第91話「蒼海の咆哮」
第91話
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大陸中央平原に、海の匂いが満ちていった。
海から何百キロも離れているはずなのに、潮風が肌を刺す。
乾いた大地に似つかわしくない湿気が、じわりと足元の草を濡らしていく。
サマヴァーが低く唸った。
「……来るぞ。あれが“海そのもの”を従える龍か」
エアリは弓を構えながら、震える声で空を見上げた。
「海の気配が……空を覆ってる……」
空の黒雲が裂けた。
裂け目の向こうは、まるで深海の底だった。
光を呑み込む暗い青が渦を巻き、その中心から巨大な影がゆっくりと姿を現す。
龍海将ブルイドン。
その鱗は深海の闇のように黒く、眼光は海底火山のように赤く燃えていた。
翼を広げるたび、空気が海水のように重く湿り、地面が波打つ。
「人間どもよ……兄の仇を討つために来たと思うか?」
ブルイドンの声は、雷鳴のように大地を震わせた。
その声だけで、兵士たちの膝が揺らぐ。
「違う。兄の死は“弱さ”の証。私はその弱さを世界から消し去る。
この大陸を、海の底に沈めるためにな」
サリアが息を呑む。
「……大陸ごと沈めるつもりなの?」
私は剣を構え、前へ出た。
胸の奥が熱くなる。
恐怖ではない。
怒りでもない。
ただ、守らなければならないという強い意志だけが、体を動かしていた。
「そんなこと、させるわけにはいかない」
ブルイドンは嗤った。
「キヨフレッド・フォン・ヒーゴ……いや、白銀の剣士ブロン。
貴様の正体など、とっくに見抜いている」
サリアが驚いて私を見る。
私は小さく頷いた。
「……隠し通せる相手じゃなかったみたいだ」
ブルイドンは翼を広げ、空を覆い尽くした。
その影が落ちた瞬間、平原の温度が一気に下がる。
まるで海底に沈んだかのような圧迫感が、全身を締めつけた。
「地脈を吸う者よ。貴様らの“無限”は、海の前では無力だ。
海はすべてを呑み込み、すべてを溶かす。
貴様らの魔力も、心も、未来もだ」
その瞬間、空が割れた。
巨大な海竜が数十体、空から落ちてくる。
まるで空が海に変わったかのように、雨ではなく“海水”が降り注いだ。
海竜たちの体は水そのもの。
形を保ちながらも、常に揺らぎ、滴り落ちる。
・・・・・・・・・・
「来るぞ!」
サマヴァーが吠え、前線が一斉に盾を構える。
だが――。
ドォォォォォンッ!
海竜の一撃が地面を砕き、連合軍の陣形が一瞬で崩れた。
盾ごと兵士が吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
エアリの矢が海竜の目を射抜く。
だが、海水が傷を瞬時に再生させた。
「キヨ! あれ、普通の魔物じゃない!」
「分かってる!」
私は剣を振り抜き、海竜の首を斬り飛ばした。
だが、切り口から海水が溢れ、海竜は再び形を成す。
「……再生するのかよ!」
サリアが叫ぶ。
「キヨ、あれは“海そのもの”よ! 形を持ってるだけで、実体は水!」
「つまり、斬っても意味がないってことか……!」
ブルイドンの笑い声が響く。
「どうした、白銀の剣士。剣では海は斬れぬぞ」
サリアが私の手を握った。
その手は震えていたが、力強かった。
「キヨ……魔力を使って。あなたの本当の力を」
私は一瞬、迷った。
地脈魔力を全開にすれば、周囲の大地に負荷がかかる。
戦場が崩れ、味方を巻き込む危険もある。
だが――。
サリアが震える声で言った。
「大丈夫。わたしが結界で抑える。
あなたの力を、わたしが支えるから」
その言葉に、迷いは消えた。
・・・・・・・・・・
私は深く息を吸い、地面に手を触れた。
ゴォォォォォ……!
大地の奥底から、膨大な魔力が溢れ出す。
地脈が光り、私の体を通って空へと駆け上がる。
大地が震え、空気が震え、世界そのものが脈動する。
サリアが両手を広げ、光の結界を展開した。
「キヨ……全部、受け止めるから!」
ブルイドンの目が細くなる。
「ほう……それが“無限”か。
だが、海の深さを知らぬ者よ。
その力は、貴様自身をも呑み込むぞ」
私は剣を構え、叫んだ。
「――なら、呑み込まれる前に斬り裂く!」
地脈魔力を纏った白銀の剣が、空を裂いた。
光が奔流となり、海竜たちを焼き尽くす。
水の体が蒸発し、霧となって消えていく。
サリアの結界が輝き、海水の奔流を押し返す。
結界に触れた海水が蒸気となり、白い霧が戦場を包む。
サマヴァーが吠え、エアリが矢を放つ。
連合軍が再び立ち上がる。
兵士たちの目に、再び光が宿った。
戦場が、光と水の激突で白く染まった。
その中心で、私は剣を握りしめる。
ブルイドンの巨大な影が、霧の向こうで揺らめいた。
「さあ、白銀の剣士よ。
海の深淵と、大地の無限――どちらが強いか、見せてみろ」
私は一歩、前へ踏み出した。
「――決着をつける」
光と闇、大地と海。
二つの力が、ついに激突しようとしていた。
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