第一章第四節
第四節 運命が変わった日
目が覚める。が、目は閉じたままだ。ぐ~っと、背を伸ばし、二度寝したい気分をなくす。でも、やっぱり寝たい。だから寝る。気持ちよく布団で……。あれ?布団は?あ、そっか。何だかえらく寒い……蹴っ飛ばしたんだな。どこにあるんだ?足を無造作にかつ眠気が覚めないように動かす。足に何か生暖かいものを感じる。やけに柔らかい。何か分からないけど、気持ち良いな。足で触るだけで気持ち良さを得られるものってそうはないはずなんだが……と、目を開け、足元を見る。そこには……
「セーちゃん。おはよう」
「…………………………」
………………ぐはぁぁぁっ!やべぇっ!いや、何がやべぇって、気付かずの内とはいえ、男にはない女のふくよかな神秘を、足で何度ももみもみ動かしてたのがやべぇっ!いや、実は今も自分の意思とは無関係に脊髄反射的に今ももみもみしてる!や、やめなさい!俺の足!
ピタ
そ、そう!やればできるじゃないか!これで許してもらえるはずだ!!
「セーちゃん……」
ひぃ!!……やっぱ駄目か……!!やっぱり会って間もない俺に乳を足で揉まれたとなると、やはり犯罪として扱われるのかな⁈まずい‼︎姉貴今いねぇし、身元引受人を誰にするか…‼︎
「目覚めいいんだねぇ~……」
ぼーっとしているディミは先程の正優の行為を咎めるつもりもなく、ただぼーっとしていた。
「え?あ、あぁ。俺は結構寝起きいいから」
「そっか。ふわぁぁぁぁ~…」
周りを見てみる。
「な……何じゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
正優とディミを囲む世界は、明らかに正優の居た家とは別世界だった。生い茂る木々が並び立ち、空は透き通るように青かった。遠くの空に見える大きな壁があった。その壁の向こう側から長い煙が沢山立ち昇っていた。映画やアニメなんかでもくもくと出てくる、狼煙のようにも見えた。そして自分の周りの雑草は霜がおりていた。外気温はそんなに低くないのだが…。
「セーちゃん。あんまり大きな声出さない方がいいよ。さっき言った生物兵器が出てくるかも……」
「ちょ、ちょちょちょっと待て!!俺は未来に来るなんて心構えはできなかったんだぞ?!」
「え、だって、行くって言ったよ?」
「行く?とは言ったが、その後まだ心の準備も何もと言った」
「………」
「………」
「とにかく、早く行こ」
「ちょ、まだ学校に何も言ってないし、うちのじいさんや姉貴に連絡しないと……」
「それは多分大丈夫だよ。私の移動能力の……しっ!」
ディミが正優の頭を抑える。ディミの顔に真剣さが灯り、正優もただ事ではないと悟った。ディミの視線の方へ眼をやると、そこには二人の男性が居た。少し距離が遠くて話し声や顔は見えないが、なにやら怒鳴っているようだ。
「セーちゃん。ここに隠れてて……」
「え……?」
もしかして、さっき話してたSANの連中なのか……?ディミが彼ら二人に近付いていくと、男二人はディミの顔を見た途端、握手をしてきた。何やら話しをしているようだった。……?何だ?俺の体が宙に浮いてるぞ?と、正優が後ろを見上げてみると、そこには……
「小僧!!!!こんな所で何してる!!!!」
「う、うわぁぁ!」
正優の背後に居たのは、熊のような出で立ちの大男だった。正優は体がふわふわと空中を浮いており、漫画か何かであるような画がそこにあった。
「あ、あのぉ……何で俺浮いてるんですか?」
「自分の能力を好きに暴く馬鹿はいないだろう。それより質問に答えろ小僧!こんな所で何をしている!!!!!!!!」
耳の近くで大声を出された正優の頭がくらくらした。と、ディミがこちらの方に気付いたようだ。
「ディ、ディミ~!何とかしてくれ~!!」
「ディミ…?まさか、ディミ様の事か……?」
と、大男が目の前に居る少女に気付いたようだ。大男は汗をだらだら流し始める。
「ディ、ディミ様?!もうお帰りになったんですか?!そしてもしかしてこのこぞ……いや、ぼっちゃまは……」
「うん。VIP中のVIPだよ。だから早く離してあげて」
「かははははははははははは……はいっ!!」
ドサッ!
「いてっ!」
「あぁぁぁぁぁ、申し訳ありません!!お怪我はぁぁぁぁ!!」
と、大男は正優の体の至る所を触りまくる。
「って、ちょ、どこ触ってるんすか?!や、やめてくれ!」
大男は泣きそうな顔をしてディミの顔を見上げた。
「大丈夫。どうこうしたりなんかしないから、見回りに戻って頂戴。あと、能力の発動に時間がかかってるから、あと一秒は早くできるように訓練しなさい。高波さん」
「了解でありますっ!」
ディミはニコッ。と、高波に笑いかける。…日本人なのかよ……あ、そういや日本語……と、余計な突っ込みを心の中で入れた。ディミは正優の手を掴むと、先程話していた二人の方へ連れて行った。
「おぉぅ……」
今度はものの見事にブロンドの髪で青い瞳の男と、日本人だなぁ~……という醤油顔の男二人が並んでいた。
「テッド。圭吾さん。こちら、皆川正優さん。ここのVIPだから、丁重なおもてなしをお願い~」
「「了解しました」」
声をはもらせる二人。
「「お通しいたしますか?」」
「お願~い。後で弁当届けるからねん」
「「ありがとうございます」」
どこまでもはもってる彼らだが、次の瞬間ブロンドの髪の男、正優がテッドだと思っている男性が正優とディミの肩に手をのせた。
「あ、圭吾さん。ちょっと遠いけど、城までお願いね」
「分かりました」
と、ブロンドの男が答えた。
「……あれ?え?テッドってあっちなの?!うそ?!」
急に突っ込みと体が空中に消えた。正優とディミの居なくなった後、彼らは笑い合う。
「やっぱり名前が顔に一致しなかったみたいだね。テッド」
「ま、そうだろうな。しかし、姫ものりいいからな。客人相手でも茶目っ気を忘れないんだから、やっぱ大物だな。S級戦士ともなると………」
「あぁ……戦場での姫とは大違……」
「しっ!!」
「あぁ、すまん…。とにかく、立ち回り的にあの少年は戦力にはなりそうにないな……」
「あぁ。てっきり姫は兵のスカウトに行ってたと思ったんだがな…」
と、二人の兵士は『送った』二人の方へ顔を向ける。二人の顔には落胆の色が見えた。
ディミと正優はいつの間にか、大きな門の前に居た。正優には意味が全く分からなかったが、ディミは相変わらずの調子で正優に声をかける。
「さ、この中に入ろ」
と、指を指したのは大きな門だった。もしそれを手で開けようものなら二十メートル程の巨人が必要になる。機械で開ければいい話だ。
「じゃぁ、こっち」
と、正優の手を引き、そのドアの方へ走っていく。
「お、おい!ぶつかるっ!!」
スゥ……
「あ、あれ?」
「ふふふ。このドアはある能力者がいないと抜けられないドアなんだ。ま、私には関係無いんだけどねぇ~」
ドアの中には大きな空間が広がっていた。奥には大きなステンドグラスがあり、そのステンドグラスへ続く道には絨毯が敷き詰められ、大理石の柱が並木道を演出していた。背後の大きなドアの横に二階へと続く階段がある。大理石の柱がその二階の廊下を支えていた。マンガを見ていればそれなりに想像はつくであろうお城の印象だったが、実際その目で見ると、その想像の十倍は感嘆に浸れるだろう。見るもの全てを惹きつけるその構造や光の取り入れ方は、正優の家でさえ有名な大工が作ったものだが、適うべくもない。凄まじいとしか言えなかった。正優だからまだマシだったのかもしれない。普通の人なら最初この光景を見た時は分析などできずに、惚けた顔しかできなかったのかもしれない。そして何よりも想像と違っていたのは人が所狭しと動き回っている。城というと、荘厳な感じで、物静かなイメージだったのだが、今目の前にある空間には声という声。人という人が動き回っている。その風景に心を乱されながらも、何とか口を開いた。
「ま、また能力か……この時代に来たのもディミの能力らしいけど、とりあえず訳が分からない……」
「それはこれから説明……」
「姫様」
いつの間にか正優とディミの隣に立っていた巨躯の男が手に槍を携えて言葉を発した。
「あちゃー。うるさいのが来た」
「聞こえてますぞ」
「聞こえるように言ったのよ」
その男はディミに苦い表情を浮かべると、正優に振り向いた。
「これはこれは、過去からいらした方ですな。私の名前は白浜海と申します」
「あ、どうも……皆川正優です」
海は大きなマントと、紋が真ん中に入った鎧を着ている。マンガなんかで見る鎧と似ているのだが、普通の鎧ってこんなに金属感のしないものなのだろうか。と正優は思った。それはただ単に海の迫力に鎧が負けてしまっているという事だけである。顔だけ見ると普通のがたいの良いおじさんにしか見えない海だが、海は髪を立たせており、迫力が増してさながら猛る獅子のように思える。長い髪ではないのにそう思えたというのが不思議だった。手には槍を持っている。先が二股になっている不思議な形をしている。
「さて、早速国王に紹介したい所ですが少しご予定がございまして…」
「やっぱり進んでるのね。ちなみに私が飛んだ時から考えて何時間たった?」
「えぇ、次の日の四時半です」
「あちゃぁ~……今回は時間の流れが一緒だぁ~」
ディミが頭を抑える。
「どういう事だ?」
正優が尋ねると、ディミがバツ悪そうにはにかむ。
「あ、あはははは~。実は、前に時間移動した時に、そこの世界での時間の流れと、私の世界での時間の流れが違ったのよ。前に行ったときは深夜十二時きっかりに行って、ある物を持ってきて帰ってきたんだけど、その世界で過ごした時間は二十時間位。でも、こっちの世界に戻って来た時、飛んだ深夜十二時から一時間弱しか経っていなかったの」
「あ、じゃぁさっき言ってた多分大丈夫って……」
「うん。何回もそうだったから今回も大丈夫かなぁ~……と思ったら、今回は同じ時間の流れみたい…あははは~…あせあせ」
言葉ではあせあせ等と言っているが、見た目ではあまり焦っていない。むしろ正優をおちょくっているように見える。
「ふぅ……。それで俺はどうすりゃいいんだ?」
「ふむ。それは国王と共に話し合って頂きたい」
「お父様と?今仕事中?」
ディミの言葉に海が少し言葉がつまる。
「あ~、そのぉ~…なんといいますか……え~、いや、まぁ~……あの~」
少しどころじゃなかった。
「また麻雀やってるんでしょ。まぁ、それくらいの余裕がある方がありがたいんだけど」
ディミは正優の方へ向き直る。
「今はお父様が麻雀中だから、少し城の中を案内しようかな。どうしたい?」
正優は眉間にしわを寄せて先程のディミと海の言葉を反芻している。
「お父様……国王……お父様……国王……もしかしてさぁ、ディミって」
「ん。私、この国のお姫様」
ディミの言葉に感情はあまりなかったが、正優には充分な打撃が与えられた。
「ひ、ひめさ……もぐぐぐぐ……!!!!」
正優はディミに口を押さえられる。正優の右の位置にいるディミが正優の首に左腕で回しこんで口を押さえたものだから、正優とディミの密着度は過去最高のものとなった。それだけで正優は心拍音が跳ね上がった。当社比にして五倍程だった。ちなみに海は少し驚いたような嬉しそうな顔をしていたのは誰も知らない。
「セーちゃん。周りの皆を見てみて」
言われた通りにしてみる。いや、今は耳に入る言葉に従うしかないという思考能力しか持ち合わせてなかったのだが。
「皆忙しそうにしてるでしょ?彼等はこの国の為に一分一秒を惜しんで動いてるの。私が帰ってきたという事に気付かないくらい一生懸命動いてる。私は一応姫様だから、皆私に遠慮する。一瞬でも皆私に挨拶をしようとする。それはこの国のタメにならない事なんだ。だから今は彼等を働かせてあげたいんだ。言ってる事分かる?」
こく……。正優は首を縦に振った。真剣なディミの声や態度が肌を通して伝わってきた。
「ふぉふぇふぁふぁふぁっふぁ。ふぁふぁふぁふぁふふぇふぇふんふぁふぁ」
「せーちゃん。喋る時はちゃんと喋ってくれないと分からないよ?」
「姫。あ、いや、ディミ殿。正優殿の口を塞いだままです」
「あ、そりゃムリだ。ははははは~」
「ふぃーふぁふぁふぁっふぁふぉふぁふぁふぇ」(注:いーからさっさと離せ)
ディミが正優の体から離れると、少しディミの髪から良い香りがした。香水だろうか。
「えっと、さっき言ったのは、だから隠れてるんだなって言った」
彼らは階段の下にあるソファーの近くに立っていた。そこは階段の支柱が影になって、周りの人間から見えないような場所になっていた。階段の支柱は螺旋状の模様が何重にも折り重なって一つの芸術として成り立っていた。
「そうね。皆の集中力をとぎらせる訳にはいかないの。それに今は、多分警戒態勢だから……」
「警戒態勢……?どういう事だ…?」
「もうすぐ戦が始まるの」
「い、戦……?」
ディミの顔はかげる一方だった。このような時に正優を連れてきた事を気にしているようだった。正優には戦争などというテレビや映画の中でしかなかった出来事に、あまり現実感を感じていなかった。周りの皆の顔がそう思わせたのかもしれない。ディミや海には、何というか、生命の危機にさらされている感が薄かった。今そこに居る大勢の人々も、ただ仕事を一生懸命やっているという頑張っている感はあるが、死ぬかもしれないという危機感は皆無に等しかった。戦争の中に居る人々の顔は、映画はともかく、ニュースなんかで見た時は、皆酷い顔ばかりしていた。何というか、拍子抜けをしてしまっているのだ。
ビィーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!
突然、大きな音が鳴り響いた。正優は咄嗟にディミの顔を見る。そこにいたのは何ものにも動じない、冷たく無表情な戦士だった。
“緊急警報発令!!緊急警報発令!!城内にバイザーを発見!!直ちに戦士達はバイザーの進入箇所の割り出しと、敵の掃討に中れ!!一般職員、及び民衆はできるだけ戦士達の誘導を受け、上部へ非難せよ!!”
「この城にバイザーが?!何故?!」
ディミはそのアナウンスを受け、急に態度と表情が一変した。先程までの冷たい表情が嘘のように。
「姫!!今から私がこの場所に居る者達の安全を図りながら上部へ避難させます!!姫は早くバイザーの掃討を!!」
海は軽がると正優の体を抱きかかえる。
「海、誰も死なせては駄目。もちろんあなたも」
「私は王より早く死にはしません。それより姫。どうか、危なくなったら逃げて下され…」
少しディミが微笑むと、正優に眼を向けた。
「セーちゃん。何もしないで、とにかく海の言う事を聞いていて。それで全て終わるから!」
「ディミ!!」
と、正優が声を投げかけた時、ディミはきびすを返して飛んでいった。読んで字の如く飛んだのである。群衆をかきわける必要もなく、ただ綺麗に城の高い天井へと跳躍していった。
「皆川殿、少しの間、無礼を許して下され」
白浜海はそういうと、正優を右脇に抱え、床から九メートルは離れた上の階上へ移動した。
「うわわわわわっ‼︎」
遊園地のアトラクションよりも更に恐ろしい。ただのジャンプで驚く程の跳躍を可能にしている。ディミといい、海といい、明らかに人智を超えていた。海は器用に手すりの上に乗り、怒声で混乱している階下の人々に叫んだ。
「皆の者!!静まれぃ!!!!!」
ざわざわとうるさかった喧騒は消え失せた。それ程に大きな声。正優の右耳は最早何も聞こえない。辛うじて聞こえる左耳がこう言っている。
「今、姫や他の戦士達がバイザー掃討にあたっている!!心配する事は何も無い!!落ち着いて城の上部へ迎え!!」
白浜の怒号が功を奏したのか、人々はどよどよと、だが確実に移動し始めた。気付けば、同じ階の階段の横に、若い男女が先導している。多分、彼等が戦士達なのだろう。年齢は正優と同じ頃だろうか。中には年端のいかない幼い少女までいる。そんな彼等に、階下でひしめき合っていた大人達は言う事を素直に聞いている。そんな人々の姿に、正優は何か滑稽さを覚えた。少年少女の言う事を聞く大人達。全く尊厳の無いこと甚だしい。そう思ってしまう自分がいた。
「皆川殿。私もバイザー掃討に向かわなければなりません。あなた様も彼等と同じく城の上部へ向かって下さい」
「は、はい……」
やっとの事で降ろされた。正優は白浜に見送られている。いや、感覚的には違う。見張られている?ちゃんと流れに沿って、皆と同じように動くかどうかを。階段の傍は混んでいたが、戦士達の号令で滞りは少ないようだ。団体行動でここまでの動きがとれるのは、日頃訓練でもしていないと無理だと正優は思った。振り向くと白浜は既に居なかった。今ならそのバイザーとやらも見られるかもしれない。少しの興味心が沸いたが、後ろから詰め掛けてくる波には勝てなかった。そのまま波に流されずに何処かへ様子を見に行けば、命は無かったかもしれない。しかし、この時の正優は、死というものに、漠然な寂しさと、恐怖感しか覚えていなかった。自分の身内が死んでしまって、後に残る痛みだけは覚えている。だから無理はするまい。身内に心配はかけさせたくはないのだから。
ディミは、城の中に十五個あるうちの一つの第五地下厨房辺りへ来ていた。今のところバイザーとの接触はない。それが余計に不安を騒ぎ立てた。早くしなければ。地下へ来た理由はある。この城の外にある大きな外壁を越えて城の中へ入るのはある人物の能力であるバリアのおかげでできない。もちろん地下にもそのバリアは展開されているのだが、外壁の上部にはいつも強力なバリアを展開していないと、核爆弾や細菌兵器等を発射された場合、止める事ができない。よって、地下に展開するバリアは単なる時間稼ぎにしかすぎなかった。まぁ、それでもダイナマイトを何十個用意しようがそのバリアを破壊する事はできない。つまり、今回はそのダイナマイト何十個分の威力を上回る何かが来たのだ。それは一般人からしてみればあまりにも恐ろしい脅威であり、許せない事態であった。
『だんだん音が大きくなっている。ここから近いな……』
ディミは地下四階の端にある厨房を通り過ぎて、大ロビーへ向かった。臭いを感じる。そこに、侵入形跡を発見できた。大きな穴だった。幅と高さがそれぞれ三メートルほどもある穴だ。そして、その周りには、侵入された惨い侵入形跡が見つかった。
「ちっ」
舌打ちをかます。穴の周りには一般職員五人と、若い戦士が二人、自分の内臓の血に浴びせられ、苦しそうな表情で死んでいた。と、背後で気配がした。
「ふっ!!」
ディミの背後から、ディミの頭に無造作に振り下ろされた熊の様な大きな手は空を切っていた。ディミは背後からの攻撃を右に音もなくずれて交わし、振り返り際に腰を落とし、全身のひねりをくわえながら右足で自分の体重をふんばり、後ろにある大きな物体に掌底をくらわした。ごきぼきっ!!相変わらず嫌な音と感触がする。その物体は加えられた力に踏みとどまる事はできず、大ロビーの壁に突き刺さった。絶命したのか、うんともすんとも言わない。
「ここの守りをしていたバイザー……か。まさか一匹なんて言うんじゃないでしょうね……?」
ディミの言葉に触発されたように、穴から十一匹。ロビーのソファーや物陰から六匹。計十七匹がディミの周りを取り囲む。
バイザーの顔はどれも似たり寄ったりだった。赤黒い目。何となく人間味のある鼻や口はあった。耳は無く、それらしきものは人間の耳のある場所に穴が開いているだけだった。生殖器はないのか、股間は肉が張り付いていて、妙にぴっちりしている下着をつけているように見えた。身長はまばらだが、一貫して百九十を越す大きさばかりだ。色は、人間の色をしていなかった。灰色に近い、血管の色がそのまま皮膚の色素に定着した感じであった。筋肉が隆々としており、人間らしさを残しながら、化け物の認識をまざまざと見せつけられる奇怪な生き物だった。
「来なさい。私はあなた達に死しか与えられるものはない………」
ディミは右手から黒い空間を出し、そこから刀を取り出した。日本刀だ。そして彼女は焦っていた。能力の副作用である、睡眠の時間が近い事を。
「ここで静かに待機していて下さい」
一人の少年戦士、と言っても正優と同い年位だろうが、落ち着きながら扉を閉めた。しかし、正優には彼は焦っているように思えた。特に他意はなく、そう思えた。正優が入れられた部屋はあまり大人数は入れない部屋だったらしく、周りには十人しかいない。その中に小さい五、六歳程度の男の子と女の子が居た。他はその子達の両親らしき人物と、三十代だろうと思われる女性が二人、壮年のカップルが二人居る。部屋の造りは鉄製らしく、窓も何も無かった。床には清潔な赤いマットがおいてあり、人数分が座れるだけの椅子が置いてある。部屋は案外明るかった。オシャレで大きな蛍光灯らしき物が二個ついていたせいもあるのだろうか。皆既に椅子に座っていて、正優もそれに習う。ぼーっと扉の方をみていると、正優は何故か男の子と女の子にじぃっと見られていた。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん?」
正優は少し離れた場所に居る髪の毛の赤い、元気そうな男の子に呼ばれた。その子の両親は止めなさいと言っているようだ。すまなさそうに正優にお辞儀している。しかし、それでもその男の子は諦めていないらしく、また正優に声をかける。
「お兄ちゃん、今暇?遊べる?」
「こら、止めなさい。今は遊んでいる場合じゃないんだぞ?」
その子の父親なのか、髭を蓄えた人柄の良いおじさんが男の子を抱きかかえる。
「あ、いいですよ。何かしていたい気分なんで、遊んでいた方が気が紛れると思うんで……」
「あ、いや、でも……」
父親は少し渋っているようだ。そりゃまぁ、見ず知らずの人に、急に自分の息子と遊んでくれなんて言えないな。と、冷静に分析する。
「いいですよ。何も無くても遊ぶ事位の知識はありますから」
正優はいてもたってもいられなくなっていた。この城の何処かで戦が始まっている。そして、もしかしたら、何人かは死んでしまうのかも…と。馬鹿な考えだと思った。実際に人が死ぬなんて事がそんな近場に起きるはずがない。そんな正優は、子供と遊ぶ事が自分にできる精一杯の「逃げ」だった。
「やった!じゃぁ、お兄ちゃん、何して遊ぶ?!」
「その前に、あの子も仲間に入れてあげないとな」
正優は指を、頭の両側で髪を縛ったブロンドの女の子にも向ける。
「えぇ~?いいよぉ。あいつどんくさいし」
「女の子にそんな口聞いたら駄目だぞ?大人になってあの子がとんでもない美人になってたら、仕返しされるかもしれないんだからな?」
「えぇ?!そんな事ない…と、思うんだけど…俺……」
正優に言われてしどろもどろになっている男の子は、見ているだけで正優の心の安らぎになった。女の子は顔を赤くしながらも、笑顔を作りながら徐々に手招いている正優に近付いてくる。
周りの大人達はこのやり取りを見て、少し安心したようだった。
少し経ち、疲れていた人も居たのか、部屋の中に居る半数は眠りに入ろうとしている。
「いいか?こうやって、手を組んで親指から小指まで十回、回していくんだ。薬指が難しいんだが、これできるか?」
少年少女は正優の言われたとおりに指を動かしているが、どちらも薬指でてこずっているようだ。
「お、お兄ちゃん。どうやったらお兄ちゃんみたいに上手く回せるの?」
女の子が四苦八苦しながら薬指を動かそうとしている。男の子は女の子にいい所を見せたいらしく、無言で頑張っている。今の所は女の子が男の子に二勝していて、男の子は一勝しかしていない。いつも馬鹿にしていた女の子に負けるのが恥ずかしいのか、かなり真剣なご様子である。
「ま、努力だな。後はセンスもあるけど。とりあえず小指までいったみたいだな。んじゃ、さっき長座体前屈で体の柔らかさはかったけど、これに効いてくるんだなー。も一回座って前屈してみな?」
男の子と女の子は先程と同じく座って手を足の先へ伸ばしていった。
「うわわわ。何で何で?!」
「お兄ちゃん、柔らかくなっちゃったよ?!」
男の子も女の子も子供なだけあって、最初から充分体は柔らかかったが、今度は更に深くまで手が伸びていった。
「不思議な手のマジックさ。これは友達に見せつけてやると、人気者……になれるかどうかは分からないが、話題作りにはなるだろ」
「兄ちゃん、次は次は?!」
「ん~、じゃ~な~………」
ドォォォォン!!!!!!
足元が揺れる。正優は男の子と女の子の上に覆いかぶさって二人を守る。揺れが収まった時、二人の両親がやって来た。
「すみません。ありがとうございます。リオン、お礼を言いなさい」
そういえば、二人の名前を聞いていなかった。リオンの父親が少し声を震わせながら正優の下に居たリオンを連れて行く。同時に女の子の父親も迎えに来た。
「リノ。お前も…」
「「お兄ちゃん、ありが………」」
ゴオオオオォォォォン!!!!
…え?
二人一緒に、正優にお辞儀をしようとした…はずだった。その瞬間、床が割れ、そのひん曲がった鉄の床に命がけずられようとしている二人がいた。リオンはお腹から出ている鉄の尖った物を見た。リノは丁度胸の辺りに刺さっていた。彼女は最後、笑って、自分の訳の判らない状況を確かめ、リオンに、好きだった……と言い、血を吐きながら力無く死んだ。リノを見たリオンは、泣いた。泣いて、彼女に近付こうとしたが、自分の腹に刺さっている鉄の床に阻まれ、深く、より深く鉄の床を腹に突き刺していった。そして、数秒後に死んだ。正優は手を二人の方へ向けた。ゴンッ!バキッ!大きな音がしている。二人の少年少女の後ろに居た親御さんや、二人の女性、そして壮年のカップルもある一つの物体によって生命の火を切らしていた。いや、切らされていた。そしてその時初めて、この場で生きている『人間』は一人だけなのだと言う事を悟った。
「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!」
正優の額に絶望と悲しみと憎悪が渦巻く。泣いて、泣いた……。二人の頬に手は触れる事ができる。しかし、彼らに自分の命の通った手は届いていない。先程まで、目の前で生きていて、簡単な遊びに目を輝かせていた。自分の他愛もない、面白くもない遊びに目を輝かせていた生命が、今、目の前からただの物体へと変質してしまった。涙で前が見えない。拭うと余計頭が混乱してきた。そして、一つの情景が目の前に広がった。二つの目は明らかに涙で見えなかった。しかし、何故か目の前の出来事に眼を瞑ることができなかった。正優の額には、『第三の眼』ができていたのだ。額の眼は縦についており、その眼は、涙を流すことも無く、ただ目の前にある惨状を見ることしかできなかった。そこには、体の大きな物体がいた。それは、明らかに人ではない。そして一瞬にして、正優の脳は一つの見解に達した。
「殺す」
呟いた一言は、最強の戦士を生み出す。二つの眼も涙を流さなくなっていた。この世界を…。そして全てを救う一人の戦士。哀しい存在へと生まれ変わった、一人の少年の物語が今、始まった……。