第9話 これが現代社会の完全合法ざまぁです
「……ゆ、結? おい結! どうなってんだこれ! 俺のブラックカードが全部『取り扱いできません』って弾かれるんだけど!」
帝都の一等地、『九条院法律事務所』の所長室。
デスクの上のアンティーク調の電話機から、スピーカーホン越しに道明寺明宏の半狂乱の叫び声が響き渡った。
「あら、明宏様。ハワイのビーチからの優雅な国際電話かと思いきや、ずいぶんと切羽詰まったお声ですね。背後から『お客様、別のお支払い方法はございませんか』というグランドスタッフさんの声が聞こえますが、もしかして成田空港のチェックインカウンターですか?」
私が最高級のアッサムティーのカップを傾けながら優雅に応答すると、向こうで明宏が舌打ちをする音が聞こえた。
「いいから早くなんとかしろ! 莉奈がファーストクラスのラウンジに行けないって泣いてるんだぞ! お前、またあの仮差押えとかいう嫌がらせをしたのか!?」
「嫌がらせだなんて心外です。それに仮差押えなどという一時的な保全手続きは、もうとっくに終了しておりますよ」
私が黒縁メガネを中指でクイッと押し上げると、向かいの席でパラリーガルの木戸くんが
「出た、魔王の宣告……」
と震え上がった。
「は……? じゃあなんでカードが使えねえんだよ! 銀行のアプリを開いても、残高がゼロになってるし!」
「当然です。私が実行したのは、民事執行法に基づく正真正銘の『債権差押命令』ですから。明宏様の個人名義のメインバンク、ならびにダミー会社であるブルーオーシャン・インベストメント名義の全口座に対し、裁判所を通じて差押えを断行いたしました。昨日付けで各金融機関に命令書が送達され、貴方の預金は一円残らず法的に凍結、および当方への取り立て対象となっております」
スピーカーの向こう側で、明宏が息を呑む音が聞こえた。
「さ、さしおさえ……? なんでだよ! 頭金の二千万は払っただろ! こ、今月の分は、来月まとめて払うってメッセージも送ったじゃないか!」
「ええ、その可愛らしいメッセージなら拝見しました。ですが明宏様、貴方がご自身の高級万年筆でご署名された『公正証書』の第六条を思い出してください。分割金の支払いを一回でも怠った場合、当然に期限の利益を喪失し、直ちに強制執行に服する……と記載されていたはずですが」
「なっ……! だからって、一日や二日遅れただけでいきなり口座を凍結するバカがいるか! 常識で考えろ!」
「私の常識は六法全書です。契約違反に対し、法が認めた権利を最速かつ最大効率で行使することの何が問題なのでしょうか? むしろ、裁判所の貴重なリソースを無駄にせず、迅速な債権回収に努める私は模範的な法曹従事者だと自負しておりますが」
「……模範的な法曹は、初めから相手が期日をぶっちぎるのを想定して口座の支店名・口座番号まで完璧にリストアップして待機してないんですよ……」
木戸くんがボソリとツッコミを入れるが、私はにっこりと微笑んでスルーした。
「ふ、ふざけるな! わかったよ、ハワイはキャンセルする! 親父に頼んですぐに一千万振り込んでやるから、今すぐ凍結を解除しろ!」
明宏の怒鳴り声は、もはや恐怖をごまかすための虚勢でしかなかった。
私はアッサムティーの心地よい香りを深く吸い込み、ふふっと冷ややかな笑いをこぼした。
「お父様に頼む? それは素晴らしいアイデアですが、少々タイミングが遅かったようですね」
「……え?」
「私が差し押さえたのは、銀行口座だけではありませんよ。明宏様が道明寺グループの専務取締役として受け取っている『役員報酬請求権』。これについても、裁判所から道明寺グループ本社宛てに差押命令書が送達されています。おそらく、今朝の九時ジャストに」
「は……?」
明宏の喉から、間の抜けた音が漏れた。
「つまり、第三債務者である道明寺グループは、今後、貴方へ支払う役員報酬のうち、法律で定められた差押可能部分を、貴方ではなく直接私へ支払う義務を負うことになります。つまり、経理部、総務部、そして代表取締役であるお父様に対して、貴方が私に対して一千万円の債務不履行を起こし、強制執行を受けている事実が、公的な文書によって通知されたということです」
「あ……ああ……」
「さらに申し添えますと」
私は追撃の手を緩めない。獲物の息の根が完全に止まるまで殴り続けるのが、真のリーガル・マナーである。
「貴方がお父様に内緒で設立したペーパーカンパニー、そうです、ブルーオーシャン・インベストメント社。あの会社から貴方に支払われている役員報酬も同時に差し押さえました。当然、その過程で、当該法人の存在自体がお父様の顧問弁護士団の知るところとなります。会社の資金を横領してクルーザーを買った事実を含めて」
「…………っ!!」
スピーカー越しに、スマートフォンの床に落ちる鈍い音と、莉奈の「きゃっ、明宏さん!?」という悲鳴が聞こえた。
どうやら、ショックのあまり膝から崩れ落ちたらしい。
「所長、オーバーキルです。もはやタコ殴りどころか、ミンチにしてコンクリート詰めにして東京湾に沈めるレベルの完全破壊ですよ。相手の社会的生命反応がゼロになりました」
木戸くんが顔面を蒼白にして胸の前で十字を切っている。
「何を言うのですか木戸くん。私は彼に『嘘をついてはいけません』『借金は返しなさい』という、幼稚園で習う道徳を、国家権力という少しばかり大仰なスケールで教えて差し上げているだけです。極めて教育的な指導ですよ」
私は再び電話に向かって、優しく、甘く、そして容赦のない声で語りかけた。
「明宏様、聞こえていらっしゃいますか? 貴方は公衆の面前で、私を根拠なく陥れ、婚約を破棄してくださいました。その際に『首を洗って待っていてください』と申し上げたはずです。……現行法という名のギロチンの切れ味は、いかがでしたか?」
「ゆ、結……」
地を這うような、掠れた声が聞こえてきた。
「たのむ……助けてくれ……親父に、勘当される。会社も、追い出される……! 俺が悪かった、土下座でもなんでもするから……!」
「あら、ご自身の足元をご覧ください。もうとっくに、貴方は私の足元で平伏しているではありませんか」
私は黒縁メガネを外し、デスクの上に置いた。
冷徹な事実だけを積み上げ、相手の逃げ道を法的・経済的・社会的に塞ぐ。これこそが、私が愛してやまないリーガル・マインドの真髄である。
「明宏様。私は貴方の代理人ではありませんから、これ以上の法的な助言はいたしかねます。自己破産の手続きについてのご相談でしたら、法テラスをご案内いたしますよ。……ああ、それから」
私は声のトーンを一段階落とし、絶対零度の宣告を下した。
「今後は、直接のご連絡は一切お断りいたします。守っていただけない場合はストーカー規制法がお相手いたします。もしも何かご用件がございましたら、貴方の『代理人弁護士』を通して、書面にてご連絡ください。……もっとも、着手金を払う口座すら凍結されている貴方に、受任してくれる奇特な弁護士の先生がいらっしゃればのお話ですが。それでは、ごきげんよう」
ガチャリ。
私は一方的に通話を切断した。
完全なる、そして圧倒的な勝利の瞬間である。
所長室には、ただ静寂と、最高級のアッサムティーの香りだけが満ちていた。
「……終わったんですね」
木戸くんが、放心状態のまま呟いた。
「はい。見事なまでに。これで私たちの請求債権は、道明寺グループからの直接取り立てにより確実かつ満額回収されます。さらに、彼のダミー会社に隠されていたクルーザーや六本木のペントハウスも、いずれ会社の横領のカタとして道明寺グループに没収されるか、競売にかけられることでしょう。佐々木莉奈さんも、一文無しになった彼を見限るのは時間の問題ですね」
私はデスクの引き出しから、事前に用意しておいたアンティーク調のティーカップをもう一つ取り出した。
「お疲れ様でした、木戸くん。祝杯を挙げましょう。この世で最も美味しい飲み物は、勝訴判決の後に飲む紅茶だと相場が決まっていますからね」
「所長が淹れるお茶、悪意という猛毒が入ってそうで怖いんですけど……。でも、まあ、あの坊ちゃんたちも自業自得ですよね。あれだけ証拠を残して、しかも法律を学んでたった一年で資格を取得した、魔王ランクの弁護士相手に喧嘩を売ったんですから」
木戸くんが恐る恐るティーカップを受け取り、一口飲んでホッと息をつく。
彼もなんだかんだ言いながら、この数ヶ月間、私の無茶苦茶な保全手続きの書類作成に付き合ってくれた優秀な相棒である。
「さて、私個人の復讐劇はこれにて閉廷ですが……。弁護士としての仕事は、ここからが本番ですよ」
私はパソコンのモニターを操作し、『九条院法律事務所・新規ご相談予約フォーム』の画面を開いた。
「所長、もしかして……」
「ええ。実はここ数日、私の事務所宛てに匿名の相談メールが何件か届いているのです。内容を総合すると、『学園のパーティーで身に覚えのない罪を着せられ、突然婚約破棄された』という、どこかで聞いたようなテンプレ事案ばかり。……どうやら世の中には、理不尽な理由で泣き寝入りさせられそうになっている哀れな令嬢たちが、まだまだたくさんいらっしゃるようですね」
私は自分の胸元で輝く、黄金の弁護士バッジを指先でなぞった。
「現行法という武器の使い方を知らない彼女たちに代わって、私がその絶望をすべて『現金化』し、相手の息の根を合法的に止めて差し上げましょう。悪役令嬢を虐げる愚かな御曹司たちには、まだまだ法教育が必要なようですから」
「……また新たな犠牲者が生まれるんですね。もういっそ、事務所のキャッチコピーを『合法的にタコ殴りにします』に変えたらどうですか?」
「名案ですね、木戸くん。ホームページの更新をお願いします」
私は嬉々としてキーボードを叩き始めた。
地味な令嬢の皮を被った魔王弁護士の伝説は、まだ始まったばかり。
六法全書という名の最強の鈍器を手にした彼女の前に、今日も新たな「首を洗って待つべき」愚か者たちが列をなすのであった。
お読みいただきありがとうございます!
口座凍結、そして会社への差押命令書。親バレも確定し、言い逃れゼロの完全なるチェックメイトです。
これぞリーガル・ざまぁ!
次がいよいよ最終話です。最後までお見逃しなく!
※最終話は本日19:00過ぎに更新予定です!




