103.触れ合い
一層世界は寒くなり、もうエルシェナが現実世界にやってきてから一月以上が経過していた。
いつの間にかクリスマスの時期がやってきて、街並みは様相を一変させている。
例年通りなら、優人の家には関係ないはずの行事だが、美咲が色々と、いや正確には美咲の母が料理や、プレゼントをくれる日でもある。
まあ、ささやかで普段とあまり変わらない日だ。
果たして母が生きていた時には、何かをやっていた気がするが、もうその記憶はおぼろげだ。
「優人!ちょっと、聞いてるの?」
「え、……ああ、ごめん。なんだっけ」
いきなり美咲の鋭い声がして、返事に詰まる。
晴天の空を見上げていて、ついつい上の空だったのだ。
目の前にいきなり買い物リストが書かれた紙を突きつけられて、意識が戻る。
「買い物!それにエルシェナの事気にしてあげててよ」
「わかってるよ……」
そうだった。
今は天神市に大晦日の用意やら、何やらで家の用事も合わせて来ているのだった。
美咲に言われた通りに後ろを振り返るとエルシェナが、左右に頭を珍しそうにに動かしながらついてきている。その後ろには部長に、風元さん、そして賢治だ。
エルシェナに街並みを見せるのと、後は慣れてもらうために皆にも手伝ってもらっている。
「寒くない?」
「……もちろん寒い、……でもそれ以上に面白いな」
エルシェナに聞くと、目を輝かせて答えた。
その瞳はほとんど帽子のふちに隠れて見えないのは変装のためだ。
スカートはどうしてもエルシェナが、嫌がったため傍から見ると男子中学生の格好だ。
帽子の上からさらにパーカーの帽子を被っていて普段なら、怪しまれるかもしれないが今は冬だ。
通りで隣を通り過ぎる人たちも気にした様子はない。
「おい、寒みーよ。どっか速く入ろうぜ」
「わかってるって、でも売ってる店はもう少し先」
賢治のすねた様な声に美咲は、母親の様な諭す声で答える。
まあ。ぶーたれるのも当然だろう。
買い物袋を両腕にぶら下げて、一時間近くも買い物に同行しているのだから。
父さんも年末は忙しいとかで車は出せそうもなかったし、どうせ居候している身分なのだから少しくらいいいだろう。
そう思う優人は手ぶらでポケットに手を突っ込んでいるだけだ。
しかし、これはエルシェナがいきなり動き出した時に、静止するためという美咲にお達しだ。
「でも向井さん、手分けした方が速く済むわ、私と福部で回るから」
「え~と、たぶん。次の店て全て終わると思うのだけど」
風元さんが寄ってきて立ち止まり、美咲と一緒にリストを調べ始める。
あいにく部長も自分も、買い物に関しては女子に負ける。
それよりも部長が激しいくしゃみをした方が気になった。
「大丈夫、部長、やっぱ風邪ひいたばっかりなら休んだ方が……」
「いや、本当に、だ、いぶわっくしょん!!」
エルシェナが嫌そうな動きで飛び退ると、風元さんがじとっと部長を見た。
「いいのよ、何度言ったってついてくるって言い張ったんだから。これで悪化しても知らない」
確かに電話した時に、無理に付いていくと聞かなかったのだ。
呆れたような顔で賢治が部長に軽く蹴りを入れるとうんざりした声を発する。
「それでその女は、まだ気配とやらを発見できねえのか?」
「いや、まだだ、僕も何も感じない」
賢治がいらいらするのも当然か。
あのオーガの事件から、無謀にも手掛かりを探して動き回っていたのは賢治なのだ。
それにしても、エルシェナって名前がるのにいつまであの、だのその女よばわりなのか……。
エルシェナ自身は、まだ日本語が不慣れで賢治の事をあまり気にしていない。
敵意に敏感なのだから、このまま無視してくれていればいいけれど。
「賢治の奴が気配を感じないかって聞いてるけど、何かわかる?」
「いや、何もだ。……なにか全体的に違和感を感じるのだが、それがこの世界にのせいなのか、あの魔女の気配なのか区別がつかない」
「そっか……世界か」
いうなればエルシェナが幽霊のような状態なのだった。
相変わらず優人はエルシェナに触れる事は出来ない。皆にその事を伝えたときのことを思い出す。
やはり幽霊という感じで恐れられた、
「もしかしたら門を閉じてしまったことで、こっちの奴らは活動できなくなったとか?」
「だったらどうしてユートは無事なのだ?自分で言っていただろう」
「それはそうだけど……」
門を浄化した事に何か関係があるのかもしれない。でも、わかるはずもなし。
だったらと、こっちの不審死事件からあたろうと思ったけれど、部長のおじさんはもう一切情報をくれないらしい。そりゃ、あれだけの事がおきればね。
ああ、でも前に確認のための写真を持って訪ねてきたことがあったっけ。
「エルシェナには見せられなかったけれど、前に話したあのかわったオーガ。あれにはいくつもの剣でつけられた傷があった。あれををつけた奴らがいるはずなんだ」
「仲間割れか?」
「それとも暴走かな……たぶんこっちの方が正しいと思う」
そこで二人は口を閉じた。
美咲達が動き出したことだし、あまりクロムクル語で話していると注目を集めてしまう。
「えっと、ここだ。じゃあ、ユートとエルシェナはここで待ってる?帽子は目立つし」
「そうだね、店内だとさすがに。わかった」
百貨店に入ったところで、美咲についていこうとするエルシェナを呼び止める。
どうやら買い物もここで終わりそうだ。まあ、これから帰らなくてはいけないのだけど。
「ほら、賢治、アンタは来るの!荷物持ちはいるんだから」
「ちっ、わかったよ。ったく優人にやらせろよ」
「文句いわないの。言葉通じるのはユートだけなんだから」
ごねている賢治を全員で引っ張手行くと、あたりが急に静かになった。
人通りが少ない壁の長いすに腰かけると、エルシェナも隣に座る。
「ここは……本当にいい場所だ……」
「え?」
ぽつりとエルシェナが言葉をもらした。
横を向くと、ほぼ同じ身長となったため、エルシェナの横顔を真正面に捉える。
その表情は、悔しいのか穏やかなのか、よく読み取れない表情をしていた。
エルシェナは、すっと自分が着ている美咲の服を撫でる。
「到底あちらでは、考えられないほど良い布地だ。……それにいつでも流れ出る水に、自在に誰もが扱える火の精霊」
首をゆくっりと理解出来ない様に振るエルシェナは、優人に普段、自覚していない事を思い出させる。
確かに、いくら不思議な魔法みたいな精霊の力を操るといっても、あちらの世界は精霊術が存在しなければこっちの世界で言うところの産業革命以前の時代だ。
精霊術が使えなければ苦労して井戸を掘り、窯で火を焚き、お風呂など贅沢の極みでしかない。
「なにより、人々の表情が穏やかだ。誰も何かにおびえた様子がない。……はじめはここは天国かと思ったくらいだ」
「いや、それは違うけど、……でも確かにこの場所は、本当にいい所だよ」
「……ごめんね……ユート」
「な、なにが!?」
いきなりしおらしくなったエルシェナは、こちらをじっと伏目がちな視線で見てくる。
普段使わない言葉遣いに、それも見たことのない悔やんでいる表情だ
「あっちの世界ではさざ過ごしづらかっただろう、それなのに私は、嫌がるユートを引き連れて……」
「いや、そんなことない、ってか……少しは思ちゃったけど」
エルシェナが、やっぱりかという様な悲しそうな表情をしたため、慌てて否定する様に両手を振る。
その手をエルシェナが少し苦笑した様に笑い、あっと気づくように心配そうな表情に変わる。
「ユートの手、だいぶ赤くなっている、痛くないのか」
「ああ、いきなり暖かいところに入ったから、しもやけだよ。ってエルシェナの方が」
ゆっくりとこっちの手をつかもうととしていたエルシェナの赤くなった手が止まる。
自分の手を気にしてではない、触れる事が出来ない事を思い出したかのようだ。
そういえば朝、手袋を美咲に頼めばよかったな……。
「そうだ、ちょと待ってて。あ、絶対に動かないでよ」
優人はいいことを思いつき、立ち上がるとエルシェナに念押ししておく。
あまり財布の余裕がないことを気にしながら衣服コーナーに急ぐ。
支払いを済ませ、慌てて戻るとエルシェナは元の位置にちゃんといてくれた。
寒そうに手に息を吹きかけている所に買ってきたものを乗せた。
「はい手袋。あまり金がなくて安物だけど、セットだったから」
「……ありがとう」
「クリスマスプレゼントかな、少し早いけど」
そういって優人が青い手袋をすると、エルシェナの手に赤い方の手袋をつけてやった。
安物とはいえ、前にアイスガルド国に行った時に着けていたものよりは暖かいかもしれない。
エルシェナはちくちくした感触が面白いのか、握ったり繰り返している。
優人はその手に自分の手を重ねた。
「ほら、こうすればちゃんと触れる」
「う……ん」
こうして触れ合った感触は妙に懐かしい。最後に触れ合ったのはいつだっただろうか。
自然と指を絡める様にして互いの手で温めあう。
妙な気恥しさはなく、何故か離れ難く、結局買い物を終えた美咲達が帰ってくるまでそのままだった。
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「賢治の奴が料理を出来るなんて意外だよな」
洗い物を美咲と二人で済ませながら、優人は呟いた。
買い物から帰った後、夕食を作るのをいつもの様に賢治がかってでたのだった。
少しは居候を気にしているのかもしれない。そういえば義理堅いやつだったっけ。
家に戻る様に諭しても、施設や親戚の家はどちらもごめんだそうだ。
まあ、父さんがいいならいんだけど……
「ね、驚き。あんな大雑把な作り方しといて味は繊細だもんね。笑っちゃうよ」
「確かに、味の追及にしつこいのはまいったけど、ま、作り方も味も大雑把な人よりはだいぶましだけど」
「だ・れ・の事よ、それは!」
「誰でも。てか作ってない僕は文句いう気はないよ」
勢いよく渡された皿を受け取って、優人は笑う。
そこに美咲がふと、話はかわるけど、と前置きをしてとんでもないことを言い出した。
「賢治の奴っエルシェナの事が好きなんじゃないの?」
「え?」
危うく受け取った皿を落とすところだった。
それを目ざとく美咲が見ている。
あいつが?どうしてまたそりゃ……
「ね、ね、そうじゃない。だってほかの人と見る目がちがうもん」
「いや、それならちゃんと名前だって呼んで……」
「だから、あいつは小学生の頃から変わってないよ、気になる子にはいじわる的な
そう考えると、たしかにそんな気が……。
賢治はそんな奴だったかもしれない。
「ねー、エルシェナはまるで相手にしてないけど、眼中に優人しかないって感じ」
「…………」
「あれーどうして黙っちゃったのかな、優人君はこういうお話はお嫌い?」
「からかうのはやめろよ……」
全く二人に聞かれたらどうするつもりなのか、とはいっても賢治は居間でテレビを見ているし。
エルシェナは……あれどこだ?
「噂をすればって奴?」
美咲の声につられて同じ方向に視線をやる。
窓の外、雪がちらほらと降る中に境内に立つエルシェナの姿があった。
「寒いから入ったこたつで温っまろって言っといて、ここはやっとくから」
「ああ、わかった」
「それとも賢治の所にエルシェナを連れて行きたくない?」
「だーから、からかうのは……」
「わかった、やめるってば!」
外に出ると、エルシェナは同じ場所で空を見上げていた。
分厚い灰色の雲からは、雪が続けるだけで、月のありかはわからない。
その祈る様に握られた手には赤い手袋があり、優人はふっと、息を吐く。
「ユート……」
「エルシェナ、何してんの?入ろうよ、寒いでしょ」
こちらの気配に気づいたエルシェナは姿勢を変えないままだ。
背中を向けたままだとエルシェナがどんな表情をしているかはわからない。
けれども、帽子から流れる銀髪が雪に見え隠れしながらも存在感を放つ。
「……祈っていた。どうか、これ以上誰も失われないように、お父様、それにセリアもお姉さまも……そしてユートの無事も、……私はそれだけしか出来ない」
……気にしているのはわかる。
仕方がないとはいえ、何もできない自分を一番に呪ってしまうのはエルシェナ自身だ。
そして祈る事しか出来ない自分を悔やむのもそうだ。
「私は、おじい様が亡くなったと聞かされるまで本当に意味で自覚してなかったのかもな。多くの戦士があの戦いでいなくなったのにも関わらず、……それがどういう事か」
体が震える様にしてエルシェナは、しゃがみ込んだ。
背中からエルシェナが抱きかかえているものがユートが与えた短剣だとわかる。
それを握りしめているのだろう。
幼いころから、他国に送られると知ったときから頼りとしていたもの。
それを振るう機会を奪ったのは自分だ。だけど……。
「エルシェナ……」
そしてそれだけをもう頼りにして欲しくはない。
そのつもりで近づこうとした優人の足を止めたのはエルシェナだった。
これではクロムクルにいた頃の方がましだった……、ほとんど聞こえない小さな声で言った言葉に優人が驚く、一体どういう事かと……。
「あの頃の私は、少なくとも自分が何者かわかっていた。自分がわかっていたからこそやるべきことが見えていた。でも、今は……自分の、自分の正体を知ってからはわからない」
「そんな事はない!」
やはり、気にしていたのか!
でも魔女から聞かされた話は真実なのかどうかわからない。
こちらをたぶらかす嘘だったのかもしれない
「私は愛されて生まれた存在ではなかった、必要でもなかった!ただお父様を、世界を苦しめる存在となったものだッ!!」
「そんな事は違うっ!!」
「違わない……でなければお父様が黙って魔女のいいなりになるはずがなかった。それだけは確かだ!」
クラウディアが確かに最強の戦士だと聞いた。そんな男がなんの抵抗もなかったのはおかしいのかもしれない。でもただ対抗すら出来ない相手だったことも考えられる。いや、そうか……
「私は、母の子ではなかった。お父様があんなに事になるはずもなかった……」
「それは全て、あの魔女のせいだ。!エルシェナが苦しむ必要はどこにもない!」
そうだ。エルシェナはきっと愛されていたのだ。
愛してたから魔女の提案に乗り、そして遠ざけたんだ。それはクラウディアの抵抗であったに違いない。二人の娘が近くで苦しまなくて済むように……。
今ならその気持ちがわかる。
だからこそユートも、エルシェナを逃がす場所をここにしたのだ。
「エルシェナは、絶対にお父さんに望まれたんだ、きっとお母さんも望んでいたから選んだんだ。世界を滅ぼしてしまうかもしれない覚悟を」
前に一歩近づいた。自暴自棄になっているエルシェナを救うために。
握れるのは、頼れるのは自分が持つ剣だけではないとわからせるために。
「ああ、……僕だってエルシェナを救えるのならきっと世界だって見捨ててみせる」
はっ、とエルシェナは振り返った。
やはり涙を流していて、最近泣き顔ばかり見ているのかもしれないと思い出す。
エルシェナだって皆の想いが分からないはずがない。わかったうえで自分を苦しめているのだ。
だからこそ何度でも言ってやる。
第一、自分だってその戦犯第一号なのだ。
「呆れたことを……でも」
エルシェナは涙を拭って首を振った。それは首を振って否定の言葉か、それともその先に続くのは?
その時、エルシェナの表情が変わった。
「どうし……」
「気配だ……あいつの!!」
……何を、まさか!!
止める暇などなかった。
砂利を爆発的に弾き飛ばす勢いで飛び出した姿など目でも捉えられなかった。
鳥居を飛び越える高さに翻った銀髪がわずかに見える。
「エルシェナ!!」