第6話 内容証明という名の爆裂魔法です
「木戸くん。この世で最も美しい赤色とは、何色だと思いますか?」
「……急にポエムみたいなことを言い出さないでください。普通に考えたら、夕焼けの赤とか、ルビーの赤とかじゃないですか?」
「不正解です。正解は、郵便局の窓口で局員さんが力強く押し込んでくれる、『配達証明』の赤いスタンプのインク色です」
帝都の一等地、『九条院法律事務所』の所長室。
私が最高級のティーカップ片手にうっとりと目を閉じていると、パラリーガルの木戸くんが深々とため息をついた。
「所長、その赤色に美しさを感じるのは、相手に法的な宣戦布告をして絶望に叩き落とすのが大好きな一部の戦闘狂弁護士だけですよ」
「失礼ですね。私はただ、国家権力たる日本郵便が『お前のところに確実に爆弾(法的文書)を届けたからな、もう言い逃れはできないぞ』と公的に証明してくれる、あの完璧なシステムに感動しているだけです」
私はデスクの上に綺麗に並べられた、三通の全く同じ文書を見下ろした。
一枚は相手方に送られ、一枚は郵便局が保管し、一枚は差出人である私の手元に残る。
いつ、いかなる内容の文書が、誰から誰宛てに差し出されたかを日本郵便が証明する制度。それこそが『内容証明郵便』である。
普通の封筒で「慰謝料を払え」と手紙を送っても、相手に「そんな手紙は届いていない」「中身は白紙だった」としらばっくれられればそれまでだ。
しかし、この赤いスタンプが押された厳々しい封筒は違う。
受け取ったが最後、法的なカウントダウンが強制的にスタートする、絶対回避不能の確定魔法なのだ。
「それにしても所長」
木戸くんが、私が作成したその文書の束を覗き込み、顔を引きつらせた。
「この内容証明……文字の密度がおかしくないですか? 普通、もっと簡潔に『不法行為に基づく損害賠償として金〇〇円を請求します』って書くもんですよね?」
「簡潔に書く? なぜそんな勿体ないことをしなければならないのですか」
私は黒縁メガネを中指でクイッと押し上げた。
「明宏様と莉奈さんには、公衆の面前で私の名誉を毀損し、一方的に婚約を破棄した罪の重さを、一文字残らず骨の髄まで理解していただかなければなりません。ですから、彼らの数ヶ月にわたる浮気の動線、西麻布の焼肉店での食事内容、シティホテルでの滞在時間、莉奈さんのSNSでの虚偽発信のログ解析結果、さらにはダミー会社を通じたクルーザーの不正購入疑惑に至るまで、当方が把握しているすべての『客観的証拠のリスト』を詳細に記載しました。全二十五ページに及ぶ、愛と憎しみの超大作です」
「内容証明郵便で二十五ページ!? もはやちょっとしたホラー小説の分量じゃないですか! 郵便局の窓口の人、文字数の確認作業で泣きますよ!?」
「ご心配なく。昨夜、判例集を逆立ちしながら熱唱するトレーニングの合間に、文字数と行数の制限をミリ単位で計算して完璧にフォーマットを合わせましたから。窓口での確認作業は三分で終わるはずです」
「逆立ちしながら判例集を熱唱!? もう脳の構造がどうなってるのかツッコむ気力も湧きません……」
木戸くんが白目を剥いているのをよそに、私は愛おしそうにその文書を封筒に収めた。
慰謝料、名誉毀損の損害賠償、結納金の返還、結婚式場のキャンセル料の負担。
しめて、請求総額『五千二百万円』。
もちろん、吹っかけすぎなのは百も承知だ。だが、交渉のテーブルにおいて、最初に提示する数字は相手の精神を破壊するのに十分な破壊力を持っていなければならない。
「さあ、木戸くん。速達の配達証明をつけて送ってきてください。明宏様がいつも通り、道明寺グループ本社の役員室でふんぞり返っている今日の午後一時ジャストに届くよう、時間指定も忘れずに」
「……はい。道明寺明宏の平穏な日常が、今日の午後一時をもって完全に終了するんですね。南無阿弥陀仏」
木戸くんは十字を切りながら、分厚い封筒を受け取って事務所を出て行った。
私は優雅に紅茶を一口飲み、壁掛けのアンティーク時計を見上げた。
秒針がチクタクと進む音が、まるで爆弾のタイマーのように心地よく響いていた。
◇ ◇ ◇
その日の午後一時十五分。
道明寺グループ本社ビル、最上階の広大な専務取締役室。
道明寺明宏は、高級なマホガニーのデスクに足を乗せ、室内用のパターゴルフセットで遊んでいた。
「明宏さぁん、ナイスパットぉ! さっすが次期社長さん!」
ソファでは、相変わらずゆるふわなワンピースを着た佐々木莉奈が、キャピキャピと手を叩いている。
「ははっ、まあな。親父の会社を継いだら、毎日こんな感じで優雅にゴルフ三昧だ。あの地味で小うるさい結の奴と別れて大正解だったぜ。莉奈、今週末は俺たちの『プリンセス・リナ号』で、東京湾のナイトクルーズと洒落込もうか」
「わぁ、素敵! 明宏さんだぁいすき!」
二人が甘ったるい声でイチャついているところへ、ノックの音が響いた。
年配の秘書が、一枚の銀色のトレイを持って部屋に入ってくる。
「専務。……その、個人的な郵便物が届いております。『内容証明郵便』で、ご本人様の受領印が必要とのことでしたが」
「あ? なんだそりゃ。適当にハンコ押しといてくれ」
「いえ、それが……差出人が『九条院法律事務所、弁護士・九条院結』となっておりまして」
その名前を聞いた瞬間、明宏の手からパターが滑り落ち、カランと虚しい音を立てた。
「は……? 結……? あいつ、弁護士になったのか!?」
明宏は慌てて秘書から封筒をひったくり、乱暴に封を切った。
中から出てきたのは、赤い罫線が引かれた用紙に、びっしりと印字された無機質な文字列の束。
一枚目を見た瞬間、彼の顔からスッと血の気が引いた。
『通告書。当職は、九条院結の代理人として、貴殿に対し以下の通り通告いたします。貴殿は〇年〇月〇日、星ヶ丘大学の卒業パーティーにおいて、何ら根拠のない虚偽の事実を公然と摘示し……』
「な、なんだこれは……損害賠償……五千二百万!? ふ、ふざけるな! こんな紙切れ、ただの脅しだ!」
明宏は震える手で二枚目、三枚目とページをめくった。
そこから先は、彼にとって完全なホラーだった。
『第一項・不貞行為の立証。貴殿が西麻布の焼肉店において佐々木莉奈氏と共に飲食した際のレシート(別紙証拠1)、および同日深夜に〇〇ホテルにチェックインした際の防犯カメラ映像(別紙証拠2・証拠保全手続き済み)より……』
「ほ、防犯カメラ!? 証拠保全!? なんでそんなもんが……っ!」
さらにページをめくると、莉奈のSNSの裏アカウントでの書き込みの全ログと、それが結の鉄壁のアリバイによって虚偽告訴罪に該当する旨が、冷酷な法的論理で完璧に証明されていた。
「あ、明宏さん? どうしたの? 顔色悪いよぉ……」
莉奈が覗き込もうとするが、明宏はそれを乱暴に振り払った。
「く、くそっ! あの女、弁護士の資格を盾に俺を脅迫する気か! 上等だ、こっちだって親父の顧問弁護士団を動員して……ん?」
明宏の目が、書類の最後の一文に釘付けになった。
『なお、貴殿が株式会社ブルーオーシャン・インベストメント名義で私的流用している六本木のマンション、および同名義のクルーザーに関しては、すでに民事保全法に基づく仮差押え命令が発令され、登記が完了していることを申し添えます』
「か、かりさしおさえ……? 凍結……された? 俺の、隠し資産が……?」
明宏はパニックになり、慌ててスマートフォンを取り出して、自分のダミー会社のネットバンキングのアプリを起動した。
IDとパスワードを入力し、残高照会のボタンを押す。
『エラー:本口座は現在、裁判所の命令により取引が停止されています。詳細は窓口へお問い合わせください』
無慈悲な赤い文字が、スマートフォンの画面に点滅していた。
「あ……ああああっ!?」
明宏は絶叫し、スマートフォンを床に叩きつけた。
クレジットカードも止まっている。親の金で作った隠し口座も凍結されている。
今この瞬間、彼は弁護士を雇うための着手金すら、自由に引き出せない無力な存在に成り下がっていた。
午後一時半。
私の事務所のデスクに置かれたアンティークの電話機が、けたたましいベルの音を鳴らした。
着信ディスプレイには、道明寺明宏の携帯番号が表示されている。
「おや。想定より十五分早いですね。優秀な郵便局員さんに感謝しなければ」
私はクスッと笑い、優雅な動作で受話器を取った。
「はい、九条院法律事務所でございます」
『ゆ、結!! お前、どういうつもりだ!! なんだあのふざけた手紙は!!』
受話器の向こうから、鼓膜が破れそうなほどの絶叫が飛び込んできた。
「あら、明宏様。お久しぶりですね。私からの心温まるお手紙、無事に届いたようで安心いたしました」
『ふざけるな! 仮差押えだなんて嘘に決まってる! 俺は道明寺グループの次期社長だぞ! 親父の顧問弁護士を大勢雇って、お前なんか逆に名誉毀損で訴え返してやる!』
「……ええ、どうぞご自由に」
私は紅茶のカップをソーサーにコトリと置き、極めて冷ややかな、感情を一切排した声で応じた。
「お父様の顧問弁護士団にご依頼されるのは、貴方の自由です。ですが、彼らが事件を受任する際、まずは貴方の『ブルーオーシャン・インベストメント社』を通じた、数億円規模の会社の資金の私的流用と、特別背任疑惑について、お父様の耳に入れることになりますが?」
『っ……!?』
受話器の向こうで、明宏が息を呑む音が聞こえた。
「道明寺グループは上場企業です。次期社長が会社の金を横領して愛人にクルーザーを買い与えていた事実が露呈すれば、世論も株価も黙っていません。貴方は即刻取締役を解任され、お父様からは勘当され、一文無しで放り出されるでしょうね。……もちろん、私の用意した防犯カメラの映像等の証拠類も、週刊誌の記者の方々が大変興味を示されるかと思います」
「ひっ……!」
明宏の喉から、カエルが潰されたような悲鳴が漏れた。
彼はようやく理解したのだ。私が組み上げたこの完璧な包囲網の中で、彼には「親の権力に頼る」という唯一の選択肢すら、物理的かつ社会的に封じられているということを。
「ゆ、結……頼む、話を聞いてくれ! 悪かった、俺が間違ってた! だから親父には……会社には黙っていてくれ!!」
完全に虚勢を剥がされた哀れな男の懇願。
私は口元を三日月のように歪め、最高のカタルシスを味わいながら答えた。
「ええ。私も鬼ではありません。裁判沙汰になり、貴方の横領の事実が明るみに出ることは、本意ではありませんから。……ご安心下さい。内密に、穏便に済ませるための『和解のテーブル』は、こちらで用意しております」
『ほ、本当か!? 払う、金なら払う! だから……!』
「では、明日の午後三時、帝都グランドホテルのラウンジでお待ちしております。和解の条件について、詳しくお話ししましょう。あらかじめ申し上げておきますが、弁護士の同席は不要です。貴方と私、二人だけで解決いたしましょう」
私がそう告げると、明宏は「わかった、必ず行く!」とすがりつくように叫んだ。
「それでは、明宏様。明日お会いできるのを楽しみにしております」
ガチャリ、と。
私は一方的に通話を切断した。
主導権は、完全にこちらの手にある。
「所長……」
一部始終を聞いていた木戸くんが、青ざめた顔で私を見ていた。
「相手の資産を凍結して弁護士を雇えなくしておいて、さらに親にバレる恐怖で脅迫し、孤立無援の状態で和解交渉に引きずり出す。……えげつなさすぎて、法律の神様が泣いてますよ」
「褒め言葉として受け取っておきます、木戸くん」
私は受話器を磨きながら、クスクスと笑った。
和解のテーブル。
彼が安堵の息をついて座るであろう、その椅子には、すでに致死量の猛毒が塗られている。
慰謝料の減額交渉にやってくる彼を待ち受けるのは、私の用意した最大の罠……『執行認諾文言付公正証書』という名の、自ら死刑台のボタンを押させるための悪魔の契約書なのだから。
お読みいただきありがとうございます。
赤いスタンプの恐怖。親の権力も使えず、お金も引き出せない元婚約者は完全にパニックです。
「ざまぁ展開キタ!」「もっとやれ!」と少しでも楽しんでいただけていたら、ぜひ下部から【ブックマーク】と【星評価】をお願いいたします!
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※次回は本日21:00過ぎに更新予定です!




