第一話:雄叫び
高校一年生の時、我が校の野球部の応援のため、炎天下の球場に全校生徒が駆け付けた。
直射日光が照りつけるスタンドで、僕達は全校集会で数時間練習した野球部員の応援をしたのだが、統率の取れていない僕達の応援のせいか、はたまた、僕達の高校がそもそも野球強豪校じゃないからか……試合は初回にエースが滅多打ちにあい、五回までに十一対0。コールド負けを喫した。
『ありがとうございましたっ!』
スタンドに向けて野球部員たちが頭を下げるも、彼らからも少しだけ気だるげな態度が見て取れた。
炎天下の中、全校生徒を集めた結果、見せた試合がワンサイドでの大敗。
彼らも多分、公開処刑をされているようで恥ずかしくて……挨拶なんてせず、さっさとベンチに戻りたかったのだろう。
ただそんな気だるげな野球部員の中、三年生達だけは涙を堪えることが出来ずにいた。
僕の周りの幾人かの生徒は、そんな三年生野球部員の姿に胸を打たれていたみたいだ。
しかし、僕は三年生野球部員の姿に、どこか滑稽さを感じていた。
そもそも、三年生野球部員達の学校での生活態度は良くない。所謂、不良に分類される人種だ。
あそこで涙を流す三年生野球部員の一人に、僕は睨まれたことだってあるくらいだ。
そんな連中が、あの場で涙を流す意味が、僕には理解出来なかった。
涙を流す前に、もっとやれることがあったのではないかと思ってしまうのだ。
練習をもっと真面目にするべきだったのではないのか。
下級生をビシバシ躾けて、大敗後に気だるげな態度を示されなくなるくらい、野球部の一体感を増す必要があったのではないのか。
……そもそも、負けた悔しさで涙を流すくらいなら、野球部がもっと強い高校に入学すれば良かったではないか。
全てが中途半端。
それ故の大敗。そして、悔し涙。
滑稽以外の言葉は浮かんでこなかった。
……でも、何かに熱中し悔し涙を流せた彼らに対して、心のどこかで羨望の念を抱いていたことに僕は気付いた。
僕はこれまで、悔し涙を流せるほど、何かに熱中したことがなかったのだ。
それもそのはず。
僕が中学、高校の時に所属していた部活は帰宅部。
勉学は頑張ったが、それ故に周囲からはがり勉君と弄られて……僕も意固地になったことが原因で、結局六年間で、碌な友達も出来た試しがなかった。
そんな自分のこれまでの人生を鑑みて、これから先も碌な友達や青春に見舞われることはないだろう、と僕は高を括っていた。
しかし、転機が訪れた。
「村田君! そろそろ着くよ!」
きっかけは……大学入学後、キャンパス内での一つのサークルから勧誘を受けたことだった。
チラシを持ち、僕に微笑み寄ってくる女性は……。
ワンピースにジージャンという出で立ちで。
茶色の長髪で。
手足は長く細くて。
鼻はモデルのように透き通っていて。
瞳は大きく、まつげな長くて……。
可憐で、美して……僕は気付いたら、一目惚れをしていたんだ。
「もー。皆、バス降りちゃうよ。村田くーん」
「……んあ」
「あ、起きた」
「……あ、石川先輩。おはようございます」
彼女の名前は、石川美鈴。
僕より一つ上の大学二年生で、僕に今入会している写真同好会の勧誘をしてくれた女性で……僕の初恋相手である。
「もう。おはようじゃないよ。寝坊助なんだから」
「す、すみません……」
寝起き、いきなり石川先輩のドアップの顔を見るのは……心臓に悪い。
ただでさえ僕は、中学、高校と帰宅部で、まもとに友達も作ったことがないコミュ障だったのに。
……そんな僕が、石川先輩に恋をして、誘われるがまま写真同好会に入会してしまうだなんて。
「もしかして昨日、合宿が楽しみで夜更かししちゃった?」
そして今日は、僕が入会した写真同好会の新入生歓迎合宿。
ウチの大学の写真同好会は、会員数三十人の結構な大所帯サークルだった。
一応、大学から公認されているらしく、文化祭があると講義室を借りて展示会を行ったり、それ以外でも二カ月に一回の撮影会等、規模に大小あれ、活動頻度は高めである。
そして今日は、新入生を歓迎するため、サークルメンバーが一堂に会して、伊香保に撮影合宿に来ていた。
「いえ、昨晩はぐっすり寝れました」
「あらそう」
「はい。グネグネ道でバス酔いしただけです」
思い出しただけで吐き気が襲ってきて、青い顔を作は口を押えた。
「あわあわ」
石川さんはあわあわしていた。
こういう時、自らの三半規管のクソザコ加減が嫌になる。
早速出だしで躓いてしまったが……この撮影合宿に際して、僕は一つの目標を掲げていた。
その目標とは、二泊三日の合宿最後にする写真の品評会で、新入生で一番の評価をもらうこと。
そして、初恋相手である石川先輩に少しでも振り向いてもらうことだった。
石川先輩はウチのサークルのマドンナ的存在だ。
毎日のようにキャンパス内で色んな男から言い寄られていることは知っている。
僕よりよっぽど魅力的な男から言い寄られて、悉く全てを断っていることも知っている……。
だから、僕が彼女に少しでも近づくには、こういう場で目を見張る結果を出すしかないのだ。
ただ、それだけではない。
「ミレイ。そろそろ点呼終わるけど」
中々バスから降りてこない僕達を心配して、サークルメンバーの一人がバスに戻ってきた。
テーパードパンツに黒ジャケット。
センター分けの髪型。
そして、中性的で端正な顔立ち。
今バスに戻ってきた人の名前は、下園薫先輩。
石川先輩と同じく僕の一つ上の、大学二年生。
「あっ、かっちゃん」
そして彼は、石川先輩の古くからの幼馴染だった。
「……村田君、どうしたの?」
「三半規管がやられたみたい」
ただ、彼女達の関係は……ただの幼馴染と形容することが僕には出来ない。
「三半規管が……。尊い犠牲だったね」
「駄目だよ、かっちゃん。あんまり村田君のこと弄っちゃ」
「どちらかと言うと、村田君を弄っているのはミレイだろ……?」
彼女達が会話する時に形成される独特の間合いは、長く一緒にいた証明みたいな感じがして……酷く不快だった。
「なんかもう大丈夫になりました」
青い顔のまま、僕は立ち上がった。
なんとか、美男美女でウチのサークル一のカップリングと名高い二人の掛け合いを辞めさせたかった。
「ほ、本当に大丈夫かい……?」
「はい。とりあえず今日の活動は控えて、部屋で寝てようと思います」
「全然、大丈夫じゃないね……」
駐車場に出た僕は、幾人かの男サークルメンバーに介抱されながら部屋に向かった。
「はい。布団敷いたよ」
「ありがとうございます……。下園先輩」
「なんのこれしき。僕にはこれくらいしか出来ないからね」
「……」
「何?」
……何って。
イケメンな上、世話焼きでベッドメイクも完璧とか、つよつよ男子すぎだろ……っ!
「夕飯になったら男子に呼びに行ってもらうから。ゆっくり休んでいるといい」
「……あい」
目を瞑る僕の額を、下園先輩の手が数度撫でた。
下園先輩の指は、男にしては少し細めで、柔らかかった。
……目を覚ますと、外は真っ暗になっていた。
どうやら僕、一日中部屋で寝ていたみたいだ。
「村田ー、夕飯食べられるかー」
目を覚ましたのと時刻をほぼ同じくして、襖が開かれた。
「はい」
「じゃあ、宴会会場に行くぞ」
「はい」
「まだ未成年だから、お前は酒飲んだら駄目だぞ?」
「飲みません」
「俺はガブガブ飲むから、酔いつぶれたら介抱よろしく!」
「無理です」
四年生の先輩に連れられて宴会会場に行くと、会場は既にガヤガヤ騒がしい。
「おっ、村田。起きたか」
「村田君。体調大丈夫?」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
写真同好会の面々は、コミュ障の僕にもとても優しい。
本当、こういう時は、このサークルに入って良かった、と心から思う。
「はーい。それじゃあ、今年も新入生歓迎合宿。宴会の部を始めさせていただきまーす」
マイク越しに、写真同好会部長の新沼先輩が喋り始めた。
「皆様、今日の撮影の進捗はどうですか。順調ですか? 私はー……温泉街で一人食べ歩きしてました。写真は一枚も撮ってません」
「つええ……」
「さすが部長だぜ……」
……ここ、本当に感服するところか?
部長の言っていること、夏休みの宿題をしてこなかったことを自慢げに友達に伝える、二学期初日の男子と同じだぞ?
「えー、とにかくこの合宿は、皆さんの健康第一なので。健康大事ね。わかったかい、村田君」
「あ、はい」
「うん。素っ頓狂な良い返事だ」
……カーっと顔が熱くなった。
「じゃあ、話もそこそこに、乾杯!」
乾杯!
と声が響いて、宴会会場は一層騒がしくなった。
宴会中、酒を煽ったサークルメンバーは食事もそこそこに、ビール瓶片手に持ち回り営業をかけていた。
「ちょっとー。あたしもまだ未成年なんですけどー?」
その中でも特に男性からの注目を集めていたのは、石川先輩。
僕もあの輪に交じって、存在感を主張するべきなのだろうか……。
いや、僕があの輪に交じっても、とてもじゃないが石川先輩の視線を奪える自信はない。
それに……多分、あの場の雰囲気を白けさせるだけだ。
「村田君、体調は大丈夫?」
「……下園先輩」
浴衣を着た下園先輩が机の前に腰を落とした。
「はい。もう大丈夫です」
「そうかい。明日はちゃんと撮影できそう?」
「はい」
「それは良かった」
……どうして下園先輩は、わざわざ僕に話しかけて来てくれたのだろう?
「オレンジジュースだけど飲む?」
「あ、はい」
トクトクトク、と空のコップにオレンジジュースが注がれていく。
「僕もまだ未成年だから、一緒にオレンジジュースを頂こうかな」
「……まだ、未成年なんですね。下園先輩って」
「そうだよ? それが?」
……なのに、こんなにイケメンで落ち着いていて、大人なんだな。
年の差は僅か一歳。
だけど、僕と下園先輩の間には、たった一歳差とは思えない程、人生経験の差を感じる。
……僕と彼との人生経験の差が、直接人間としての魅力の差として出ている気がする。
だから、羨ましかった。
嫉妬心さえ覚えていた。
……負けたくないと思って仕方がなかった。
「どうかした? 村田君」
「……どうしたら、下園先輩みたいに男らしくなれますかね」
「えっ」
「……え?」
下園先輩は、何故か目を丸くしていた。
「……あ、ああ。そうだねぇ……。難しい質問だね」
難しい質問、か。
下園先輩から見ても、それ程……どこから直せばよいかわからないと思う程、僕と彼との差は歴然ってことか。
「まあ、君は君のままでいいと思うよ」
それからしばらく下園先輩と話して、後は静かに宴会料理を食べて、宴会は終了した。
いや、正しくは宴会は終了しなかった。
宴会会場からは解散したものの、宴会は部屋で継続となった。
「でさー。石川のうなじが見えたわけ! かーっ、あれはエロかった!」
今夜は寝かせない、という先輩の号令により、深夜になっても部屋飲みは続いた。
「明日は女子とも一緒に飲むぞ!」
「そうっすね! 先輩、絶対呼んでくださいね!」
「バッカ言え! 俺が誘ったら女子みんな寄り付かんわ!」
「ガハハ! 確かに先輩、クソブサイクっすもんね!」
「だろ!? そんな褒めんなよ! 照れるだろうが。……ぐすっ」
しかし、さすがに明日もあるからという理由で……深夜の三時くらいには、初日の宴会は終了した。
部屋に戻ると、同室の人達はすぐに眠りについた。
しかし僕は……お昼、たっぷり寝たせいか眠気がまったくやってこなかった。
「……少し夜風にでもあたろうかな」
僕は旅館を出た。
五月初旬、山の中腹にある伊香保の夜は、少し肌寒かった。
高低差がある場所が多いのか、坂がとても多いようにも感じる。
急こう配の坂を上ると、気付くと僕の息は上がっていた。
それからもう少し歩くと、僕は温泉街らしき場所にたどり着いた。
お昼は賑わっていただろう温泉街も、この時間はさすがに閑散としていた。
温泉街の階段を昇っていくと、まもなくどこかの神社に出た。
近くにロープウェイ乗り場もある……が、さすがにここも営業していない。
ただ、ここまで歩いたせいか……なんとなく、山の頂上から深夜の街並みを見下ろしたい気持ちに駆られた。
「ん……?」
僕は、山の頂上に続くだろう林道の入り口を見つけた。
どれくらい、頂上までの道は険しいのだろう。
どれくらい、頂上までの道は長いのだろう。
引き返した方が良いかもと思いつつ……気付けば僕は、林道に足を踏み込んでいた。
先程僕の三半規管にダイレクトアタックしてきた道を思い出すグネグネ道を昇った。
「……はぁはぁ」
林道は、意外と急こう配で険しく……まもなく、僕の息は荒れ始めた。
早速、僕は後悔をした。
苦しい。
辛い。
こんな思いをするくらいなら、深夜徘徊なんてするんじゃなかった。
……ただ、こうして苦しんでいると、気付くことが出来る。
僕は、僕が嫌いだ。
険しい道を昇ると、すぐに息が上がるから。
自分で決めたことを、すぐにひっくり返そうとするから。
意思が弱いから。
『まあ、君は君のままでいいと思うよ』
先程の下園先輩の言葉を思い出す。
「そんなはずないだろ」
こんな軟弱者のままでいいはずがない。
こんな中途半端でいいはずがない。
このままじゃいけない。
わかってる。
わかっているのに……どうして僕は、すぐに逃げ出そうとするのだろう。
本心ではわかっていた。
とっくに理解していた。
下園先輩という魅力的な男を前に……すぐに理解した。
冴えない僕が、下園先輩から石川先輩を奪えるわけがないってことは……。
でも、僕はその現実から目を逸らした。
目を逸らし、なあなあで生きる方が楽だから。きつくないから……っ。
曖昧な気持ちで写真同好会を続け、石川先輩だけでなく、色んな人に迷惑をかけ続けている。
……こんな中途半端な男に、石川先輩が振り向いてくれるはずがないことはわかっているのに。
「……はぁ」
数十分後、山の頂上に到着した僕は、息を整えた。
「うわぁ……」
そして、遠くに遠くに深夜の街並みが望めることに気が付いて疲労も忘れて、歩く速度を速めた。
「……ん?」
ただ僕は、手すりの方に人影を見つけて、物陰に身を潜めた。
一体、こんな時間に誰だろう?
もしかして、強盗……!?
……さすがに山の頂上に、強盗が盗めそうなものは何もなかった。
ま、さすがに観光客か。
ただ……中々珍しい観光客だな。ロープウェイの営業時間外に山の頂上まで登って、更には深夜の街並みを拝んでみるだなんて(←お前が言うな)。
……そんな珍しい観光客に、僕は興味が湧いた。
その顔を拝もうと思って、抜き足差し足で、人影に近づいた。
しかし、今晩の天気は厚めの雲が月を覆っていて明るさが足りず、人影にバレるギリギリまで近づいているにも関わらず、向こうの顔はまだ見えない。
そんな折、一陣の強風が吹き荒れた。
強風により舞った砂埃が目に入り、僕は目を細めた。
そんな僕の気も知らず……強風により、人影の姿を隠していた厚い雲が月明りの下から退いていった。
そして……月明りが人影を照らした。
「村田くーん!」
人影は……。
「すきーっ!」
石川先輩だった。
「だーいーしゅーきー!!!」
僕は、開いた口が塞がらなかった。
私は伊香保には二年前に一度行ったきりです。
丸一日散歩はしたものの、地図情報含むその辺の記憶はかなりうろ覚え。
間違っていたら割れ物を扱うように優しく指摘してください。
感想、ブクマ、評価、お待ちしてます!