そちらが友人というならばこちらだって友人です
「それならば、あなたも浮気してしまえば? アンネリース」
憂う親友の横顔を見つめ、私は思わずそう言った。
ここは学園。高等教育と社交練習を目的とした、貴族の系譜と推薦を受けた有能な者、あるいは裕福な平民の子が通う教育施設だ。
年頃の男女を一か所に集めて画一的な教育を施すことに初めは賛否あったようだが、基礎的な能力の底上げや中々縁を結びづらい遠方同士の家がここをきっかけにして新規事業発足にまで至る等もあり、現在では学園の入学卒業は当たり前のこととなっている。
さてそんな学園の中、整えられた庭園の設えられたテーブルで切ない顔でため息を零しているのはラウエルス伯爵家の総領娘アンネリース嬢である。ラウエルス家は建国以来からの歴史ある家柄で、伯爵家の中での序列は上位に当たる。領地も比較的大きくはないが肥沃で農耕も盛ん、そのおかげで税収にも余裕のある裕福な一族だ。うらやましい。
そんな一族の総領娘であるアンネリースには婚約者が居る。学園に通いその交流で縁を結ぶ家もある中(というか最近はそういう家の方が多い)アンネリースは入学前に婚約を済ませていた。ラウエルス家の婿を学園で探します、なんてことになったら大騒動になってしまうし、他家への影響も大きい。それもあって、同い年のティマーマンス侯爵家の三男坊フロリス様と婚約をしているのだが……
「エルケ。あの人、またクラース家の妹と一緒に居るの」
「コーネリア嬢? 前までは兄も居ましたって建前があったのに、とうとうそれも無くしましたか」
「あんなに仲睦まじくしておいてただの友人だなんてどの口が言うのよ。侯爵家と言ったって継ぐ爵位もない三男坊、それも我が家への婿入りだというのに何様のつもりよ!」
「そうですねぇ。ここへ通いながらあなたとの仲を深めるのが肝要でしょうにね」
「あの人がしっかりしてくれていないと、後釜を狙った男たちで煩わしいのに!」
「アンネリース、フロリス様との婚約解消は考えていないの?」
「いいえ。だってティマーマンスの街道へテコ入れ出来たら、輸出入がしやすくなるんだもの」
ああ、そういう意図あっての婚約だったのか。それなら余程に下手を打たない限りは結婚まで進むだろう、余程に下手を打たない限りは。浮気は余程の下手だと思うんだけどもなぁ。
そう、婿入りだというのにフロリス様は浮気をしている。クラース子爵家のご令嬢コーネリアと。ただの友人だと言い張ってはいるのだが、先日私たちが見かけた時はベンチで寄り添うように腰掛けていた。あれは異性であれば家族か婚約者同士か恋人でもなきゃ許されない距離だと思う。
「エルケ、ねえ、エルケ。私、なんで蔑ろにされているの?」
「アンネリース……」
「あなたが羨ましいわ。私の婚約者も年上であったなら、もっと優しくしてくれたのかしら。男の人にこんな扱いをされたこと一度もないのに!」
そりゃあ、歴史ある大貴族の一粒種の総領娘、両親に可愛がられている見目愛らしいお嬢様だ。蝶よ花よと育てられてきただろう。
「私の場合はいささか特殊ですし、年上年下がどうこうというより、ただただフロリス様が不甲斐ないと言うか」
「あなた、結構言うわね」
紹介が遅れたが、私はヘンドリックス男爵家が長女エルケ。ラウエルス伯爵領と隣接する領地にて、主に軍馬の産出と生育を生業とする家の者だ。幼いころからアンネリースとは交流はあったが、こうして学園に通うようになって程なく親友と呼びあう仲となった。
いや、ちやほやされて何でもやってもらってきた生粋のお嬢様であるアンネリースが学園で本当に大丈夫なのか、と不安になったラウエルス伯爵夫人から様子を見てやってほしいと依頼されたのがきっかけではあるんだけれど……あんまり大丈夫ではなかったので少しずつ手助けしていたら懐かれた、というのが正しいのかもしれない。
これは余談だが、軍馬関係を生業としているため我が家に嫁ぐのも軍関係者が多く、その結果、うちの家系は男女とも厳つくなった。御多分に漏れず私も女子としては長身だし骨太だ。アンネリースと並ぶと頭ひとつ分くらい高い。ラウエルス伯爵夫人からは、貴女のような『頼りがいのある』娘がそばに居てくれたら安心だとのお言葉を頂戴するほどである。
そんな厳つい私を六つ年上の騎士爵を持つ婚約者は、自分のような無骨者には小柄な貴族女性なんてガラス細工を触るよりも恐ろしいので他の女性よりも骨太だと言うなら安心するしそもそも自分と比べたら十分すぎるほど華奢だなんていって丁寧に扱ってくださるのだ。アンネリースが羨ましいというのもむべなるかな、本当に素晴らしい婚約者である。この話をするのは必要だったかって? いいや、ただの惚気だ。
「扱われ方に腹を立てているだけなのに、嫉妬してると知らぬ人に思われるのもまた腹が立つ」
「嫉妬するほどの関係性でもない、というのは何と言うか……二人とも婚約決まってから随分と経っているでしょうに」
「それはいいのよ。はぁ、何か良い仕返しってないかしらね……」
顔をそむけ、憂い顔でため息を吐く親友を見て、何か良い気晴らしは無いだろうかと考え。
閃いてしまったのだ。
「それならば、あなたも浮気してしまえば?」
そして、冒頭へ戻る。
ぽかん、としたアンネリースは、ややあって眉をひそめた。
「あなた、私にどこの馬の骨を宛がうつもり?」
「ちがうちがう、所詮は茶番だから安心して。私と浮気しませんか?」
「……エルケと? どういうこと?」
「私が男装したら似合うと思うんですよ」
遠目から見れば男装した私だとすぐには分からないだろう。そして、男女であれば近すぎる距離を見て慌てたらいい。私たちには何もやましいものはない、フロリス様よりも付き合いの長い同性の親友同士が寄り添って何の問題がある? ってなもんだ。
「それ……エルケが変な目で見られるんじゃ……」
「先生方には事前に暫く男装する旨は伝えるし、私の婚約者は他国の女性軍人も見慣れているから男装したことを知ったところで何も思わないし、弟が文句を言うようなら姉としてねじ伏せるし、何よりもね、アンネリース」
「……なぁに?」
「かわいい親友の憂いを払うためならば、たとえ変人と見られようとも何の問題もありませんよ」
「……やだ、まだ男装もしてないのにちょっとときめいちゃったわ」
茶化して笑うアンネリースの目が潤んでいるのは気づかない振りをして、私はさも花を愛でるかのように視線をずらした。
通学のために滞在しているタウンハウスへと戻り、私は使用人に小さくなって着られなくなった弟の服を数着持ってくるように指示を出す。部屋でそれを待っていると、服と一緒に弟もやってきた。
「姉様、これ何に使うの? 寄付?」
「いや。私が着る。今のお前の服ではさすがに大きいけれど、昔の服なら何とかなるかと」
「はあ⁉」
「よくそんな素っ頓狂な声出せるね、すごいなエヴァルト」
「姉様が素っ頓狂なことを言い出すからだろ。なんで男の恰好なんか」
「アンネリースの気晴らしと侯爵家のボンボンへの嫌がらせ」
かいつまんで現状と計画を話すと、エヴァルトは呆れた顔を見せたが、それでも『なら他の服も持ってくるよ』と協力姿勢を見せてくれた。メイドも呼び、コーディネートをああだこうだと言い合い、そして試着をした結果。
「……僕は今、姉様が姉様で良かったと心の底から感謝している」
「何だそれ」
「こんな軽薄な兄、絶対に嫌だぁ……ッ!」
女としては長身骨太だろうと、男として見ればアラ不思議、線が細い軟弱な優男へと変貌する。普段は結い上げている髪は、シンプルなリボンで一つに結んだだけ。胸はもとから大して大きい方ではないから布で押さえればいい、何なら男性のように胸板の筋肉がないから腰回りの補正も含めて布で巻くくらいの方がちょうどいい。あとは上着で誤魔化す。
顔についても、普段はどちらかといえば中性的な面立ちを化粧で女性的で愛らしくなるように整えているので、それをキリッとした雰囲気で調整してもらえば服装とのバランスはとれた。軽薄か、成程、分からなくもない。確かにうちの家系にこんな男が居たら突然変異と言われるだろう。
「ねぇ、エヴァルト。我ながら似合っているとは思うんだけれど」
「僕から見ても似合ってますよ」
「ありがとう。でも、思っていたほど男には見えないものだね」
「近寄って見たら姉様ってすぐ気づくでしょうね。顔そのままですし」
「普段の化粧とはかなり変えているんだけど、変わってない?」
「えー……? ああ、そうか、僕は化粧してない顔も見慣れているからか。でもどの顔でも別人ってほどの変わりないですよ」
「そんなものかしらね」
学園の教師には暫くの間、異性装で居ることの許可をとった。異性装を禁じる規定があるわけではないが、学内をお騒がせするのは間違いないので事前に相談しておく方がいいに決まっている。理由も正直に『アンネリース・ラウエルスに対するフロリス・ティマーマンスの不義理な行動を客観的に見せて自覚させる為』だと伝えた。
……過去には泥沼の恋愛関係で婚約者の入れ替え・解消・嫡子変更・長年協力関係だった家同士の対立その他諸々の大騒動に発展したこともあるそうで『自分も婚約者以外に慰めを、と自棄を起こさないだけ助かる』とわりとあっさり認められた。先生方もご苦労なさっているらしい。お労しい事だ。
そんなこんなで準備を整えた、とある朝。普段よりも早い時間に家を出て、ラウエルス家のタウンハウスへ馬車を回す。事前に、今日から男装で行くから迎えに行くねと伝えておいたが、さて反応はどうだろうか。
馬車を降り、訪問を告げる。なお乗ってきた馬車はさっさと家へ帰った、エヴァルトを乗せて学園へ行かないといけないからだ。私はこのあとアンネリースの馬車に相乗り予定である。
顔見知りの門番がびっくりした顔で二度見した。不審者と思われないよう話を通しておいてもらったけれど、それでも驚かれるのは仕方ない。
「アンネリースは何と言うかしら?」
「きっとお褒め下さるでしょう、凛々しくてお似合いですよ。エルケ様」
「ありがとう」
果たして、玄関ホールでそわそわと待っていたアンネリースは私と目が合った途端、
「素敵よ、エルケ!」
と歓声を上げたのだった。
「おはよう、アンネリース。迎えに来たよ」
自分がしてもらった時を思い出しながら、アンネリースへ手を差し出す。嬉しそうに、そしてちょっと照れ臭そうな笑みでアンネリースは私にエスコートされた。
「いってらっしゃいませ、お嬢様、エルケ様」
使用人頭の挨拶にあわせて皆が見送りのために頭を下げる。心なしか普段より見送りの人が多い気がする。馬車に乗ってから聞いてみたら、男装のエルケが見たいなら見送りにいらっしゃい! と野次馬の許可を出したらしい。何をしているの、あなた。
「それにしても似合うわ、昔に読んだ絵本の王子様って今のエルケみたいじゃなかった?」
「ふふ、ありがとう。エヴァルトにはこんな軽薄な兄は嫌だって嘆かれたよ」
「まぁ! でもそうね、ヘンドリックスの一族の殿方、どなたも雄々しい方だもの。そういう感想にもなるかもね」
「我が弟から見て軽薄だろうと、アンネリースから見た評価が『素敵』であるならそれでいい」
「エルケ……あら、ちょっと待って、ねえ私このエルケを侍らして見せびらかすの⁉ ただでさえ女生徒に人気なのに、こんな素敵な貴公子になったエルケを⁉ 私、嫉妬で孤立させられたりしない⁉」
「ラウエルス家のお嬢様を無碍にできるような生徒、そうそう居ないでしょうよ、アンネリース……心配なら他の方も交えて遊べばいいし、私のことならいくらでも貸し出しなさいな」
「いやだわ、この軽薄!」
「誰が私に侍ろうと私の一番はあなたですよ、アンネリース」
「うぅ……笑うところの筈なのに、うっかりときめいちゃって悔しい」
「あなた、こういう物語に出てきそうな甘い台詞好きよねぇ。やってみたい一場面とかある?」
「今日帰宅したら蔵書から厳選するわ」
手始めに寄り添っていい? のリクエストにお答えして、揺れる馬車で身体が跳ねそうになるアンネリースを抑えるように肩を抱いて寄り添った。
学園に到着し、馬車を降りたら何かざわつきがすごかった。それもそうか、ラウエルス家の馬車から(遠目には)見たこともない男が先立って降りてくるのだから。そして当たり前のように同じ馬車からアンネリースも降りてくるし、そのまま私にエスコートされるし。堂々と引っ付いてるし。
フロリス(もう敬称なんていいか、あんな浮気男に)の不義理を見てアンネリースへ自分を売り込もうと隙を伺っていた男たちが愕然とした顔をしている。そうだろうなと思う。だって私を見せびらかしているアンネリースはご機嫌で、それはもう可愛らしい笑顔で私を見上げている。こんな顔、フロリスと居ても見せたことないだろうから。事情を知らなければ、新しい恋人に浮かれているようにも見えるだろう。実際は『見て! 格好良いでしょ! これ私の親友なのよ!』という自慢の笑みだけど。うん、かわいい。
教室に入ったらそりゃもう大騒ぎになった。クラスが違うとはいえフロリスに情報が渡らないよう、同級生には私の服装のことは伏せていたから。
「アンネリース様がまさか、と思っていたけれど、お前だったか、エルケ……」
「どこぞの誰かさんもご友人を腕に引っ付けているようだったから、私も友人の腕に引っ付こうかと思いまして」
「かわいい友人に引っ付いてもらうのなら、エスコートをしやすい恰好の方が良いでしょう? ってね」
「お似合いですわぁ……! 今までどこにあんな美しい男性が隠れていたのかしらって教室で話していたところでしたのよ」
つまりは当てつけのお遊びだ、と話せば皆一様に納得をしてくれた。フロリスとコーネリアの隠そうともしない仲のことを知っている人間は多い。
「エルケ様、あとで私とソファに隣り合って座ってくれませんか⁉」
「私、手を握り合って見つめ合いたいです!」
「そういえばエルケ様って男性側を踊れましたよね⁉」
「ちょっと皆様! 私のエルケはお人形じゃないわよ⁉」
「役者でもないしねぇ。貴公子らしく振舞うのは難しいので、放課後に恋物語の朗読会くらいで許していただけますか? 甘い台詞だけたっぷりと語りますので」
「エルケも面白がらないの! もう!」
凛々しく男装した女性の役者ってもしかして需要がある? うちの領地、大柄な女性も多いし……女性だけの劇団を作ったらもしかして流行るんじゃないだろうか。変な男性客がつかないよう、警備はしっかりとしなければいけないだろうけど。
一段落したらエヴァルトに話を持って行ってみようかな。娯楽は多いに越したことはないのだから。
良いリサーチになるかもしれない、と思いながら、エルケはあげないわよ! と引っ付いてきたアンネリースの頭を撫でた。
見知らぬ美青年があのラウエルス伯爵家の令嬢を筆頭に娘たちを侍らせている、という噂は一日で広まった。
そのわりに様子見に来ないなと思ったら、どうやら今日はフロリスは不在だったらしい。あんまり時間が経つと、男じゃなくってよく隣に居る女の男装だってことも広がっちゃうから早めに見てほしいところではあるんだけれど、こればかりは仕方がない。
まあ、とにかく本日は不在ということは、横やりは入らないということで。
「あっ、そうそう、もうちょっと胸を張るような感じで……」
「あとは歩き方が何だか違うのよね、ジョイ様もう一回そこからそこまで歩いてみてもらえますか?」
「はいはい、お嬢様方の仰せの通りに」
「付き合わせて申し訳ありません、ジョイ様。皆してここまで面白がるとは……」
「いいさ、愉快だし」
本日のカリキュラム終了後、空いている部屋を借りて友人たちによる「貴公子エルケの完成度を高める会」の開催されてしまった。
先ほどから会話しているこの男は、朝の話を聞いて様子を野次馬しに来てしまった為に『男性の見本』とされてしまった我が婚約者殿の末弟だ。名をジョイと言う。ひとつ年上ではあるのだが、怪我のため去年のほぼ休学していた時期があるため今年から私たちの学年に改めて通っているのだ。年上の義弟(予定)で同級生ということで、距離感を測りかねていたけれど……
「ほらほらエルケ殿、もっと堂々と! うちの兄上の物真似していると思って」
「ええ? 体格が違いすぎて真似も出来ませんよ!」
「男装して男らしく振舞う見本として兄上の真似をしているエルケ殿を見ましたよ! って兄上に話したら絶対に悔しがると思うので是非お願いします」
さてはあなた思ってたよりも愉快な人だね? そう思ったのは私だけではなかったらしく、クラスメイトのお嬢様たちが積極的に会話を始めた。そういえば彼はまだ婚約者が決まっていないはず。これを切っ掛けにしてどこかと縁がつながれば、なんていうのは望みすぎだろうか。
「どうだろう、アンネリース。こんな感じ?」
「いいんじゃない? ここからあちらまでエスコートをさせてあげますわ」
「麗しきアンネリース様をエスコートする名誉を賜れるなんて光栄の至りに御座います」
差し出した腕にアンネリースの細い指が伸びる。そっと絡まるその華奢さは私には縁遠いものだ。こうであったなら私の婚約者殿は別の男になっていただろうから、羨ましいとは思うことはないけれど、時折こうしてその美しさに目を捕らわれるのだ。何度でも、新鮮に。
……フロリスは一体何が不満なんだろう。こんなにも愛らしい娘が婚約者だというのに。
胸を張り、顔を上げ、堂々と。歩幅は普段よりは広く、けれど歩調はアンネリースに負担をかけない程度に。それから、あの人が私を振り返るように、私も可愛い親友を時折そっと伺って。
部屋の端から端。ただそれだけの短い距離をエスコートした。
「……エルケ」
「はい。どうだった? アンネリース。こんな感じで良いのかな」
「エルケ殿、それ兄上の真似?」
「真似というか参考というか……こんな気遣いされてた気がする、というものを取り入れたと言いますか。ジョイ様から見てどう……」
「エルケ!」
「はい! なんでしょうか、アンネリースお嬢様⁉」
「あなたは幸せにおなりなさいね!」
「はい⁉」
「私も! これが良い! いえ、あの人にこんな目くばせされたってもうトキメキも何もなく鼻で笑うと思うのだけれど!」
「いやぁ、ちょっとからかう話題が拾えたらいいなと思っていたんだけど、真正面から兄との惚気を見ると弟としてはこう、むず痒いものがあるね」
「どの辺が……?」
「だってねぇ、アンネリース様を見つめる目くばせの甘いこと甘いこと。君から見た兄上ってあんな感じなんだぁ」
「あの人からの眼差しが優しいのは事実だけど、私から向ける瞳も優しかったというのは、それはただ私にとってのアンネリースが可愛いからというだけで……別に目の向け方を真似て演じたわけじゃないし」
「どうしましょう、ジョイ様。どんどんエルケが私の心を奪っていくわ」
「完成度を高めるも何もアンネリース様にとって理想の貴公子もう最初から完成してるんじゃない?」
「私だけがときめくのは悔しいわ、皆さまも味わって! そして打ちのめされて頂戴!」
「はい、それじゃあ整列しようか、順番はこちらからどうぞ」
よくわからない盛り上がりを見せた二人と悪ノリして整列したお嬢様方によって、その後私は時間いっぱいまで部屋の往復をさせられることになった。ええ、もう皆さまが楽しいならばそれで良いですけれどね。
ぐったりとして帰宅し、顛末を話して弟に大笑いされちょっとした喧嘩になったのはまた別の話である。
翌日も同じようにアンネリースの馬車に同乗して登校する。昨日の騒ぎを見損ねた者たちなのだろう、この時間帯にしてはいつもより人が多い気がするんだが。
「御覧なさいな、エルケ。あなたの為にこんなに人が集まっているわ」
「どうしよう、手でも振ろうか」
「振るくらいならその手を私に差し出して」
「仰せのままに」
先に馬車を降り、言われた通りにアンネリースへ手を差し出して下車の補助をする。そのままエスコートをして歩き出したら、級友たちにワッと囲まれた。
「ご機嫌よう、お二人とも」
「さあ教室へ行きましょう」
「ティマーマンス家の馬車が今しがたあちらに見えましたの」
「ふふっ、これだけ集まって移動していたらきっと目立ちますわ!」
「しっかりと、でも遠目でお二人のことを見てもらわなくてはね」
「……もしかして、今の私を私と知らない人から見たら、朝から女性を侍らせている優男みたいに思われるのかな……」
「あら、馨しい一輪の花に蝶が集まることの何がおかしいのかしら? エルケ」
「いや、エヴァルトにまたこんな軽薄な兄は嫌だって嘆かれてしまいそうだなと思って」
「あなたたち本当に仲が良いわねぇ。うらやましいことね、一人じゃないのは」
それじゃあよく見えるけれど追いつかれない丁度良い速度で行きましょうか、なんて難しいことを告げてアンネリースが促すように私の腕を引いた。先ほどの言葉には触れないまま教室へと向かう。ついぞ後ろは振り返らないままで。
午前のカリキュラム終了後、昼休憩に入ってすぐ。ジョイ様が飛び込むように私たちの教室へやってきた。
「エルケ殿、アンネリース様。あいつが来るよ」
「あらジョイ様、先触れご苦労様ですこと」
「アンネリースの隣に男が居るのを一目見ただけで飛んでくるんだ……自分は普段あんなに女性と親し気にしておいて」
「やましい自覚があるからすぐに『そう』と思うんでしょうよ。さ、お披露目といきましょうか」
フロリスは一体どんな事を言い出すことやら。椅子から立ち上がり、堂々と入口を見据えて立つアンネリースの斜め後ろ、私の普段の定位置につく。
ほどなくして、教室へフロリスが入ってくる。真顔でやってきた彼は、アンネリースと私を視界に入れた途端、不愉快そうに表情を歪めた。
「アンネリース。どういうことだ」
「あら、何のことかしら?」
「お前のその隣に立つ奴のことだ! 婚約者が変わったのかと噂になっているじゃないか、周りを騒がせてどういう魂胆だ?」
「おかしなこと。貴方だって異性の友人と親密にしているじゃない。こちらだってただの友人ですし、私にやましいところなんて何もないわ」
「なッ!」
「やっとお分かりになっていただけたのかしら? 内心がどうであれ、またどう主張されたとしても、事情を知らぬ他人の目から見れば貴方と『ご友人』の親密さは誤解を受けるものなのだ、と。私、見かけたことのある貴方たちの距離感を真似ただけですわ」
ねえ? と上目遣いで私に問いかけたアンネリースは挑発するように私へ寄りかかった。支えるように彼女の肩を抱く。
「アンネリース!」
「きゃあ! 怖いわ、怒鳴るだなんて」
全然怖がっていない顔で私に縋りつくものだから、フロリスの顔がどんどんと歪んでいく。後ろの方でちっちゃく噴き出して笑う声が聞こえた、位置的にジョイ様だな多分。
……というか、何だか変だな?
「君は私の婚約者なんだろう、いつまで触れているつもりだ!」
「いやよ、今離れたら貴方に何をされるかわからないもの」
アンネリースに一杯食わされて恥をかかされたから怒っている、と思っていたんだけれど、この人もしかして……?
問いかけようとして、ふと入口からコーネリア嬢が覗き込んでいるのが見えた。
「あら、あなたのお友達もいらっしゃったわ」
アンネリースも気づいて水を向ける。ハッとして振り返ったフロリスが、コーネリア嬢の名前を呼んだ。
「ごきげんよう、コーネリア様」
「アンネリース様……申し訳ございません! まさか私とフロリス様との友人関係に、そこまでアンネリース様が心を痛めておいでだなんて……」
「ふぅん?」
「フロリス様の歓心を買うために、まさかこんな……はしたない事を……! 私、思いもよりませんでしたわ」
はしたない、のところでコーネリア嬢は真っすぐに私のことを見つめてきた。どうやら彼女からすると、私の男装ははしたないそうだ。生憎と私はドレスの横座り乗馬も男物のスパッツ着用での早駆けもするので、男装をはしたないとは思ってないので何も心に響かないが。
「ああ、なんていうこと。アンネリース様ともあろう方に、こんな恥ずかしい真似をさせてしまうだなんて!」
「まったくだ、恥を知れアンネリース! こんな、どこの誰だか知らない男を」
「えっ」
「えっ?」
「……そんな気はしていたけれど」
ああ、やっぱりそうだ。フロリス、この男。
「顔を見たらお分かりになるかと思っていたのですが。フロリス様、私が誰か分からないのですか?」
「……何だと」
「自分はヘンドリックス男爵家の、」
「嫡男はこんな軟弱ではなかっただろう、親族か?」
「いや嫡男の姉です。姉。エルケ・ヘンドリックスです。あなたの婚約者の隣に普段から侍っているでしょう。何度も顔をあわせている婚約者の友人の顔を、よもやお忘れなのですか?」
「……は?」
呆気にとられた顔をしているが、こちらの方こそ驚きだ。私を知らぬ人が見たなら男女どちらか悩む、というならまだ理解できるが、私を知っている人であれば男装していようと『私』と分かる程度の姿なのだから。ほとんど接点のないコーネリア嬢ですら最初から分かっているというのに。
「……まあ、いつもアンネリースの傍に居ましたが、フロリス様と目が合うことはほぼありませんでしたからね」
身長差の兼ね合いで、フロリスがアンネリースを見下ろしている時なら私の顔は視界に入りづらいのだ。頭一つほど違うので。フォローの言葉は情けでいれてやったけれど、いや、これは……
「フロリス様」
静かにアンネリースが呼びかける。淡々と無表情で告げる声に、フロリスは気後れしたように返答する。
「なんだ、アンネリース」
「私の戯れに何らやましいところがないとご理解いただいたならばどうぞお戻りを。昼餉を食べそこないますわよ。それからコーネリア様、私に恥ずべきことなどありませんわ」
「我が家は馬を愛する家、馬との触れ合いに必要であれば男装もすることもございます。私のこの姿をはしたないと咎める者は我が領地には居りません。コーネリア様、これは決してアンネリースにさせられた『はしたない真似』などではありませんよ。その点、どうかお含みおきください」
とっとと出ていけ、という私たちのプレッシャーと、教室内の白けた視線に耐えかねて二人はそそくさと教室を出て行った。
「……エルケ」
「はい」
「タウンハウスへ使いを出しなさい、至急共に私の家へ向かうことになったと。それと教師へ今日の早退と暫く休む旨を伝えてから、私のタウンハウスへいらっしゃい。旅支度はこちらでするわ」
「……かしこまりました」
私の返事に小さく頷いて、アンネリースも教室を立ち去った。
ああ、なんだっけ、婚約者が変わったのかって噂になっている、だったっけ? その噂、どうやら本当になりそうだ。
「……エヴァルトのとこにも行かなくちゃ」
アンネリースに付き添ってちょっとラウエルス伯爵家にいってきます、と報告をするために。
その後、ラウエルス伯爵家とティマーマンス侯爵家との婚約は呆気なく解消となった。
理由はフロリスの不貞行為を咎められて……ではなく、名門ラウエルス伯爵家の名を継ぐには能力不足であると判断されたためである。ただ男装しただけの私に真正面から見ても気づかないような観察力のない男に自分の隣は任せられない、とアンネリースはご両親へ直談判したのだ。
『ご覧になって、お父様お母様! この姿を! 確かに遠目だけならば男性に見えたでしょう、ええ、だってそういう風に着飾らせたのですもの! でもこうして目の前で見れば、すぐにエルケだとお分かりになるでしょう⁉ そんなことにも気付かないような勘の鈍い、頼りにならない婿なんてこの家には必要ありません!』
伯爵夫人とは今までそれなりに顔をあわせているが、実は伯爵とは面会する機会が少なかった。きっと記憶にある私の顔はもっと幼いものだろう。それでも伯爵はちゃんと私が誰かをすぐに察した。
フロリスの不誠実な行動、それに気疲れしたアンネリースへの気晴らしと彼への意趣返しのため私が男装したこと、婚約者が居ながら男を隣に置くなと自分の事を棚にあげてアンネリースを非難してきたフロリスが、私が名乗るまで誰か分かっていなかった(それどころか女であることにも気づいていないようだった)こと。時折感情的になるアンネリースを宥めながら、二人で今までの経緯を話す。お二方とも私が何故男装をして面会に訪れたのか、この話でご理解をいただけたようだ。
「エルケさんは、いつもアンネリースの面倒をみてくれていたのよね?」
「はい。私を含めた他の友人と複数で居ることや、私以外と居ることももちろんございますが、学園内で私よりもアンネリースの傍に長く居る者は居りません」
「いつも一緒に居るエルケだと分からなかったということは、私の周囲に興味がなくて見ていないか、観察力があまりにも低いか、それか人の顔の区別がつかないか、ということでしょう? いずれが理由だとしても、この家の婿、私の夫として不適格だと思うのです」
誠実であるなら欠点は飲み込んだ。愛が育めなかろうと仕事上で頼りになるならそれでも良かった。けれど、残念ながら彼は不誠実なことをしてしまったし、欠点もうまく隠せず晒してしまった。
そうしてご家族での話し合いの末、めでたく……と言っていいか分からないが、婚約解消を申し入れる運びと相成ったわけである。
なお婚約解消の話し合いの場にも私は連れていかれた。証人というより証拠として提出された、みたいなものかもしれない。挨拶する機会もないような高位貴族の前に場違いな男装姿で同席させられるのは正直かなり心理的負担が重かったが、これも友人の為、そしてラウエルス伯爵家へ恩を売る為と自分に言い聞かせて耐えきった。
これは本当にただの余談だけれど、話し合いにやってきたティマーマンス侯爵夫人は私を見て『あの家にこんな線の細い青年が居たらもっと噂になっているわね』と頷いていたから、我が家はよそからすると実に厳つい一族のようだ。少し切ない。
経緯の説明、証言、それから実際の男装姿の披露――女がこんな格好をしているわけがない、という先入観があったとしても容貌が取り立てて大きく変わっているわけではないことを見ていただく。私の仕事はそこまでだ。あとは退席して、折角なのでティマーマンス侯爵家の庭を拝見させていただいた。これくらいの役得はあって構わないだろう。しばらく見て回り、使用人に案内されたガゼボでお茶を頂く。良いお茶なんだろうな、美味しいことしか分からないけれど。
「ヘンドリックスの」
ゆっくり楽しんでいたら、家名を呼ばれた。振り返った先に居たのは当事者たるフロリスだった。話し合いが終わったのか、それとも彼もまた先に退席させられたのか。アンネリースはまだあの部屋に居るんだろうか。近寄ってくる彼へ、席を立って一礼する。
「お話は終わられましたか?」
「ああ。彼女ももうこちらへ来るだろう、少し遠回りをさせているが」
「私に何か」
「ああ、うん……巻き込んですまなかった。そんな恰好をさせる羽目になったことも、その姿で私の両親の前に立たせることになったことも、申し訳ないと思っている」
「……はぁ」
私自身はそこまで変だと思ってはいないんだけれど、どうやら人によっては余程に奇抜に映るらしい。この人、自分が発端で令嬢にみっともない真似をさせてしまった、と思っているのか。その感覚を持っていて、どうして婿入り先の令嬢には恥をかかせて良いと判断したんだ?
「同じ学び舎に通う者同士の誼として、不躾な質問をさせていただくのですが」
「かまわない」
「なんで浮気しておきながら私たちを見て怒ったんですか?」
「最初の顔合わせから合いそうにないから破談にしてくれと何度親に言っても断られ、本人に言っても決まった事は変えられないし諦めろと言われ、それならと歩み寄っても我が侭なまま。他の女性と親しくしていれば自分有責で分かりやすく終わらせるか、あるいはこれを機にもう少し話を聞いてもらえるかと思いきや、話し合いよりも前に同じように男を侍らされたんだぞ? 婚約を変える気はないと言い続けて私を手放してくれないくせに別の男を侍らせて、馬鹿にされたとしか思わなかった」
おっと、これは予想外というか……私もそれは知りませんでしたよ、アンネリース。
「申し訳ございません、フロリス様。私もそこまでは事情を知らず……浮気されて腹が立つなら、男装した私で浮気気分でも味わって気晴らしでもどうか、とそそのかしたのです。私から。その時も婚約解消はない、と言っていたので、てっきりご両家の意向もあってフロリス様の婿入りは絶対だからこそ、その……増長して遊んでおられるのか、と」
「……それで意趣返しのつもりで?」
「左様です。婿入りする側なのに、どうしてそんな真似をと思っていたのですが、そもそもフロリス様は最初から断り続けていたのですね……」
「いくら政略的な理由であろうと、性格が合わない同士で添っても互いに不幸になるだけだろう? 誰も聞く耳を持ってくれないから、私も自棄になっていた面はあるが」
「なんてこった……巻き込まれただなんてとんでもない、私が場をかき乱しただけではないですか……!」
「おかげで二進も三進もいかない状態から一転したんだ、感謝している」
「いえ、それなら良いのですが……あ、ひとつお伝えしておきたいことが。先ほど歩み寄っても我が侭なまま、とのことでしたが、アンネリースってずっと周りにちやほやされてきたので、我が侭を許されることが愛されている証左と思っている節があるんですよ。自分でもちょっと無理を言っている自覚はあるから、それを受け入れてもらえる、あるいは相手の出来る範囲でここまでなら出来るよって差し出されるとすごく喜ぶんです。ただ出来ない無理だ、ではなくて、残念だけれどしてやれない、なら納得するというか。同じように気に入った相手になら大盤振舞いです、頼られて甘えられたらすぐ与えます。それがあの子の愛だから。……だから変な相手に騙されないように私のような友人が必要だったり、多くの人と触れ合う前にさっさと婚約者を用意されるのです」
私の話にフロリス様が呆然としている。嘘だろう、誰もあの子の性質を伝えていなかったというの? 互いにちょっとした我が侭でも言いあえば、すぐに仲良くなれるのに。
「ということは、あの我が侭は……」
「甘えですね、アンネリースの。そうと分かると可愛いでしょう? あの子」
「いや、悪いがまったくそう思えない。すまないが、本当に面倒くさかった」
「そうですか? 甘やかしつつ軌道修正すれば素直に従ってくれるし、あのくらいなら可愛い我が侭でしたけど」
「それは君の包容力が高いだとか、そういう話なのでは……」
「というよりも、あれですね。私たちどうやら、女の趣味が合わないようです」
私はちょっと我が侭だけど素直で分かりやすいアンネリースが好みで、フロリス様は控えめでおしとやかに見えて内面は強かさのあるコーネリア嬢のような娘が好みなのだろう。少し甘やかすだけで真正面から喜んでくれるから可愛いんだけどなぁ。
「そのようだな」
私の明け透けな言葉にフロリス様が笑う。アンネリースと共に居たわりに、ちゃんと会話したことなかったんだよな。話せて良かった。何も知らず、アンネリースを傷つけた男として恨むところだった。
「コーネリア様とは?」
「ああ、どうなるか分からないけれど彼女が家から出されたら迎えに行く」
「はい?」
「コーネリアは兄と折り合いが悪くてね。多分、私たちの破談の責任をとるとでも言ってあの兄がしゃしゃり出てくるだろう。問題を起こさせて妹を放り出したいが為に、私と彼女を引き合わせたようなものさ。彼女もそれを分かってて家から逃れる為に私に近づいたんだ」
道理でやけに挑発的な物言いをすると思った。あれはわざとアンネリースを怒らせて家から自分を放逐させる理由付けさせようとしていたのか。
「フロリス様。家としての助力は約束しかねますが、私個人であればいつでもお声がけください。学友の誼です」
「……ありがとう。うちの領地のどこかで代官をさせてもらうか、それが無理なら役人試験でも受けるか……どうにかするさ。どうにも出来なければ声をかけさせてくれ。君なら女の趣味がちがうからコーネリアを狙われることもない」
「ええ。ちなみに男の趣味も違うので、コーネリア様にもご安心くださいとお伝えください」
「あっはっは! そうだな、そう伝えておくよ。……ああ、アンネリース嬢が来たようだ。ではまた」
すっきりした顔でフロリス様は立ち去った。入れ違うようにやってきたアンネリースは、フロリス様の遠ざかる姿を振り返りながら不満そうな顔を見せる。
「エルケ、何を言われたの? 大丈夫?」
「今回の騒動に巻き込んでしまったとお詫びに来てくれただけよ。それよりもアンネリース、フロリス様の方から婚約解消の話が以前に出ていたと聞いたのだけれど?」
「ああ、随分前にあったわね。でも理由もなく解消できるわけないじゃない、家同士で決まっているのに。納得して受け入れた癖に、なんであんな当てつけするのかしらって不思議だったのよ。そもそもあの人ずっと納得していなかったのね」
「それを先にお言いなさいよ、あなた……腰を据えて話し合うとかしなかったの?」
「でも結果として破談になったんだから良いんじゃない? 私、蔑ろにされるのはつらかったけれど、成績は悪くなかったから家に入れても良いとは思っていたもの。今回のことがなければ不満はあってもそのまま結婚までしていたでしょうね」
「どうして? アンネリース、どう聞いてもお互い相性悪いのに婚約をそのままにしていたの?」
「どうして、って……うちの一族にとって良いと思ったから結ばれた婚約でしょう? なら受け入れるのが当然じゃない。それなのにあれよ? 不満くらいは持つわよ。でもそれだけだわ」
ああ、そうか。この子、本当に家の為と思ったから結婚するつもりだったし、家の為にならないと思ったからやめたのか。自分を愛している一族に、愛を返すために。そこに好悪はない、というより『家にとって良い人物』ってだけで好と見てた? でもフロリス様個人の事はあんまり見ていなかったし、歩み寄ってくれたと思ったから甘えたのに全然それに応えてくれないし、いつの間にか別の女の子といちゃついてる、と。
個人を見て彼女のことも尊重したからこそやめるべきだと考えていたフロリス様と、家が良ければそれでいいだろうにと考えるアンネリース。そりゃ、合わない。フロリス様もきっとここまでアンネリースが家のことしか考えていないとは思っていなかっただろう、だって我が侭を言うのだから。そんな娘が滅私のように一族へ尽くす結婚をするとは思うまい。ああ、これもしかして、私が間に入って齟齬を正してから話し合いをしてもらったらもっと穏便に進んだんだろうか。いや、でも今回のような騒動でアンネリースの目から見た『欠点』が浮き彫りにならなかったら破談まで話は進まなかった……?
「エルケが本当に男の人だったら良かったのに」
やらかしたかな、と考え込んでいたら、ぽつりとアンネリースが呟いた。
「……そうしたら私は長子で嫡男だから、あなたの婚約者の選択肢にも上がらないよ。きっと家格でも弾かれる」
「……、ええ、そうね」
「ごめんね、アンネリース。私が男でも女でも、貴女の貴公子にはなってやれない」
「わかっているわ」
「けれど女同士だからこうして友人となれたし一緒に居られる。それだけで許してくれる?」
「ええ、もちろん、それだけでも贅沢なほどだわ。変なことを言ったわね、忘れて」
さみしそうな顔をしたのはその一瞬だけ。小さくため息を吐いた後、アンネリースはぱっと表情を明るくして私を見上げた。
「お父様たちの話は一旦終わったわ。交渉の大筋はまとまったようだから、今日はもう帰って良いそうよ。迎えに来たの、行きましょう?」
「そう。じゃあ帰りましょうか。アンネリース、手を」
「ふふっ、あなたすっかりエスコートが上手になったわね! ええ、それじゃあ馬車までよろしく」
機嫌の良いアンネリースの手をとって、先導する使用人について歩き出す。ああ、何だか疲れてしまったな。あちらのタウンハウスに戻ったら、エヴァルトに顛末を語ろう。一方的な見方をしてしまった私の失敗談として。どうせきっと今後も私はアンネリースに寄った見方をするだろうから、それを制止してもらえるように。
そういえばフロリス様に、私を本当に女だと疑わなかったのかを聞きそびれたなと思い出したのは、馬車が出発してからだった。
「おつかれさまです、フロリス様。今日はお一人でお帰りですか?」
「ああ。そちらも? エルケ嬢」
「私はこれから弟の教室へ」
騒動も終わり、今では穏やかな学園生活が戻ってきた。フロリス様が話していた通り、あの後コーネリア嬢は『他家の縁談の邪魔をした』として退学と放逐をさせられることになったが、事情を知ったアンネリースが退学させた上でラウエルス伯爵家の推薦の平民として復学させた。そのまま客人として家に置いている。
詳しい事情を知らない友人たちは、アンネリースの行動に唖然としていたが、そんな彼彼女たちにただ一言、
「あの子にも色々あるようだし、エルケが何か出来る手助けはない? って言うんだもの。エルケが言うなら助けるに決まっているじゃない」
と言ってのけた。私ってばアンネリースに愛されているね。
フロリス様とアンネリースとの婚約解消の遠因は私だし、首を突っ込んだ以上は後味の悪いことにはなってほしくない。ついでに言うと、アンネリースに振り回されたフロリス様への罪滅ぼしの気持ちもある。コーネリア様への同情も。
こうして和解出来たおかげで最近は、コーネリア様、フロリス様、アンネリース、そして私の四人で居ることも増え、婚約解消は本当にしたのか? と皆に疑問を振りまいている。私に声をかけてくるジョイ様からアンネリースを遠ざけようとする様は、婚約者だった時よりも婚約者らしい。実際、婚約中よりも彼らの交友関係は円満だ。
だがそれは和解したからという理由ではない。在学中はコーネリア様と共に積極的にアンネリースの傍に居てほしい、とフロリス様は依頼されているのだ。アンネリースの新しい婚約者から。四つ年上の彼は同じ学園には居られない為、虫除けの為についていてくれ、と。誰かって? なんとティマーマンス侯爵家の次男である。
長男である兄が結婚するまでは自分もしない、と宣言していたため彼には相手がまだ居なかった。というか、それを口実に結婚しないままでいようとしていた節がある。ついでに仕事も、領主の補佐として働いていたため領地経営の知識もばっちり。弟の婚約者が自分に変更となって名家へ婿入りする、なんて外聞が良くない話が飛び込んできて随分と面食らっていたようだけれど、アンネリースと話をして婚約者の挿げ替えに納得してくれたらしい。曰く、成程お前じゃ御せない。その話を教えてくれた時、フロリス様とアンネリースが共に不服そうな顔をしていたのが面白かった。
「今日は早く戻るからとコーネリアを連れ帰られてしまったよ」
「ああ、それあなたのお兄様がタウンハウスへやってくるからですよ。馬車は一台しかないから、アンネリースだけ先に戻って引き返させて……となったらコーネリア様をあまりに待たせてしまうので、と」
「なんでそれを弟の私が他人の君から聞くんだろうな……いや、まぁ上手く付き合っているようで良かった」
「まぁあの子は兄属性の年上の方が相性良いですから。ご実家のお仕事はどうです?」
「依然、長兄にダメ出しされてばかりだよ。まぁこればかりは知識より経験だ、四年後までに今の次兄と同じように出来ていれば良しと言われている」
「どうにかなって良かったですね」
「ああ、君に泣きつく羽目にならずに済んだ」
フロリス様も随分と気安くなったものだ。きっと相当アンネリースとの婚約について思い詰めていたのだろう。一人でため込んでしまったのか、ご家族が全然気配りしてくれなかったのか。なんとも不運な御仁だわ。コーネリアと幸せになってもらいたい。
「それじゃ、自分はこれで」
「――あぁ、そういえばフロリス様。ひとつだけ聞きそびれていたことがあって」
「何だ?」
「あの時、本当に私が誰か分かっていなかったんですか?」
結局ずっと聞かずじまいでいたことを二人きりの今ならと問いかける。ばつの悪い顔をしたフロリス様は、少し迷った後に、頷いた。
「親しくなった今、多少の失礼な物言いでも君は許してくれるだろうと見込んで話すけれど」
「おや、信頼の厚いこと。どうぞ?」
「……アンネリースから君の側へ視線をそらすと、身長の所為でデコルテしか目に入らないから極力そちらを見ないようにしていた」
「……、つまり」
「あの男装の時まで君の顔をまともに見たことがない、だからそもそも君の顔をおぼろげにしか記憶していなかった。頭に血が上っていたから、女だと考えもしなかったし」
「なるほど。ちなみに記憶を辿ってみて、私と知っていたら気づけていましたか?」
「恐らくな。けれどあの時の私は、婚約者の傍に大して寄り付きもしないし、そこに居る婚約者の友人の顔すら知ろうとしない男だった。それがすべてだろ?」
「それもそうですね」
結果として、それで上手く事が運んだのだ。あの時こうだったなら、は言ったところで詮無きことか。
「すみません。お引止めしまして」
「そうだ。こちらからもひとつ」
「なんでしょう?」
「もう着ないの?」
茶目っ気のある顔で問いかけるフロリス様へ、私も笑う。
「色男をご所望の時にはいつでもお声かけくださいな」
友の為なら喜んで。私の答えにフロリス様は、頼りになるなと笑っていた。




