名前
ある一人の少女がいた。
いつもの場所に行く道すがら、ひっそりと花咲くタンポポを見つけた。
タンポポを見下ろす彼女の小さな背中に
暮れなずむ日の光が当たり、彼女の大きな影を落とした。
驚いたタンポポは、その場からいつの間にか消えていた。
鳥居が高くそびえ立つ前の石段を登る少女の目に映ったのは、
空にかかるおぼろげな月だった。
吹けば煙のように消えてしまうような月だった。
いつものように水を汲んで墓石の前に座った。
家の仏壇から黙って持ってきた線香とライターを手にして。
土埃で汚れた墓を水で流した後、タンポポを添えて水をやった。
あの頃、祖母がやっていたように見よう見まねで
線香に火をつけ、小さい手で燃える火を打ち消した。
少女は、線香から立ちのぼる煙を鼻先で嗅いだ。
そしていつものように手を合わせて目を閉じて祈った。
昨日と同じことを・・・ とても大事なことを。
目を開いた時には、少女の目から一縷の涙が流れていた。
薄紅色だった空はもう夜空に変わり、月は白々しかった。
境内の竹林が騒ぎ、三羽の鳥が月の下を飛び去った。
そして、墓石の前にはもう誰もいなかった。
寝静まった夜、月明かりが照らしていたのは、
墓石に刻まれた少女の名前だけだった。