第八話:エモい
一時間程撮影スポットを探した後、僕達はさっきのレストランに戻って、撮影に丁度良い時間になるまで時間を潰した。
「えー、そうなんですかー?」
「あはは」
石川先輩は、気付いたらレストランの店員と仲良くなっていた。
「それで、お二人は恋人なんですか?」
「ちちちっ違いますよ!?」
店員の質問に、石川さんは顔真っ赤で否定をしていた。
そんなに僕と恋人関係と思われるのが嫌だったのか。
少し凹んだ。
「そろそろいいんじゃないですか?」
「そうですね。すみません。長い時間居座ってしまって」
「いいえ、良い写真撮ってくださいね」
「はい。ありがとうございますっ!」
「それじゃあ、タクシー呼んでおきますから」
「本当、色々ありがとうございます」
僕達に良くしてくれた店員さんに深く頭を下げて、僕達はレストランを後にした。
僕達が見つけた撮影スポットは、レストランから徒歩五分のところにある。
日頃は釣り人なんかも来る場所らしく、さっき見た時も数人の釣り人がいることはわかっていたのだが、バスの終電が早く、既に釣り人達は撤退した後だった。
「貸し切りだねっ!」
「そうですね」
まさに、絶好の撮影場所だ。
「それじゃあ、準備するねー」
石川先輩は、宣言していた通りにジージャンを渡してきた。
その後、水の近くに行くと、靴と靴下を脱ぐ捨てた。
「畳んでおきます……」
「えー、別にいいのに」
あまりに乱雑に靴下を放るもんだから、僕はせっせとそれを畳んでおいた。
石川先輩は、意外と粗末なところがあるようだ。
「ひゃーっ、つめたーい!」
……しかし、水辺で一人、ワンピースを着て水遊びをする彼女の姿は、中々様になっていた。
そんな彼女の姿に見惚れつつ、僕は空を見上げた。
夕暮れ時特有の赤々とした空。
そして、水面に反射される赤い陽の光。
……目立つ写真を撮りたい。その思いに応えるような完璧な構図が目の前にはあった。
「石川先輩、写真の準備しますね」
「うんっ!」
僕は石川先輩から距離を取った。
元々哀愁な写真を撮りたいと思っていたが、より石川先輩に哀愁を漂わせる方法を事前に模索した結果、なるべく引きで高い位置から写真を撮ろうと、僕達は話し合った。
『その方が、哀愁漂わせる人が、よりちっぽけな存在に見えてくる気がしない?』
ちっぽけな存在が見せる物憂げな姿。
確かに、何故だか少しそそるものがある気がした。
「石川先輩!」
石川先輩からある程度距離を取った僕は、声を張った。
多分、これまでの人生で一番の大きな声だった。
「はーい!」
「準備、お願いします!」
「わかったー!!!」
石川先輩は右手を振って、僕に背中を向けた。
……僕は思わず、息を呑んだ。
哀愁漂う背中。
物憂げに俯く様子。
距離を取ったおかげでよりちっぽけに映るシルエット。
薄暗いながら、真っ赤に存在を主張する水面に反射される夕日の光も相まって……写真を撮る前から、絵になっていた。
一瞬、手が震えて、スマホのカメラアプリを起動することに失敗した。
ホームボタンを押して、今度こそカメラアプリを起動した。
「撮りまーす!」
声を張った。
石川先輩はもう返事をしなかった。完全に役に入り切っていた。
最終バスはなくなり……。
釣り人は去り……。
いるのは僕達、二人のみ。
静寂に包まれた世界。
パシャリ。
スマホのカメラアプリのシャッター音だけが世界に響いた。
僕は画像アプリを開いて、撮った写真を確認した。
「……っ!」
引きは十分だった。
しかし、高さが足りない。
「村田くーん?」
「は、はいっ!」
「写真、撮れたー?」
「すみませーん! もう一回お願いしまーす!」
「はーい」
まずい。
パシャリ。
……まずい。
パシャリ。
まずい。まずい……っ!
パシャリ。
どれだけ手を伸ばしても。
どれだけ背伸びをしても……。
高さが足りない……っ!
もっと高い位置から撮りたいのに。そうした方が、きっと映えるのに……。
……どうしよう?
「村田君、どうかした?」
石川先輩の声が近くから聞こえて、ハッとした。
顔を見上げると、石川先輩は心配そうに僕を見ていた。
「……写真、上手く撮れない?」
「……はい」
……もう正直に白状するしかなかった。
「理想はもう少し高い位置から撮りたいんです。……でも、高さが足りなくて」
僕は項垂れた。
「どれだけ手を伸ばしても。背を伸ばしても……まだ、足りなくて」
「……どれどれぇ?」
「……」
「ふむふむ……」
石川先輩はスマホを返してくれた。
そして、自分の鞄の前で座って、ガサゴソと鞄を漁り始めた。
「はい」
そして、一本の棒を僕に手渡した。
「……これは?」
「自撮り棒」
「……!」
「伸ばして使って。で、Bluetoothで連動させれば、こっちのスイッチを押せば、写真が撮れる」
「はいっ!」
「それじゃあ、もう一回よろしくねっ!」
石川先輩は、水辺に向かって駆けていった。
……彼女の準備が終わる少し前に、視界の端に、赤いテールランプが見えた。
どうやらタクシーが到着したようだ。
もう残された時間は多くない。
自撮り棒の高さ調節を何度もしている時間はなさそうだ。
……意外と焦りはなかった。
自信があった。
一発で上手くいく自信が。
実に僕らしくない思考に陥っている。
だって僕は、いつも自信がなかった。
人付き合いも自信がないから敬遠してきた。
部活動だって上手くいかないと思ったらしなかった。
……恋だって、未だ石川先輩に、あの雄叫びの真意を聞けないでいる。
そんな僕がこんなにも自信に満ちているだなんて。
多分……いや確実に。
全ては石川先輩のおかげなんだろう。
『折角ここまで来たんだからさ、目立つ写真撮って、皆からたくさん評価されようよ!』
彼女の言葉が。
『めっちゃエモいね!』
彼女の行動が。
『それじゃあ、もう一回よろしくねっ!』
彼女の献身的な支えが。
……僕に自信と勇気を与えてくれているんだ。
パシャリ。
僕は写真を確認し……そして、微笑んだ。
「オッケーでーす!」
そして、叫んだ。
「はーい!」
石川先輩の声は楽しそうだった。
「村田君、見せて見せてー!」
「はい。どうぞ」
まもなく僕の前に来た石川先輩に、僕はスマホを渡した。
「……村田君」
「はい」
「エモいね」
「エモいですね」
堪え切れなくなって、僕達は笑い合った。