第1話 まずパーティーで婚約破棄されまして
はじめまして!
異世界テンプレの「婚約破棄イベント」を、現代日本の現行法でタコ殴りにするお話です。
スカッとしたい方、ぜひ最後までお付き合いください!
「九条院 結! お前のような地味で退屈な女とは、今日この場をもって婚約を破棄させてもらう!」
マイクも通さず、無駄に良い発声で響き渡った男の声が、華やかな宴の空気を一刀両断にした。
帝都グランドホテルの最上階、豪華絢爛なメインバンケットルーム。
星ヶ丘大学の卒業記念パーティーの熱気は、突如として放たれたその場違いな大音声によって、文字通りにフリーズしていた。
優雅な調べを奏でていた弦楽四重奏の生演奏が、ギィッと不快な音を立てて止まる。
歓談していた約二百名の卒業生と来賓たちの視線が、一斉にホールの中心へと集まった。
視線の先、スポットライトを浴びたかのように堂々と立っているのは、国内最大手の総合商社、道明寺グループの御曹司である道明寺明宏だ。
父親の金で仕立てたであろう最高級のイタリア製オーダースーツに身を包み、まるで三流舞台の主役のような大仰なポーズをとっている。
そして、彼が庇護するように抱き寄せているのは、一つ年下の後輩であり、ゆるふわな茶髪に涙目を浮かべた小動物系の女子大生、佐々木莉奈だった。
対する私は、壁際で大人しくお皿を持っていただけの、極めて地味な女である。
黒髪は三つ編みでまとめ、度の強い黒縁メガネをかけ、ドレスアップが必須の場であるにもかかわらず、装飾の少ない紺色の無難なワンピースを着ている。
私の名前は九条院 結。一応、それなりに名の通った家柄の娘であり、そして今、大勢の面前で婚約破棄を叩きつけられた哀れな悪役令嬢、という立ち位置らしい。
だが、私の頭の中を占めていたのは、悲しみでも絶望でもなかった。
(ちょっと待って。シェフが目の前で切り分けてくれたこの特製極厚ローストビーフ、まだ一口も食べていないのですけど)
ピンク色に輝く肉の断面と、芳醇なグレイビーソースの香りを前に、なぜ私はこんな茶番に巻き込まれているのでしょう。
食い意地の張った地味令嬢である私は、冷めていく肉を恨めしそうに見つめていた。
「ああ、明宏さん……もうやめてください……っ。私のような身分違いの女のせいで、結様を怒らせてしまうなんて……」
莉奈が明宏の胸に顔を埋め、いかにもか弱そうに震えながら泣き声を上げる。
まるで安っぽい恋愛ドラマのワンシーンだ。周囲の学生たちからは「まさか九条院さんが?」「あの大人しそうな見かけでいじめを……?」というヒソヒソ声が漏れ始めている。
(いじめ? 私が?)
私も首を傾げた。その設定、無理はありませんか。
正直言って私は「マイペース」を地で行く財閥令嬢であり、「ぼんやりしてる」とか「空気を読まない」と言われることはあっても、他人に嫌がらせをするほどの関心も情熱も持ち合わせていない。
そんな時間があるのなら、一日中、蟻の行列を眺めていたり、図書館で棚の端から端まで片っ端から読破している方が有意義だと思う。そして実際にそうしている。
だが、状況はあまり良くない。いや多分悪い。なにしろ公の場で名指しで糾弾されているのだ。
困りましたね。
そういえば尊敬する祖母はよくこう言っていた。
『揉め事が起きたら、とりあえず証拠を残せ』と。
私はお皿を片手で器用に持ちながら、もう一方の手を地味な黒のクラッチバッグに突っ込み、指先でスマートフォンの側面ボタンを押し、手探りでボイスレコーダーのアプリを起動する。一応、録音はさせていただきましょう。
まあ、私にはあまり必要のないものなのですけど。
「結、お前は何も言えないのか! 莉奈に対する数々の非道な嫌がらせ、俺はすべて知っているんだぞ!」
明宏が、正義の味方にでもなったつもりなのか、私に向かってビシッと人差し指を突きつけてきた。
えーと、どうしよう。こんな大勢の前で注目されて何か話すなんて、普通いろいろと準備が必要ですよ? 世の悪役令嬢はみんな、こんな臨戦態勢で毎日暮らしていらっしゃるの?
とりあえず、当たりさわりのないことを言っておきましょう。
「えーと、明宏様……突然のお言葉に、頭が追いついておりません。婚約を破棄するとは、一体どういうことでしょうか。私たちは両家の合意のもと、正式に結納を交わした仲ですのに」
ぎりぎり及第点でしょうか。こんなことなら悪役令嬢ものも、食わず嫌いせず、読んでおけばよかったです。
「親が決めた政略結婚など、もう知ったことか! 俺が愛しているのは莉奈だけだ! お前のように、嫉妬に狂って罪のない彼女を傷つけるような陰湿な女、道明寺家の嫁として相応しいわけがないだろう!」
明宏は待ってましたとばかりに胸を張り、恥ずかしげもなく『真実の愛』宣言をぶちかました。
ぶらほー。練習してきたのか、私と違って台詞も滑らかだ。
要約すると、若くて可愛い彼女ができたので、私という地味な婚約者が邪魔になった、という話なんですが。
「えーと、私が……佐々木さんを傷つけた? 具体的に、どのようなことをしたと仰るのですか?」
ほとんど接点などなかったと思うのですが。
「しらばっくれるな! 先月の十日、お前は大学の裏庭で莉奈を突き飛ばし、池に落としただろう! さらに、彼女のロッカーに『大学を辞めろ』と脅迫状を入れたこともわかっているんだ!」
明宏の声が、シャンデリアのガラスを揺らすほどの勢いで響き渡る。
莉奈は「明宏さん、もう言わないで……私が我慢すればいいんです」と、健気さをアピールするのをおろそかにしない。
私は思わず、掛けていた黒縁メガネをずり落としそうになった。
「えーと、先月の十日……とおっしゃいましたか?」
「そうだ! 言い逃れはできないぞ!」
「あの、先月の十日、私は急性虫垂炎で大学病院に入院しておりましたが」
ホールに、一瞬の静寂が落ちた。
「……は?」
「おへその横を五センチほど切開しまして、その日は術後でベッドの上に縛り付けられ、点滴と親友状態でした。幽体離脱でもしないと、物理攻撃を加えるのは不可能であるような」
私が淡々と事実を告げると、明宏の顔がみるみるうちに赤から青へと変わっていく。
「う、うるさい! 言い訳するな! 病院を買収してカルテを改ざんしたんだろ! ……いや、九条院家の財力ならやりかねん!」
(すごい。盲腸をでっち上げるために病院を買収? 無駄にスケール大きいのに、みみっちい医療ミステリーですね。むしろ読んでみたい)
そんな奇想天外な陰謀論を大真面目に叫ぶ明宏の横で、莉奈が慌てたように彼の袖を引く。
「ひぐっ、明宏さん、もういいんです……。結様も、きっと私のような平民が、明宏さんに愛されているのが羨ましかったんだと思いますぅ」
(いやいや。確かに明宏様のおバカなイキリを私は愛でておりますが、恋慕してるかと言えば微妙なところなのですが)
内心でツッコミを入れながら周囲を見渡すと、事態は妙な方向へ転がり始めていた。
「でも、九条院さんなら本当に裏でお金を動かしてそう……」
「言い訳が見苦しいわよね。あんな大人しそうな顔して」
「やっぱり愛のない政略結婚なんて、歪んで当然なのよ」
ヒソヒソ声のトーンが、完全に私を『悪役』として断定するものに変わっている。
どうやらこの場にいる大半の人間は、論理的な整合性よりも、御曹司と平民のドラマチックな純愛劇(と、それに嫉妬する悪役令嬢)というわかりやすい構図を求めているらしい。
(この人たち、全員頭にウジでも湧いておられるのでしょうか?……本当に愚かで愛おしい人たち。……あ、とても良いことを思い付きました)
私は冷めてしまったローストビーフのお皿を近くのテーブルにそっと置いた。
「……明宏様のお考えは、よく理解いたしました」
私は左手の薬指にはめられていた、無駄に自己主張の激しいダイヤモンドの婚約指輪を引き抜いた。
そして、すぐ隣で青ざめて硬直していたボーイの持つシルバートレイの上に、コロン、と無造作にそれを転がした。
「わ、わかったか。ならば今すぐここから立ち去れ!」
「はい、もちろん。婚約破棄、謹んでお受けいたします」
私が一切の未練を見せずにあっさりと身を引いたことに、明宏はわずかに戸惑いの表情を見せた。
「これで私、名実ともに『追放令嬢』の役を拝命いたしました」
「はあ? お前、何言ってる?」
私は黒縁メガネの位置を中指でクイッと押し上げ、彼らの目を真っ直ぐに見据えた。
「寡聞にして詳しくありませんが、『追放もの』と言えば、『ざまぁ』がつきもの。若輩の身ゆえ、何から手をつけてよいか見当も付きませんが、九条院の家名にかけて、必ずやこの役、全ういたします。つきましては、正当な理由なき婚約破棄、この『落とし前』は、必ずつけさせていただきましょう。……どうか、首を洗って待っていてくださいませ。……ご静聴、ありがとうございました」
静かに、だがはっきりと通る声でそう言い放ち、私は生涯最高のカーテシーを決めた。
「なっ……なんだと……!? 負け惜しみを言うな!」
背後で明宏が何か喚いていたが、私は振り返ることもなくバンケットルームの出口へと向かった。
まるでモーセの十戒のように、周囲の学生たちが無言で道を開けていく。軽蔑の視線を浴びながらも、私の足取りは羽のように軽かった。
ホテルを出てタクシーに乗り込むと、私はすぐにバッグからスマートフォンを取り出した。
先ほどの録音データはクラウドにバックアップし、ブラウザを立ち上げる。
「さて、何から取りかかればいいのかしら?」
検索窓に打ち込んだ言葉は、『婚約破棄 慰謝料』『冤罪 名誉毀損』。
次々と表示される検索結果のページをスクロールしていくうちに、私の目は次第に釘付けになっていった。
損害賠償、不法行為、証拠保全、内容証明……。
見慣れない専門用語の羅列。だが、私の頭脳は、その文章の裏に隠された『システム』の美しさを一瞬で見抜いていた。
(……なんて面白いの!)
感情論ではない。家柄の力でもない。
誰もが従わざるを得ない絶対的なルールに基づき、客観的な証拠を用いて、論理的に相手を追い詰める手段。
(これを使えば、あの方たちを合法的に、徹底的に、再起不能にできますね。ああ、このジャンル、もっと早くに履修すべきでした)
呪いでも暗殺でもない。真綿で首を絞めるように、彼らの逃げ道を一つ残らず塞ぎ、社会的な息の根を止める最高の方法。
それは『法律』だった。
タクシーの後部座席で、私は口元を歪めてふふふと笑った。
明宏は言った。九条院家の財力ならなんだってやりかねん、と。
上等だ。ならばその財力と、私のこの頭脳を使って、まずは最強の武器を手に入れてみましょう。
(えーと、最短で弁護士資格を手に入れるには、どうしたらいいのでしょう? 幸い勉強は苦手じゃないし、何とかなりますね)
こうして、ただの地味で食い意地の張った令嬢は、復讐の鬼(?)と化した未来の魔王弁護士への第一歩を踏み出したのだった。
お読みいただきありがとうございます!
ここから天才令嬢の反撃(という名の資格取得やら証拠集め)が始まります。
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