第三話:合宿二日目昼
朝食を食べた後、僕は二度寝を始めた先輩達を放って、一人朝風呂に入りに大浴場に行った。
昨晩は目が覚めたら宴会が始まったせいで、お風呂に入ることが出来なかった。
「ふぅ……」
大浴場の利用客はそこそこいた。
写真同好会の面々もチラホラ見えるが、声をかけたりはしなかった。
露天風呂に行ってみると、旅館が小高い丘の上にあるためか、市街地の様子が一望できた。
壮観な景色だと思った。
『気持ちって、言葉にしないと伝わらないから』
ただ、そんな絶景を素直に楽しむ気になれない。
さっきの下園先輩のアドバイスが、脳裏から離れてくれなかった。
気持ちは言葉にしないと伝わらない。
中学、高校と、僕は碌な友達を作ったことがなかった。友達が必要だと思ったことがなかったし、一人でいる時間も嫌いではなかったし、むしろ、誰かと一緒にいることで余計ないざこざが生まれるくらいなら……一人でいた方がマシだと思っていた。
石川先輩に出会うまでは。
石川先輩に出会って、生まれて初めてサークルに入会した。
自らの意思で、僕はたくさんの人と交流する場に足を踏み入れた。
ただ、写真同好会に入会して一か月が経って、打ち解けた友人は一人もいない。
石川先輩との関係も進展はない。
『すきーっ!』
昨晩の雄叫びの真意さえ、未だ聞き出せていない。
「下園先輩の言う通りだ」
だから、彼の言葉が脳裏から離れないのだ。
……大浴場を後にして部屋に戻ると、先輩達は身支度を開始していた。
「おう、村田。お風呂良かったか?」
「あ、はい」
「じゃあ、そろそろ準備な。十時にロビー集合だから」
「はい」
合宿二日目の今日は、十時にロビーで集合し、レクリエーションも兼ねたゲーム形式での写真撮影をするそうだ。
ちなみに、ゲームのルールは当日、ロビーで発表されるらしい。
「そういえば去年は、謎解きゲーム形式での写真撮影だったかな」
「へー」
謎解きと写真撮影がどうマッチするか、イマイチ検討が付かない。
「中々カオスなゲームだったなー」
「そうだったな」
……そんな感じだったんだ。
十時五分前、僕達は部屋を出て、ロビーへ降りた。
ロビーには既に、写真同好会の面々が集まっていた。
「よーし、皆揃ったな」
点呼の後、新沼先輩が声をあげた。
「じゃあ、今年も我が写真同好会恒例の新入生歓迎合宿二日目の写真撮影会を行いまーす」
気だるげに、新沼先輩は続けた。
「あー、二、三、四年生の面々、そんな構えないで。今年は去年みたいに十キロ以上の徒歩移動を強要したりしないから。大丈夫だから」
「……本当かよ」
「去年のゲーム企画したの、新沼先輩って噂で聞いたんだけど……?」
新沼先輩はなんだか……信用されているのかいないのか、わからない人だな。
「はーい。もう面倒くさいから始めるぞー。今年のルールは、男女ペアでこの町の撮影会をすることでーす」
新沼先輩の言葉を聞いて、
「えーっ!」
ロビー内に非難の声が続々あがった。
「我が写真同好会は男女間に大きな溝があるからさ。それ、前々からなんとか埋めたいと思ってたんだよね」
「そんなことないですよ」
「あるよ。あるからお前等、俺を非難する声をあげてるんだよ」
ふむ。
ぐうの音も出ない正論だ。
「逆にさ、何がそんなに不満なの」
「いやだって……写真同好会の中にも、あまり会話したことがない人もいますし」
「いやいや、そういう仲の人との関係を深めるための合宿だから」
「いきなり女子と二人ペアで行動して、周りに変に茶化されるの嫌なんですけど」
「大丈夫。君の発想はちょっと自意識過剰だよ。君だけ特別ってことはないから。周りの皆、同じ条件だから」
「男女で分ける発想は男女差別です。あたしは将来、年収一千万の男性と結婚して専業主婦になりたいです。家事は折半したいです」
「君はフェミニストなの? レイシストなの?」
……次々に皆が口にする否定的意見、なんだか僕の思考に似ているな。
「いいじゃん。やろうよ。きっと楽しいよ」
「えー……」
「ちなみに追加ルールがあって、提出する写真には必ずペアの相手を写すこと。あと同学年は駄目ね。新入生同士で組んだりしても意味がないから」
「えーっ!」
「はーい。もう決まり。決定! ここ民主国家だから。権力者の意見は絶対だから」
それ、民主国家じゃなく独裁国家では……?
はあ、とロビー中からため息が漏れ出ていた。
色々不満はありそうだが、新沼先輩は譲る気がなさそうだし、諦めるしかないという空気が流れ始めていた。
……どうしよう。
僕は少し悩んだ。
だって、いきなり女子と二人で行動なんて……相手が可哀そうだ。
……仕方がない。
成り行きを見て、余った人に声をかけてもらうのを待っているか。
『気持ちって、言葉にしないと伝わらないから』
……本当にそれでいいのだろうか。
その考えで、僕は今後、後悔をしないのだろうか。
中学、高校で、僕はずっと帰宅部だった。
部活動に入って、他人とコミュニティを形成することに価値を感じたことがなかったから。
……と言うのは、精いっぱい強がった上でついた、僕の言い訳だ。
結局僕は……怖かったんだ。
相手に変な奴と思われることが。
空気を読めない発言をして引かれることが。
……相手に、嫌われることが。
今朝からずっと、下園先輩のしてくれたアドバイスが……脳裏から離れてくれない。
それは多分、僕自身がずっと引っかかっていたからなんだろう。
このままでいいのか、と。
変わらなくていいのか、と。
……いつか僕は、母校の弱小野球部の連中を見下した思考を抱いたことがある。
でも、今になって思うと……僕は彼らを見下す資格さえありはしない。
彼らは挑戦はしていた。
でも僕は……。
これまでの僕は……挑戦さえ、してこなかったではないか。
「はーい。じゃあまずはペア決め開始ー」
新沼先輩の合図に合わせて、僕は傍にいた女性の誰かの手を掴んだ。
……失礼な話ではあるが、女性であれば誰でも良かった。
多分、人生通じて初めての挑戦……相手を選ぶ余裕なんて、僕にはなかった。
「あ、あのっ!」
僕は声を張り上げた。
「あの……僕と一緒に撮影してくれませんか?」
……心臓が異様に高鳴っていることがわかった。
徐々に女性の手首を掴む手が震え始めていることに、僕は気付いた。
女性はまだ……僕の誘いに対する返事をくれない。
ものの数秒しか時間は経っていないと思うが、体感時間は既に一時間くらいの時間が経過した気分だった。
この辺りで、妙な違和感を感じた。
僕が声を張り上げた後、ロビーが異様な静けさに包まれていたのだ。
何かおかしい。
僕はゆっくりと顔をあげた。
「……あはは」
僕はギョッとした。
僕が手を掴んだ相手は……色白のきめ細かい肌を持ち、端正な顔立ちをしていて……このサークルのマドンナ的存在。
そして、僕の初恋相手。
「い、石川先輩……」
適当に撮影に誘った相手が石川先輩で、僕は変な声を出してしまった。
「……えぇと」
こんなつもりじゃなかったのに……。
もう少し男らしくなってから、アプローチしようと思っていたのに……っ!
戸惑う石川先輩を前に、僕は既に心が折れかけていた。
「いいじゃないか。二人で回りなよ」
「か、かっちゃん!」
下園先輩から意外な援護射撃を受けた。
と思ったけど……よく考えれば同学年ペアはルール上NGなのか。
「……じゃあ、よろしくね。村田君」
「は、はいぃ……」
……なんか上手くいったことは良かったものの、僕は激しい疲労感に襲われた。