第104話「ポルボローネ」
第104話
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その夜、私は部屋で考え事をしていると
コン、コン
と、控えめなノックが響いた。
「……どうぞ」
返事をすると、扉が静かに開く。
「……ようやく会談が終わりましたわ、トシードさん」
柔らかな声とともに、センナが姿を見せた。
鋭い外交官の顔とは違い、どこか肩の力が抜けている。
それでも、目の奥にはまだ緊張の名残が揺れていた。
「お疲れさま、センナさん。大変でしたね」
「ええ……本当に。
でも、なんとか形になりました」
センナは微笑み、そっと部屋に入ってきた。
その笑みは、昼間の外交の場では決して見せない、柔らかいものだった。
「少し……休んでもいいですか?」
「もちろん。どうぞ」
私は席を立ち、彼女のために椅子を引いた。
センナは礼儀正しく頭を下げて腰を下ろす。
「ふぅ……」
深く息を吐くその姿に、今日一日の重さが滲んでいた。
・・・・・・・・・・
「紅茶を淹れましょうか」
そう言うと、センナはぱっと顔を明るくした。
「……飲みたいです。トシードさんの紅茶、好きなんです」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
私は湯を沸かし、茶葉を丁寧に蒸らす。
静かな夜の空気に、アールグレイの香りがふわりと広がった。
「わぁ……いい香り」
センナは目を細め、湯気の立つカップを両手で包み込む。
その仕草が、どこか幼さを残していて愛おしい。
「それと……これもどうぞ」
私は小さな缶を開けた。
中には、白い粉砂糖をまとったポルボローネが、宝石のように並んでいる。
粉砂糖は月光を受けて淡く輝き、
指でつまむと、ふわりと崩れそうなほど繊細だ。
「ポルボローネ……!
これ、口の中でほろっと溶けるんですよね」
「ええ。疲れたときにちょうどいいですよ」
センナは一つつまみ、そっと口に運んだ。
その瞬間――
彼女の表情がふわりとほどけた。
「……ん。おいしい……」
ポルボローネは、噛む前にほろりと崩れ、
粉雪のように舌の上で溶けていく。
バターの香りがふわっと広がり、
アーモンドの優しい甘さが後から追いかけてくる。
紅茶の香りと混ざり合い、
疲れた心にじんわりと染み込んでいくようだった。
センナは目を閉じ、しばらくその余韻を味わっていた。
・・・・・・・・・・
「スエン王女……強い人でした」
紅茶を一口飲んだあと、センナがぽつりと呟いた。
センナが自分から外交の話をするのは珍しい。
普段の彼女は、仕事の話を私に持ち込むことを避けている。
だが今夜は違った。
彼女の声には、迷いと疲れが滲んでいた。
「あの若さで、あれほどの覚悟を持っているとは思いませんでした。
民を守りたい気持ちと、兄弟との対立と……
全部抱え込んで、必死に立っている感じがして……」
センナはカップを見つめながら続ける。
「私……あの人を助けたいと思ったんです。
でも、それが本当に正しいのか、まだわからなくて」
私は少し考え、言葉を選んだ。
「正しいかどうかは、今すぐにはわかりません。
ただ……あなたが“助けたい”と思ったのなら、
それはきっと、誰かの未来を変える力になります」
センナはゆっくりと顔を上げた。
「……トシードさん、ありがとう」
その笑みは、どこか照れくさそうで、
けれど心からのものだった。
・・・・・・・・・・
「でも……本当に疲れました。
あんなに緊張したの、久しぶりです、ふふふ」
「外交は戦場ですからね。
剣より言葉のほうが、人を深く傷つけることもあります」
「……今日の私は、ちゃんと戦えたかしら?」
その問いは、少女のように素直で、
同時に王女としての不安が滲んでいた。
私は微笑んだ。
センナはポルボローネをもう一つつまんだ。
粉砂糖が指先にふわりとつき、
それを気にする様子もなく口に運ぶ。
「甘い……幸せ……」
その声は、心の底からの安堵だった。
「疲れたときは甘いものが一番です」
「じゃあ、今日はたくさん食べてもいいですよね」
「ええ。いくらでも、ふふふ」
「……そういうところ、本当に優しいんですよね、ふふふ」
センナは頬を赤らめ、視線をそらした。
窓の外では、月が雲間から顔を出していた。
静かな光が部屋に差し込み、センナの横顔を淡く照らす。
「……こうしていると、戦争も、政治も、全部遠くに感じますね」
「ええ。今はただ、紅茶を楽しむ時間です」
「うん……そうですね」
センナは微笑み、カップをそっと置いた。
「トシードさん、あなたがいてくれてよかった」
その言葉は、外交の場では決して聞けない、
彼女の本音だった。
私は静かに頷いた。
「こちらこそ。
あなたが無事に戻ってきてくれて、安心しました」
センナは少しだけ目を潤ませ、
それを隠すようにポルボローネを口に運んだ。
「……甘い。
でも、なんだか泣きそう」
センナは首を振り、笑った。
「泣きません。
だって、明日も頑張らないといけませんから」
「ええ。あなたならできます」
「……うん。
トシードさんがそう言うなら、きっと大丈夫」
その言葉は、夜の静けさに溶けていった。
・・・・・・・・・・
紅茶の香りが薄れていく頃、
センナは立ち上がり、軽く伸びをした。
「そろそろ戻ります。
長居しちゃいましたね」
「いいえ。私も癒されました」
センナは照れたように笑い、扉の前で振り返った。
「……また来ますね?
今度は……今日みたいに、相談もしたいです」
その言葉に、私は静かに微笑んだ。
「いつでも」
「……ありがとう。おやすみなさい、トシードさん」
「おやすみなさい、センナさん」
扉が静かに閉じる。
残された部屋には、
紅茶の残り香と、
彼女の笑顔の余韻だけが静かに漂っていた。
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