ハウスメイド学科 芹野珠季
「ご主人様として、ただ暮らしていればいいんです。そうすれば、きちんとお給料が入ります。しかも、こんなに可愛いメイド付き。悪くない条件でしょう?」
「……そんな美味い話があるわけない」
「んー、まあ私は事前に伝えるよう言われた話をしているだけなので……。でも、嘘ではないと思いますよ」
まあ、親父が手配した仕事だ。嘘だと疑っているわけではない。
それにしても、ただお世話されるだけ、か。
上流階級から距離を置きたい俺にとって、その生活は魅力的なものではない。むしろ嫌悪感すら抱く。
「あ、一つ言い忘れてました。この仕事を全うすれば、名門大学への推薦がもらえるらしいです」
「……なるほどな」
ああ、あの手紙はそういう意味か。崎島の名に相応しい道。一年間の労働と引き換えに、その道とやらに引き戻されるわけだ。
メイドを養成するという特性上、上流階級の息がかかっていることは間違いない。
だとすれば、名門大学への推薦というのもあながち荒唐無稽でもない。大学の経営に携わったり、多額の出資をしている家も少なくないからだ。
親父の目的がわかれば、状況はすっきりする。なら、俺が取る行動はただ一つだ。
「そういう話なら、俺は辞退させてもらう。そんな貴族のお遊びみたいな仕事をするつもりはない」
「辞退なんてできませんよ。そういう契約ですもん」
「俺は同意していない。親権者でも勝手に契約することはできないんだよ」
バイト戦士舐めるな。労働基準法くらい把握している。
しかし、いきなり連れて来られたと思えばふざけた要求だ。あの執事には実家にいた頃に世話になったから、一度は大人しく車に乗ったが……まさかそれを逆手に取られて、強制的に連行されるとはな。
まあ執事は親父に逆らえないだけなので、責めても仕方がないが。
「俺は帰らせてもらうよ」
メイドにお世話される仕事、ね。
そこだけたしかに見れば魅力的だ。でも、色々なしがらみがありすぎる。
ていうか、年齢的には一つしか変わらない男女が実質的に同棲するというのはどうなんだろう。学校として大丈夫なのか?
「怜介様、待ってください!」
「悪いな。俺がいなくなって困ることもあるだろうが……」
「いえ、そうではなく……。ここから一番近くのバス停まで、三時間はかかりますよ? もう陽も傾いてますし、山道を歩くのは危険だと思います」
「……そうか」
そうだった!!
車窓から見た道は覚えているが、さすがに今から歩いて戻れる距離ではない。
咳払いをしながら、ソファに戻る。
……恥ずかしい。
「それに、怜介様の良心に漬け込むような形になってしまうんですけど、その……」
「俺がいなくなったら実習が、ってことか?」
「はい……。特別実習がなくなったら、私だけでなく同じ班の残り二人も、留年が確定しちゃいます」
申し訳なさそうに眉を下げる芹野さん。
あと二人いるのか。彼女を含めて三人の進級が、俺にかかっている、と。
芹野さんはさっきまでの明るい表情とは打って変わって、静かに目を伏せている。
正直な気持ちを言ってしまえば、知ったことではない。俺は勝手に内定を消されたのだ。会ったばかりの他人を気遣っている余裕などない。早いとこ、就職先を見つけなければ。
元はと言えば、勝手に俺を特別講師とやらにした親父のせいだしな。
でも……俺の実家のせいで被害を被る人が目の前にいるというのに、見捨てるのは違う。
「はぁ……わかったよ」
親父の言いなりになるようで癪だが、なんとか納得して頷いた。
ソファに深く背中を預けて、髪をかき上げる。
まあ、なんだ。今日はどのみち泊まらないといけないからな。
「ほんとですか!」
芹野さんの顔がパッと花咲く。
「なんだ、やっぱり怜介様はメイドが好きなんじゃないですか~。もー、嫌がるフリなんてしちゃって」
「……帰る」
「うそうそ、嘘です! 本当に怜介様が必要なんです!」
落ち込んでいるような素振りは演技か?
ずいぶんと調子がいい。でも、くったくなく笑う彼女を見ていると、自然と俺の口角も上がった。
「でも、意外ですね。男の人は、てっきり喜ぶと思ってました。だって、メイドと同居してお世話されるんですよ?」
「俺は一人が好きなんだよ」
「わあ、ネットで見たことあります! モテない人が言うやつですよね!」
「ご主人様にひどい言い草だな……」
このメイド、純真そうな顔でなんてことを……。いや、モテないわけじゃないけどね? 彼女はいたことないけどさ。
「でも、それなら安心です。メイドだからって変なことしなそうですし」
「ああ、まあ。そこは安心してもらっていい」
冷静に考えて、見ず知らずの男と同居するなんて嫌だろう。メイドである前に、彼女は女子高生なのだ。
立場を利用して、不埒な真似をする者がいないとも限らない。
ちなみに、俺は権力を笠に着るような奴が世の中で一番嫌いである。
「それでさ、芹野さん」
「珠季でいいですよ」
「珠季さん」
「メイドですから、呼び捨てでどうぞ!」
「……珠季」
「はいっ」
嬉しそうにニコニコと笑う珠季。
緊張が解れたのか、年相応の表情だ。こっちが素かな。
メイド服を着ていても、彼女は普通の高校生なのだ。そう、改めて認識する。
「一応、今日のところはそのご主人様役? を引き受ける。けど、それは後任の者が見つかるまでだ。俺の代わりに特別講師をしてくれる人を見つけ、引継ぎをすれば何の問題もないだろ」
「途中で特別講師が変わるなんて聞いたことありませんけど……」
「いや、病気や産休育休……やむを得ず交代しなければならない事態なんて容易に想像がつく。だから、制度上は存在するはずだ」
途中で担当者が変わるのはやりづらいかもしれないが、そのくらいは飲んでもらいたい。
俺はいつまでもこんなところにいたくないからな。実家とは無関係の仕事をして、彼らとは関わらずに生きていく。そう決めているのだから。
「だから、俺がここで暮らすのはそれほど長くないだろう。ま、それまでよろしくな」
「わかりました。じゃあ、私はそれまでに怜介様を骨抜きにしてみせますね! メイドなしじゃ生きられない身体にしてやりますよ~」
「ははっ。無理だな」
「できますよ。だって私、スーパーメイドですから!」
どこからその自信が湧いてくるのだろうか。
ついさっき食器を立て続けに破壊したことは記憶に新しい。
「さあて、疲れているでしょうから、詳しい話は明日しますね! お部屋の準備はできてますから、案内します! あっ、その前にティーカップを片付けないと……」
元気よく立ち上がった珠季が、すっと手を伸ばした。カチャリと小さく音を鳴らしてソーサーごと取る。
忙しないな……と思いながら眺めていると、珠季は何もないところでつまづいた。
「ぐべっ」
宙を舞うティーカップ。
顔面を地面に叩き付ける珠季。
「はぁ……」
で、誰がスーパーメイドだって?