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モーンの森の事件録━━ケルトの森で  作者: 宮生さん太


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15/20

春を渡す


 校庭の芝は、冬の終わり方を知らないみたいに固かった。朝の霜が、日が出てもまだ光っている。吐く息だけが元気で、喉は少し痛い。


「今日、寒さのやる気すごくない?」


 メイヴが手袋のまま指を鳴らす。


「やる気って何」


 フィンが眼鏡を押し上げた。


「寒さが帰る気ないってこと。ね、エルマ」


「……うん。帰る気ない。居座ってる」


 そう言った瞬間、耳元で精霊が鳴いた。


 ──チチチッ。


『まだ』

『まだ』

『まだ』


「うるさい! わかってる!」


 エルマが小声で怒鳴ると、メイヴが笑いを噛み殺した。


「今日も寄ってきてるね」


「寄ってきてるっていうか、住み着いてる」


「かわいいじゃん」


「かわいくない。騒音」


 ニアムはマフラーを引き上げながら、校舎の影を見た。


「……先生、来る?」


「来る」


 ローワンが短く言う。


「来るって決めたの、誰」


「決めたのは、先生」


 フィンが淡々と返す。


「決めたのは、理由がないのに理由がある日ってやつ」


 その言い方が嫌で、エルマは足元の霜を踏んだ。音が遅れて鳴る。遅れ方が、昨日の森より優しいだけで、同じ種類の気配だ。


 *


 発端は、昼休みの掲示板だった。


 春の募金のポスターに、誰かが薄い鉛筆で書いた線。

 意味のない渦。名前でも落書きでもない、ただの線。


 なのに、見た瞬間に寒くなる。


 ミセス・ブラウンがそれを見て、眉を寄せた。


「これは……いつから」


「昨日はなかったと思います」


 フィンが言う。


「思いますって言い方ね」


 メイヴが突っ込む。


「断言できないのが嫌」


 ニアムが小さく言った。


 そして、エルマだけがはっきりと聞いた。

 線の下で、精霊たちが口々に鳴くのを。


 ──チチチッ。


『間に合わない』

『遅い』

『渡せない』


「渡すって何」


 エルマが訊いたとき、精霊は答えずに、同じ言葉を増やしただけだった。


『火』

『白い火』

『春』

『渡す』


 その夜、ミセス・ブラウンが職員室から一冊の古いノートを持ち出してきた。

 紙は黄ばんで、背表紙はもう割れかけている。


「あなたたちにだけ、見せます。……信じろとは言いません」


「先生、それ言うと逆に信じろって感じ」


 メイヴが言って、すぐ真面目な顔になる。


 ノートには、短い走り書きがある。


━━二月初め。冬が居座る年は、火を渡す。渡すのは、人ではない。けれど、人が場を整える━━


 説明が少ない。正解のふりだけしている。

 フィンがページをめくって、顔をしかめた。


「儀式の詳細がない」


「詳細があったら困るでしょ」


 ローワンが言った。


「困るのは、学校の規則」


 メイヴが言い切る。


「焚火だめ。煙だめ。魔術だめ。全部だめ」


「魔術禁止って校則にあるの?」


「今作った」


 ミセス・ブラウンはため息をついて、声を落とした。


「丘の石塚の跡地。……あそこなら、火は目立ちません。風が強いから」


「風が強いのに火?」


 ニアムが不安そうに聞く。


「火は燃やすためじゃない。渡す、ためだから」


 先生は、言ったあとで自分の言葉に少し戸惑った顔をした。

 大人が、判断を保留している顔。


 エルマの耳元で精霊が鳴いた。


 ──チチチッ。


『間に合った』

『今夜』

『今夜』


 *


 丘へ向かう道は、草原の匂いが薄い。冬の匂いだ。濡れた土と、古い枯れ草の匂い。息を吸うと喉が冷える。


「ねえ、結局なにするの?」


 メイヴが歩きながら言う。


「場を整えるって何」


「わからない」


 フィンが言い切った。


「わからないのに行くの、すごいね」


「わからないのに放置すると、もっとすごいことになる」


 ローワンが丘の中央を見た。草の色が、円形に違う場所。

 石塚の跡地。夏至祭の輪の名残。


 ニアムが小声で言う。


「……冬って、こういうふうに居座るんだ」


「居座るっていうか、ちゃんと残るって感じ」


 エルマは言って、言い直す。


「残るっていうより……終わらない」


 その言葉が空気を撫でた瞬間、丘の風が止まった。

 止まったのに、冷たさだけが残る。

 世界が、音をひとつ減らしたみたいに静かになる。


 そこにいる。


 姿はない。

 音もない。


 けれど、冬は、そこに座っている。


 エルマは肩をすくめた。

 怖い、というより、無機質だ。冷たい機械みたいに、ただある。


「……来てる」


 メイヴが、珍しく声を落とす。


「来てるって言い方」


 フィンが言う。


「違う。もう、いた」


 ミセス・ブラウンはバッグから細い白い紐を取り出した。


「これを円に置きます。……輪になるように」


「円、好きだね、この土地」


 メイヴが言って、笑いが少しだけ戻る。


「今日は円が必要」


 フィンが言う。


「必要って何に」


「構造に」


 五人は、草の色が違う場所を避けながら、紐を円に置いた。

 踏み込まない。内側に立たない。

 境界の作法。今までの事件で学んだ、嫌な優等生の知識。


 ニアムが、喉元を押さえる。


「歌うの?」


「歌わない」


 エルマが即答した。

 精霊がわちゃわちゃ鳴く。


 ──チチチチチ。


『声、いらない』

『火』

『火』

『白い火』


「白い火って何」


 メイヴが小声で聞く。


「火って赤かオレンジじゃない?」


「色じゃない」


 ローワンが言う。


「意味のほう」


「意味って、いちばん信用できないやつ」


 メイヴが言った。


 フィンがポケットから小さなロウソクを出した。


「火種はこれで十分」


「え、準備良すぎない?」


「先生が持ってた」


 フィンが視線をミセス・ブラウンに向ける。

 先生は見ないふりをした。見ないふりの顔が、ほんの少し若い。


「……やるなら、今です」


 ミセス・ブラウンが言う。

 その声が、震えていないのがすごかった。


 エルマはロウソクを見た。

 小さい火。小さいのに、ここでは大きすぎる気がする。


「ねえ、エルマ」


 ニアムが囁く。


「手、震えてる?」


「震えてない。……たぶん」


「たぶんって言った」


 メイヴが腕を組む。


「儀式ってさ、もっとさ、すごい言葉とか必要じゃない?」


「言葉で固定すると、神話が固まる」


 フィンが言う。


「固まったら?」


「次から、同じ形でしか動かない」


「つまり、来年もやらされる」


「それ」


 ローワンが、円の外側に一つだけ、小さな石を置いた。


「何それ」


 メイヴが聞く。


「ここまでの印」


 ローワンは答える。


「踏み込まないための」


 エルマは息を吸った。

 寒い。冷たい。冬は静かに座っている。

 精霊たちはうるさい。

 うるさいのに、今だけは、エルマの背中を押している。


『間に合った』

『間に合った』

『渡す』

『渡す』


「渡すって、誰に」


 エルマが小さく言うと、精霊が答えた。


 ──チチチッ。


『次』

『次へ』

『春へ』


 エルマは、笑いそうになって止まった。

 笑うのは早い。ここで笑ったら、冬がそれは違うって顔をする気がする。


「……やるよ」


 エルマは言った。


「やるって何を」


 メイヴが言う。


「やるって言うと、何かやったことになる」


 フィンが釘を刺す。


「じゃあ、やらないをやる」


 エルマは言い返した。


「インボルクの頃だ。火は、渡すために使う」


 フィンが低く言った。


 ロウソクに火をつける。

 小さな炎が、瞬いた。


 その瞬間、冬の存在が、少しだけ重くなる。

 怒りではない。

 ただ、均衡を保とうとする圧。


 精霊たちが一斉に静まった。


 ──チチ……。


『今』


 エルマはロウソクを円の外に置いた。

 内側に入れない。捧げない。交換しない。

 ただ、置く。


 フィンが続けて、ロウソクの反対側に、同じ距離で小さな石を置いた。


「対称にする」


「なにそれ、数学?」


 メイヴが囁く。


「構造だ」


「また構造」


 ニアムは、息を整えて、ロウソクのそばに、白いリボンを結んだ。

 ミセス・ブラウンが持ってきた紐の端を、ほんの少しだけ結び直す。


「先生、手、器用」


 メイヴが言うと、先生は目を逸らした。


「黙りなさい」


 ローワンは最後に、円の外側の石を、ほんの少しだけずらした。


「何してるの」


 エルマが小声で聞く。


「ぴったりにしない」


「……なぜ」


「ぴったりは、成立する」


 ローワンはそれだけ言った。


 風が、一度だけ通った。

 冷たい風じゃない。

 軽い風だ。


 冬が、そこから少しだけ退く。

 退くというより、席を譲るみたいに、ずれる。


 ロウソクの炎が、白く見えた。

 色じゃない。温度でもない。

 ただ、次へ渡る火。


「……ブリギッド?」


 誰に向けたわけでもなく、そう零れた。


 精霊が、久しぶりに嬉しそうに鳴いた。


 ──チチチッ!


『渡った』

『渡った』

『間に合った』


「間に合ったって、何に」


 メイヴが聞く。


「春に」


 ニアムが言った。


「春って、間に合うものなの?」


「間に合わないと、ずっと冬」


 フィンが淡々と返す。


「それ、普通に嫌」


 ミセス・ブラウンが、円の外側から丘を見た。

 何も見えないはずなのに、先生の目が少しだけ柔らかくなる。


「……昔は、こういうのを思い出すだけでよかったんでしょうね」


「今は?」


 エルマが聞く。


「忘れすぎた」


 先生は短く言った。


「思い出すのにも、手順がいる」


 ロウソクの火は、風に揺れて、消えなかった。

 消えないのが、怖いというより、安心に近い。


 冬の存在は、黙ったまま、丘から退いた。

 怒らない。抗議もしない。

 ただ、構造が満たされたから、席を譲っただけ。


 優雅で、残酷なほど無関心。


 エルマは、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。

 軽くなるのに、震えが残る。

 初めてのことは、成功しても怖い。


「……帰ろう」


 エルマが言う。


「やっと言った」


 メイヴが息を吐く。


「これ、成功?」


「成立させなかったから、成功」


 フィンが言う。


「その成功、わかりにくい」


「わかりやすい成功は、次が来る」


 ローワンが淡々と返す。


 丘を下りるとき、背中の視線はもうなかった。

 代わりに、風が少しだけ、甘い匂いを運んだ。

 土の匂い。濡れた草の匂い。

 冬の匂いじゃない。


 校舎の窓が、遠くで光っている。

 いつもの学校。

 いつもの町。


 それが戻るだけで、十分だった。


 翌朝、掲示板の渦線は薄くなっていた。

 消えてはいない。けれど、目に入ってこない。


「解決、だね」


 メイヴが言う。


「被害なし」


 フィンが言う。


「誰も歌ってない」


 ニアムが言う。


「先生も怒鳴ってない」


 メイヴが付け足す。


「そこ基準なの?」


「大事」


 エルマは笑ってから、少しだけ真面目な顔になる。


 ──今回も、誰も勝たなかった。


 ただ、春が渡った。


 それだけだ。


 それだけで済んだ。


※インボルク(Imbolc)は、冬の終わりと春の訪れを告げる頃の祭り(地域差あり)

※ブリギッド(Brigid)は、火や詩、癒しなどに結びつけられる存在として知られる(解釈はいろいろ)

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