三節 陽暗詩(ひぐらし) : 一章 愛(いと)しのオンナ
「キキキキキキ、キキキキキ……。あら」
ダメね、加奈ったら。
こんな風に笑ってたら、また気味悪がられちゃう。
いい加減、立ち振る舞いには気をつけないと……。
「そうだよね、出夢お兄ちゃん」
加奈は隣にいる、男の子の顔を見上げた。顔立ちがすっきり整っているものの、もったいないぐらいの無表情。でも大好き。だって、その目は加奈のことだけを見ていてくれるから。
彼は日暮出夢お兄ちゃん。加奈が世界で誰よりも愛している、いわゆる想い人。
不愛想というか、ほとんど自分から能動的に何か行動を起こすことのない無気力系なんだ。
だから加奈がお世話してあげないと、ダメダメなの。
「出夢お兄ちゃん、訊いてる?」
出夢お兄ちゃんの反応はない。眼鏡の奥の目は瞬きもせずに、虚空を眺め続けている。
「ほら、うなずいて出夢お兄ちゃん」
加奈がお願いしたら、やっと頭を縦に振った。
「まったく、世話が焼けるんだから。キキキキキキ、キキキキキ……」
加奈が笑っても、出夢お兄ちゃんは睫毛をぴくりとも動かさない。
シャイもここまで来るともはや才能よね。
「さ、行こう」
加奈は出夢お兄ちゃんの手を引いて、歩き出す。
ガサッガサ。手に持った袋が音を立てる。背負ってるバッグも重い。
でもお兄ちゃんはもっとたくさんアレがつまってるものを持ってるんだもん。
こんなことで音を上げてたら、出夢お兄ちゃんに嫌われちゃう。
頑張れ、頑張れ、加奈。
加奈は心の中で自分を応援しつつ、手をギュって握ってパワーを出夢お兄ちゃんからもらって気持ちを切り替えた。
秋も酣……でいいのかな。通学路の木々は紅く色づき、風は涼しくなってきた。
おそらく加奈は、本当だったらもうきっと死んでた。
それを助けてくれた命の恩人が、この出夢お兄ちゃんなの。
意外だと思った? 思ったでしょ。思ったよね、ねえ?
でも事実なんだなあ、これが。
出夢お兄ちゃんってこう見えても本当はすごい欲深くて、情熱的な人なんだから。
でもそれを知ってるのはきっと世界中で加奈だけなの。
これからも、この先も。
もう一人の加奈。
あなたと、加奈だけの――我思う、故に我ありって言うからね――秘密。
絶対、絶対、誰にも話しちゃダメなんだからね。
三節 陽暗詩 ~意識的地点からの観測記録~
人は誰しも、自らを表現するうえで最適な一人称を持っている。
男であれば俺や僕、私。方言などでオイラやワイを使っている人もいるだろう。女であればわたしやあたし、ウチ――これは標準語で話しているにもかかわらず、用いている人に会ったことがある――とかだろうか。自身の名前を一人称にしている、という人もいるかもしれない。
もっとも昨今は性自認などが理由で、性別による分け方は曖昧になりつつあるが。
何はともあれ、日頃からしっくり来る一人称を使って話している人が大半だろう。
だけど――わからない。
日暮出夢という男は、自分自身をどう表せばいいか悩んでいる。
いや、正直に言おう。
今話している者は日暮出夢であって、日暮出夢ではない。
端的に説明すれば、身体の所有権がないということだ。
身体を直接動かしているのは、また別の意識――換言すれば、人格である。
やはり話者と身体の所有者を呼び分ける単語がないと不便だろう。
便宜的に今話している者を甲、身体の所有者を乙としよう。
甲は身体の内にある意識的空間から、乙の選択による行動の結果を傍観することしかできない。
たとえるなら、ゲーム実況動画をずっと見させられているようなものだ。
甲はゲーム画面を眺めることしかできず、乙のプレイに介入する術を持たない。
まあ、別に酷く退屈することはない。しかし余裕不満は溜まるものである。
甲は意識的空間の中で生きている。
ボディイメージという言葉は知っているだろうか?
自身の意識内に身体を模したデッサン人形のようなものを持っており、人はそれを動かすことで次に行う動作をあらかじめ決定してから実行する。
ボディイメージの得手不得手は自身の身体がどの程度の大きさで、自身がどの程度の運動神経なのかを事前にきちんと認識できているかということに由来するが――まあ、そこまで踏み込む必要は現時点ではないだろう。前述したことだけ把握しておいてくれればいい。
甲は乙とは別のボディイメージを作り、そこに甲の意識を宿して生活している。
つまり疑似的な身体を創ったのだ。
それから最低限の文化的な生活を送れるよう、意識的空間に部屋と円形テーブルに椅子、その他生活用品等を用意した。
室内は洋室で、天井には贅沢にシャンデリアまである。
アーチ型の窓からは薔薇の庭園が見えて、いつでも赤くきれいな花が咲いている。
テーブルの上にはいつも温かい紅茶の入ったポットがあり、ティーカップが隣に置かれている。別に最初からティーカップに紅茶を淹れておくこともできなくはないが、カップに紅茶を注ぐという一手間をかけることでより美味しくなる――というのが甲の信条である。つまるところ、風情のスパイスである。
それから菓子や軽食の盛られた皿。皿に盛られている者は、その時々の気分で変わる。サンドウィッチの時もあるし、クッキーの時もあるし、ショートブレッドの時もある。クラッカーにバターやジャムなどを載せたちょっとしたパーティー気分を味わったり、色とりどりのカップケーキをそろえて優雅なティータイムを楽しむ時もある。
時折室内を畳敷きの和室にして――障子の向こうには、日本庭園が広がっている――、緑茶を飲みながら和菓子を堪能する時もある。
創れるものは乙が今までの人生で目にしたことのあるものだけである。
つまり乙の記憶からコピーしたもの、というわけだ。
もっと海外旅行に行ったりして知見を広げてくれれば、よりバリエーションに富んだ楽しみ方ができるのだが、基本的に乙はインドア派というかオタク気質で、休暇などは自室に閉じこもってアニメやゲーム、読書や動画鑑賞などに貴重な青春の時間の大半を費やしている。意識内に住まわせてもらっている身分で身体の所有者にとやかく言うものではないだろうが、もう少しこちらの事情を汲んだ人生を送ってほしいものである。
乙はいわゆるコミュ障というヤツで、友人は少ない。
だが人間嫌いというわけではなく、人並みに周囲への興味関心を持つようである。
そんな乙は、高校へ進学してすぐ気になる異性ができたようである。
「……おい。おい、日暮」
「わっ……。な、なんだよ、急に」
乙の目の前――甲は宙に浮かぶスクリーンを介して、乙の視界を見ることができる――に、小柄な猿顔の男子がいた。
彼の名前は松前剛也。
乙の数少ない友人の一人である。
「ぼーっとしとんなぁ。そないな格好しとるからやで」
松前は乙の袖をつまんで言った。乙は夏場であるにもかかわらず、ブレザーを羽織っていた。
「別にいいだろ。日焼けするのが嫌なんだよ」
「まあ、日暮がどないな格好しとってもワイには関係あらへんけど……。で、何を見てんのや」
「ななっ……!? お、オイラは何も見てないぞ!」
乙は一人称にオイラを用いている。
乙はお爺ちゃんっ子で、幼少期の頃はずっと面倒を見てもらっていた影響で、それを真似している内に自然とそれが口に馴染んでしまったのだ。
幸か不幸かそれをからかう者も周囲にはいなかったため特に気にせず使い続け、高校でもオイラで通しているのである。
「嘘つけ。あんさん、ここんとこずーっと河竹のことを見とるやろ」
松前は乙の視線の先にいる、一人の人物を指差した。
友人と談笑している、ショートヘアの整った顔立ちの少女。
彼女の名前は河竹飾利。
「美人で聡明、運動神経も抜群。芸術的センスもあり、外国語は堪能。人当たりもよく、先輩後輩問わず交友関係が広い。機械に弱く、スマホで文字を打つのが極端に遅いのが玉に瑕。そんな誰もが憧れるクラス委員長やもんなぁ」
「すげぇ完璧な説明だな。お前、ギャルゲーの友人キャラに向いてるよ」
「褒めてへんやろ、それ。……もしかしてあんさん、河竹のこと好きなんか?」
「い、いやいや、そんなまさか」
松前の声を潜めた問いに、乙は慌ててかぶりを振る。
だが松前は苦笑した顔で肩を竦めて言った。
「顔、真っ赤になっとるで」
「べ、別に赤くなってなんか……」
「隠さんでもええて。別に誰にも言わんし」
「……か、仮に本当にオイラが河竹を好きだったとしても……松前には関係ないだろ」
「せやな、ワイには関係あらへん。でもそれがホンマやったとしたら、日暮はエラい茨の道を選ぶんやなって同情してまうで」
「なんだよ、それ」
「わかっとるクセに。河竹はめっちゃモテるさかい、ライバルがぎょーさんおるっちゅうことや。男子はもちろん、女子の中にも恋しとるっちゅうヤツがおるしな」
乙は黙り込んで、俯いた。膝上には、握りしめられた拳がある。
松前は饒舌に先を続ける。
「それだけやない。河竹は難攻不落っちゅうことで有名や。今まで告白して、破れてきたヤツは数知れん。野球部のキャプテンに、サッカー部のエース、剣道部全国大会準優勝者に、生徒会長まで。他にも噂にならんようなヤツも含めたら、軽く三十は越えるやろな」
「要するに松前は、高嶺の花だって言いたいんだろ」
「まっ、そういうことやな」
前述したとおり乙は陰キャで、旗色は言うまでもなく悪い。
普通に考えて乙には、勝算がほぼないと言っていいだろう。
また乙は度胸がなく、当たって砕けるという玉砕覚悟の特攻も現実的ではない。
ゆえにベタ降りしつつ、誰かが和了るのを待つしかないという消極的な姿勢で生活をし、ただ時間が過ぎるのを待つ他なかった。
なんとも歯痒い。
青春真っ盛りの若者が、失敗を恐れて時間を無駄にしているとは。
乙なんかそもそも失うものがないのだから、さっさと行動に移して、ダメだったら次に切り替えればいいのである。
……いやまあ、失うものがないとはいえ、失敗した時のリスクは考えられなくもない。
今時のセンシティブな輩は無謀な告白をした乙を腫れ物扱いするか、あるいは軽蔑の眼差しを向けないとも限らない。からかわれた時には、羞恥と悔しさで胸を掻きむしりたくもなるだろう。
そう考えると、乙が委縮してしまうのもうなずける。
なんとも生きにくい時代である。
恋とはファッションであり、また失恋は多くの者にとってアクセサリーでもある。
だが一部の者は成長した後もピュアな心を持ち続け、己の純愛を踏みにじられることを極端に嫌う。
こういった恋愛面での如実な見解の違いも、若者の恋離れの一因とも言えよう。
「日暮はもうちょっと、手堅いところにも目を向けた方がええで」
「なかなか趣味がいい考え方だな」
「自分を好いてくれそうなヤツに恋した方が、幸せやろ。あるエラい先生も言うとったやんか。幸福に生きよ、ってな」
「……手堅いところって、たとえば?」
「せやなぁ。このクラスやと……、戸隠とかか」
戸隠というのは、窓側の後ろの席で本を読んでいる大人しそうな女子のことである。
フルネームは戸隠美奈。
目が隠れるほど前髪が長く、見るからに人付き合いが苦手そうだが、それなりに友人はいるようだ。少なくとも体育などでペアを組まされる時に彼女が余っている光景は目にしたことがない。
ただ浮いた話がないところから察するに、色恋沙汰とは無縁なのだろう。
「……もしかして、アイツがお前のタイプなのか?」
「まー、向こうから言ってきたら付き合ったってもええわ。顔は悪くないしな」
「お前、絶対に著名人にならない方がいいぞ」
「なんでや?」
「炎上して袋叩きされそうなタイプだから」
「はっはっは。なかなか冗談上手いやないの」
乙は無言で松前を視界に収める。
「……なんや、その生温かい笑みは」
「別に。まあ、オイラは当分、花を愛でるのに留めておくよ」
「欲がないなぁ、日暮は。草食系っちゅうヤツやな」
「……ふと思ったんだが、なんで消極的なヤツを草食系って呼んで、積極的なヤツを肉食系呼ばわりするんだろうな。女の子って大抵、花に例えるだろ」
「まー、そうやな。立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はなんとやらっちゅうもんな」
「だったら女好きを呼称するのは、草食系の方が正しいと思うんだが……」
「つまり肉食系は――」
乙は「しーっ」と緊張感を伴う制止の合図を松前に送って言った。
「だからお前は炎上系なんだよ」
「いっ、今のは卑怯やろ!? 話振ってきたんは日暮の方からやないかっ!」
ちょうどその時、キーンコーンカーンコーンと電子黒板の上に取り付けられたスピーカーから、チャイムの音が聞こえてきた。
乙は板書兼資料閲覧用のタブレットをバッグから取り出しつつ言った。
「ほら、授業始まるぞ。席に着けよ」
「かーっ、大人しそうな顔をしてるクセに、油断も隙もあらへんのやから。ホンマ、日暮は食えんヤツや」
松前は大げさに肩を怒らせながら、自身の席に戻っていった。
ふと乙は何か気になることでもあるのか、背後を振り返った。
彼の見やった先では、戸隠がじっとこちらを窺うように視線を送ってきていた。
乙と目が合うなり、戸隠はかっと顔を赤らめて慌てて本で顔を隠した。
視界が僅かに横に傾き――おそらく乙が首を傾げたのだろう――再び前へ向き直った。
それからすぐに教師がやってきて、授業が始まった。
甲は退屈な授業を、マカロンを紅茶で流し込みながら漫然と眺める。
一体、人という生き物はいつまでこんな非効率的な方法で勉強をしているのだろう。
……まあ、貧富の差に関係なく国民に学習を受けさせるのには、こういう形態が望ましいのは理解できるのだが。
それにしたって、もうちょっとマシな方法がありそうなものである。
甲は欠伸を漏らしつつ、紅茶をコーヒーに変えるべくパチンと指を鳴らした。
カップの中の液体が、紅から漆黒へとたちまち色を変じていった。
それを啜るなり、酸いを含むほろ苦さが口の中いっぱいに広がった。
気の抜けるチャイム音が鳴り、教室中が業間休みより一際騒がしくなる。
時計の針は十二時二十分を指している。一時間の昼休みだ。ある者にとっては憩いの時間であり、ある者にとっては溜まったフラストレーションを発散させるためのレクリエーションの時間であり、またある者にとっては大音声の嵐をやり過ごすべく書物の世界へ非難する自然災害の時間である。
学生達は弁当を広げたり、購買や食堂へ向かいだしていた。
乙の想い人である河竹は、友人と共に談笑しながら机をくっつけて昼食の準備をしている。彼女は弁当組だった。
乙は一応、昼休みを共に過ごす当てがあったが……。
「すまん、今日は委員会に呼び出されてるんや」
松前はパンッと手を合わせて乙に向かって頭を下げた。
「それは仕方ないけど……。美化委員で招集がかかるなんて、珍しいな」
「夏季休暇の前に、校内一斉掃除の会があるやろ。一ヶ月先やけど、今の内に必要な備品があるかどうか確認せなあかんのや。放課後になると、部活とか色々あって絶対に、サボりが出るからな」
「だから昼休みの内に済ませておこうってワケか。なかなか大変だな」
「まあ、ただ用具の確認とかするだけやから、そこまでハードっちゅうわけやない。野球部の練習に比べたらな」
「……で、今年はレギュラーメンバーに入れそうなのか?」
「うっ……」
気まずそうに目を逸らす松前。
この学校の野球部は強豪で、部員も多く三年になってもレギュラーメンバーに入れないことは珍しくない。
松前は部内での実力は真ん中程度で、補欠に入れるかどうかという感じだった。
「……あと一ヶ月の頑張り次第ってところやな」
「そうか。まあ、頑張れ」
「帰宅部はええよなぁ。気楽で」
ふと甲は「あ、あの……」と蚊の鳴くような声を耳にした。
しかし乙と松前は気付く様子もなく、会話を続ける。
「帰宅部も帰宅部で忙しいんだぞ。積みゲーの消化とかな」
「貴重な青春の時間をゲームで浪費してええんか……」
「何を言う。昨今はeスポーツが日本でも広まり始めてて、学生向けの大会もかなり多様な作品で開催されているんだぞ」
再び「あのぅ……」と小さな声が聞こえた。どうやら、女子のものらしい。
だが二人はまだ、その声に気付いていない。
「日暮がプレイしてるんはポチポチソシャゲとギャルゲーやろ。んなもんの大会なんかあるかいな」
「……ふわぁ」
「っておいっ、話聞けや!」
「昨日、遅くまでゲームしてたから、眠くって……。ふわぁああ……」
「……自分、数学の小テストの予習しとらんやろ」
「げっ……。それって、今日だっけ」
「せや。合格点に達してなかったら、居残りで再テストやで」
「マジかよ……」
「あ、あのぉ……」
ようやく女子の声に気付いた乙と河竹が、そちらを見やる。
そこにいたのは――
「……戸隠?」
「どないしたんや」
「あ、え、えっと、そのぉ……」
戸隠は男子と比べても背丈のある身体を縮こめながら言った。
「い、一緒にお弁当を食べたいなって……」
「オイラ達とか?」
「あぅ、えっとぉ……」
「そーそー、そゆこと!」
戸隠の後ろから、もう一人女子がやってくる。
ぱっと場の雰囲気を一瞬で明るくする太陽みたいな笑顔。
彼女の名前は浦霧セリカだ。
金色に染められた髪にやや派手な化粧、爪は長く鮮やかなネイルアートが施されている。
生きる化石みたいなヤツだが、実際そんな生活を送っているようである。
「今日はお勤めはいいのか?」
「あたしだって毎日、生徒指導室に呼び出されてるわけじゃないっての」
「昨日も一昨日も連日で学年主任に説教されてたやないの」
「昨日は賭け事で、一昨日はサボりだから。ほら、全然違うっしょ」
「素行不良っていう点ではまったく一緒だけどな……。マジでお前と戸隠が友人っていうのが、信じられないな」
「あたしとミナミナは幼馴染で、ちょー固い絆で結ばれてる親友だから。ねっ!?」
「あっ……、う、うん」
浦霧に肩を組まれた戸隠はぽっと顔を染めて、こくこくとうなずいた。
今時珍しい金髪の不良少女に、大人しめの文学少女――なかなか異様な組み合わせである。この町が割と古めかしい空気の中にあるというのも、関係しているのかもしれないが。
「美少女二人のお誘いはめっちゃ嬉しいんやけど、ワイは生憎委員会に行かなあかんねん。ホンマ堪忍な、罪な男で」
「マジ? めっちゃラッキー」
「って、なんでやねん!」
松前のツッコミは、冗談抜きのマジもんだった。
「あはは、冗談だって」
「……信じてええんよな? なんか、めっちゃキラッキラの笑顔で言うとった気がするけど……」
「マジマジ。ね、ミナミナ」
「……えーっと」
「なんで言い淀むんねん……。日暮ぇ、ワイを慰めてくれ」
「とっとと委員会行けよ。遅刻するぞ」
「つめたぁ! めっちゃつめたぁッ!! ええもん、ワイは仕事に生きる男になるんやぁあああああッッッ!!!!!!」
哀れみ誘う慟哭を残し、松前は全力ダッシュで去っていった。
「……あの、後で謝った方がいいのかな?」
「いや、気にするな。アイツのハートは鉄鉱石でできてるからな」
「そんじゃ、昼飯にしよっか。日暮はお昼は確か、購買派だよね」
「ああ。重役出勤して残り物の総菜パンを漁るのが日課だ。大体、あんパンばっかりだけどな」
「……えーっ。毎日そればっかりじゃ、飽きない?」
「安いからいいんだよ。ジューシーチーズバーガーは百五十円、サクサククッキーメロンパンが百二十円なのに対して、あんパンは百円だぞ。お得すぎるだろ」
「……あたしなら五十円多く払っても、チーズバーガーを買うわ」
「わ、わたしは、えっと……メロンパンかな」
甲としても、もう少し乙にはいいものを食べてほしいのだが……。まあ、いくら叫んでも抗議の声は意識上には届かない。せいぜい、無意識下に働きかけるのが関の山である。
「でも、今日からそんな寂しいランチとはオサラバだよ。よかったじゃん」
「は? どういうことだよ」
「ままっ、それは後のお楽しみ。とりあえず移動しようよ」
浦霧は胸ポケットから何やら取り出し、指でくるくるっと回した。
それは鍵だった。五つぐらいじゃらじゃらリングについている。一緒についているプレートには『遊戯研究部』と書かれている。
「……オイラ、現金とか現物をかけたギャンブルはしないって決めてるんだが」
「大丈夫、大丈夫。あたし、賭けなくても燃えるタイプだから」
「だったら普段からそうしろよ……」
乙はちらっと戸隠の方を見やった。大方、『まあ、親友の戸隠がいる場所で無茶なことはやらないか』とでも考えたのだろう。
「わかったよ。じゃあ、お邪魔するか」
「そう来なくっちゃ。ほら、行こう行こう」
かくして乙は、二人の美少女に誘われて遊戯部へ向かったのだった。




