メイド養成高等学校
中にいたのは――メイドだった。
襟のついた黒いワンピースに、白いエプロン。“メイド服”と聞いたときに日本人のおよそ全員が想像する服装をした少女だ。
彼女が丁寧にお辞儀をすると、後ろで結わえたポニーテールが一緒に揺れた。
「ご主人様? 俺が?」
「はい、そうです。中で説明しますので、どうぞ」
「……わかった」
玄関先で問答をしていても埒が明かないので、観念して中に入る。内装はシンプルだが上品な設えで、白い壁紙に小さな絵画がよく映える。
どこか古風な印象を受ける玄関を抜けると、大きなテーブルとソファが目に入った。
リビング、でいいのだろうか。
「お茶を入れてきますので、座って待っていてくださいね」
指示通り、ソファに腰を下ろす。
彼女はそれを見届けて、一度部屋から出て行った。
それにしても、若い女の子だ。
高校生くらいか? 実家の使用人はみんなそれなりの年齢だったので、かなり新鮮だ。
それでいて、いわゆる“着られている感”というか、メイド服もコスプレ感はなく似合っている。
高校の奴らに見せたら大歓喜しそうだ。容姿もめちゃくちゃ整っている。
「きゃっ」
扉の向こうで、パリン、と食器の割れる音がした。
「うん……?」
いや、うん。
まあそういうこともあるだろ。
ちょっと手を滑らせることくらい……。
パリンパリン。
続けて、もう二回。連鎖するように音が鳴り響いた。
「いやいや、割りすぎだろ……。 さすがに様子を見に行ったほうがいいんじゃ……」
客人が勝手なことをするのもどうかと思うけど、たぶん年下の女の子だし。と思って腰を浮かせたタイミングで、彼女がティーカップを手に戻ってきた。
「お待たせいたしました」
「えっと、ケガとかしてないか……?」
「え、な、なんの話ですか?」
「あれだけ割ってたら、さすがに聞こえないフリはできないな」
「よくあることなので大丈夫ですっ」
有無を言わさぬ口調のメイドさん。
いや、よくあったらダメだろ。
彼女は何事もなかったかのように歩みを進め、テーブルに紅茶を運ぶ。あ、手が震えている。見ているだけでハラハラするな……。
なんとか運びきったのを確認して、俺はようやく身体をソファに沈めた。
まあ、ちょっと零れていたけど。
「それで、説明してもらえるか。……ああ、あんたも座っていい」
対面に座った彼女は、背筋をピンと伸ばして俺と目を合わせた。
「私は芹野珠季です。春からハウスメイド学科の二年生です」
「ハウスメイド学科……?」
「はい! ここ、メイド養成高校にはいくつかの学科に分かれているんです。ハウスメイド学科は屋敷内の管理全般を扱う学科ですね」
そう聞くと、普通といったら何だがちゃんとした学校のように思えてくる。
メイド養成高等学校。およそ世間の常識から外れたその名前の学校に、彼女は通っているらしい。
「あ、悪い。名乗ってなかった。俺は崎島怜介だ。今月までギリギリ高校生」
「はい、聞いてます。あなたは私たちのご主人様ですから」
「さっきも言っていたな。悪いが、俺はあんたの主人になったつもりはない」
「いえ、崎島様は――」
「怜介って呼んでくれ」
遮って申し訳ないが、苗字はあまり好きではない。
ましてや崎島|様《・》と呼ばれるのは、実家を思い出して耐えがたい怒りが湧き上がる。
「わかりました。怜介様は、ご主人様ですよ。そういう契約なので」
「契約、だと?」
「はい。私たちの“ご主人様役”として一年間、特別講師として勤めることになっています。メイド養成高校では、二年生のカリキュラムとして実習があるんです。一年間ご主人様役の講師と生活して、一年生で学んだことを実践する、という授業ですね」
「……いや、おかしいだろ」
「そうですか?」
きょとんと、芹野さんが小首を傾げる。
そりゃ、実践経験は大事だけど……。
つまり、俺とこの若いメイドさんは、これから一年間、この屋敷で一緒に暮らすということか?
「特別講師の仕事はただ一つです」
芹野さんが人差し指をピンと立てて、身を乗り出した。
「ご主人様として、私たちにお世話されること。どうですか? 嬉しいですか?」
そう言って、挑戦的な笑みを浮かべたのだった。