落ちこぼれ令嬢は、天才魔術師様の秘密を知っている
理想と現実は異なる。
誰だって、なりたい理想の自分がいて、そうなれない現実の自分に苦しむ。
少しでも理想に近付けるように、本当の弱い自分を押し殺して、もがくのだ。
私も、きっと彼もそうだった――
「それでね、ディートリヒ様はどうされたと思う?」
「さあ」
「なんと指をひとふり! 花の絨毯があらわれて、子供を助けちゃったの!」
キャー! と両頬に手をあてて叫ぶ友人を、私はしらじらと眺める。
あぁ、紅茶が美味しい。
寒い季節が過ぎ、あたたかくなってきた風が頬を撫で、鮮やかな花々が視界の端で揺れる。外でのお茶会にはうってつけの日だった。
だからお茶会しましょうと、目の前に座る彼女は、唐突に屋敷に押しかけてきたのだ。
レナ・ネルヴェア伯爵令嬢。
一応、私の幼馴染である。爵位も同じで、親同士が仲がいいことから、子供の頃からなんとなく一緒にいるだけである。
「ちょっとシェリル! ちゃんと話聞いてるの!?」
聞いていない。というか、どうでもいい。
だが正直にそう言ってしまったが最後、目の前の彼女はさらに怒り、延々と『ディートリヒ様』の良さを聞かされるという、めんどくさいことになるに違いないので、コクコクと頷いておく。
疑うように、空色の瞳が細められた。ウェーブがかった亜麻色の髪が、ささやかに吹く風に乗ってはらはらと舞う。
そもそも、レナが私と一緒にいるということ自体、不思議でならない。仲が悪いわけではない、私が釣り合わないのだ。
レナは、我が国の最高峰といわれる魔法学園の特待生。一方私は、どこの魔法学園にも通うことを拒否される、つまり貴族としては有るまじき、『魔法の使えない落ちこぼれ令嬢』なのである。
なぜ魔法が使えないのかは分からない。
生まれた時に必ず受けるという魔力量検査では、魔法に具現化できる程度の魔力はあるという診断を受けている。両親も、祖母も、その先祖も、みんな魔法が使える。
というか、貴族で魔法が使えない人間など聞いたことがない。
もしやどこぞの庶民とこさえてきた子なのでは、と疑われたこともある。しかしそれは、透視魔法で父と母の紛れもない子供であることを証明済みだ。ただただ私には、才能がないということの証明でもあった。
残念なことである。
だから私は、彼女のような優秀な魔術師の話し相手になるくらいしかできないのだ。
「でも、ディートリヒ様は本当に凄いわ。あんなにパッと魔法が出てくるなんて。普通は、術式を組んで、自身の魔力を術式に流して変換することで、ようやく発動するのよ?」
「こんなふうに」と、レナは指でなにかの暗号模様を宙に描く。そしてぽわんと光った『印』に手をかざすと、私たちの周りに天まで届きそうなほどの旋風がぶわっと巻き起こった。
草木がざわめき、枝から離れた葉が風に煽られる。土埃が舞い上がる。直接魔法は受けていないものの、周囲に起こった風の影響を受けて、私の髪は大きく靡いてボサボサだ。
「レナ、やり過ぎ」
髪を整えながら言うと、風は徐々に小さくなり、やがて止まった。葉っぱがカラカラと地を這っている。
レナは、大きな目をぱちくりと瞬いた。
「あら、ごめんなさい。興奮してしまってつい」
「レナが興奮しているのは伝わったけど、そのディートリヒ様がどれくらい凄いのか、私にはさっぱり分からないわ」
魔法が使えない私にとっては、術式を書いて魔力を変換させて、魔法を発動させるだけでも凄いことなのだ。術式を介さないということがどれくらい凄いのか、全くイメージがつかない。
これに関しては、レナの良い話し相手にはなれないようだ。申し訳ない。
「そうね……分かりやすく説明すると」
レナは、離れたところにある木を指さした。
「例えば、あの木のてっぺんに登る必要があるとするじゃない?」
「例えばね」
「そうすると、普通の人はまず、登るためのハシゴを用意する」
「うん」
「でもディートリヒ様は、ジャンプであの木のてっぺんに登った感じ」
「ありえない状況すぎて逆に分からない」
私を三人縦に並べたくらいの高さである。あれを地面一蹴りでなんとか出来るとは思えない。
無理がありすぎる例えではないか。
お手上げ状態だと首を振ると、レナはテーブルをバンと叩いた。
「そうよ、それくらいありえないことなの! 術式を介さなければ魔力は暴走する可能性が高いし、下手したら反術して死んでしまうわ」
術式とは、自身の魔力を制御し具現化するための道具のようなものである、らしい。つまり魔術師にとって、切り離すことのできない相棒的存在だ。
術式を介さず魔法を使うというのは、不可能ではないらしいが、限りなく不可能に近いというのが、魔術師界では共通の認識だという。それこそ、ディートリヒ様ほどの天才でもなければ。
「とっさの判断力! 術式を組む間もなく発動する魔術! それに加えて、周囲の人の恐怖を和らげようとするその優しさ! どれをとっても完璧すぎて、目が回りそう……」
レナは腕で目元を覆い、空を仰いだ。目が回っているポーズらしい。
確かに、子供が危険な目に遭いそうだという恐怖の最中、花の絨毯で助けるとなれば、それはもうファンタジーである。
ディートリヒ様は、意外とメルヘンなお方なのだろうか。
先程から、レナが興奮気味に何度も名前を出している、私たちの今話題の人物。ディートリヒ・レスター。
レスター侯爵家の嫡男で、膨大な魔力と類稀なる才能を持つ、天才魔術師と呼ばれている。
有名な方なので何度か見かけたことがあるが、光を反射する綺麗な金髪に、切れ長の碧眼。白磁のような肌に、ほんのり桜色の薄い唇はきゅと閉じられたいかにもな好青年だった。
見た目の印象では全くもってメルヘンなイメージを抱けるような感じではなかったけれど。どちらかといえば、クールな印象すら受ける。
ギャップ萌えというやつか。
「あぁ、もう絶対にディートリヒ様と結婚するわ! 私とディートリヒ様の結婚式には、絶対シェリルも呼ぶからね!」
「うん」
興奮冷めやらぬという感じで、レナは両手を強く組んで顔を赤らめている。
「ディートリヒ様と結婚する」これは、レナの口癖のようなものだった。
先に言っておくが、レナとディートリヒ様は婚約者でもなんでもない。レナが勝手に言っているだけである。
とはいえ、この国の最高峰である魔法学園に通っていて、その中で抜きん出ている優秀な二人で、爵位でも大きな乖離がないとくれば、あながち嘘にはならないのだと思う。
お互いに気がなくても周囲がヨイショするくらいには、お似合いの二人なのかもしれない。
学園内の様子は分からないので、憶測でしかないけれど。
「あぁ、いけない。もうこんな時間! シェリルと話していると、時間があっという間に過ぎていくわ」
「話を聞いてるだけだけどね」
「それがいいんじゃない! 取り繕わなくてよくて、気兼ねなく話せるのだもの。ほかの方は、ね?」
落ちこぼれの私には縁のない話だが、貴族同士の交流というのもなかなか疲れるものらしい。美人で明るいレナが、こんなにも疲れた顔をするのだから。
私とこうしてお喋りをすることで、少しでも彼女の癒しになるのならば、甘んじて受け入れようではないか。
心做しかしょんぼりしているように見えるレナの背中を見送りながら、「さてと」と髪をかきあげた。
貴族との交流で疲れたレナの癒しがここにあるように、落ちこぼれと蔑まれる私にだって、癒しの場所はあるのだ。
そこに向かうべく、辛うじて与えられた上質なドレスを脱ぎ、庶民が着るような質素なワンピースに身を包んだ。
■
カランカランとドアベルの音が鳴った。薄暗い店内に、僅かに外の光が差し込む。
お客様のお越しである。
「いらっしゃいま――」
せ、という言葉は、私の乾いた声とともに空気中に溶けていった。
振り返りつつ固まったままの姿の私に対してなのか、この店の内装に対してなのか、はたまた別のところに対してなのか。ドアを静かに閉めたお客様は、苦悶の表情を浮かべている。
店内は暗いので分かりにくいが、庶民が利用するこの店のお客様にしては珍しい身なりをしている。
金色の髪。物珍しそうに彷徨う切れ長の瞳は、宝石を埋め込んだような青色。すらっとした長身を、仕立てのいい貴族服で包んでいた。
私は彼を知っている。
この国の天才魔術師でレスター家の嫡男、ディートリヒ・レスター様だ。
そんなお方が、私の店に何用か。
失礼だとは思うが、こちらもどう扱うべきか悩み、固唾を飲んでディートリヒ様の様子を窺う。
「……ここは、薬屋、ですか?」
絞り出された一声は、それだった。
暗く静かな空気を震わす、低く穏やかな声色だ。
この店にいらっしゃる大体のお客様はこんな顔をして、次にここは本当に自分の目的の店かどうかの確認をするのだ。
様々な噂を聞く方ではあるが、彼も普通の人間なんだなと少しほっとする。
外見は普通の寂れた店だが、中に入ってびっくり。
真っ先に目に入るのは、壁に吊り下げられた無数の薬草と、その隙間を見逃さんとばかりに並ぶ、動物を象ったものから異国風のものまで、さまざまな仮面。
次に、迎え入れるのは仮面の店主。因みに今日は白うさぎの仮面だ。
店内がこんな感じなので、はじめて店に入ってくるお客様は怯む。薬を買い求めに来たのに、なにやら怪しい儀式でも行っていそうな風貌の場所に来てしまったと。
「はぁ、まぁ、そうですね。お客様の症状にあわせて、薬草を調合したものを販売しています」
「そうですか……。なら、その、腹痛に効く薬も?」
腹痛?
バツの悪そうに視線を外す美貌の男性に、私は首を傾げた。イマイチ、目の前の人物と腹痛という言葉が一致しない。
「ございますが、具体的にどういった症状でしょう?」
「具体的に?」
「はい、腹痛にも様々な種類がございます。冷やしすぎが原因の腹痛や、食べ過ぎの腹痛、ほかにも……あぁ、どうぞこちらにおかけ下さい。詳しくお伺いします」
天才魔術師様とはいえ、この店に入り薬を求めてきたのなら、すべて私のお客様だ。
店の中央に用意してあるソファを案内する。
テーブルを挟んで反対側には一人用のソファを置いていて、お客様とゆっくり話をできる空間にしてある。
ディートリヒ様はぎこちなく頷き、客用のソファに腰掛けた。緊張しているのだろうか。
「何か、お飲み物をご用意しましょうか」
「いえ、結構です。それより、具体的な症状、でしたね」
「そうです。一概に腹痛といいましても、先程も申し上げた通り、様々な要因を経て腹痛という症状になります。その要因に合った薬草を調合しなければ、薬は効きません。何かお心当たりはございますか?」
「それは……」
また、言いづらそうに口を噤んだ。
果たして目の前にいるこの男性は、本当にディートリヒ・レスター様なのだろうか。
レナのいうような、鬼才の魔術師で、イケメンで、何事にも動じず全てのことを赤子の手をひねるかのような涼しい顔でこなしていく、ディートリヒ・レスター様の面影はない。
以前私が見かけた時は、遠目からちらと見るくらいだったので、もしかしたら記憶違いかもしれない。
――こんな美貌の持ち主はこの世に二人といなさそうであるが、そう、別人なのかもしれない。
「少々お待ちいただけますか」
私は席を立ち、店の奥に引っ込む。
火起こしの魔法具を使って鍋の中のお湯を沸かし、小棚から手早く目的のものを取り出す。沸騰したらティースプーン三杯の茶葉を入れ、頃合を見計らって火を止めた。
身体の力が抜けるような、優しい香りを吸い込み、鍋からティーカップへと移す。
このお店にはじめて来る人は、大抵が彼のような感じで身体が強ばっている。
店の内装や店員である私のせいと言われればそれも否定は出来ないが、まぁそれだけではなく、自分の不調を赤の他人に伝えるのには抵抗があるのだろう。
特に、普通ではない言い難い原因が主の場合は。
「おまたせしました」
「……紅茶?」
「カモミールを使用したハーブティーです。カモミールには、リラックス効果があるとされておりますね」
青い瞳が、二度瞬いた。長い金色の睫毛が上下する様は、まるで青空に無数の流星が流れるようだ。
純粋に、綺麗だなと思った。
漂う香りにすんと鼻を鳴らすと、強ばっていた表情が柔らかくなる。
「バレバレだったってことかな」
「このお店にはじめていらっしゃる方は、大抵同じような反応をなさいますから。お客様だけではございません」
「あぁ……それは、なるほど」
ディートリヒ様はきょろきょろと周囲を見回し、最後に私の姿を見据えて、なにか納得したように頷いた。
心做しか、口調も砕けているように感じる。
「不思議な場所だね、ここは」
そして、笑った。
まるで真夏の太陽に照らされて輝く花のような、しかし静謐とした場所にしんしんと降り続ける真っ白な雪のような、美しい自然現象に胸を打たれるような、そんな微笑みだった。この笑みは人間を辞めている。
彼は、こんな表情もするのだ。
仮面を付けていて良かったと、心から思う。そうでなければ、私の顔は酷いものだっただろうから。
黙った私をどう受け取ったのか、ディートリヒ様は目の前に出されたハーブティーを一口飲んだ。
ほう、と吐き出されるため息すら、聴覚を刺激する。
「僕のせいで、前置きが長くなってしまった。どんな症状なのか、ということだったね。なんて言ったらいいのかな……僕は、プレッシャーに弱くてね」
「プレッシャー?」
「そう。あなたは僕のことを知らないかもしれないけれど、外では天才魔術師だとか色々と言われているんだ」
知ってます。
なんならつい先程まで、あなたの話題で盛り上がっておりましたとも。主に友人が。
けれど、ディートリヒ様にとって私は、『ディートリヒ様』を知らない存在の方が都合がいいということだろう。私は黙って続きを促した。
「ただ、そのことがなかなかしんどくてね。周囲の期待に応えるために、必死に努力して、プレッシャーに押しつぶされそうな自分を隠してる。そうしていつも、プレッシャーに負けて胃が痛くなる。情けない話だろう?」
「それは……」
「この間なんか、建物から落ちそうになる子供を助けようと咄嗟に魔法を使ったけど、現れたのがまさかの花びらの盛り合わせ! 子供が助かったという事実が皆を誤魔化してくれたみたいだけど、恥ずかしくて……もうちょっとかっこいい助け方あっただろうって」
レナからは聞くことのない、もう一つのディートリヒ様の顔だった。
彼女の中のディートリヒ様とあまりにも乖離がありすぎるが、なるほど、彼の言っていることはなんとなく分かる。
というか、レナの話していた花の絨毯ってこれの事か。「恐怖を和らげようとする優しさ」と言っていたが、花の絨毯は意図せず作られたものらしい。
レナは、ディートリヒ様を完璧な人間として祭り上げている。いつも当然のように聞かされているディートリヒ様像にも、彼女が作り上げた理想が織り込んであるのだろう。
そして、レナのように思っている人間が、山ほどいる。
かっこよくて、何事もそつなくこなす、天才魔術師という理想を作り上げてしまっている。
「……他者からの過度な感情は、時に人の心を潰すほどの大きな力を持ちます。多数からとなれば、到底一人で抱えきれるものではありません」
私も、「落ちこぼれ」だという負の感情を散々に向けられてきたから分かる。彼は大勢他者からの期待。正の感情だけれど、一身に受ける圧は同じだろう。
むしろ「落ちこぼれ」の方が、全てを諦められる。頑張らなくていい。だって、頑張ることを期待されていないから。
「お客様は、その無責任に向けられる他者からの感情に、ちゃんと答えようとしていらっしゃるんです。情けないなんてことはありません。立派なことです」
カチャリと、陶器がすれる音がした。
「そんなこと言われたの、初めてだ」
ふと目をあげれば、ディートリヒ様はぱちくりと目を瞬いてこちらを見ている。随分と、幼い表情もするものだな、と思った。
「私はお客様のことを存じませんので。聞いたままの印象を申し上げただけです。ご気分を害されたようでしたら、申し訳ございません」
「いや、むしろ……なんて言うんだろうね。感情の表現は難しい」
「不快な気分でないのなら、私はなんでも構いません」
「そっか。うん、不快な気分ではないよ。あなたは優しいね」
どうして『優しい』になったのかは分からない。でも私だって、優しいと言われたのは初めてだ。
なんとなくいたたまれなくなって、本題に戻ることにした。
「えぇと、それで。お薬をお求めでしたね。調合してまいりますので、お待ちください」
そそくさと立ち上がり、壁の引き出しやぶら下がっている薬草から、テキパキと必要なものだけ集めていく。
いわゆるストレスが原因のものなので、胃の不調を改善するものや安定作用のあるものがいいだろう。合うか合わないかは試してみないと分からないので、とりあえず1週間くらいにしておくべきか。
そんなことを考えながら薬を調合すると、ツンとした薬草独特の臭いが鼻を突く。良薬は口に苦しを体現しているようで私は好きなのだが、どうにも嫌がるお客様は一定数いる。それでも効きがいいからと、再び足を運びにくるのだが。
せめてもの対策として考案した、防臭効果のある袋に詰めて完成である。
薬が入って少し重みのある袋を、ディートリヒ様の前に柔らかく置く。
「注意事項ですが、この薬は即効性があるものではないので、魔法具のように痛みがあってから飲むのはおすすめしません。痛みがなくても毎日欠かさず飲むようにしてください。まずは一日三回、一週間分を用意しています。効かないようであれば、全て薬を飲み終えた後にいらしてください。体調の変化などを伺い、調合を変えます。何か気になることはございますか?」
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
「それでは、お値段はこちらになります」
「……えっ」
値段を提示すると、それを覗き込んだディートリヒ様は頓狂な声を上げる。
この店で売る薬は、それぞれの症状に合わせてその場で調合するので、決まった金額というのがない。ゆえに、調合した薬草の種類と分量をなんとなく計算しつつ、そこに手間料を上乗せした金額になる。
つまり、お客様に薬をお出しする時に金額が決まるので、適当な羊皮紙の端っこに金額を書きなぐるのだ。
侯爵という高い身分で、天才魔術師と崇められる彼は、こんな雑な請求をされたことがないのだろう。驚くのも仕方ない。
猜疑心の浮かんだ瞳が、私の顔をうかがう。
「これは、一粒の値段かな?」
「いえ、一週間分の値段です」
「ありえない。同じ効果を持つ魔法具で一週間分となれば、この50倍はくだらない!」
「えっ」はそういう意味だったか。
どんなに安くたって、安かろう悪かろうではお客様はついてこない。
「ここは、高価な治癒魔法具を手に入れることができない方々のための店です。安価で高品質のものを、をモットーに掲げております」
「……こんな値段で同じ効果が得られるなら、魔法具にあれだけの金額をかける意味がない」
まったくその通りである。
だから、下町の目立たないところに建つ、庶民向けの店なのだ。そうすれば、見栄っ張りな貴族はこんなところには来ない。
……例外もいたようだけれど。
何も返事をしない私に呆れたのか、はたまた胡散臭い店認定されたのか分からないが、ディートリヒ様はそれ以上問い詰めてくることはなかった。
目の前の薬袋を手に取り、入れ替わるように代金を置く。
「まいどありがとうございます」
「こちらこそ。とりあえず一週間だったね、試してみるよ」
「はい」
ディートリヒ様は袋を懐にしまい、貴族らしい足取りで扉に向かう。お見送りのためにその後ろをそぼそぼと着いていくと、ディートリヒ様は何かを思い出したように振り返った。
何故か、苦虫をかみ潰したような顔をしている。
「……このことは、誰にも言わないでくれるかな?」
「……私はお客様のことを存じませんので、誰にと言われましても」
「ははっ、うん、それもそうか。ありがとう」
ディートリヒ様はそれだけ言うと、ついに踵を返して店を出ていった。
そもそも、ディートリヒ様ほどの方が、庶民向けの薬屋にやってきたこと自体が不思議である。普段は治癒魔法具を使用しているはずだろうし、今回は壊れてしまったとかで一時しのぎでお越しになったのだろう。
きっと、もう来ることも関わることもない。
そんな考えは、きっかり一週間後に裏切られることになる。
カランカランとドアベルの音が鳴って振り向けば、興奮冷めやらぬといった様子のディートリヒ様が立っていた。
「――君のその薬は一体、なんなんだ!?」
なんなんだと言われましても、ただの寂れた薬屋で調合した、普通の薬でございます。
このあと、なんとしても店主の仮面を外したい天才魔術師と、絶対身バレしたくない落ちこぼれ令嬢の追いかけっこが始まる。