ツキの生い立ち
ローバーの山を降りて東へ向かうと、イナサの村がある。
大きくはないが、小さくもない村。気候や風土に特別恵まれているという訳でもない、どこにでもありそうな村だ。
ツキはこの村で生まれた……らしい。
彼自身は何も知らない。全ては聞いた話だ。
母のフールは早くに両親を亡くし、両親の遺した畑を耕して細々と一人で暮らしていた。近所の村人達も何かと気にかけてくれたので、食べることに困ることもなく。
ただ、一つだけ憂えることがあるとすれば、イラギという男が何かにつけてフールに言い寄ることだ。
イラギは村長ではないのだが、村で一番多くの畑を持ち、実質は彼がイナサの村の権力者だった。
妻も子もあり、じき五十に手が届こうかという男が、自分の娘とさほど変わらない村娘にご執心なのだ。もっとも、目を付けているのはフールだけではなく、他にも数人いた。
十八になり、フールが女らしさと美しさを兼ね備えるようになると、イラギはますますしつこく言い寄るようになる。
自分のものになれば、畑を耕さずにうまい物をいくらでも食わせてやる、きれいな服や靴も買ってやろうとエサをちらつかせた。
実際、働くのが嫌いでイラギの女になった娘もいる。
中には何を勘違いしたのか、イラギの権力をかさにかぶって高飛車なふるまいをするようになった娘もいて、村人から陰で失笑されていたりもした。
フールの生活は楽とは言えないものだったが、イラギの誘いに決して乗ろうとはしない。心に決めた男性がいるのではなかったが、妾になってまで自分を偽ろうとは思わなかった。
しかし、その気持ちが一つのきっかけで揺らぐ。
みごもったのだ。
相手はどこの男か知らない。名前は聞かなかった。旅をしていて村を通りかかった、というだけの男だ。
陽が沈みかけた頃に現れ、宿もない村で途方に暮れていた彼を、フールは自分の家へ招き入れた。
なぜそんなことをしたか、自分でもわからない。ただ、彼と共に過ごしたいと強く思った。
彼の方もフールに吸い寄せられるように足を踏み入れ、二人で夜を過ごした。
お腹にいるのは、間違いなく彼の子だ。喜びと同時に、大きな不安がのしかかる。
今は自分一人が食べるだけで精一杯だ。お腹が大きくなってくれば、畑仕事もかなりきつくなる。
それ以前に、ちゃんと大きくなるまでこの子に栄養を与えてやれるだろうか。生まれれば、それはそれで大変だ。無事に育てられるか、という不安も出て来る。
着せる服は手に入るだろうか。子どもはすぐに大きくなるが、その度に新しい服を用意してやることなどできない。
子どもができたことは素直に嬉しかったが、生まれるまでと生まれてからのことを考えると、今のままではダメだ。二人で生活することは、困難を極める。
そんなフールの頭に浮かんだのが、イラギ。
フールはあの男を好きではない。はっきり言えば、嫌いだ。しかし、あの男の言うとおりにすれば、この子は生きられる。
子どものために、フールは苦しい決断をした。この子さえいれば我慢できる、と。
何も知らないイラギは、いつものようにフールを口説きに現れ、フールが承知するとすぐに獣の本性を現わした。それからは地獄のような時間が何度も訪れたが、子どものことを思えば耐えられる。
イラギは釣った魚にもとりあえずのエサはくれるタイプだったので、二人でいるこの時間さえ我慢すれば、精神的には叫びたくなるような苦痛でも、フールの生活はかなり楽になった。それだけはありがたい。
やがて、お腹のふくらみが目立つようになってくると、イラギはフールの元へ通って来るのをやめた。
しかし、フールに手をつけたことは村人みんなが知っているので、生活が再び苦しくなることはない。自分は女を何人も囲って、だが全員を裕福に暮らせるようにしてやってる、と無言の自慢をするためだ。それだけの財力がある、と知らしめたいのである。
そんなイラギの虚栄心のおかげで、フールはどうにか臨月を迎えられた。
しかし、フールは村医者のキュラスに早産だということにしてほしい、と頼んだ。そうしなければ、計算が合わなくなってイラギの子ではないとバレてしまう。
この子は表面上、イラギの子ということになっている。違うとわかれば、フールはともかく、この子がイラギに殺されかねない。
ただでさえ、最近イラギの様子がおかしい、と村でも噂になっているのだ。
本妻であるラタナにいきなり抱き付いてよその女の名前を叫んだり、何もない空間を見て魔物が現れたと言っては斧を振り上げ、テーブルやイスを叩き壊したりしているらしい。
しばらくイラギと会っていないフールには、それが本当のことかわからない。だが、そんな男が自分のものだと思っている女が別の男の子どもを産んだと知れば、荒れ狂うに違いない。
本当の父親は黒髪に青の瞳。イラギは黒髪に黒の瞳。
子どもは黒髪に緑の瞳を持って生まれた。
青なら言い訳のしようもないが、緑ならフールに似たのだと言い張れる。
生まれた子どもを見て、フールは心底ほっとした。
自分の腕の中で眠る息子は、彼の面影を宿している。鼻や口元がそっくりだ。
名前もあえて聞かなかった、一夜限りの恋人。その彼に再び会えた気がする。
しかし、フールのささやかな幸せは長く続かない。
息子が生まれて半月後、イラギが亡くなったのだ。
何やら訳のわからないことを叫び、口から泡を吹いて倒れたと聞いた。そのまま息を引き取ったらしい。
噂では、イラギは数ヶ月前に大きな宝石を手に入れたらしく、本当はそれがいわく付きの代物だったのではないか、ということだった。
真相は闇の中だが、その石を磨いているイラギが魔物じみた叫び声を上げ始めたとも言われているので、その宝石とやらがとても怪しい、と村人達は言い合った。
宝石など、フールはどうでもいい。問題はこれからの生活だ。
イラギがいなくなれば、生活の保障はなくなってしまう。
いや、それよりも。イラギが亡くなったことで、本妻のラタナがどう動くかだ。
夫が生きている間は黙っていたが、次々と村の女に手を出すところを快く見ていたはずがない。実はとんでもなく嫉妬深い女だとも言われている。今までイラギがやった物を全て返せ、などと言い出しかねなかった。
フールの他にも「イラギの子」を生んだ女は数人いる。真実はどうでも、ラタナはその子達を認めないだろう。村を出て行け、と言われるかも知れない。それだけならいいが……。
イラギの子を産んだ別の女がフールの所へ来て「あたし達、かなりヤバいかもよ」と言って去って行った。
どの程度ヤバいかはともかく、これからの暮らしはかなりつらいものになるだろう。あれだけ我慢し続けたのにと思いつつ、フールも覚悟を決めた。
しかし、それから二日後。
フールにヤバいかもと言った女が、村から消えていることに気付いた。さりげなく村人に聞いたが、誰もが口を閉ざして答えようとしない。ごまかすふりさえしない村人達を見て、フールは彼女が「消された」のだと直感した。
彼女はイラギに囲われて調子にのっている、と周りで噂されていたが、それはラタナも思っていただろう。だから、最初にいなくなったのかも知れない。
青ざめて家へ戻ったフールの元に、キュラスが現れた。フールが早産ではないことを悟られたかも知れない、と言うのだ。
あの腹の大きさで早産のはずがないだろう、とラタナはキュラスに詰め寄ったらしい。フールは細いので大きく見えただけだ、とキュラスは反論したが、ラタナは納得しなかった。
あれは絶対イラギの子じゃない、イラギの子だと言って財産を狙ってるんだ、と怒鳴りながら去って行ったと言う。
フールはイラギの財産など、狙っていない。騙して生活費を得ようとした点を責められれば、それについては認めるしかないものの、大金がほしい訳じゃなかった。この子と二人で何とか生きて行ければよかったのだ。
キュラスの話を聞いて、フールは村を出る決心をした。ここにいたら、遅かれ早かれラタナに何かされてしまう。
自分はともかく、この子に罪はない。守らなければ。
暗くなってから、フールは子どもを抱いて家を抜け出した。その直後、自分の家に火が放たれたのを見て、背筋が凍る。
ラタナは本気だ。本当に殺されるところだったのだ。家から悲鳴や赤ん坊の泣き声がなければ、火を放った人間もおかしいと思うだろう。
そのままフールは森へ向かって走り出す。
恐らく、火を放ったのはラタナの取り巻きの男達だ。フールがいないと気付けば、追って来るに違いない。
フールは必死に走った。腕の中で眠る我が子を守るために、とにかく走った。
家を出る時はイラギが買ってくれた靴をはいていたが、逃げる間に脱げてしまっている。そんなことには気付かず、気付いてもそんなことに構っている余裕はなかった。
子どもが目を覚ましたことがわかると、声を出す前に乳房をふくませる。その間だけは、フールも少しだけ休んでおいた。一息つけるのは、その時だけだ。
そんなことを何度か繰り返し、一晩走って森を抜けるとローバーの山へ入る。山へ入ってどこまで逃げ切れるかなど、何も考えてなかったし、何も考えられなかった。
とにかく、村から遠ざかることだけ。子どもの命を守ることだけを考えていた。
そんな彼女の前に、白い翼を持つ男が現れる。
フールは最初、魔物が現れたのかと思った。村を出たことのないフールは、白翼人のことなど知らなかったのだ。
しかし、フールの足下を見た男が「どうした、大丈夫か?」と尋ねてくるのを聞き、相手が追っ手でも敵でもないことを悟って一気に緊張が緩む。勝手に涙があふれて止まらない。優しい言葉をかけてもらったのが嬉しかった、というのもある。
この時、フールと出会ったのがフウの父リョウだった。たまたま、狩りで村から山裾の方へ降りていたのだ。
物音がしてフールが怯えたように振り返るのを見て、彼女が追われていると悟ったリョウは、彼女を抱いてモザの村へと戻る。
リョウは、すでにこの村に住み着いていたネマジの所へフールを連れて行った。白翼人ばかりの所より、人間がそばにいる方がフールも少しは安心するだろう、という配慮だ。
丸一日、フールが死んだように眠っている間、フウを産んで間もない頃だったリョウの妻キョウが子どもの世話をしてくれた。
どんな薬を使ったのか、傷だらけだった足はずいぶん癒えている。
フールから事情を聞いて、リョウや他の村人達もここにいればいいと言ってくれた。人間二人が増えたところで、モザの村が飽和状態になる訳でもない。
ふもとの人間もここまでは滅多に来ないだろう。実際、そう簡単に来ることのできない場所である。
しかし、フールは子どもだけをここに置いてくれるように頼んだ。
ふもとの人間は滅多に来ない。だが、もし来たら。
ここの村人達に迷惑をかけてしまう。フールについてはごまかしようもないが、子どもだけならネマジの親類の子だと言い張ることも可能だ。
子どもの面倒をみるのは構わないが、フールはどこへ行くのかと尋ねられ、彼女はとにかくどこかへ逃げると言った。
幸いなのは、ラタナや取り巻きの男達は子どもの顔を見てない、ということ。つまりフールを目指して追っているから、彼女がこの村から離れた場所で見付かった時に子どもが捜し出される可能性は低い。
危険だと言ってみんなが止めたが、フールは夜のうちに姿を消してしまった。その際、置いて行かれた子どもは産着ではなく、毛布にくるまれて眠っていた。
モザの村人達は、せめて子どもの匂いがする物を持っていたかったのだろう、と言い合った。
しかし、そうではなかったことを後で知らされる。
三日後、谷底を流れる川の岸辺にフールが倒れているのを、リョウが見付けた。その周囲には人間の男が数人。彼女を追っていた者達だろうというのは、すぐに察しがついた。
遠目からでも、フールの命がもう消えている、ということも。
彼らはフールに息がないことを確かめると、そのままにして去って行く。
人間の気配が消えてから、リョウはフールに近付いた。その姿を見て、彼女が命をかけて子どもを守ったことを思い知らされる。
モザの村で手当されていた彼女の足は、素足だった。巻かれていた包帯もない。川に落ちた時に取れたとも考えられるが、恐らく彼女は自分で取ったのだ。
手当されているのがわかれば、どこでされたのかということになる。ここにはフールだけで子どもの死体がないとすれば、子どもは彼女が手当された場所にいるかも知れない。
そう推測した追っ手がモザの村へ向かってしまわないよう、フールは手当された痕跡を消したのだ。
彼女は命を失ってなお、その手に子どもの産着を握り締めていた。
子どもはモザの村にいるのだから、当然その姿は近くにない。だが、これを見た追っ手は、川で流れるうちに子どもはさらに川下へ流されたらしい、と考えるだろう。
そう思わせるために、フールは出て行く時に子どもの服を脱がせたのだ。
リョウは自分達の仲間が眠る墓地に、彼女を眠らせた。
子どもは、ネマジが世話をすると申し出る。自分の望まない所で面倒に巻き込まれた赤ん坊を、モザの村へ来るまでの自分と重ね合わせたらしい。いつかこの村を出て大きな街へ出ても一人で暮らせるよう、魔法も教えた。
こうしてツキはモザの村で成長し……やがて十四歳の誕生日を迎える。
その時、ネマジが母親のことや、人間のツキが白翼人の村で暮らすに至った事情を全て話した。
フールが亡くなって、リョウはしばらくふもとの人間がツキを捜しに来ないかと様子を見ていた。しかし、誰も現れることはなく、やはり子どもは川に流された、と判断されたのだろう。フールが命をかけて望んだ息子の安全が、ようやくもたらされたのだ。
しかし、ツキが村を出て、もしイナサの村の人間と会った時。フールの子どもだということで、また追われる身になるという可能性は完全には消えていない。
事情もわからないまま、ツキが命を落とすことになったら。
深読みかも知れない。杞憂ならいい。ネマジはツキがそんなことにならないよう、全てを知らせた。
ツキにとってつらく厳しい現実でも、後々のことを考えれば真相をちゃんと伝えておくことがネマジの優しさだったのだ。
「……ぼく、みんなからすごく愛されてるんだね」
全てを聞いたツキはしばらく黙っていたが、ネマジにそう言った。
フールは命をかけて彼を守り、ネマジや村のみんなが彼を育ててくれた。
それを理解したから出た言葉。
それを聞いたネマジは、フールの心の強さは確かに息子へ引き継がれている、と感じたのだった。
☆☆☆
「あ、ごめんなさい。何だか話がそれちゃったけど、とにかくぼくがいた村に風の実っぽい物があったらしいってことで」
イラギの様子がどんどんおかしくなり、やがて狂死した。
その点だけを伝えればよかったのだが、その部分だけをうまくかいつまんで話すことができず、結局ツキの生い立ちの話になってしまった。
「あ、ああ……つらい話をさせてしまったな」
トーリィとしてはわずかな情報もほしいが、触れられたくないことまで話をさせるのは心苦しい。その原因が自分の物だとすれば、なおさらだ。
たとえトーリィ自身のせいではないにしても。
「え? ぼく、つらいって思ってないけど」
「明るい話とはとても思えなかったぞ」
「それはそうなんだけど。ぼく自身が体験したことじゃないから、正直なところ、あんまり実感がわかないんだ。お母さんがいないのは、つらいって言うより淋しいって感じだし」
ツキの表情を見ている限り、無理をしている様子もない。とことん前向き、ということだろうか。
「ツキはずっとこんな調子なの。みんながいてくれるからいい、みたいなね。話を風の実に戻しましょ。トーリィ、ツキのいた村にあった宝石って、やっぱり風の実かしら」
重くなりそうな空気を飛ばし、フウがトーリィに改めて尋ねた。
「そう、だな。イラギって男がおかしくなったのが本当にその宝石を手にしてからだとすれば、可能性はかなり高い。ただ……いつまでもその村にあるかは怪しいな」
「話から推測するに、ツキが生まれる少し前くらいだね。だとすれば、十五年前か。その後、彼の家族がどうしたかだね。呪いだと思ったのなら、すでに転売するなりで手放しているだろう。そこから追って行くしかないか」
「そういう状況は、今までもよくあった。ただ、追ううちに手掛かりが途切れるってこともよくあったし」
トーリィにとっては、これまで得た情報とよく似た話の一つ、といったところだ。
「ぼくもできる所まで手伝うよ」
空振りでも一応の確認はしておくか、と考えていたトーリィに、ツキが言い出した。
「え? どうしてお前が……」
その宝石が絶対に風の実だと決まった訳ではない。ツキがその「宝石」に直接関わったのでもない。
言ってみれば、トーリィはツキにとって通りすがりの竜だ。手伝わなければならないいわれもないのにそんなことを言い出され、トーリィの方が戸惑っている。
仲間は多少なりとも協力してくれているが、他の種族でこんなことを言い出した者は今までいなかった。
「気になるだろ。竜にとってそんな大切な物が、ぼくのいた村にあったんだろうかって」
「だから、お前は直接関わってないだろうが。生まれて間もない赤ん坊だろ」
「それはそうなんだけどね。その宝石が村になかったら、ぼくは今頃ここにいないよ。ほんのちょっぴりでも関係ある……気がするんだけど。ちょっとこじつけかな」
村にあった宝石が風の実かはともかく、イラギが死ななければフールはイナサの村でツキを育てていただろう。ツキもフウ達と出会うことはなく、ハナちゃん達とも出会わなかった。
いわば、運命を変えた物だ。
「ツキがその村に行くって……危なくないの? 何の罪もない子どもを殺そうとした人がいるのよ」
「そういう人に会っても自分を守れるように、ネマジは魔法を教えてくれたんだ。大丈夫だよ。それに、ぼくは死んだと思われてるはずなんだし、会ってもその子だってわからないんじゃないかなぁ。それに、今更村へ戻って来るなんて誰も思わないよ」
「ハナちゃんがツキのこと、まもってあげる!」
それまでおとなしく話を聞いていたハナちゃんが、いきなり手を上げた。
それはつまり……同行する、という意思表示だ。
「え……ダメだよ。ハナちゃんはここから出られないだろ」
ここから出てはいけない、と言われたから、ツキとフウが来ているのに。
「ツキとここから出て、ツキとここへかえる。それなら迷子にならないもーん」
「つまり、ツキに終始同行しろってことね」
「人間って、花竜に懐かれる性質でもあるのか?」
ハナちゃんがツキにべったりなのを見て、トーリィが不思議そうに尋ねた。
他の竜でここまで人間に懐いているのを見たことがないのだろう。父親であるジャスだって知らない。子どもは何にでも興味を持つが、娘がここまで人間に興味を抱くとは思いもしなかった。
「ツキはハナにとって特別らしいよ。まったく……言い出したら聞かないからね、うちの末姫は」
ジャスは小さくため息をつく。
ここで頭ごなしに言っても、また周りの目を盗んでこっそり出て行くくらいのことはするだろう。結界の力を強めれば、ハナちゃんでも出るのは難しくなるが……それをしたら次は何をやらかすやら。
「そういうことだから……ツキ、よろしく頼むよ」
「あの、本当にいいんですか」
「抜け出されて本当の迷子になられるよりいいよ。ツキから離れてどこかへふらふらとひとりで行く、ということはないだろうからね。きみと一緒にいてくれた方が、私達もずっと安心できるというものだよ」
「だけど、何かあったら」
行き先はモザの村ではなく、ローバーの山からさらに離れたイナサの村。ちょっとお散歩、という距離ではない。
「子どもとは言え、この子も竜だからね。魔法使いではない人間に危険な目に遭わされる、ということは考えにくいよ。騙されて連れて行かれることはありそうだが……ツキがそばにいれば、その心配もなさそうだ」
ジャスの圧倒的な信頼感……と言うより、娘のツキに対する執着心をうまく利用している、と言う方が近いだろう。
それに、ハナちゃんと最初に会った日に彼女が見せた力は、確かに普通の人間にはどうこうできない。見習いとは言え、魔法使いのツキだって、全く動けなくなったのだから。
ジャスの言うとおり、子どもでも竜はあなどれないのだ。
「ハナちゃんは騙されなくても、ツキの方があっさり騙されそうな気がするわ」
フウは父に連れられ、何度か街へ行ったことがある。だが、ツキはモザの村を一度も出たことがない。何かあっても対処できるか心配だ……ということで、フウも同行することになった。
「結界に黙って入ったのは悪かったけど、俺はあんたの娘まで巻き込むつもりは……」
口を挟む隙もなく、勝手に話が進んでゆく。
これは自分の問題だったはずなのに、トーリィにはその問題が違う方へ向き始めたような気がした。
「自分の意志で巻き込まれたのは、ツキだよ。うちの娘は彼にくっついているだけだからね。フウもきみのためと言うより、ツキが心配なだけだから気にしなくていい。たまには誰かと一緒にいるのも、気分が変わっていいんじゃないかな?」
「はあ……」
今までにない状況に、風竜はただ戸惑うばかりだった。