表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
FLATYANHER ~2万年の狂気~  作者: 氷上砂刻
1/9

恋する乙女ナタリーと美男子ロレン

 日差しが差し込んでくる大理石の柱が並ぶ道を、ナタリー・ヒューレンは、肩まで伸びた豊かな赤毛を揺らし、脇目もふらず急いでいた。

 ナタリーは、背筋をぴんと伸ばし涼しげな表情を浮かべていたが、内心はそれとは裏腹に焦りまくっていた。遅刻しそうだからではない。遅刻はしないだろうが、それだけでは駄目だからだ。余裕を持って到着し、ぞろぞろとやってくる後の連中に、

「おはよう」

 と、上品で澄ました挨拶をしてやらなくてはならないのだ。挨拶された男どもは、目を丸くして、

「いやぁ、さすが、ナタリーは俺達みたいなガキとは違うな。大人だなぁ」

 と、頭を掻くのだ(きっと)。

 そう、私は大人。知的で美しい、大人の女。に、なりたい女。だから、焦りを表面に出して、誰が見ても「急いでます」というのはまずい。カッコ悪い。走るなんて、もっての外だ。上品な女性は決して走らない(はずだ)。

 そういうわけでナタリーは、急ぐのも必死ならば表情を作るのにも必死。その姿は、ゴール前十メートルを競り合う競歩の選手のようだった。

 早朝だからまだそれほど熱くはないにもかかわらず、競歩のおかげで、ナタリーの体温はたちまち上昇した。

「熱くない。熱くない」

 ナタリーは、口の中でもごもごと繰り返した。

 熱いのを熱いと言うのは子供だ。大人の女は何時でも冷静で、余裕でなくてはいけない。冷静でなくて余裕の無いのは子供なんだから。

 眉間に皺を寄せてもいけない。美しい大人の女は、眉間に皺など作らない。

 もたもた歩くのも駄目だ。美しくて知的で大人の女は、颯爽と歩かなくちゃいけないから。

 と、もごもごと呟きながら、ナタリーは、緊迫した表情で、眉間をぴくぴくさせながら、バサバサと裾をはためかせて早足で歩いた。

 ナタリーが不本意な早足を披露するハメになったのは緊急召集が掛かったためである。緊急の招集は宮廷魔導士団を構成する四つの組の一つ、星組にかかっていた。ナタリーはその星組の一員であり、唯一の女性であった。もう六年も前に宮廷魔導士となり、星組に編入され、以来数々の魔導研究に携わっている。

 宮廷魔導士は、通常「学士」と呼ばれている。学士は王様に「お抱え」られて、魔導技術や魔導器について研究する卓抜した者達である。その地位と名誉と発言力は、時に貴族をも凌ぐこともあるけれども、基本的には表に出ない裏方である。

 学士となるための門は非常に狭く、突破するのは容易なことではない。毎年、自信のある者が千人単位で押し寄せるのだが、倍率は最低でも四桁を超えるし、合格者ゼロの年もある。真に優秀な者以外は、必要とされないのだ。それを、ナタリーは若干十七歳でクリアした。それまでの最年少合格二二歳と四ヶ月を大幅に縮めた、大記録であった。若くして宮廷魔導士になったナタリーは五十年に一人の才媛と騒がれた。優秀な人材を求めてやまない国家中枢からは喝采を浴び、初の宮廷魔道士団総長誕生かと騒がれた。嫉妬や妬みも盛大に買いこんだが、ナタリーの才能を見込んだ上層部に手厚く守られたおかげで火傷からも免れていた。

 それから六年が経ったのだが、しかし、本来ならば地位と実力の自信に満ちあふれていても良いはずなのに、ナタリーにはそれが無かった。深刻なコンプレックスと問題を抱えていたからである。何かといえば、子供っぽい容姿と、子供っぽいな、と見る周囲の目と、それに準じた扱いであった。知識と頭脳には自信がある。実績もある。ついでに言うと容姿だって端麗なほうだ(と思う)。けれど、子供扱いされている感が拭えない。というか、うんざりするぐらい濃密に漂っている。

「子供扱いしないで」

 それが口癖になりかけて腹が立ち、自分に自信がある分、見た目のせいで正当に評価して「見てもらえない」ことに落ち込んだ。悩んだ末に、ナタリーは開き直らなかった。見た目のせいならば、見た目によってボチボチなんとかしていくしかない。まずはカタチから。つまり、背を伸ばし、毅然と、てきぱきと、知的で、冷静で、上品に。

 しかし、今はそれが少々こたえる。魔術士ならぬ魔導士の常で、ナタリーは体力がない。色の白い小さな額には汗が光っていた。早足で歩くというのは疲れるものである。それでも疲労を露にするのはカッコよくないから、あがった息の音を消すように慎重に呼吸していた。その様は、緊迫した表情で眉間をぴくぴくさせながらバサバサと裾をはためかせて早足で歩くという、およそ優雅の対極の姿を晒しているとは夢にも思わないナタリーであった・・・・・・

 ようやく長い「柱の道」を制覇し石造の建物の中にはいろうとしたとき、ナタリーはポンと肩を叩かれた。密かに家で練習した通り、瞬時に笑顔を造り赤毛を揺らして首をカッコよく捩じった。

「おはよう。相変わらずしんどそうだな」

 なんだってこうも、人の努力をないがしろにするようなことを言うのだろう。

 一言でナタリーを不機嫌にした声の主は、同じ二十三歳で同じ星組の学士ロレンだった。ナタリーの不機嫌はロレンのにこやかな顔を見た途端にたちまち霧散していた。ナタリーにとってロレンは大事な友達であり、近頃では友達以上になりつつある異性でもあった。 

 ロレンはナタリーより三年遅れて二十歳で学士になった天才である。ナタリーが最年少合格者記録を塗り替えた後であったが、世間的にはナタリー登場時よりも圧倒的に騒がれた。「弱冠二十歳の天才美男子」と王都高級新聞が食いついた。というよりは女性新聞記者が猛烈に喰らいついた。誰もが思わず見惚れるほどの眉目秀麗な顔に優しげな微笑を湛え、スラリとした美しい体躯は例えようのない気品を醸すその美貌に、知と希望を司る神メイフェスの名前を用いて「若きメイフェスの降誕」と題した号外が出され、婦女子を中心に飛ぶように売れ重版に重版を重ねた。合格者お披露目の祝賀行事では、普段は取引のある商人や魔導方面に興味ある名士少数しか寄らない七〇坪程度の少広場に婦女子の群れが押し寄せ、雪崩を起こして怪我人が出るという異例の事態となったほどである。

 そんなロレンの外見を、ナタリーは全く評価しなかった

「あなたの外見はそんなに良いとは思えないのだけど…、あなたの才能は私より優れていると思うわ」

 とは、ナタリーが初対面のロレンに対して真剣な目をして言い放った言葉である。

 ナタリーは男性の外見に意味を感じられない一種の感覚異常であり、それゆえに為人に惚れる性格だった。怪我や病気で歪んだ相貌のものにも全く臆しないし、ファンが居るほどの貴族の美男子が言い寄ってきても一顧だにせず「中身が下らない」と袖にし、太った中年男性にベタぼれの恋をしたこともある。そんなナタリーにとってロレンはとても魅力的な人物だった。ロレンは大変な才能の持ち主である。それにもまして思いやりがあり気さくで腰が低く、子供に優しく老人を労り、誰もに好かれていると言っても言い過ぎではない。

「おはよう、ロレン」

「なあ、肩肘はるなよ。自然体が一番だよ」

「ありがとう。でもね、突っ張ることも必要なのよ」

「そうだね」

 ロレンは優しく笑った。ロレンはいつもこうなのだ。虚勢を張るナタリーをやんわりと諫めてくれる。そのたびにナタリーは心の緊張をほぐされ、優しい笑顔を浮かべることができるのだ。ロレンはナタリーを子供扱いなど決してしない。ナタリーの才能と能力を高く評価してくれている人は沢山いるけど、子供扱いしない人はとても少ない。

 学士棟の中に入り、最初のT字路を右へ曲がる。歩調を遅め、ナタリーとロレンは肩を並べて歩いた。ナタリー達と同様に緊急招集の掛かった魔道士達がぞろぞろと歩いている。ロレンはまわりを行く人達と挨拶を交わしながら、ふいに首を傾げた。

「なんだか、いつもと違って緊迫したものがあるな」

「召集をかけた人物がいつもと違うからでしょう。召集命令書の署名がウラシムだったから」

「宮廷魔術士団総長直々の、と言うことか」

「私、ウラシムをまだ二回しか見たことないわ」

「僕だってそうだよ。偉いさんだからね」

 偉いさんのウラシムは魔術士団総長という地位のみならずこの国の法理術中枢院の頂点、つまりこの国の魔法関係者の頂点に立つ者である。ウラシムは一〇〇年に一度の天才だとか不世出の大魔法使いだとかいわれる実力者であり、近隣にも名を馳せ他種族にも認められた近世では稀有のものである。ナタリーはウラシムを大変尊敬していた。6年経ってもまだ喋ったこともないのだれども……

 第一講義室には既に星組十八名のうちの半分近くが集まっていた。講義室は合同授業でよく使用する教室で、正面側の壁面に伝輝表示式の大きなスクリーンがあり、5脚が繋がった木製の椅子が整然と並べられただけのシンプルな構造である。人数に対して講義室が大きいためどこかしら閑散とした感じがするが、普段は全席が埋まる。ナタリーとロレンはすでに着席している級友達に続いて、3列目に並んで腰掛けた。ロレンの隣に奇麗な黒髪を切り揃えた精悍な顔つきをしたルシトと、がっちりした体格をした四角顔のアンディが座った。ナタリーとロレンが手を挙げて挨拶すると、ルシトとアンディも手を挙げて返した。

「あれは誰?」

 スクリーンの袖のところに見慣れない男性を見つけたナタリーは、ロレンに小声で聞いた。鮮やかな銀色をした宮廷魔術士の制服を着た短髪の見知らぬ男が、星組の組長であるイースとなにやら話をしている。壮年のイースと同年代のようにみえるが、直立した姿勢から窺える雰囲気は長年鍛えられた軍人のようである。

「知らないな。僕は術士とはあまり交流がないからね」

 「学士」に対して「術士」と呼ばれる宮廷魔術士は、神精魔術の研究や習得に取り組む人達で、簡単に言えば、魔法使いの中でも実力や才能を人並み以上に持っている人達である。

 魔術士として大成するには生まれながらの素質が必要なのだが、残念なことに頭の良さとは逆で、それがナタリーにはなかった。故に半分は仕方なく魔導士の道を選んだ。といっても、別に魔導士は魔術士の風下に立つわけではない。ナタリーの「仕方なく」は彼女の願望という視点から見た場合の話である。

 大半の魔術士は、神聖魔術を操り魔導器を使うことはできても魔導器を作ることは非常に難しい。魔導は魔術士が片手間に扱えるほど簡単なシロモノではない。実のところ、魔導と魔術とどちらがよく必要とされるかといえば、間違いなく魔導である。ウラシムの言葉を借りるならば「文明の八割は魔導によって支えられている」のである。魔導士は神精魔術、つまり法理術の理論をもとに魔導器を造り出す。学問的にまったく別のことだし必要な技術も異なっている。お互いがお互いを頼るもちつもたれつの関係こそが、両者の実態なのである。

 星組の全てが集まり終えると入り口の扉が閉められた。それを合図に講義室は沈黙に包まれ、静粛な空気に包まれた。

 スクリーンの前に立ったイースが手をあげた。

「諸君、静粛に。まもなく術士長のウラシム殿が来られる。今回の招集の目的等を説明してもらえるだろう。それまで静かに待つように」

 イースが言い終えるより前に講義室後方の入口が開く音がした。星組は一斉に振り向き、ナタリーもつられて振り返った。入ってきたのは二人組だった。先頭は白髪の年寄りで、その後ろはびっくりするぐらいの美女だった。

 年寄りは軍隊の司令官のように厳めしい面構えを微動だにさせず、外見にそぐわぬ機敏な動きで大股で歩き、ナタリーのそばを通って前に出た。前方の壁に張られたスクリーンの前で停止すると、これまた軍人ばりの鋭さで身を翻し、こちらを向いた。

「おはよう諸君。ウラシムだ」

 滑舌よく力強い声だった。ナタリーはこんなに近くでウラシムの肉声を聞くは初めてだった。どこか夢の様な感じがする。

「今回集まってもらったのは他でもない。国王陛下の御命令に従い、諸君らに行動してもらうことになった。あらかじめ言っておくが、この任務は他の何よりも優先される重大なものであり、同時に極秘に属する。我ら法理術中枢院の威信がかかっているものと心得よ」

 ウラシムは厳格な表情で声を張りあげた。

 星組に緊張が走った。ナタリーの夢見心地はあっという間に霧散し、口をぎゅと結んだ。

「では、詳細を説明する。アンナ君」

「はい」

 鈴の鳴るような声で返事をした美女が、ウラシムと場所を交代した。離れたところでほうっという溜め息が聞こえた。無理もない。艶のあるショートの黒髪を丸くまとめ、白皙の肌が煙るように輝く、知力と成熟と自信をともなったこの上ない美貌の持ち主だった。

 とてもかなわない。

 ナタリーは半ば見惚れてしまった。子供じみた自分とは雲泥の差。魔術士団制服のだぶだぶの服を着ていてもわかるスタイルの良さ。何よりあの溢れるばかりの女らしさはどうだろう!

 ナタリーはとっさに顔を伏せた。アンナの艶やかな頭が、何かに気がついたように動いたからだ。目が合うかもしれない。恥ずかしくて恐かった。でも、このまま顔を伏せたままというのもなんだか嫌だ。ナタリーはそろそろと顔をあげた。その途端、ナタリーの顔は熱くなった。アンナとバッチリと目が合ってしまった。アンナの細長い潤んだように輝く目がこちらを見ていた。

 何だって私を見るのよ!

 次の瞬間頭の中に、差出人は不明だけれども速達で答えが送られてきた。ナタリーは星組の紅一点、目立つのは当たり前だった。

 ナタリーは頭の中が真っ白になった。同じ女の自分が女性に見られて程度で何故ここまで取り乱す必要があるのか、考えると馬鹿らしかったがナタリーの顔は硬直した。

 アンナがにっこりと微笑んだ。挨拶代りのようなものだろう。顔を伏せるわけにはいかなかった。何が相手でも真向勝負がナタリーの信条だ。その毅然とした勇敢さこそ、美しくて知的で大人の女というものなのだ。そうでないのは子供だ!

 ナタリーは油の切れた歯車のようにぎこちない笑顔を、渾身の力を込めて作って返した。だが、その時すでに、アンナは別のところに顔を向けていた。

「初めまして、アンナ・フランターです。状況の説明を担当させていただきます」

 ナタリーはふうっと溜め息をついた。なんだか自分が馬鹿みたいで嫌気がさす思いだった。

 ふとナタリーは、気になって隣をそっと見た。ロレンがアンナに見惚れているのではと思ったのだ。勝てないのはわかっているけれど、悔しい。そんな不安が目にこもった。

 しかし、ナタリーの予想は裏切られ、ロレンは顎に手を当てて普通の表情をしていた。向こうの、目尻の緩みきったルシトとはエライ違いだった。ナタリーの胸にじんわりしたうれしさが広がった。勝った気がした。

「うふふ」

 ナタリーは、正面を向いたまま含み笑いをした。気がついたロレンがナタリーに顔を向けた。右眉をあげて怪訝な表情をしていた。

「どうしたのナタリー。ちゃんと聞いとかないと駄目だよ」

「そうねぇ、うふふ」

 ロレンは、クイッと小首を傾げて前に向き直った。

「先日、南西に二〇〇キア(荷馬車で約二日)にある、フラットヤンハーと呼ばれる遺跡で、極めて巨大な魔力震が発生しました」

 遺跡の名前を聞いて、ナタリーの顔つきが真面目なものに戻った。遺跡の名前は過去に聞いたことがあり、名前の変わった響きが印象的で覚えていた。

「魔力震のスケールは9」

 その瞬間、星組全員がどよめいた。魔力心は魔法的な力が発生した際に生じる波である。スケールはその強さを示しているが、スケール9は天変地異と良いか帰られるほどの大きさである。ちなみに、人間が起こせる魔力震は、せいぜい2から3である。

「フラットヤンハーはこれまで死んだ遺跡と思われてきました。確認できる記録上、少なくとも過去五〇〇年間は一度も動きを見せていません。しかし、三度の確認により震源がフラットヤンハーであることは間違いありません。魔力震は全部で二回ありました。一回目は一週間前に発生し、放射魔力は微弱でスケール1でした。しかし、それから三日後に発生した二回目の魔力震は、スケール9というとうてい無視できないほどの大きな魔力を放射しており、事態を重く見た国王陛下は、これを調査し明らかにせよとの御命令をくだされました」

 アンナは手を挙げた。背後のスクリーンが光を帯び地図や図面が写し出された。

 フラットヤンハーは高さは四〇メフ(メートル)、直径一二〇メフの大きな円柱状の建造物で、世間的にも広く知られた存在である。いわゆる「探検され尽くした遺跡」の一つだ。バルクス平原の南東にあり、シズ砦から街道を通ってトルメトンへと向かうルートの近くに位置している。建材は不明で、古代の魔導技術によって製造された石のような金属のような、現在の魔導知識では解析できない物質で造られている。この物質は恐ろしく頑丈で、少なくとも力自慢の大男がツルハシでぶっ叩いても全く傷がつかず、逆に手首を骨折したほどである。何時から建っているかは全く不明で、古代よりさらに昔の古古代以前の建造物ではないかとも言われているが、実際のところ定かではない

 南側に高さ一〇メフ、幅五メフのきちんとした入口があり、入口近くの外壁に古古代文明であるアヴァルア文字で「フラットヤンハー」と彫り込まれた黒曜石の石版が埋め込まれているため、フラットヤンハーと呼ばれるようになった。

 地上は十階。地下のほうが大きく、十二階まである。そこそこ入り組んだ構造だが、城や研究棟に比べれば単純である。特徴といえば、埋まった空間が多いことぐらいであった。つまり、建物内部を目一杯に使っているわけではない、ということである。なので、余った部分に隠し部屋や隠された魔導機構があるのではないかと推察され、何度もの様々な調査が行なわれたが、結局何も見つからなかった。フラットヤンハーは空っぽの遺跡であり、とうの昔に捨てられた廃棄施設であると結論付けられている。

 だが、その何もないはずの遺跡で、今度の魔力震が発生した。明らかに異常である。魔力震が発生したことと塔との関係を考えれば、未だ知られざる何かの設備が設置されているのではないか、と考えるのは当然である。

 ナタリーの血が熱くなった。その設備を発見できれば、まして万が一にも設備が稼動していたならば、大変な収穫となる。古代魔導技術の解明が一歩前進するのだから。いや、もしかしたら二歩、ひょっとしたら三歩ぐらい進むかも知れない。

「調査は再度、隠された部屋ないし空間の発見を第一目的とします。塔自体に危険はないものと推測されますが、道中の安全を期すために十名の護衛が付くことになります。調査隊はこれに加えて星組全員、案内人一名、生活班担当十名、移動用の馬車八台、装備品運搬用の荷馬車三台、それらの御者十一名で編成されます。出発は明朝五時。時間厳守です。遅れた者は学士を辞するものと見なします。星組には守秘義務が課せられます。守秘義務を破った者は大逆罪ととして裁かれますので、十分注意してください。本日只今を持って、現在進行中の研究は無期限に中止するものとします」

 説明を終えて、アンナはスクリーンの脇にさがった。入れ代わるようにウラシムが立つ。シメの言葉だ。

「諸君、これは重大な任務であるとともに、大きなチャンスでもある!」

 ウラシムは仁王立ちだった。

「古代の魔導技術を追う上で、、もし何らかの成果が得られたならば、この国の発展にこの上なき追い風を吹かすことになるのは間違いない。総てを賭して励んでもらいたい。遺跡の調査はどのような場合も常に想定を超える危険と隣り合わせである。よって、細心の注意と全力を持って臨んでもらいたい。諸君らは先発隊である。わずかな手応えでもあれば、中枢院の総力を結集して調査を開始することになるだろう。ハッキリと明言しておく。その時には諸君ら星組が調査の中心となり先端となるのだ!」

 どっと歓声が沸いた。

「時は来たのだ。諸君ら魔導士の本領を遺憾なく発揮してもらいたい。以上だ!」

 ナタリーの体温も上がっていた。心臓が少し興奮している。

「いやいや、やっぱりオオゴトだったね」

 ロレンが退室するウラシムとアンナを見送りながら、誰にとはなしにつぶやいた。

「きたぜ、チャンスだ!」

 ルシトが顔を上気させて叫んだ。

「遺跡に何かがあれば間違いなく魔導研究の最前線になる。最前線の、その先頭に立つのが俺達なんだぜ。まだ知られていない何かを、俺達が見つけるんだ」

 俺達ではなく、俺と言いたそうである。

「やろうぜ、ロレン!」

「そうだな」

「ナタリーも気張ってくれよな!」

「はいはい」

「頼むぜ、メイフェスの寵児さんよ!」

 ニッカリと笑ったルシトは勢い良く立ち上がると身を翻した。

「なんだか助手にされちゃったような気分だわ」

 ナタリーは口を尖らせた。ロレンは笑いをこらえきれず、口元をほころばせた。

「腐るなよ。どうせ君の力が必要になるんだから。それより、今日はもう何もしなくていいらしいから、どうかな、一緒に食事でもしないか。話もしたいし」

「うん!」

 ナタリーは、立ち上がるロレンににっこり笑ってから腰を上げた。

 ナタリーはロレンと並び、鞄を振りながら馬車の停留所まで歩いていった。ロレンは何か考え事をしているふうだった。思想に耽ってあまり口を開きたくない様子だったので、ナタリーも一言二言喋っただけで黙って歩いた。別にかまわなかった。食事を済ませた後、いっぱい喋ればいいのだから。

 研究棟は城下町の西の端にあり、繁華街まではかなり距離がある。歩きではきついので誰もが馬車を使う。何故こんな外れに中枢院があるのかといえば、施設全体の巨大さもあるのだが、なにより機密の保護のためと万が一の魔法災害を考えてのことである。

 うまい具合に馬車がいたので、ナタリーとロレンは馬車に乗り込んで町へと向かった。馬車に揺られて町中に入り、そのままよく行くレストランの前まで送ってもらう。馬車から降りたナタリーは、料金にチップを足して、御者のおじさんに手渡した。

「ありがとうよ、お嬢ちゃん」

 ナタリーのこめかみがぴくっとひきつった。「お嬢ちゃん」に反応したのだ。それを見て取ったロレンは、すかさず口を開いた。

「あの人から見れば、君は間違いなくお嬢ちゃんで、僕はぼうずだよ」

「そ、そうよね。やだなぁ、私は何もそんなことまで気にしてないわよ」

「それはそれは、いらぬ心配でしたな」

 そういって、ロレンは店の扉を開き、空いている手を伸ばしてナタリーを招いた。

「ありがとう」

 ナタリーはロレンの手を取ると、、ピンと背筋を伸ばして入り口をくぐった。

 「アウスト」という店は上品な感じで、ナタリーが一番気に入っているレストランである。メニューも豊富で味も良く、特に羊の料理は絶品であった。ここはカフェにもなるし、バーにもなる。一軒で三役をこなすので、お客のほうもバリエーション豊かだった。

 二人は空いている席に座り、半袖のワンピースにエプロンを巻いたウェイトレスに注文した。ナタリーは、パンとソーセージとポテトサラダを頼んだ。ロレンも同じメニューを頼み、食後にお茶を付け加えた。  たわいの無い会話をしながら食事を済ますと、空いた食器をさげるのに合わせてお茶が運ばれてきた。上等のお茶ではないが、香りは良かった。

 ナタリーは一口すすり、あまりの熱さに顔をしかめた。これは少し冷めるまで待たないと、とても飲めない。ちょっと残念そうな表情で、カップを皿に戻す。

 カップを置いて顔を上げると、ロレンがカップを手にとったまま、神妙な顔で中身のお茶を見つめていた。さっきまでの雰囲気とはガラリと変わり、どこか緊張感があった。

「どうしたの?何かゴミでも浮いてる?」

 ロレンは苦笑してカップを置いた。

「そうじゃないよ」

「どうしたのよ」

「なんというか、どうも気になって」

「なにが?」

「あれの調査だよ」

「ロレン、それはここで口にするような事じゃないわ」

「注意深く話せば大丈夫だよ。それに、誰も僕達の会話なんて聞いてないさ」

 ロレンは少し苛立たしそうだった。ロレンらしくない様子に、ナタリーの気分は少し萎んできた。

「何が気になるの?」

 ロレンの顔は、神妙というより真剣なものになっていた。

「甘いんじゃないかな、と思ってさ。見通しがね、甘すぎる気がするんだ。遺跡に危険はないなんて、何故分かるんだい。魔力震が起こったということは、何かが起こったということだろう?」

「そうねぇ」

「遺跡が目を覚ましたのかも知れないじゃないか。あれは、何だか、ただの遺跡じゃないような気がするんだ。言ってただろう、無視できないほどの魔力だって。古代に廃棄された遺跡が、まだそんな力を残してると考えられるかい? もっと重要な物だったんじゃないかな」

「何かがあるかも知れない。例えば、遺跡を守る仕掛けとか。だから心配なの?」

「不安なんだよ。あれは、僕らが思っているような、おとなしいものじゃない気がする。なのに、調査の計画は、安易で不用意だ」

「お茶、飲んで」

 ナタリーが勧めると、ロレンは黙って従った。

「でも、中止にはならないわ。行くしかないでしょ。今回の調査には大きな意義があるわ。危険はつきものよ。私は、それでも行く価値があると思っているから」

「それは僕も認めるよ。でも、せめて護衛を倍にして、術士を二十名ほど加えてもらえたらなぁ」

「危なくなったら、逃げちゃえばいいのよ。ぴゅーっとね」

 ロレンは苦笑して、今度はカップを取った。

「ぴゅーっとかい」

「ええ」

「わかった。その時は僕が手を引くよ。絶対に怪我させないよ」

 ロレンはそういって、いつもの穏やかな笑顔を浮かべた。澄んだ瞳がナタリーを見つめていた。

 ナタリーの顔は、にわかに熱くなった。ロレンの瞳に自分が映っていると意識すると、熱さは温度を急激に上げていった。恥ずかしくなったが、目を離すことができなかった。吸い付けられたように、ナタリーの目は、ロレンの左右の瞳を交互に見つめていた。

 ナタリーの異変に気が付いたロレンは、照れたように微笑みを崩し、カップを置くと、頬杖を突いて微笑みを浮かべた。

 しばらくの間、ナタリーとロレンは、絵のように静止したまま、無言でお互いを見つめあっていた。それから、どちらからともなくぽつぽつと口を開き、いつしか笑いあいながらお喋りをしていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ