拉致
「どこに連れて行く気だ」
「申し訳ございません。お答えできません」
俺を後部座席に乗せ車を走らせる初老の男は、淡々とそう言った。
答えられないということは俺より上位の命令……なんていう漫画で見たような推理を披露するまでもなく、彼は俺の両親が雇っている執事である。
「だったら降ろしてくれ。俺は実家に戻るつもりはないんだよ」
「旦那様と奥様は心配しておいでですよ。怜介様は崎島グループの将来を担う大切なお方なのですから」
「後継ぎなら兄貴がいるだろ。だいたい、三年間もほったらかしにしていたくせに、何が心配だ」
ああ、そうだった。この空気が嫌で、俺は実家を飛び出したんだった。
心配などとうそぶくくせに、顔すら見せようとしない両親。彼らが見ているのは俺ではなく、崎島家の次男というラベルだ。
昔からそうだった。
選民思想に囚われた両親にとって、俺は人形遊びの道具に過ぎず、自由なんてまったくなかった。
家を出たい俺。そして、後継ぎの座を脅かす可能性のある弟を排除したい兄。兄弟の利害が一致した結果、協力して都外の高校に逃げおおせたのが三年前の出来事。
「高校を卒業するまで待ってくださったのですよ」
「あー、そうかよ。恩着せがましいことで。それならいっそ、これからも好きにさせてくれよ。就職先も決まっているんだ。俺一人でも生きていける」
高校時代だって、バイト代で学費と生活費を工面していた。案外、本気で働けば高校生でも生活できるものだ。
卒業後はバイト先の一つが社員登用してくれる。
「就職先ですが、既に辞退の連絡をいたしました」
「は?」
「怜介様の進路は旦那様が用意しておりますので」
「なにを勝手なことを……ッ」
思わず腰を浮かせて、シートベルトに咎められる。
いや、この人に怒っても仕方ない。全て両親の命令なのだから。
高校時代は楽しかったな。
普通の高校で、家柄に縛られず、友達と毎日バカやる。そんな日常が、俺にとってはキラキラ輝いて見えた。みんなが嫌がるバイトだって、俺にとっては全てが楽しかった。
……いや、まだ諦めるつもりはない。
絶対、家になんて帰るものか。
「はぁ。もういい。親父と直接話すから、連れて行ってくれ」
「それもできません」
「なんでだよ。ていうか、実家じゃないならどこに向かってるんだ?」
「こちらを」
信号で停止したタイミングで、執事が手紙を渡してきた。
家紋の入った封蝋をことさら雑に剥がすと、中には便せんが一枚。
執事が書いたであろう長ったらしい定型文のあとに、たった一文。
『お前には崎島の名に相応しい道を用意してやる』
とだけ、上から目線で書かれていた。
俺は素早く目を通すと、折りたたんで二つに引き裂いた。
「道、だと? 無名高校を卒業し、大学への進学を蹴った時点で、あいつらが大好きなエリート街道からは外れたはずだ。今さら、崎島の名に相応しいもなにもないだろ」
なにせ、それが狙いだったのだから。
兄貴は有名高校を卒業し、イギリスの名門大学に通っている。誰に見せても恥ずかしくない、優秀な後継ぎだ。親族も、誰もが兄を認めている。たしか今は二十一歳だったか。
俺がいなくたって、家の存続には何の問題もない。
その状況で、今さら俺に何を期待しているというのか。
結局、自分のメンツを保つためでしかないのだろうな。一人は大成功したけど二人目は不良息子、などと言われるのが耐え切れないのだ。
「まもなく到着いたします」
数時間後。
必要最低限の会話しかしない執事が、再び口を開いた。
窓から得た断片的な情報を信頼するなら、おそらく神奈川県西部。この辺の地理には明るくない上、少し前からずっと山道なので、詳細な場所は不明だ。
少し走ると、西洋風の鉄柵と門が見えて来た。執事は守衛に書類を見せ、開かれた門から車を進み入れる。
門の横の表札が目に入った。
「メイド……養成高等学校……?」
一つ一つの単語は理解できるけど、文章としてすっと頭に入らない。
そのまま、門から十分ほど走ったところで、車を降ろされた。
「こちらでございます」
「ここ、どこだ?」
「説明は後程」
「相変わらずの秘密主義だな……」
表札に書いてあった『メイド養成高等学校』という文字。
言葉通りに捉えるなら、ここはメイドを育てる高校だ。
メイド、というか使用人なら実家に何人かいた。
一般家庭には馴染みのないその存在は、上流階級の家系にとっては日常の存在だ。……なんて、普通に思ってしまう自分が嫌になる。子ども時代の常識はなかなか手放せないものだな。
ともかく、メイドの実在は知っている。しかし、日本国内にメイドを養成する学校があるとは初耳だ。
だが……俺が今いる場所は、とても学校の敷地内には見えなかった。
なぜなら、目の前にとても学校施設とは思えない建造物が鎮座しているからだ。
「これ、屋敷だよな……? 誰かの別荘か?」
それほど大きいわけではないが、外観は完全に屋敷であった。
三階建ての西洋建築。周囲は丁寧に手入れされた植栽が並び、地面には芝が張っている。
「しかも、敷地内にいくつもあるって……どんな学校だよ」
敷地が広すぎる。
それとも、あの表札はただの趣味で意味はないのだろうか。
「ここが怜介様の勤務先です」
「なるほど、使用人か」
「いいえ。詳しい仕事内容については中で説明があるでしょう。怜介様の荷物は全て届けてありますので、わたくしはこれで」
「あ、おい!」
初老の執事は、それだけ言い捨てるとそそくさと車に戻ってしまった。手を伸ばした俺を振り払うように、車が勢いよく発進する。
「はぁ。入るしかないか」
両親の思惑通りになるのは非常に癪だが、太陽が傾き始めているので今からここを出るのは自殺行為だ。退路はなく、俺に残された選択肢は屋敷の扉を開けることだけ。
屋敷といっても実家のような絢爛さはない。比較的質素な作りだった。
扉の前に立ち、ノッカーを鳴らす。
すると、ギギギと軋む音とともに木製の扉が開かれた。
「お待ちしておりました! ご主人様っ」