表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
モーンの森の事件録━━ケルトの森で  作者: 宮生さん太


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/20

狩りと角の王 後編


 境界石を越えた瞬間、音が変わった。


 森は静かではない。鳥もいるし、風もある。だが、草原で聞いていたそれとは違う。音が遠い。ひとつ隔てられている。


「……入ったね」


 メイヴが言う。


「入った」


 フィンが訂正する。


「正確には、縁を越えた」


「細かい」


「重要」


 ローワンが前を歩く。鹿の足跡は森の中へ続いている。綺麗すぎる線。乱れがない。逃げる足ではない。


「追われてない」


 ニアムが呟く。


「追われてないのに、囲われてる」


 エルマは背中に視線を感じた。見上げなくてもわかる。森の奥、枝の重なりの向こう。


 見ている。


 怒りではない。好奇でもない。


 数えている。


「三頭だったよね」


 メイヴが小声で言う。


「三って、少なくない?」


 メイヴが続ける。


「五じゃない。七でもない。半端」


「半端じゃない」


 フィンが即答する。


「三は狩りの最小完結数だ」


「完結?」


「囲いが閉じる数」


 ローワンが森を見た。


「過不足が出ない数」


 エルマの胸が冷える。


 三は必要数。


 過剰ではない。


 だから増やさない。


 それは慈悲ではない。


 ただ、構造。


「三」


 フィンが答える。


「でも、足跡は鹿だ」


「代行?」


「狩りの形式だけ借りてる可能性」


「形式って何」


「構造」


 奥へ進むほど、森の光は均一になった。明るくも暗くもない。影の濃淡がなく、距離感が削がれる。


「……これ、深さがわかんない」


 メイヴが言う。


 木々は近いのに遠い。幹の太さも、枝の高さも、同じ比率で揃えられているように見える。


「遠近が薄い」


 フィンが短く言う。


「囲いの内部は、奥行きを必要としない」


「何それ、やめて」


 ニアムが笑おうとして失敗する。


 そのとき、エルマははっきりと感じた。


 視線が、数を変えている。


 五人で歩いているはずなのに、森の側からは、四でも六でもなく、適切な数として見られている感覚。


 数え直されている。


 合否を測られるみたいに。


 枝の間で、角の影がわずかに揺れた。


 ローワンが立ち止まる。


 前方の地面に、円があった。


 踏み固められた土。鹿の蹄の跡が円周をなぞっている。その中心は、空白。


 中心の土は、踏まれていないのに沈んでいた。

 湿っているわけでもない。ただ、そこだけ音を吸う。


 蹄の跡は乱れていない。重なりもない。

 一頭が何度も歩いたのではない。

 複数が、順番に、同じ線をなぞった。


 外から見れば、ただの円だ。

 中に立てば、囲われる。


 音が、わずかに変わる。


 円の縁に立つだけで、自分の呼吸が森と噛み合わない。


 吸えば遅れ、吐けば先行する。


 誰かの呼吸に合わせろと、無言で指示されているような違和感。


 ここで深呼吸をすれば、何かが決まる。


 踏み込めば、数が揃う。


 その確信が、エルマの足首を軽く掴んだ。


 エルマは一歩、踏み込みかけて止まった。

 円の内側は、風の流れが遅い。


 ──ここは捕らえる場所ではなく、成立を確認する場所だ。


「ここが狩り場」


 ローワンの声は低い。


「でも、獲物がいない」


 ニアムが言う。


「獲物はもう選ばれている」


 フィンが続ける。


「ここは確認の場」


 エルマの胸がひりつく。


 確認。


 つまり、成立。


 そのとき、森の奥で枝が鳴った。


 前編と同じ音。乾いた、控えめな音。


 今度は、はっきりと影が見えた。


 枝と枝の隙間に、角。


 高く、広がり、光を切り取る形。


 動かない。


 ただ、そこにある。


「……角の王」


 メイヴが小さく言った。


 名を出していない。だが、意味は通じる。


 影は揺れない。


 視線だけが届く。


 角は動かない。


 だが、枝の隙間の暗がりが、順番に五人をなぞった。


 一。二。三。四。五。


 数は合っている。


 だが、円と照合している。


 狩りの構造に、過不足がないかを。


 怒りではない。

 威圧でもない。


 整合の確認。


 エルマの背中に、冷たい理解が落ちる。


 これは捕食ではない。


 構造の維持だ。


「どうする」


 ローワンが短く言う。


 メイヴが一歩、前へ出た。


「返させる?」


 その声は軽くない。


「三頭だよ。牧場主の生活だよ」


 ニアムの喉が動く。

 歌えば、呼べるかもしれない。

 だが、それは“対等”を意味する。


「歌えば、あちらは応じる」


 フィンの声は冷たい。


「応じた瞬間、交換が成立する」


 ローワンの指が、わずかに円の縁へ伸びる。


 音が、わずかに変わる。


 円の縁に立つだけで、自分の呼吸が森と噛み合わない。


 吸えば遅れ、吐けば先行する。


 誰かの呼吸に合わせろと、無言で指示されているような違和感。


 ここで深呼吸をすれば、何かが決まる。


 踏み込めば、数が揃う。


 その確信が、エルマの足首を軽く掴んだ。


 踏み込めば、狩りになる。


 森は待っている。



「奪い返すって、あり?」


 メイヴが言う。


「羊だよ。三頭。命だよ」


「奪い返したら、こっちが奪う側になる」


 フィンの声は冷静だが、速い。


「じゃあ、抗議は?」


「誰に」


「……王?」


 その単語に、空気がわずかに歪む。


 森の奥の角が、ほんの少しだけ傾いた。


 反応。


「見られてる」


 見られている、というより。

 測られている。


 視線は五人をなぞる。

 順番にではない。

 重さを量るように、同時に。


 数だけではない。

 怒りの量、躊躇の量、干渉の兆し。


 森は奪いに来ない。

 ただ、整える。


 足りないものは足さず、過剰なものは削る。


 三は三。

 過不足のない数。


 それ以上を望むかどうかだけを、こちらに委ねている。


 角の影は動かない。

 だが、退く気配もない。


 ──選べ、と言われているわけではない。

 ただ、選んだ結果を受け取るだけの構造が、そこにある。


 ニアムが小さく言う。


「交渉は?」


「交渉は合意」


「合意は成立」


 ローワンが低く言う。


「成立させた瞬間、続く」


 沈黙。


 森は焦らない。


 急かさない。


 時間は向こうのものだ。


「……悔しいな」


 メイヴが言う。


「理不尽なのに、怒れない」


 エルマは森を見つめた。


「怒ったら、負ける」


 それが一番、嫌だった。


「追う?」


「追ったら、狩りになる」


 フィンが即答する。


「供物出す?」


「出した瞬間、交換が成立する」


 ニアムは喉元に触れかけて、止めた。


「歌えば?」


「神話が固定される」


 全員が黙る。


 どれも干渉。


 どれも構造を完成させる。


 エルマは円の外に立ったまま、森を見た。


 優雅だと思った。


 残酷というより、整っている。


 この森にとって、羊三頭は過不足ない。


 ただの均衡。


「ねえ」


 エルマが言う。


「これって、狩りなんだよね」


「そう」


 フィン。


「じゃあさ」


 エルマはゆっくり言葉を選ぶ。


「成立しなきゃいいんじゃない」


「何が」


「狩り」


 メイヴが眉を上げる。


「成立しない狩りって何」


「獲物がいない」


「もういない」


「違う」


 エルマは円を見た。


「狩人もいない」


 ローワンが目を細める。


「……こっちがならない、ってこと?」


「うん。追わない。怒らない。奪わない。均衡を直そうとしない」


「放置?」


「放置」


 フィンが静かに考える。


「狩りは追う者と追われる者で成立する。どちらにもならなければ、形式だけが残る」


「形式だけなら、神話は固定されない」


 ニアムが続ける。


「つまり?」


 メイヴ。


「数を崩す」


 ローワンが言った。


「狩り場の外に立つ」


 五人は、円の縁から一歩下がった。


 内側に入らない。


 鹿の足跡の円を踏まない。


 森の奥の角は、わずかに揺れた。


 風が通る。


 視線が、変わる。


 怒らない。


 だが、測る。


「……数、合ってない?」


 メイヴが小声で言う。


 五人。


 森。


 円。


 何かが足りない。


「狩りは三頭だった」


 フィンが言う。


「三で完結している」


「じゃあ、これ以上は?」


「過剰」


 ローワンが森を見据える。


「過剰な狩りは、構造を崩す」


 角の影が、ゆっくりと奥へ退いた。


 逃げるのではない。


 撤収でもない。


 ただ、成立しなかったものを畳むように。


 鹿の足跡の円が、風に崩れる。


 完全に消えはしない。


 だが、閉じた。


 森の音が戻る。


 鳥が鳴く。


 葉が揺れる。


 数えられていた感覚が、ほどける。


 エルマは息を吐いた。


「……帰ろう」


「羊は?」


 メイヴが聞く。


 ローワンは首を振る。


「戻らない」


「じゃあ、オドネルさんは損」


「損は出る」


 フィンは淡々と言う。


「だが、これ以上は増えない」


 森の奥に、角は見えない。


 だが、いないとは言えない。


 いる。


 ただ、今回は干渉しない。


 五人は境界石を越えた。


 草原の風は、森より軽い。


 丘の円は、ただの草の色の違いに戻っている。


 オドネルは遠くで待っていた。


「どうだ」


「狼じゃない」


 ローワンが言う。


「鹿でもない」


 フィンが続ける。


「……増えません」


 エルマが最後に言った。


 それだけが、約束できることだった。


 牧場主は黙った。


 損は残る。


 だが、恐怖は広がらない。


 それで十分だと、この土地では判断される。


 数日後、町のパブで昔話が語られた。


「狩り神の丘って知ってるか」


 子どもが笑う。


「古い話だよ」


「数を間違えるなってやつ?」


「そう。森は数を数える」


 大人は半分冗談で言い、半分本気で目を伏せる。


 エルマは丘を見た。


 角は見えない。


 だが、風の流れが一瞬だけ整う。


 構造として、そこにある。


 今回の判断は、正しかった。


 干渉しない。


 成立させない。


 奪い返さない。


 森はまだある。


 狩りも、たぶん、まだある。


 ただ、今日は数が合わなかった。


 それだけだ。


 それだけで済んだ。


 優雅で、残酷なまま。


 神は、まだ存在している。


※角の王:ケルヌンノス(Cernunnos・Kernunnos)は狩猟・豊穣・冥界の神

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ