二節 盗蝶記(とうちょうき) その1
将来の夢――この言葉は希望であると同時に、呪いでもある。
人は目標があるからこそ、努力に意味を見出すことができる。
努力とは多くの場合単調な作業になりがちだが、それに意味を見出せるからこそ人生が豊かになる。
将来の夢というのはそんな目標の最上の形であり、また生き甲斐にさえなりうる。
ゆえにこそ大人達は子供に夢を抱かせたがるのだろう。
しかし矛盾するようであるが、そんな大人達の多くが将来の夢を叶えられなかった敗北者である。
彼等だってかつては将来の夢を持ち、それを叶えるべく日々努力をしていた。いつか人生という名のステージの中央にある、スポットライトを浴びるために。
この人間社会は実は、一つのステージでのみ構築されているわけではない。
いくつもの舞台が地続きで創られて同時上映されている、特殊な空間である。
ゆえにこそ数多の主役が日々登場し、毎日何人もの人間が夢を叶えてスポットライトの光を手に入れている。
ある意味、もっとも理想郷に近しい場所であると言えるやもしれない。
だがそれでも、将来の夢を打ち捨てることを強いられる人は少なからずいる。
夢を現実的な目標に切り替えて、無力感に心中を占められながら生き続ける。
叶えられなかった夢は呪いとなり、その持ち主を苛む。悔しさに涙を流しながら、一生を送ることを強いてくる。
精神が強い人間は、その呪いを克服することができる。呪いを反転させて自身の糧として、あるいは教訓とする。
彼等の多くは今夢を持って努力している者を応援し、次世代の新たな主役を誕生させるべく尽力する。
あるいは別の夢を持って、また新たな道を歩むやもしれない。ステージは一つきりではなく、無数にあるのだから。
ただ結局のところ、精神力のある人間なんていうのはそうそういるものではない。
多くの人間がその呪いに心を支配され、悪魔に魂を売り渡す。
彼等は夢を叶えんと邁進している者の行く手を阻み、執拗に妨害する。
努力する者の失敗を嘲笑い、足を引っ張り、その夢を奪わんとする。
時にはその者の命を奪うことさえ、よしとする。恐ろしい輩である。
……俺はどちらなのだろう?
最近、そのことについて俺はよく考える。
なぜか?
言うまでもなく、俺自身の将来の夢も今まさに、潰えようとしているからである。
そしていつも同じ結論に至る。
おそらく――後者だろうと。
誰かを応援できる者は、心に余裕を作る術を知っている。
誤解を恐れずに言えば、人間としての出来が違うのだ。
その違いは遺伝によるものやもしれないし、育った環境によるものやもしれないし、あるいはもっと別の要因があるのやもしれない。
だがそんなことはどうでもいい。
どうせ原因を突き止めたところで、今更俺という人間を変えることはできやしない。
いくら肥料をまこうが水をやろうが、たとえ燦々(さんさん)と日の光が降り注ごうとも、土が悪ければ花がきれいに咲くことはない。つまりはそういうことなのだ。
だから俺という人間が呪いに落ちないためには、夢を叶えるしかなかった。
……いや、違うか。
こんなヤツは、たとえ夢を叶えたところで呪いから逃れることはできない。誰かを恨み、つらみ、憎み続ける。そういう生涯がすでに運命づけられているのだろう。
――願わくば、願わくば、俺を――徹底的な、挫折さえ生ぬるい、敗北を
俺という人間がこの世界に存在し続けることを断ち切らせんとす屈辱を。落胆を。絶望――そして、希死念慮を。
どうか、どうか――与えたまえ。
二節 盗蝶記 ~重なる記憶、あなたとわたし~
漫画とは言うまでもなく、絵と物語が織りなす芸術である。
日本では少年漫画、少女漫画、青年漫画――バトル、ラブコメ、ホラーにスポーツ等々、様々な層に向けて描かれ、あらゆるターゲット層に刺さるジャンルが存在する。
おそらく日本に住んでいたら、望まずとも一度は読むことになるだろう。
本の中でも親しみやすくかつバラエティーに富んだストーリーを堪能できるとあって、子供から大人まで親しんでいるコンテンツである。そのお陰もあって、世界中で人気を博している作品も存在する。
ただ最近は読書離れが加速して漫画の読み方がわからない子供もいるみたいだから、いずれこの席をアニメなどに明け渡して今の小説みたいに敷居の高いコンテンツになるやもしれない。まあ、それはきっともうちょっと未来の話だろうけれども。
さて。
俺はそんな漫画を制作する存在、漫画家を目指している。
漫画家――絵を描くのが好きだったり、オタクなら誰もが一度は憧れる職業だと思う。
ただまあ、目指したものの、挫折してしまう人が大勢いるのもまた事実である。
第一に、絵を描くのが難しい。絵っていうのは才能による部分も多いし、漫画の絵は単なるイラスト――イラストはイラストでまた、別の苦労があるのだが――とは違う。多くの人が想像するように、コマごとに映画のカメラのように構図を考える必要がある。それに何よりキャラの絵をまったく同一人物に見えるよう描き続けるのが、実は難しい。描き始めの頃はアニメの作画崩壊みたいにキャラの絵が安定しないで、心が折れるパターンは珍しくない。最初の鬼門ってヤツだ。ただプロになれば背景は丸投げできるし、今は漫画家が不足しているからか編集もそこは目をつぶってデビューさせるケースもあるという。そういう意味では昔よりチャンスがあるのやもしれない。
漫画は絵だけではなく、前述したように物語が必要不可欠である。
この物語っていうのも、なかなか作れずに泣きを見るヤツが多い。
素人は『え、ストーリーを考えるのは簡単でしょ。バトルものだったら敵と戦わせて、恋愛ものだったらデートとキスさせて、日常ものだったらキャラ同士で適当に会話させとけばできちゃうじゃん』みたいに考えてるんだろうけど、そう単純なものじゃない。
もしも物語を考えるのが簡単なら、わざわざ編集がネームのみのコンテストを開いたりはしない。
ストーリーは二種類に分けられる。一つは売れるストーリー、もう一つはそうでないストーリーだ。
シナリオっていうのは、読者の興味を引きつけることを求められる。
いくら絵がよかろうと、肝心の話がつまらなければ読者は読むのをやめてしまう。彼等は漫画を読もうとしているのであって、美術館や個展を求めているわけではない。
ストーリー作りが難しい要因はいくつか考えられるが、あえて一つ挙げるなら時代によって左右されるところだろう。
十年前なら売れたストーリーが今となっては古臭くて見向きもされないというのは往々にしてあるだろうし、またあまりにも時代を先取りしすぎては読者がついていくことができない独りよがりな前衛芸術になってしまう。
だからこそ、作者のセンスが重要になってくる。
今流行りかけている――流行っているものはあまりよろしくない。企画が通る頃には、廃れているやもしれないからだ――もの、あるいはまだ見向きもされていないが売れるネタをサーチする能力。
後は構成力。いかに読者が読みやすい物語を作れるかは、非常に重要だ。
他にも色々あるが、全てを話していたら切りがない。一旦ここで打ち切ろう――この言葉は、あまり漫画家の前で使ってはならない。特に連載中の作家の前で言おうものなら、冗談抜きで刃物が飛んでくる可能性がある――。
……ああ、でも漫画家になることがいかに難しいかは語っておかなければなるまい。
ただデータなんかはネットで検索すれば出てくるだろうし、ここは一つ実体験を交えた話をしよう。
俺は漫画制作を講義として扱っている大学に進学した。
漫画家になりたいが、大卒の資格も取得しておきたいというどっちつかずのヤツが取りがちな選択だろう。何より大学であれば、親から学費を出してもらいやすいというよこしまな思いがあったことも否定しない。同級生でも結構、そういうヤツ等が多かった気がする。
大学の質自体はどうだったかというと、別の大学に通っていないから比較はできないものの、高校までよりちょろかった気がする。
課題はさほど多くはなかったし、試験がある講義も内容が簡単で資料の持ち込みも可で、予習の必要冴えなかった。
それでも課題の期限に遅れたり、単位を落としているヤツがいてちょっとビックリした。おそらくバイトに忙殺されたり、油断しきっていたせいだろう。
うちの大学は教室を見回すと、なかなかショッキングな事実が発覚して面白かった。
大学内は漫画やゲーム、アニメといったコースに分かれていて、俺は当然漫画のコースに所属していた。
ゆえに教室内は、漫画を専門に学びに来ているヤツ等が集まっているはずなのだ。しかし意外なことに、上手い絵を描くヤツがほとんどいなかった。
作品発表とかで他人の絵を見る機会が度々あるのだが、SNSでアップしても三桁もいいねをもらえなさそうなものばかりなのだ。かくいう俺も、フォロワーこそ四桁いてもいいねはさほど集められていないが。
絵だけではない。ストーリーだって面白いものを作れるヤツはほぼいなかった。
講評会でやはり同級生の漫画を読むことが多かったが、未だに記憶に残るようなインパクトのあるストーリーは嘘偽りなく、一つもなかった。頑張って思い出せばいくつか出てくるかもしれないが、そんなものが商業の世界で通用するはずがない。売れる作品というのは、日常のふとした瞬間でもぱっと頭に浮かぶものなのだ。
教授は割と有名な方々が多かったが、彼等の多くはおそらく俺達を学生だという風にしか見ていなかっただろう。
プロの卵として接してきたような教授は、ほとんどいなかったように思う。
だから講義の大半は縁側で茶を飲むような雰囲気の中行われて――放課後のティータイムだって、もう少し真面目な空気が漂っていただろうに――、教授は配布した資料通りの説明を終えたら自習にして、学生は教授が話している間は各々ノートを取ったり落書きしたり内職したりして過ごし、自習時間には真面目なヤツとそうでないヤツの二グループに分かれた。本当に半々程度なのだ。たった二十数名しかいないのに、その半分の学生のやる気はほぼゼロに近い。言うまでもなく彼等は、某アニメーター兼映画監督兼脚本家兼――以下略――のように突出した才能を持っているわけではない。となれば彼等の進路は、御察しの通りである。
鮭は川から海へ行き、そして死ぬ間際にまた生まれた川へ戻っていく。
うちの大学はその海を目指し川を下るところに当たると思うのだが、なんともまあ、生存率の低いことか。
卒業時に、漫画家どころかクリエイター職につけたヤツはほとんどいなかったように思う。
漫画家を目指し諦める過程の一部始終の様々なケース――それを大学では見ることができた。アンサクセスストーリーの宝庫とでも言おうか。
おそらく二十数個の漫画家の卵内、最終的に孵ったのは五個もないだろう。
別のクリエイター職に転生した卵も、同程度だと思う。
漫画を専門的に学べるはずの大学で会っても、この体たらくなのである。学費は数百万。なかなかシビアな現実である。
最後に一つ、面白いエピソードを話して締めくくることにしよう。
うちの大学はクリエイターのコースが集まっていることもあり、論文に代わり卒業制作が行われることになっている。
卒業制作で作った作品は、毎年二月頃に行われる展示会で学部生や教授以外の人にも見てもらうのだ。
俺は卒業制作自体は真面目に取り組んだが、展示会に関してはまるっきりやる気がなかった。
確かに現在のクリエイターの中には、セルフプロデュースに力を入れている人達もいる。
しかし結局のところ創作家っていうのは作品制作に一番力を入れるべきであって、宣伝とか販売促進系の活動はその手のことが得意な――漫画家で言えば、編集とかに――任せるべきなのである。餅は餅屋であり、下手にそっち方面に手を出して火傷、最悪炎上でもしたら笑えない冗談にしかならない。
まあ、そんなことはどうでもいい。
エピソードとなる出来事は卒業制作や展示会ではなく、その後の片付けで起きた。
本題に入る前に、展示会について軽く説明する。
多人数での展示会などを行う時、まとめ役みたいなものが必要になる。そのために我が校では、実行役員という組織が作られた。
漫画コースではYという女子学生が実行委員長になって、彼女主導で準備が進められた。
Yの実行委員長としての手腕がどうだったかは、よくわからない。俺が積極的に展示会の準備にかかわっていなかったからだ。
展示会で印象に残っているのは、設営が終わった会場が真っ黒な布に覆われていて、まるで葬儀会場みたいだなと思ったことぐらいだ。
葬儀会場――言い得て妙かもしれない。
孵ることなく死んでいった、雛達の葬儀。遺体は作品達だ。足りないのはお坊さんと彼の御経程度だろう。遺影は好都合なことにその年は漫画コース全員が著者近影なものを書いていたから、それで事足りた。
ただその費用が数百万もかかるのは、いささかぼったくりが過ぎる。異世界転生してチート無双ができるなら安いものだろうけれども、最近のトレンドは社畜や無職ニートより元から何かのエキスパートみたいなヤツの方がトレンドっぽいからそれも望み薄だろう。
会場の準備と片付けは、そこそこ時間がかかった。
作業中俺は、葬儀会場と披露宴の会場、設営が大変なのはどっちだろうと考えていた。まあ、規模的には後者だろうか。
片づけを終えた後、漫画コース全員で記念撮影をすることになった。
その場には教授達はおらず、学部生だけだ。敗戦のお疲れ様会に好んで顔を出す監督はいない――というのはさすがに勘繰りすぎか。
エピソードはその場で生まれた。
漫画コースというの絵描きの集まりでもある。イラストレーターコースほどではないにせよ、講義の半分近くは絵を描くものだった。
ゆえに卒業展示会には各々が一枚の模造紙に自身のオリキャラを描き、ポスターみたいなものを作って展示しよう――となるのは、ごく自然な流れだった。
だが俺は足並みをそろえたり、輪の中に入って仲間面するなんて御免被るという質だったこともあり、ポスター制作には参加しなかった。
それでも誰かに文句を言われることは特になかった。陰キャの特権みたいなものだ。
記念撮影は、その寄せ描きポスターを前列――あるいは後列だったかもしれない――のヤツが持って行われることになった。
多分俺は、そのポスターを持っていなかったはずだ。うろ覚えゆえに、絶対そうだったとは言えないが。
記憶にあるのは、若干の気まずさだ。なにせ自身が制作参加していない、手作りポスターと共に写る記念撮影である。
当時の俺の心境は、どうか察してほしい。
まあ二十人――人外もいたかもしれない――もキャラがいれば、誰か一人が欠けていても気付かれないものだ。もっともそれは俺が陰キャであったことは大いに関係がある気がするけれども。
あるいは当時、俺が作家デビューしていれば是が非でも描いてくれと請われただろう。つまりは俺も卵から孵らぬ雛であったという何よりの証左でもある。
そういう意味では、本当に俺の年はほぼ全滅だったのだなというのがよくわかる。
ヒーロー、ヒロイン扱いされているヤツは一人もいなかった。
英雄なき世代。ゴーストタウンならぬ、ゴーストジェネレーションだったのだろう。なんか名前だけは無駄にカッコイイな。
話を戻そう。
記念撮影は何事もなく終わった。
あの撮影されている時の虚無な心境ってなんなんだろうな。昔の人は写真を撮られたら魂を奪われるって信じてたらしいけど、ちょっとその気持ちがわかる。
何はともあれ展示会は無事に終わり、大学生としての活動は全てやり遂げた。
後は卒業式に出席して、証書をもらうだけである。
そんなことを考えて、気が抜けた時だった。
実行委員長であるYが、誰かにポスターを持っているように言った。二人か、三人にだ。そこら辺の記憶は曖昧だ。
しかし直後の行動は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
彼女は宙でピンと真っ直ぐ伸びたポスターに向かって、跳ね飛んだのだ。
政府が発表している資料によると、二千十八年に二十四歳だった女子の平均体重は50.9kgらしい。
そんな体重のヤツが、宙で張っている紙の上に足から落下すればどうなるか……。
バリッ――バリバリッと、音を立ててポスターが破けていく。
瞬間的に思考が凍り付き、俺は茫然とその一部始終を眺めていた。
無数のキャラが、あっという間に見るも無残な姿になり果てる。
キャラは確か、全員が直筆だったように思う。コピーとかをして貼りつけたヤツは、いたとしてもせいぜい一人か二人程度じゃなかろうか。
ポスターが破けた後もなお、Yはその残骸の上でタップダンスでもしているように足踏みを繰り返し――嗤っていた。いかにも愉快そうに、声を上げながら踊り狂っていた。
笑いは病気である――とその時、俺は知った。
Yの笑いは瞬く間に室内中に広まっていった。
他のヤツ等に感染したのだ。彼等はケラケラと、Yと同じような笑声を漏らした。
俺には理解できなかった。
一体、何がおかしいのだろう。
今、破られて、踏みにじられているのは、お前等の描いたキャラクター達なんだぞ。
それなのに、どうしてそんなに楽しそうに笑っていられるんだ?
もちろん、そんなことを口には出せなかった。
俺は茫然と、その場に立ち尽くしていることしかできなかった。
何人かはその舞踏に参加していたような気がする。よく覚えていないし、思い出したくもない。
ボロボロになったポスターは最後に乱暴に丸められて、ゴミ袋に入れられた。
こうして本当に展示会の幕は閉じられた。
どれだけショッキングな出来事も、時間の経過と共に記憶の彼方に追いやられていく。
もうYの顔も覚えていないし、同級生の大半も同様だ。
だが心中に残り続けるものもある。ふとした拍子に、胸にじくりとした痛みをもたらすがゆえに。