10.戦争の歴史
約2000年前、この地に降りてきた魔王アンカーン。
かの悪魔は、魔物を造り、人を惑わせ、暴虐の限りを尽くした。
しかし人々は今だ希望を捨ててはいなかった。
天上の神より使わされた勇者ヤード。
彼は、人々を率い魔王を滅ぼす。
その者が何者だったかはわからない。
ただ記録に残るのは一切の濁りのない黒髪黒目であった。
そしてこの地に再び災悪が降りかかればば、かの者は姿を必ず現す。
……らしい。
ユートは、児童用の絵本を閉じた。
凝り固まった体をほぐすように、思いっきりのびをする。
「ユウト殿、全部読めましたか?」
前から声を掛けられる。
限界まで伸ばした体を戻し、前を見ると木の板の前にアルベルト先生が立っている。
木の板には白い粉でこの世界の地図が描かれ、ところどころ細かい説明がされている。
「はい、まだ動詞の活用とかは難しいですけど」
ユートは答える。話している言語は日本語ではなく、クロムクル語だ。
それから目の前に広げてある、羊皮紙に目を落とす。
そこには優人がいまだ理解できない単語がたくさん書き込んである。
ここに来て随分経ったよ……
―――羊皮紙には、クロムクル語以外にも日本語でこの世界についてわかったことが書き込んである。
1、この世界はペシャワールといい、クロムクル国とアスフリート国の二つの大国がある。自分がいるのはクロムクル国、王を君主とし貴族がそれに続く封建社会。
2、世界地図はないので全体はわからないが地球とは全く違う地形。
この二つの国を超えた先にも大陸は続いている。
3、この異世界は、太陽が二つ、月は一つ。周期は同じで地球の24時間とほとんど変わらない。
4、現実世界で眠ればこの異世界で目覚め、異世界で眠ると現実世界で目覚める。
5、現実世界で目覚めた時、異世界の記憶は夢のようで安定しない。それは異世界でも同じ
6、自分は伝説の勇者ヤードと同じ黒髪黒目なので、クロムクル王に歓迎されていること
……これだけ。
何故このような奇妙な事になっているかは謎。
一つだけわかっていること……この二重生活が始まった日は8年前の美咲町事件があった日。つまり―――母さんが死んだ日だ。
この異世界で目覚めてからは、ひたすら図書室に閉じ込められての勉強だった。
古い巻物や石版が立ち並ぶ部屋でアルベルト先生と付きっ切りでクロムクル語の勉強。
約半年で簡単な会話と児童用の書物なら読めるようになっていた。
―――自分でも驚くべき成果だと思う。
こちらにきてからというもの他にすることもなく部屋に缶詰だったせいと現実世界ほど物があふれていないせい。そして状況によって使い分ける単語が少なかったおかげだ。
「それは間違っている!」
―――と、そこで思考を打ち消す声がした。
隣に視点を動かすと、ユートと同じように椅子に座り机に書物を広げているエルシェナ姫がいる。
今日も相変わらずこの国の女性がよく来ている中世風のドレスではなく自分と同じ少年が着るような白いシャツに黒いズボンだ。
輝く銀色の髪に日光を反射し影が出来ている壁に綺麗な模様を写しだす髪飾りをつけている。
彼女についてわかったことだが、この国の姫ではなく、平和条約を結ぼうとしているアスフリート国という国の王女……らしい。
言葉が少し話せるようになってから彼女と同じ部屋で勉強しているのだが一向にこちらを睨んでくる瞳は変化がない。
……何度も謝ったというのに。
「しかしですな。エルシェナ姫、10年前のカスファーン平原の戦いでも、それ以前の嘆きの海の戦いでも全てアスフリート国から仕掛けられた戦争なのです」
アルベルト先生が木の板ーーー黒板を棒で示すと地図のあちこちに戦争を示す剣と剣を交わるマークがある。
アルベルト先生は、それを示しながら
「856年前、初代アスィン・クロムクル王がこの地に国を建国。それに続き38年後、アスフリート国も建国されたとあります。それから両国の関係は戦争の歴史であったと記録されているのです」
「だからそれが間違っていると言っている」
今日はアルベルト先生が歴史の授業をしている。
エルシェナとユートはそこに疑問に思ったことやわからないことを質問するという形式だ。
優人は、始めは男言葉を使うエルシェナ姫は、勉強嫌い格式ばったの嫌い遊び大好き
という姫様で授業をまじめに受けず外に飛び出していくのではないかと思っていた。
しかしエルシェナ姫は以外にも姿勢正しくアルベルト先生の話を聞いていた。
「それは、クロムクル国が私の国について誤解しているからだ。クロムクル国は、王を頂点とし貴族がそれに従っているが、アスフリート国は、6つの部族がより集まった国だ」
エルシェナは、羊皮紙に書き込んでいた羽ペンを指先でくるくるまわしながら話を続ける。ユートは、エルシェナの横顔を見ながらなんとかわかる単語を拾っていく。
「ワイアンドット族、モホーク族、タスカローネ族、カノート族、セルランディ族、ヴァンガ族。6つの部族の内、選ばれた一つの一族の族長が王を死ぬまで務める。今はセルランディ族の者が王をしている。私の父だ」
エルシェナは、しばらく顔を下に落としてから続けた。
アルベルト先生は、先ほどからエルシェナの言葉を一字一句逃さないように紙に書きつづっている。
「そして王になったからといって王の部族は他の部族に対して支配権を持つことはなく、いくらばかりの上納金を受け取るだけだ。戦争が起こった時、それを使い、6つの部族をまとめるのが王の仕事だ。他の部族は王に従わなくてもいいし、勝手に戦争を起こしてもいい。そもそもアウフリート国は、クロムクル国に対して団結するためだけに作られたようなものだ」
エルシェナはそこで一息つく。
ユートは、なんとかわかることを書きとめる。
「では、10年前のカスファーン平原の戦いは……」
「そうだ。タスカローネ族が勝手に引き起こしたものだ。他の部族まで巻き込んだ戦争となったが王が命じたわけではない」
「なるほど、そういうことなのですか」
アルベルト先生は一旦ペンを止め、エルシェナ姫とユートに向き直る。
そこで何度も頷きながら口を開く。
「ユウト殿、私達の世界についてどう思われますか?ヤードの末裔の目から見てこの世界はどう映ります?」
「……前にも言ったように僕は、元の世界ではただの学生です。あまり詳しいとこは言えません。この世界は僕の世界とは全然違います。でも人間は変わらないと思います。僕達の世界も戦争の歴史です」
ユートは頭を掻きながらなんとか言葉を捻り出していく。
そこでエルシェナが椅子の向きを変えこちらに向く。
「お前は、戦争についてどう思うのだ?」
「戦争は、間違っていると思う」
「どうしてだ?話し合いも通じずどうしても引けないなら、残るは戦う道しかない。だからこそ戦うのではないか、それを間違っているとお前はいえるのか?」
ユートは、現実世界での社会の授業のことを思い出して行く。
そこに書かれていた歴史、戦争について。
「それは……わからない」
「では、お前は戦争がどういうものか知っているのか?」
「僕は体験したことないけど、僕のお爺さんは参加したんだ。恐ろしいほどの人が死んで、今もその傷跡が残ってるよ」
エルシェナは、ユートの言葉に賛同するように頷き、
「そうだな、私が生まれる前にも戦争があったが、戦争による死者により一族が滅びかけたり子供の数が少なくなったりした。最近では、南方諸島のオーガ共との戦いも落ち着いたとはいえ、戦死者が多いとも聞く。だがそれは、毎日起きていることだ、病気で死ぬのと覚悟を持って戦争に行った者が死ぬ。それのどこが違うというのだ?」
エルシェナは言ってみろというふうに、顎を前に出し質問をしてくる。
「僕の世界の戦争では戦士の数より多くの普通の人が犠牲になった。平和に生きたい普通の人がだよ」
エルシェナはその言葉に体を止めて、何か言おうとした口を閉じる。
アルベルト先生も悲しげに細めた目をこちらに向けてくる。
「どっちにしても……死ななくてもいい人が死ぬのは間違ってるよ」
ユートはつぶやくように言った。
それに対しエルシェナは何も言葉を発せず、じっとこちらを見ていた。