫に作ってもらってたの。よく思い出すわ、だからなんとなく捨てられなくって」


そういうと、恵子さんは箱に細工物をしまい込み、元あった場所に返し始めた。


「……っ」


優人はつばを飲み込み、一昨日見かけたのはあなたの夫ですよ、というべきじゃないかと、いや、真実をすべて打ち明けるべきじゃないかとも考えた。

しかし、その前に、


「良いっすね、そういうの」


賢治はどこ吹く風で言った。


それから、当たり障りにない話に移った。

学校や、友達、成績や、どこの学校に通っていたかなど。

そういう普通の話を続けるにつれ、恵子さんの表情は、どんどんと最初に会った時に戻ってきた。

それに優人は少し、心を次第に落ち着けていきながら時計を見遣った。

もうそろそろ、昼ご飯を済ませとかないとな、と考えたところで、


「ただいまーっ!!」


いきなり玄関から、元気一杯の女の子の声が響いた。

靴を脱ぐ音がした後、しばらくして短い廊下を走る音がする。


「ねえ、お母さん。さっきすっごくきれいなお姉さんがいたよー!」


リビングに飛び込んできた亜希子ちゃんを恵子さんは、母親の顔でたしなめる。


「こら!お客さんが来ているのよ。それに廊下は走らない!」

「ごめんなさい。でも靴はちゃんと揃えたよ」

「それはお利こうさん、じゃあ、お客様に挨拶は?」


恵子さんが笑顔で言うと、亜希子ちゃんは頭を目いっぱい下げきた。


「いらっしゃいませ!」

「おじゃましてます。亜希子ちゃん」


優人は笑顔で返事をし、賢治も手の平を振った。

それからそろそろ引き上げようと、優人は残ったお茶を全部飲み干した。

隣では賢治が同じように続く。


「じゃあ、そろそろ帰ります。あの、今日は色々とありがとうございました」


頭を下げて、立ち上げり、テーブルの椅子をもとに戻した。

恵子さんもそれを望んでいたようで、ええ、と答えると、


「何か困った事があったら言ってね。してあげられる事はないかもしれないけれど、こうして話を、くすっ、いえ、今日は私のほうが話を聞いてもらってばかりだったわね」


そうおかしそうに笑うと、


「でも、時間があれば電話してくれたら、今度はお菓子を作って待ってるから」


家の電話番号を教えてくれた。


「じゃあね、ばいばいー」

「ちゃんと玄関まで見送るのよ」

「はーい」


それから二人の見送りを受けながら、優人と賢治は玄関で靴を履く。


「それじゃあ、お邪魔しました」


しかし、出たところで孫に置いてけぼりにされたおばあちゃんが、重そうな買い物袋を持っている所に遭遇する。どうやらお正月の準備の様だ。

また、再び舞い戻り、玄関の中に入れるのを手伝った後、ようやく優人と賢治は家から離れた。


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